03 開戦

 開会式を終えたならば、まずはアマチュア選手によるプレマッチである。

 その間に、序盤の出場である小柴選手や多賀崎選手は最後のウォームアップに取りかかる。瓜子やユーリは身体を冷やさないように留意しつつ、まずは観戦の構えであった。


 それにつけても、控え室の熱気と騒がしさが尋常ではない。顔馴染みの選手が数多く集結するというのも、ここ最近では定番化していたのだが、それにしても今回は過去最高にバラエティにとんだ顔ぶれであるはずであった。


 もっとも顕著な例であるのは、やはりドッグ・ジムの面々であろう。これまでは敵陣営であった彼らが、このたびは同じ控え室に詰め込まれているのだ。犬飼京菜を筆頭とするドッグ・ジムの関係者はとにかくひとりずつが強烈な個性を有していたし、陽気で遠慮のない沙羅選手の存在がさらに拍車をかけているのだった。


 それに加えて、天覇館や天覇ZEROや四ッ谷ライオットの面々が入り乱れているのである。前回などは女子選手の多くがセコンド役として参じていたため、これほどの賑やかさにはならなかったのだろう。そこに《アトミック・ガールズ》を復活させようという熱意までもが織り交ぜられて、控え室には試合場や観客席に劣らない熱気が発生したようだった。


(まあ、あたしらだってその一員なんだけどな)


 プレスマン道場の関係者はもっとも大人数であったし、個性の強烈さも他陣営に負けていない。傍目には、こちらこそが熱気と賑やかさの元凶と目されていても不思議はなかった。


「今日のプレマッチは、アトム級とフライ級かー。ここ最近は、新人がパッとしないよね! 活躍してる中で一番新しい世代なんて、やっぱりうり坊なんだろうしさ!」


 と、あちこちの選手と楽しげに語らっていた灰原選手が瓜子のほうに近づいてきながら、そのように言いたてた。


「いやいや、犬飼さんのことを忘れてますよ。年齢もキャリアも、彼女が一番ぴちぴちじゃないっすか」


 瓜子がそのように反論すると、灰原選手は「あーそっか!」と手を打った。


「でも、あいつはまだプロに昇格したばっかだからねー。出番が多かったのはチーム・フレアだったからだし、本当の実力を示すのはこれからなんじゃない?」


「まあ、そういう見方もできますね。でも、彼女の実力は本物っすよ」


 ドッグ・ジムの面々は控え室の奥で固まっているため、こちらの会話を聞かれる恐れはない。さきほど立松も言っていた通り、たとえ赤星道場との関係性が緩和されても、彼らが社交的でないことに変わりはなかったのだった。


「あと、赤星の大江山さんは今日の一戦が査定試合ですからね。うまくいけば、プロに昇格です」


「あー、だけどあいつも古武術スタイル以外は、並だからなー。打撃のスパーなんて、ぜーんぜん手応えもなかったしさ!」


「でも、寝技の技術は自分たちよりも上っすよね?」


「ふーん! 試合だったら、ぜーったいに組ませないもん! ……ま、あいつとは階級も違うから、試合で当たることはないんだけどさ!」


「さっきから、うだうだとうるさいだわね。あんたは新人の心配なんてしてられる立場なんだわよ?」


 と、鞠山選手も会話に加わってきた。


「あんたは勝ち星を稼いでるけど、しょせん相手は中堅以下ばかりなんだわよ。わたいと当たったら可愛がってやるから、せいぜい楽しみにしてるんだわよ」


「へへーん! あたしの今年の目標は、うり坊のタイトルに挑戦だからね! あんたなんて、眼中にないよーだ!」


 こんな言葉を交わし合っても、何故かあまり険悪に感じられない両名である。

 その間に、プレマッチの二試合は終了し――ついに、本選が開始されたのだった。


「おー、あかりんの出番だね! こいつはチェックしておかないと!」


 モニターには、まず時任選手の姿が映し出される。もはやベテランの域にある、かつてのトップファイターだ。

 しかし鞠山選手は「ふん」と鼻息を噴きつつ、その場でウォームアップを開始した。


「時任は、まだ試合勘が戻ってないだわよ。今のあかりんの敵じゃないだわね」


「あー、あんたにあっさり負けるぐらいなら、あかりんに勝てるわけもないかー。時任だってあんたよりは何十歳も若いはずなのに、やっぱりケガって怖いねー」


「やかましいだわよ!」


 鞠山選手らはそんな風に言い合っていたが、キャリア上は時任選手のほうが遥かに格上であるのだ。そんな彼女が青コーナー陣営であるのは、単に小柴選手が天覇ZEROの関係者にセコンドをお願いしていたため、鞠山選手と同じ陣営にまとめられただけの話であった。


(でも、小柴選手が時任選手に勝てたら、大金星だ。めいっぱい応援してあげないとな)


 そんな中、小柴選手が花道に現れると――客席からは、かなりの勢いで歓声が巻き起こった。開会式ではジャージに隠していた小柴選手の新たな試合衣装がついにお披露目されたのだ。


 ティガーとの契約上、出場選手は公式の試合衣装しか着用は許されない。が、鞠山選手と灰原選手は駒形代表に直談判して、特別仕立ての試合衣装を着用する権利をもぎとったのだ。そして、新米魔法少女の小柴選手も、その余禄にあずかったというわけであった。


 小柴選手が着用しているのは、公式のタンクトップとショートスパッツだ。ただし、タンクトップの襟と袖には白いフリルが縫いつけられて、腰にはふりふりのミニスカートじみた装飾を重ね着している。その装飾も公式のタンクトップやファイトショーツを裁断した生地を素材にしており、ティガーと《アトミック・ガールズ》のロゴがくっきりとプリントされているのだった。


 カラーリングは白と青のツートンで、遠目のシルエットはこれまでの魔法少女ルックと大差ない。が、近くで見ればティガーと《アトミック・ガールズ》のロゴがプリントされたスポーティな装いであるという、なかなかに珍妙な姿であった。


「あはは。やっぱりケッタイな試合衣装だよねー! まあ、魔法少女ってコンセプトそのものがケッタイなんだけどさ!」


「あんたに言われたら世話はないんだわよ! ……これも魔法少女のスポーティバージョンととらえれば、それなりの完成度なんだわよ」


 何にせよ、観客たちは小柴選手に盛大な歓声を送ってくれていた。格闘技マガジンにおける人気投票の結果が示している通り、小柴選手は人気も急上昇中であるのだろう。


(でも、去年の成績は一勝二敗だもんな。その一勝も、新人選手が相手だったし……小柴選手も、ここが正念場だ)


 小柴選手は去年の春先に敗戦した後、ゴールデンウィークの合同稽古を機に実力をあげたはずであるのだが、その後は新人選手とイリア選手としか対戦していないのだ。《レッド・キング》においては男子選手に圧勝していたものの、あれは非公式マッチであったため戦績にはカウントされないのである。


 いっぽう時任選手はまぎれもなくトップファイターであったのに、中堅の壁たる鞠山選手に敗北してしまった。一年以上の休養を経ての復帰戦がその結果であったのだから、本人としても崖っぷちの心境であろう。


 つまりこれは、昨年に結果を出せなかった者同士の、生き残りをかけたサバイバルマッチなのである。

 小柴選手の試合衣装によって華やかな印象が作られているものの、その内情はきわめてシビアであったのだった。


『第一試合、ストロー級、五十二キロ以下契約、五分三ラウンドを開始いたします!』


 リングアナウンサーは意気揚々と、試合の開始を宣告する。


『青コーナー、百五十九センチ、五十一・九キログラム、パイソンMMA所属……時任、香名恵!』


 年齢も二十代後半である時任選手は、ベテラン選手に相応しい落ち着きで右腕を掲げる。ただしその左膝には、今回も分厚いサポーターが巻かれていた。


『赤コーナー、百五十四センチ、五十一・八キログラム、武魂会船橋支部所属……まじかる☆あかりん!』


 小柴選手はきりりと引き締まった面持ちで、武道家らしく一礼する。本日は鞠山選手によって短い髪の毛先にアイロンをあてられて、くりんとカールしているのが可愛らしい。そして魔法少女スタイルの小柴選手は、可愛らしい格好に凛々しい表情というのが持ち味になっていた。


 時任選手と向かい合うと、なかなかの体格差である。時任選手は身長で五センチ上回っており、ウェイトのリカバリーもかなりのものであるようだ。小柴選手はほとんど減量が必要ないぐらいのウェイトであったため、数字通りの体格であるのだった。


「けっきょくこいつは、去年の五月からちっともウェイトが増えなかったみたいだなー。体質的に太れねーなら、いっそアトム級に落としたほうが利口かもしれねーぞ」


 と、瓜子のすぐそばにいたサキが、そんな風につぶやいた。


「そういえばサキさんも、小柴選手にもっと食えってアドヴァイスしてましたね。……でも、そういうサキさんこそ減量知らずのナチュラルウェイトじゃないっすか」


「アタシのことはいいんだよ。イノシシハーレムのメンバーが惨敗しないように祈ってやがれ」


 サキは拳でぐりぐりと瓜子のこめかみを圧迫してくる。出場選手にもまったく容赦のないサブセコンドであった。


 そうして試合が開始されると――サキの心配が的中した。時任選手は序盤から果敢に攻め込み、小柴選手がパワーで圧倒される場面が多々見受けられたのである。

 小柴選手が得意とするのは、正攻法のストライキングだ。瓜子を筆頭とする面々からもっといやらしく戦ったほうがいいというアドヴァイスを受けて、あれこれ改善は試みているものの、やっぱりもっとも力を発揮できるのは真っ向からやりあう打撃戦であった。


 その得意な分野で、小柴選手は力負けしてしまっている。体格とキャリアでまさる相手がぐんぐん攻め込んでくることによって、小柴選手はすっかりペースを握られてしまった。


「わーっ! 頑張れ、あかりん! 男相手に、ノーダメージで一本勝ちしたでしょー!」


 灰原選手はすぐさまエキサイトして、瓜子の肩を揺さぶってくる。

 しかし、小柴選手が《レッド・キング》でやりあった相手は、現役大学生のアマチュアキックの選手であったし、小柴選手をなめてかかっていた。十年近いキャリアを持つトップファイターであった時任選手がそれよりも難敵であるというのは、至極当然の話なのであろう。


「よくないな。この時任って選手はもともと寝技がストロングポイントなんだから、立ち技で押されたら活路がないぞ」


 今でも週二ペースで小柴選手の面倒を見ている立松は、そんな風に言っていた。時任選手も休養前にはサキと対戦したことがあったので、その際に研究済みであるのだろう。


 小柴選手は何とか距離を取ろうと足を使っているが、時任選手は執拗に追ってくる。あちらはあちらで、生き残りに必死であるのだ。また、かつてのトップファイターとして、このように負けの込んでいる若手の選手に後れは取れないという矜持もあるのかもしれなかった。


 試合開始から三分が過ぎても、試合の様相に変化は見られない。小柴選手が反撃しても長いリーチでカウンターを合わされて、じわじわとダメージも溜まってきている様子であった。


「もー! いいから、左足を蹴っちゃえよー! あんな見え見えのサポーターで、故障を抱えてるのは丸出しなんだからさ!」


 灰原選手の声が聞こえたかのように、小柴選手が右ローを繰り出した。

 が、これまで以上に鋭い勢いで、カウンターの右ストレートを合わされてしまう。小柴選手は小さからぬダメージを負った様子で後ずさり、ウォームアップのさなかであった鞠山選手は「ふん」と鼻息を噴いた。


「故障を抱えてるからこそ、対策を十分に練ってるんだわよ。この低能ウサ公がセコンドについてたら、あかりんも惨敗してただわね」


「うっさいなー! 魔法少女の親分として、あんたも応援してやりなよ!」


「わたいは自分の試合に集中してるんだわよ。……時任の執念もなかなかのもんだけど、あかりんはこのていどでへこたれるタマじゃないんだわよ」


 ふらつく小柴選手に追いすがった時任選手は、追撃の右フックを繰り出そうとした。

 これまでよりも、モーションが大きくなっている。ここで仕留めてやろうと、力が入ったのだろう。

 その右拳が振るわれるより早く、小柴選手が前進した。

 ただし、打撃ではなく片足タックルだ。時任選手は完全に虚を突かれた様子であったが、片足だけでバックステップを踏み、なんとかケージ際まで逃げてみせた。


 時任選手はフェンスを背後に取り、小柴選手は片足から胴体へと組み直す。

 それと同時に、立松が「よし」とつぶやいた。


 小柴選手が出稽古でやってきた際、立松もアドヴァイスを送っていた。

 その内のひとつが、「時任選手はこれが初めてのケージである」というものであったのだ。

 時任選手が活躍していた頃、まだまだ試合場はリングが主流であった。《フィスト》あたりではぽつぽつと導入され始めていたものの、時任選手がそれを経験する機会はなかったのである。


 そうして時任選手が休養している間に、世間では完全にケージの舞台が主流となった。

 もちろん彼女もそれに備えてはいたのであろうが、故障した左膝を抱えてのことである。去年の夏終わりからみっちりと稽古を積んでいた小柴選手を上回る可能性は薄い――というのが、立松の見解であった。


 小柴選手は相手の下顎に頭を押しつけながら、しきりに右膝を飛ばしている。相手が故障を抱える左膝を狙った、えげつない攻撃だ。相手が防御のために左足を上げても、かまわずに連続で膝蹴りを打ちつけた。


 時任選手は苦悶の形相で、なんとか小柴選手の頭を剥がそうと右腕をこじいれる。

 すると小柴選手はその内側に右腕をこじいれ返し、前腕をすべらせるようにして肘打ちを叩き込んだ。


 肘による攻撃もまた、時任選手が休養中にあちこちのプロモーションで解禁された攻撃である。

 肘打ちの当たりは浅かったが、時任選手はいささかならず泡をくった様子で首相撲の体勢を取ろうとした。


 そうして時任選手の左足がマットに下ろされたところで、小柴選手が再び膝蹴りを繰り出す。

 肘打ちを警戒して足もとがおろそかになった時任選手は、サポーターに包まれた左膝をまともに蹴りつけられて、がくりと体勢を崩した。


 小柴選手は首相撲でも有利なポジションを取り、今度は腹部に膝蹴りをお見舞いする。

 時任選手はくの字に身を折りながら、小柴選手の身体を力まかせに突き放した。

 そうして横合いに逃げようとする時任選手の左足に、無慈悲な右ローが叩きつけられる。


 時任選手はたまらず倒れ込み、小柴選手をグラウンドに誘った。

 しかし小柴選手はその誘いに乗らず、仰向けで倒れた時任選手の左足を蹴りつける。

 そうして小柴選手が二度三度と同じ攻撃を繰り返すと――フェンスの上から、白いものが放り込まれた。相手陣営が、タオルを投入したのだ。


 レフェリーが小柴選手の攻撃を止めさせて、試合終了のブザーが鳴らされる。

 客席からは歓声がたちのぼり、時任選手は無念の形相で左足を抱え込む。おそらくは、最後の右ローですでに限界を迎えていたのであろう。


『一ラウンド、四分二十二秒、タオル投入によって、まじかる☆あかりん選手のTKO勝利です!』


 控え室にも歓声がわきたった。

 そうしてひとしきり喜んでから、灰原選手は「うーん」と腕を組む。


「にしても、なかなかえげつない終わり方だったねー。可愛い顔して、あかりんもやるなぁ」


「ふん。あんただって、左足を狙えとほざいてたんだわよ。相手のウィークポイントを攻めるのは、勝負の定石なんだわよ」


 七月の試合ではヒールホールドという凶悪な技で時任選手を仕留めた鞠山選手が、にんまりと笑いながらそう言った。

 その際にも思ったことであるが――鞠山選手は、来栖選手や兵藤選手の盟友である。よって、彼女たちが故障で苦しむ姿を間近で見てきたはずだ。その上で、鞠山選手は勝負の非情さを思い知ることになったのだろう。


(あたしだって、サキさんが復帰したら故障した場所でも何でも容赦なく狙わないといけないんだ。それができないなら……試合をする資格なんてないんだろうな)


 瓜子はそんな感慨を胸に、モニター上の小柴選手を見守った。

 レフェリーに腕を掲げられた小柴選手は、凛々しい面持ちのままぽろぽろと涙をこぼしてしまっていた。

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