ACT.2 Competitive Battle

01 先鋒戦~人喰いポメラニアンと赤鬼ジュニア~

 十五分間のインターバルが終わりに近づくと、スタッフが控え室に駆け込んできた。


「それでは間もなく、試合を再開します! 犬飼選手と猪狩選手は入場口で待機をお願いします!」


 このインターバルですっかり熱を入れなおした瓜子は、笑顔のユーリと仏頂面のメイを振り返った。


「それじゃあ、行ってきます。健闘を祈っててくださいね」


「健闘と勝利を祈っておるのです! がんばってねー、うり坊ちゃん!」


 バンデージに包まれたユーリの拳に、瓜子はグローブを装着した拳を押し当てる。

 メイは無言で拳を差し出してきたので、瓜子はそちらにもグローブをタッチさせた。


「ガンバってねー、ウリコ。ウリコだったら、ゼッタイにカてるよー」

「ああ。地力だったら、負けてないぞ。体重差なんて気にしないで、いつも通りのペースを守れよ」

「……猪狩センパイの勝利をお祈りしているのです」


 居残り組のジョンと柳原と愛音も、そんな言葉で瓜子を激励してくれた。

 そしてその後には、懇意にしている女子選手の一団も我先にと言葉を届けてくれる。灰原選手も赤く目を泣きはらしつつ、すっかり笑顔を取り戻していた。


 それらの人々に見送られながら、瓜子は控え室を出る。

 それに付き従ってくれるのは、立松とサキとサイトーで――ともに通路を進むのは、犬飼京菜とドッグ・ジムの面々だ。彼女のセコンドとなるのは、榊山蔵人を除く歴戦のコーチ陣三名であった。


(これから試合の沙羅選手のところには、雑用係の榊山くんしか残らないのか)


 もちろん沙羅選手の試合においてもコーチ陣の誰かがセコンドにつくのであろうが、普通は試合直前にコーチ陣のすべてが離れたりはしない。しかしおそらく、これは沙羅選手も納得ずくの配置であり――ドッグ・ジムの面々は、犬飼京菜のために総力をあげようという姿勢であるのだろうと思われた。


 大和源五郎は張り詰めた顔で、マー・シーダムはとても静かな表情、ダニー・リーはいつも通りの冷徹な面持ちで、ひたひたと通路を進んでいる。それに囲まれた犬飼京菜は、気迫の塊と化していた。


「それじゃあ、犬飼さん。おたがいに頑張りましょう」


 入場口の裏手に到着したのち、瓜子はそのように呼びかけてみた。

 また険悪な言葉を返されるかなと、そんな覚悟を固めての行いであったが――案に相違して、犬飼京菜は口もとをごにょごにょさせて、何も言わなかった。そして無言のまま、瓜子に拳を突き出してきたのだった。


 あまりに意想外なリアクションに、瓜子は一拍おいてから慌てて拳を差し出してみせる。

 おたがいのグローブがちょんと触れると、犬飼京菜はせわしなく右手を引っ込めた。

 周囲の人々も、何も語ろうとはしない。ただ、誰もが優しげな目で――あのダニー・リーまでもが、一瞬だけ冷徹さを消した目で瓜子たちの姿を見守ってくれていた。


『お待たせいたしました! それでは、《アトミック・ガールズ》と《レッド・キング》の対抗戦を開始いたします!』


 細く開かれた扉の向こうから、リングアナウンサーの声が響きわたってくる。


『まずは先鋒戦! 青コーナーより、大江山すみれ選手の入場です!』


 歓声は、怒号のように会場を震わせている。

 大江山すみれはこれがプロ昇格の査定試合で、これまで《アトミック・ガールズ》においてはプレマッチで一戦しただけの選手であったが、対抗戦そのものに期待がかけられているのだろう。それにパラス=アテナの広報活動や『まりりん☆ちゃんねる』の考察動画によって、彼女が赤星弥生子と同じ不可思議な古武術の使い手であることが周知されているのだった。


 犬飼京菜はその場で小さくリズムを取りながら、大きく呼吸を繰り返している。

 その呼吸のひとつごとに薪がくべられて、闘志の炎がいよいよ激しく燃えさかっていくかのようであった。


『赤コーナーより、犬飼京菜選手の入場です!』


 ちょっと古めかしいハードロックの入場曲が流される。

 ドッグ・ジムでの何回目かのディナーで聞いたところによると、これは彼女の父親である犬飼拓哉が使っていた入場曲であるのだった。


 大成できずに夭折した父親の思いを背負って、犬飼京菜は花道に足を踏み出す。

 瓜子は初めて真っ直ぐな気持ちで、彼女の勝利を願うことができた。


                  ◇


『さあ、いよいよ始まりました! 《アトミック・ガールズ》と《レッド・キング》の対抗戦! 先鋒戦は、「大江山の赤鬼ジュニア」こと大江山すみれと、「人喰いポメラニアン」こと犬飼京菜の対戦です!』


『この大江山いうんは、これがプロ昇格をかけた査定試合なんやろぉ? アマのうちから御大層な二つ名をぶらさげて、豪気な話やねぇ』


『いや、まったくです。……えー、引き続き、試合の実況は国寺正和、解説は《アトミック・ガールズ》のアトム級王者、雅選手でお送りいたします』


『あんじょうよろしゅう。……あぁあ、やっぱりけっこうな体格差やねぇ。ま、犬ころのほうが規定より八キロも軽いんやから、当たり前やけど』


『犬ころというのは、犬飼京菜のことですね。雅選手はアトム級王座決定トーナメントで犬飼と対戦しているわけですが、彼女はどのような印象でしたか?』


『どないもこないも、ぴょんぴょん逃げ回るんで面倒やったわぁ。ま、あの犬ころは古式ムエタイの技なんぞを使いよるみたいやから、そこが見どころやろうねぇ』


『いっぽう大江山は、赤星道場の師範たる赤星弥生子直伝のファイトスタイルであるそうですね。どこかの古武術から発展させたスタイルであるそうですが、雅選手はご存じでしたか?』


『あぁ、なんやらわちゃわちゃ騒がれとるみたいやったねぇ。ノーガードのカウンター狙いらしいけど、あのすばしっこい犬ころにどこまで通用するか見ものやねぇ』


『両者は昨年七月のプレマッチにて対戦しておりますが、そのときは序盤からグラウンド戦が展開され、一分三十六秒で犬飼のテクニカル一本勝利。決まり手は、膝十字固めでありました。わたしも実況席から拝見していましたが、どちらもアマチュア選手とは思えないようなグラウンドの技術であったと記憶しています。どうやら犬飼は柔術の大会においても、白帯の部門ながら軽量級と無差別級で優勝を果たしているとのことですね』


『ほんでもともとは、《G・フォース》のアトム級王者やもんねぇ。ま、防衛戦を経験してへん王者なんて、なぁんの価値もあらへん思うけどなぁ』


『三度の戴冠と数々の防衛戦をくぐりぬけてきた雅選手のお言葉には、重みがありますね。……さあ、握手は交わさずに両者コーナーに戻って――今、試合開始です!』


『おぉ、走った走った』


『犬飼のファーストアタック! 飛び膝蹴りをサイドステップでかわして、距離を取る大江山! ……やはり、犬飼の奇襲攻撃には十分に対策してきたようですね』


『せやけど、ほんまにノーガードやねぇ。腕を垂らすんはフリッカースタイルでお馴染みやけど、犬ころ相手にすり足移動は無謀ちゃう?』


『これが赤星流のファイトスタイルのようですね。……おっと、大江山の関節蹴り! 犬飼はバックステップで回避します!』


『……ふぅん』


『どうかしましたか、雅選手? 犬飼も、慎重に距離を取りなおしたようです』


『鬼っ子は、なんやらふわふわした動きやねぇ。あないな殺気のあらへん動きで人様の膝小僧を蹴れるやなんて、驚きやわぁ』


『確かに大江山は、試合中とも思えない静かなたたずまいです。これは犬飼も、少しやりにくいか。……あ、いや、犬飼の猛攻だ! 大江山、たまらず後退!』


『せやろなぁ。うちでもそないする思うわぁ』


『大江山は、ほとんど後ろ向きに走るような格好ですね。あくまでステップを踏まないのでしょうか』


『……ステップを踏むと、リズムが生まれるさかいなぁ。それを嫌がっとるんやろか』


『犬飼は、果敢に攻め込む! 大江山のリーチよりも、犬飼の素早さがまさっているようです! しかし大江山も、うまくガードしていますね!』


『もうノーガードは気取ってられへんやろねぇ。……あ』


『大江山、カウンターの前蹴り! 犬飼、ダウンです! 大江山がすかさず上を取り、試合はまたもやグラウンド戦に移行しました』


『今の前蹴りは……ちょいと寒気のするようなタイミングやったねぇ。居合斬りでも見せつけられたような気分やわぁ』


『犬飼、ダメージが深いようです! 大江山、サイドポジションから強烈なパウンド! ……大江山はこれが初めてのプロルールであるはずですが、パウンドも巧みですね!』


『犬ころも頑張って動かんと、止められてまうやろねぇ。……お、動いた動いた』


『犬飼、懸命に身をよじりますが、大江山、逃がさず! ニーオンザベリーの体勢から、いまマウントに……おーっと、犬飼、ブリッジで返した! ガードを取られつつ、上になりました!』


『今のもなかなかのタイミングやったねぇ。ま、あのちんまい身体じゃ力ずくなんて通用せえへんし、きっちり柔術をやりこんどる証拠やわぁ』


『しかし犬飼、上を取ったまま動けません。まだ前蹴りのダメージが残されているのでしょうか。……あ、大江山、下から腕ひしぎ! 犬飼、かろうじてかわします!』


『なんや、グラウンドでも楽しませてくれるやんか。おこちゃま同士、実力が拮抗しとるみたいやねぇ』


『雅選手は犬飼から一本勝ちを奪っていましたね。犬飼のグラウンドテクニックは、どのていどのレベルなのでしょうか?』


『んー……せいぜい中の中ちゃう? うちがこれまで対戦してきた中で、ちょうど真ん中くらいの力量やったさかいなぁ』


『十七歳という若さを考えれば、なかなかのものですね。犬飼も大江山も十七歳ですが、犬飼は早生まれであるため学年的にはひとつ上であるそうです』


『どっちもファイターのジュニアやから、ちんまい頃から稽古を積んどったんやろねぇ』


『大江山すみれはかつて《レッド・キング》で活躍していた大江山軍造、犬飼京菜は数々のプロモーションを渡り歩いた犬飼拓哉の娘さんであるわけですね。犬飼は《レッド・キング》で冷遇された父親の無念を晴らすのだと公言しています』


『せやったら、あんじょうきばらんとなぁ。……そら、ブレイクや』


『上になった犬飼が動きを見せないため、ブレイクとなりました。犬飼は、果たして回復できたのか。スタンド状態から、試合再開です』


『ちいとも回復しとらんねぇ。死人みたいな顔色やんかぁ』


『犬飼はウェイトが軽すぎるため、かねがね打たれ弱さを危惧されていました。……大江山、すり足で接近します。今度は犬飼が下がっていますね』


『下手に手ぇ出したら、カウンターの餌食やろしねぇ』


『大江山もまったく手を出さず、ひたすら追い詰めます。これはやはり、犬飼を誘っているのでしょうか?』


『あくまでカウンターにこだわっとるんやろか。ここは攻め込むべき場面やけど……ま、犬ころもどんな技を隠し持っとるかわからへんしねぇ』


『犬飼、懸命に足を使います。おっと、大江山の関節蹴り! アマルールでは関節蹴りも禁止されているはずですが、大江山は巧みですね』


『きっと最初っから、プロの舞台を見据えて稽古を積んどったんやろねぇ。犬ころは大ピンチやなぁ』


『残り時間は、まだ半分残されています。前回の雪辱なるか、大江山。……じわじわと、距離が詰まってきています。犬飼は、どうするか……あっ』


『あらぁ』


『い、犬飼、動きを止めました! ……ですが、大江山も止まってしまいましたね、雅選手?』


『せやねぇ。なんぼカウンター狙いいうても、これは極端やわぁ』


『両者が動きを止めてしまったため、客席もざわついています! ……おっと、大江山の関節蹴り! しかし犬飼は左足を引いて、そのままサウスポーにスイッチ! そしてまた、両者、止まってしまいます!』


『くふふ……どうやら鬼っ子のこのスタイルは、ほんまにカウンター狙い一辺倒みたいやねぇ。カウンターいうのは相手が前に出る力を利用するから、動きを止められると手も足も出えへんいうこっちゃなぁ』


『で、でしたら、普通のスタイルに戻すべきでは? それともまさか、大江山はこのスタイルのトレーニングしかしていないのでしょうか?』


『花ちゃんが言うとったけど、普通の打撃技は高校生にしては上出来いうレベルやそうやよぉ。《Gフォース》の王者で、しかも古式ムエタイの技なんぞ隠し持っとる犬ころには、通用せえへんどころか逆にカウンターを狙われかねん思うとるのかもねぇ』


『しかし、犬飼は大きなダメージを負っています。時間が経てば経つほど、せっかくのアドバンテージが失われてしまうのでは?』


『そういうこっちゃ。次のアクションが見ものやねぇ』


『……大江山、再びの関節蹴り。ですが犬飼は、また足を引いてかわします。それに、フェンスに追い込まれないように、立ち位置を変えました』


『あらぁ……犬ころの向きが変わって、お顔がよう見えるわぁ。たいそうな迫力やないの』


『た、確かに! この解説席からも、犬飼の凶悪な形相がはっきりうかがえます! 大江山は、この気迫に圧されているのでしょうか?』


『あの鬼っ子も、そうまでやわには見えへんかったけどねぇ。せやけど、いかにも何やら狙うとる顔つきやから、いっそう手が出えへんちゃう?』


『両者動かないまま、残り時間は一分を切ってしまいました。客席からは、さすがにブーイングがあがり始めています。……あっ、大江山がさらに前進しました! 犬飼も下がりますが、足取りが重い! それでも両者、手は出さず……犬飼、フェンスに押し込まれます!』


『へぇ、壁レスリングかいな。これはこれで見ものやねぇ』


『打撃技で打つ手をなくした大江山が選択したのは、組み技でした! 十八センチの身長差は、どちらの有利に働くのか! 大江山はまず、首相撲を狙っているようです!』


『この身長差なら肘も膝も顔に届けへんさかい、賢明な判断やろねぇ。ここで古式ムエタイの知られざる技でも見してくれたらおもろいんやけど……あらぁ?』


『ダウン! 大江山がダウンです! 身体を折って、うずくまる大江山! 犬飼はその背中にのしかかり、バックマウントです! 雅選手、大江山は何の攻撃でダウンしたのでしょうか?』


『ちょうど死角で見えへんかったねぇ。腹に肘でももろたんやろか』


『犬飼、強烈なパウンド! 大江山、動けません! これは危険だ! 残り時間はもうわずかですが……あーっ、ストップ! ストップです! 試合終了! 若獅子たちの決戦は、思わぬ形で幕を閉じました!』


『くふふ。お客さんらも、戸惑うとるねぇ。鬼っ子は、なんでダウンしたんやろ』


『リプレイ映像が待ち遠しいところですね! とにかく試合は第一ラウンド、四分三十七秒、レフェリーストップによるTKOで、犬飼京菜の勝利です! ……犬飼、やはり苦しそうですね。腹のダメージは、まだ大きく残されているようです』


『くふふ。ぎりぎりの瀬戸際で勝ち星を拾うて、悔しそうなお顔やねぇ。ああいうお顔はかわゆらしいてたまらんわぁ』


『あっ、リプレイです! 犬飼がフェンスに押し込まれたシーンから、大江山は首相撲を狙い……犬飼はそれを嫌がるように、両手を突っ張って相手の腹を押しています。ここから狙えるのは、やはりエルボーでしょうか』


『……あらぁ』


『あ、あれ? 犬飼は両手をのばした状態なのに、大江山はダウンをしてしまいました。エルボーではありませんでしたね』


『角度が悪うて、わからんかったわぁ。せやけど、犬ころも何やら身をよじったみたいやねぇ』


『あ、別角度からのリプレイです。犬飼は両手を突っ張っており……腰をねじって、右手を少しだけ引きました。……あっ! そしてそのまま、掌打を腹に当てています! 右腕はのばしたままで、十センチていどの射程しかないのに、このような掌打でダメージを与えられるものなのでしょうか?』


『ふぅん……まるで中国武術の寸勁やねぇ。古式ムエタイにそないな技があるとは思えへんけど』


『寸勁? というとあの、手の平で押すだけで相手が吹っ飛ぶという、大道芸のような……』


『あらぁ、格闘技番組の実況キャスターが中国武術を大道芸あつかいしてまうのん?』


『も、申し訳ありません! どうもその、そっち方面は不勉強でして……』


『くふふ。ま、近代格闘技と古流武術いうのは、近くて遠い存在やからねぇ。せやけど、犬ころは古式ムエタイで鬼っ子は古武術そのまんまなんやから、最初っからイレギュラーなんよ。こんな愉快な対決には相応しい決まり手やったんちゃう?』


『はあ……ですが、古式ムエタイに寸勁などが伝わっていたのでしょうか?』


『それはちょい考えにくいさかい、犬ころは古式ムエタイの他に中国武術やらジークンドーやら稽古してたんちゃう? ジーンクンドーでもワンインチパンチいうて、寸勁の技が応用されとるみたいやしねぇ』


『なるほど……あ、勝利者インタビューです。本人の口から、何か語られるでしょうか。ちょっと聞いてみましょう』


『……それでは、一ラウンドでTKO勝利を収めた犬飼選手に、喜びのお言葉をちょうだいいたします! 犬飼選手、先鋒戦を見事に勝利で飾りましたね!』


『……どこが見事なのさ? 嫌味も大概にしてくれない?』


『いえいえ! 最後のパウンドのラッシュなどは、鬼気迫る勢いでありました! それにその前は、いったいどういった技でダウンを奪ったのでしょう? わたしの席からは、ちょっと確認できなかったのですが』


『そんな自分で手の内をさらすわけないじゃん。……うちのジムには凄腕のコーチがそろってるんだから、あれぐらい楽勝だよ。問題は、そいつを扱うあたしのレベルが低すぎるってこったね』


『いえいえ! 犬飼選手はこれほど小さなお身体で数々のKO劇を披露しているのですから――』


『それも全部、コーチ陣のおかげだよ。でも、あたしがヘボすぎて全然それを活かしきれてない。あんなアマチュアのガキに手こずってるようじゃ……赤星弥生子を倒すなんて、夢のまた夢だね』


『犬飼選手の目標は、やはり打倒・赤星弥生子なのですね?』


『そうだよ。あたしの父さんは赤星大吾にかなわなかったから、あたしは赤星弥生子を倒す。父さんを慕って集まってくれたみんなと一緒に、ドッグ・ジムの力を世間に見せつけるんだ。その目標は、絶対に変わらない』


『なるほどなるほど。それでは、見事な勝利を収めた犬飼選手に――』


『でも、それはあたしたちの都合だから! 父さんはそんなことのために、ドッグ・ジムを作ったわけじゃない! 父さんは格闘技が大好きで、娘のあたしに強くなってほしかったから……自分が選手として戦えなくなっても、あたしのためにドッグ・ジムを作ってくれたんだ!』


『あ、あの、犬飼選手?』


『でも、父さんは赤星大吾の背中ばかり追いかけすぎて、格闘技を楽しむことができなくなっちゃった! あたしは……あたしは絶対に赤星弥生子を倒すけど、大好きなみんなと格闘技を楽しみたい! じゃないと、父さんが悲しむだろうから……』


『だ、大丈夫ですか、犬飼選手?』


『悪いな。お嬢はあんまり、人前で本音をさらすのが得意じゃないからよ』


『あ、ちょっと、マイクを勝手に……』


『お騒がせして、申し訳なかったな。ドッグ・ジムは他にも二人の門下生を抱えてるが、そいつらは打倒・赤星とも無関係だ。新規の門下生は随時受け付けてるんで、興味を持ったお人らはよろしく頼むよ。……それじゃあ、お疲れさん』


『あ、ど、どうも。……えー、見事にTKO勝利を収めた犬飼京菜選手でした! 皆様、今一度大きな拍手をお願いいたします!』


『……勝利者インタビューは、以上です。犬飼も、ずいぶん感極まっていたようですね。これまでは赤星道場を見下すような発言が多かったように思うのですが、何か心境の変化でもあったのでしょうか?』


『さぁ? そんなん見てる側には関係あらへんからねぇ。おもろい試合を見せてくれたら、それでええんちゃう?』


『そうですね。近代格闘技の常識にとらわれない犬飼京菜と横浜ドッグ・ジムのこれからを、わたしも刮目して見守りたいと思います!』


                 ◇


 のちのち格闘技チャンネルで放映された実況中継は、そんな内容であった。

 次の出番であった瓜子もその放映で犬飼京菜と大江山すみれの一戦を拝見したわけであるが、確かにあれは近代格闘技の常識から外れた一戦であっただろう。犬飼京菜は古式ムエタイとジークンドー、大江山すみれは六丸から習った古武術でMMAに取り組んでいるのだから、それも当然だ。


 まだまだ若い彼女たちがその真価を発揮させるには、きっと長きの時間がかかるのだろう。

 彼女たちとさほど年齢の離れていない瓜子は、それをリアルタイムで見守れることを心から喜ばしく思っていた。

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