06 極悪バニーの凱旋

「ったく、この黒タコはよー。慎重になりすぎて逃げ回ってたくせに、いきなり本能まかせで暴れ回りやがって。いちいちやることが極端なんだよ」


 サキがそんな風に言いたてたのは、控え室に凱旋したメイがさまざまな人々から勝利のお祝いをされたのちのことであった。


「もうちっと、ノーミソの使い方を考えろよ。こんな極端な二者択一じゃ、戦略もへったくれもねーだろ」


「まあまあ、いいじゃないっすか。あれだけのダメージを負って逆転勝利したんですから見事なもんですよ。ねえ、メイさん?」


 メイは何とも言えない面持ちで、口もとをごにょごにょさせている。まだ人々のお祝いの余韻を引きずって、情緒が定まっていないようだ。

 そんなメイを横目に、サキは「ターコ」と瓜子の頭を小突いてきた。


「フィジカル頼みの突進でいいんなら、序盤に逃げ回った意味がねーだろ。ダメージを負ってた分、リスクが高くなっただけなんだからな。あんなもんはイチかバチかの特攻で、今日はたまたま勝てたってだけの話だ」


「サキさんは、ずいぶん手厳しいっすね。自分は見事な逆転勝利だと思いましたけど」


「いーや。アタシにも、ようやくこの黒タコの全容が把握できたんだ。……こいつはな、頭の回転が速すぎるんだよ。そのせいで、考えすぎると動けなくなっちまうんだな」


 赤黒まだらの長い前髪をかきあげながら、サキはそんな風に言いたてた。


「こいつはきっと、ピエロ女の攻撃パターンをのきなみノーミソにインプットしたんだろう。で、あのトリッキーな攻撃を防ぎきるイメージができなくて、手も足も出せなくなっちまったわけだな。それで勝手にペースを乱して、ダメージをもらったら思考停止の大暴れだ。だったら最初から大暴れしてたほうが、まだマシなんじゃねーの?」


「それじゃあ、ウリコに勝てなかった」


 と、メイがサキに詰め寄った。


「考えすぎるのも、思考を停止するのも、僕のウィークポイント。それを克服するために、頑張りたいと思っている。どうか、理解してほしい」


「だから、今日の試合で理解できたって言ってんだろ。ったく、この道場には素っ頓狂な女しか入門してこねーな」


 サキは肩をすくめつつ、メイの頭を軽く小突いた。


「ま、とにかくおめーは、攻撃のパターンを増やすこった。あんな風に身動きが取れなくなっちまうのは、手持ちの武器が少ねーせいもあるんだろ。あとは、ノーミソを半分眠らせる練習でもしとけや」


「……それは、すごく難しそう。でも、頑張る」


「おう。あとの説教は、道場に帰ってからだ」


 そうしてサキは、立松と合流した。三人の選手のセコンドを務めるというのは、大変な苦労であろう。それに助けられる瓜子も、頭が上がらないところだ。

 いっぽうメイはサキの言葉を噛みしめながら、試合前と変わらぬ迫力で闘志を燃やしている。ただ勝利しただけでは満足できないという意味で、メイとサキはしっかり見解が一致しているようであった。


(あのイリア選手を初回でKOできたのに、二人とも貪欲だな)


 そんな思いをこっそり抱きつつ、瓜子はモニターへと視線を戻した。そちらでは、すでに選手入場が始められているのだ。

 この試合の後には十五分間のインターバルが入れられると告知されていたため、次の出番である犬飼京菜も控え室でウォームアップに励んでいる。赤星道場との対抗戦と瓜子の出番も、すでに目前であったのだった。


 モニターでは、ボディチェックを受けた武中選手がケージインする。

 そして赤コーナー陣営の入場口からは、バニーQこと灰原選手が入場し始めた。


 灰原選手もまた、特別仕様の試合衣装である。

 それは、ティガーの既製品に《アトミック・ガールズ》のロゴをプリントしていただいた、文字通りの特注品であった。


 使用アイテムは、二点。レオタードとロングスパッツだ。大手スポーツウェアブランドのティガーにはさまざまなデザインのレオタードが取りそろえられていたようで、灰原選手がその中からもっとも気に入ったものを選んだ結果であった。

 白いレオタードと黒いロングスパッツに、《アトミック・ガールズ》とティガーのロゴがでかでかとプリントされている。ティガーとしては社名をアピールできれば、それで十分という考えなのであろう。かくして、灰原選手もこれまで通りのキャラクターを保持したまま《アトミック・ガールズ》に復活することがかなったのだった。


 ただし、《レッド・キング》の入場時でも着用していた付け襟やカフスは認められなかったらしく、レオタード姿の灰原選手はそのまま真っ直ぐボディチェック係のもとに歩を進める。その間も、客席には盛大な歓声が巻き起こっていた。


「灰原のやつは、さすがの人気だね。あとは、見てくれだけじゃないってことを証明するだけだ」


 そんな風に語る多賀崎選手は、至極真剣な眼差しになっていた。

 多賀崎選手と鞠山選手に続いて、《カノン A.G》で干されていた灰原選手の復帰戦であるのだ。赤星道場との対抗戦の前に、ここは勝利で締めくくってほしいところであった。


 対戦相手の武中選手は、鋭い眼光で灰原選手のバニー姿をにらみ据えている。

 去年六月の『NEXT・ROCK FESTIVAL』で対戦した、新進気鋭の若手選手である。この七ヶ月で彼女もさらにキャリアを重ねており、現在は七勝二敗という戦績になっていた。

 彼女はアマチュア時代にも確かな実績を積んでおり、プロデビュー後も外国人選手と灰原選手にしか負けていない。たとえ一度は勝っていても、決して気を抜けるような相手ではないはずであった。


 そもそもトップファイターならぬ灰原選手がこれほど後半の出番になったのも、《NEXT》の有望選手である武中選手に敬意を払った結果であるのだ。

 また、前回の試合は戦略勝ちという面も強い。猪突猛進を売りにしていた灰原選手が意外なステップワークを披露したため、武中選手が序盤からペースを乱してしまったのである。


 短からぬ時間を経て、このたびはどのような試合が展開されるのか。

 灰原選手と仲良くさせていただいており、なおかつ同じ階級である瓜子には、いっそう目を離せないところであった。


『第六試合、ストロー級、五十二キロ以下契約、五分三ラウンドを開始いたします! ……青コーナー。百五十八センチ。五十一・九キログラム。ビートルMMAラボ所属……武中、キヨ!』


 黄と黒のハーフトップとファイトショーツを纏った武中選手は、いよいよ気合の入った顔で歓声に応えた。以前は黒かった髪にブリーチをかけて金色にしているのも、気合の表れであろうか。


『赤コーナー。百五十六センチ。五十一・九キログラム。四ッ谷ライオット所属……バニーQ!』


 いっぽう灰原選手は余裕しゃくしゃくの態度で、不敵なる笑みを振りまいている。レオタードにロングスパッツというのは意外に露出度が低い装いであるが、肉感的なボディラインが浮き彫りにされるため、たいそうな色気であった。


 ケージの中央で向かい合った両者の体格に、大きな差は見られない。身長でまさっているのは武中選手のほうでも、リーチやコンパスは灰原選手のほうがまさっているぐらいであろう。肉の厚みも、灰原選手はやたらと起伏にとんだ肢体であるものの、トータルとしては同程度であるようだ。


 ごく尋常にグローブタッチが交わされた後は、すみやかに試合開始のブザーが鳴らされた。

 灰原選手は前回の試合と同じようにぴょんぴょんとステップを踏み始め、武中選手はぐっとガードを固めつつ接近していく。


「相手はけっこう正統派のストライカーなんだよね。また自分からインファイトを仕掛けるつもりかな」


 多賀崎選手のつぶやきを聞きながら、瓜子はモニターを注視する。

 確かに武中選手は、けっこう強引に前進していた。灰原選手のパンチ力はすでに体感しているのに、まったく怯んではいない様子だ。


(たしか前回は、ほとんど灰原選手に攻撃を当てることができなかったんだよな。自分の攻撃力を信じての前進ってことか)


 武中選手は七勝のうち、五戦はKO勝利であるのだ。瓜子が言うのも何であるが、女子選手としてそれは素晴らしい戦績であるはずであった。

 ただし灰原選手もまた、この階級に上げてからは五勝一敗で、勝利のすべてはKO決着である。両者ともにトップファイターとの対戦は未経験であるものの、これは将来有望な若手選手同士の決戦であるのだった。


 灰原選手は力強いジャブで相手を牽制しつつ、上手い具合にステップを踏んでいる。ケージでの試合はこれが三戦目であったが、その広大なフィールドを有効に使うすべをすっかり体得できたようだ。

 武中選手もぐいぐい前進していたが、やはりほとんどはジャブを返すばかりで、灰原選手の逃げっぷりに焦れた様子はない。やはり、前回の試合で自滅してしまった経験が活かされているのであろう。


 焦れているのは、むしろ観客たちのほうであるようだ。この対戦はさまざまな場で『KO決着必至!』などと銘打たれていたため、激しい打撃戦を期待していたのだろう。


(でも、裏を返せばどっちも相手を倒せるパンチを持ってるってことだからな。慎重になるのが当たり前だ)


 本来的にはきわめて短絡的な気性をしている灰原選手であるが、ここ二戦の彼女の戦い方はクレバーである。序盤はひたすら様子見に徹して、ここぞというときに爆発力を発揮させるのが、彼女の新たなファイトスタイルであった。


 武中選手はめげずに前進しているが、なかなか距離は詰められない。先刻の宗田選手やマキ・フレッシャー選手のようにプレッシャーを与えることもかなわず、愚直に前進しているといった印象だ。


 と――武中選手はふいに足を止めると、ケージの中央に陣取って、マットを指先で指し示した。

「ここで打ち合え」という挑発だ。


 しかし灰原選手はおどけた仕草で肩をすくめると、相手を差し招くように指先を動かした。

「悔しかったら捕まえてみろ」と言わんばかりのジェスチャーだ。


 客席には歓声が巻き起こり、多賀崎選手は苦笑した。


「挑発合戦なら、灰原も負けないね。ま、熱くならないでよかっ――」


 そこで多賀崎選手は、息を呑んだようだった。

 灰原選手が再びステップを踏み始め、武中選手がそれを追いかけようとしたとき――いきなり灰原選手のほうが距離を詰めて、乱打戦を仕掛けたのである。


 灰原選手の不意打ちの右フックは、相手の横っ面をしたたかに殴りつけた。

 しかし武中選手は怯みもせず、同じ攻撃を灰原選手の顔面に叩きつける。

 灰原選手はすぐさま左フックを返し、それをブロックした相手も同じ攻撃を返してくる。灰原選手はダッキングでそれを回避して、相手のボディにアッパーをめりこませた。


 いきなりの、足を止めてのインファイトである。

 客席の盛り上がりようは凄まじかったが、多賀崎選手は「おいおい」と焦った声をあげた。


「あんな挑発で熱くなるなよ。こんなの、当たったもん勝ちのギャンブルじゃないか」


「いや……でも、分は悪くないみたいっすよ」


 最初の一発こそ顔面にもらっていたものの、あとは灰原選手も的確に防御していた。

 いっぽう灰原選手の攻撃は、三発に一発がクリーンヒットしていた。灰原選手は顔とボディへの打ち分けが巧みで、相手の防御が追いつかないのだ。


 相手はたまらず、灰原選手の胴体に組みつこうとする。

 それを突き放した灰原選手は、黒いスパッツに包まれた右足で力強いローを放った。

 これも完全に予想外の攻撃であったのだろう。相手の足は完全に流れて、上体を泳がせることになった。

 そこに、灰原選手が左フックを打ちおろす。

 こめかみを撃ち抜かれた武中選手は、その勢いにねじ伏せられるようにしてマットに沈んだ。


 灰原選手はすぐさま追撃の姿勢を見せたが、レフェリーが慌てた様子で割って入る。武中選手は明らかに甚大なダメージを負っており、前のめりにくずおれた後もまったく動こうとしなかった。


 試合終了のブザーに大歓声が重ねられて、レフェリーの腕をもぎ離した灰原選手はケージ内を駆け足で一周してから、フェンスの上に飛び乗ってまたがる。そうして灰原選手が両腕をあげて何かわめきたてると、いっそうの歓声が吹き荒れた。


「なんだ。終わってみれば、ずいぶんな実力差だったな。去年に猪狩とやりあったときとは、まるきり別人だ」


 笑いを含んだ声で、立松がそう言った。


「まあ、俺たちもここ数ヶ月で、ぞんぶんに鍛えあげてやったからな。こりゃあお前さんとの再戦も、そんなに遠くないかもしれねえぞ」


「押忍。そのときを楽しみにしてますよ」


 そういえば、瓜子と灰原選手が対戦したのは、ちょうど一年前の興行であったのだ。

 猪突猛進でスタミナに難のある、あの頃の灰原選手は穴だらけのファイターであった。それがわずか一年で、ここまでの成長を遂げたのだった。


 レフェリーにうながされてマットに降り立った灰原選手は、あらためて右腕を掲げられる。

 大歓声の中、マイクを構えたリングアナウンサーがひょこひょこと灰原選手に接近した。


『それでは、激しい乱打戦から見事にKO勝利をつかみとったバニーQ選手にインタビューいたします! バニーQ選手、ひさびさのアトミックの舞台を、素晴らしい勝利で飾ることができましたね!』


『ホントにひさびさだよー! あたしは《NEXT》や《レッド・キング》で試合をしてたけど、アトミックの試合は去年の四月以来なんだからね!』


 喜色満面で、灰原選手はそのようにがなりたてた。

 そして――元気いっぱいの顔で笑いながら、灰原選手はいきなり滂沱たる涙をこぼしたのだった。


『その間に、アトミックはわけのわかんない騒ぎで潰れかけちゃって……このままアトミックがなくなっちゃったらどうしようって……あたしはずっと……』


 あとは、言葉にならなかった。

 四ッ谷ライオットのトレーナーが頭からタオルをかぶせると、灰原選手は深くうつむいて肩を震わせてしまう。

 リングアナウンサーはもらい涙を指先で弾きつつ、明朗なる声を響かせた。


『バニーQ選手、ありがとうございました! 大切な復帰戦をKO勝利で飾ったバニーQ選手に、いまいちど盛大な拍手を!』


 温かい歓声と拍手が降りそぼる中、灰原選手はまだ肩を震わせている。

 瓜子はしんみりとしながら、かたわらの多賀崎選手を振り返ることになった。


「これはちょっと、不意打ちでしたね。大丈夫ですか、多賀崎選手?」


「……なんだよ、もう。あいつはへらへら笑ってりゃいいんだよ」


 そんな風に言いながら、多賀崎選手も肩にかけていたタオルで顔を覆い、分厚い肩を震わせてしまっていた。

 やはり、試合に出られないばかりでなく、所属のジムからも距離を取る羽目になってしまった多賀崎選手と灰原選手には、いっそう胸に迫るものがあったのだろう。そして多賀崎選手の向こう側では、誰よりも心優しい小柴選手がぐしぐしと泣きべそをかいてしまっていた。


「……さて、灰原さんがいい感じに前半戦を締めくくってくれたな」


 立松が、瓜子の肩を小突いてきた。


「こっちは、最後のウォームアップだ。気合を入れていけよ、猪狩」


「押忍」と応じながら、瓜子は立ち上がった。

 それより前に試合を行う犬飼京菜は、すっかり身体も温まった様子だ。


 十五分間のインターバルが明ければ、いよいよ《アトミック・ガールズ》と《レッド・キング》の対抗戦である。

 素晴らしい試合を見せてくれた灰原選手たちに負けないように、瓜子たちも奮起しなければならなかった。

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