インターバル

年の始めの大仕事

 新年が、明けた。

 元日は、ほとんど大晦日と変わらない日程である。すなわち、午前中は《レッド・キング》の試合映像で闘志を燃やし、午後はメイを交えて自主トレーニングという、情緒もへったくれもないスケジュールだ。夕食に雑煮を準備していなければ、正月だということを忘れてしまいそうなほどであった。


 メイ以外の友人知人と再会を果たしたのは、一月二日のこととなる。

 その日は各人のスケジュールをあわせて、手近な神社で初もうでをすまし、新年会を行う予定になっていた。


「こちとら、大晦日も元日も仕事漬けだったんだからねー! その分まで、今日ははっちゃけさせていただくよー!」


 待ち合わせの場所で出くわすなり、灰原選手はそのように宣言していた。どうやら彼女の勤務するバニー喫茶なる店においては、大晦日にも元日にもイベントが準備されており、しかもなかなかに盛況であったようなのだ。

 なおかつそれは、鞠山選手の経営する魔法少女カフェにおいても同様であったようである。東京生まれの東京育ちでありながら、都心の人々はそんな風に大晦日や元日を過ごすのだなと、ひそかに感心する瓜子であった。


 何にせよ、その日には小笠原選手を除くいつものメンバーが勢ぞろいすることになった。小笠原選手は年末にもライブ観戦のために上京していたし、正月ぐらいは地元でゆっくり過ごすのだろう。そもそも小笠原選手は療養中の身であるのだから、そういう意味でもあまり無理はできないはずであった。


 初詣を簡単に済ませたのちは、カラオケ屋にて盛大な新年会である。ユーリなどは自分の持ち曲をすべて歌わされて大変な騒ぎであったものの、この日ばかりはトレーニングを離れても、至極楽しげな様子であった。


 明けて、一月三日は――呆れたことに、横浜のドッグ・ジムにおいて出稽古であった。ドッグ・ジムはその日が稽古始めだと聞き、ユーリがたいそうな熱意を込めて参加を希望したわけである。

 そしてその日の夜にはまたサキと理央が道場にやってきて、小規模な新年会めいたディナーをいただくことになった。サキと犬飼京菜は相変わらずキャンキャンと吠え合っていたが、この頃になると瓜子ももうすっかり微笑ましい気持ちでそういった光景を見守ることができるようになっていた。


 そうして正月の三が日が慌ただしく終了すると、さらに慌ただしい日常が舞い戻ってくる。プレスマン道場がオープンされ、副業の仕事も再開されたのである。赤星弥生子との対戦と『トライ・アングル』のシングルリリースを控えているユーリは、たちまち昨年以上に忙殺されることに相成ったのだった。


「『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』の方々は、ご自分たちのバンド活動と並行して可能な限りの尽力をなさってくれています。ユーリ選手も選手活動とモデル活動との並行であるのですから、同じぐらいの労力ではあるかと思われますが……どうか持ち前のバイタリティで乗り切っていただきたく思います」


 新年の挨拶もそこそこに、千駄ヶ谷はそのように語らっていた。

 まあ、多忙なことを苦にするユーリではないし、音楽活動もモデル活動も心から楽しめている様子であるので、まったく問題は見られなかった。だいたいユーリは時間にゆとりができるとすべてトレーニングに注ぎ込んでしまうため、副業が多忙なほうが肉体的な負担が軽減するぐらいであったのだった。


(本当に、底なしの体力と精神力だよなぁ)


 これでユーリの付添人に過ぎない瓜子が弱音を吐いていたら、お話にならないだろう。スケジュールの組み立てそのものは千駄ヶ谷が行ってくれるのだから、瓜子はその通りに動いて、行った先の関係者に挨拶など交わしつつ、ユーリの勇躍を見守るだけの仕事であるのだ。もちろんまったく苦労がないわけではないものの、ユーリ本人の忙しさとは比べるべくもなかったのだった。


 そうして、あっという間に日は過ぎていき――最初にやってきた大仕事は、レコーディングだ。ファーストシングルの発売は二月に照準を定められていたため、どうしたって《アトミック・ガールズ》の試合の前にこの作業を完了させておく必要があったのである。


 日取りとしては、成人式の翌日たる一月の第二火曜日であった。

 この五日後には、もう試合が迫っている。すでに調整期間に突入しているため体力面に問題はないものの、普通はこのような時期にのびのび歌えるものなのかと心配になってしまうところであるのだが――そこはそれ、感受性のある部分が機能していないかのように頑強なるユーリであるため、その日も元気いっぱいに収録スタジオまで出向くことになった。

 そして、千駄ヶ谷をともなってスタジオに足を踏み入れるなり、瓜子はクラッカーの炸裂音に出迎えられることになったのだった。


「瓜子ちゃん、成人おめでとー!」


 そんな大声をほとばしらせているのは、もちろんダイとタツヤである。が、リュウや西岡桔平などもそれに負けないにこやかな表情であったため、瓜子は心から仰天させられてしまった。


「あ、ありがとうございます。でも、これはどういう騒ぎなんすか?」


「どういう騒ぎって、昨日は成人式だったろ? だから、俺たちなりのお祝いだよ!」


「瓜子ちゃんが十二月生まれだなんて、俺たちは知らなかったからさー! そっちで祝いそびれたぶん、成人のお祝いをすることにしたんだよ!」


 そうしてダイとタツヤが大きな包みを、西岡桔平が大きな花束を掲げて接近してきたため、瓜子は思わず腰が引けてしまった。


「これが、『ベイビー・アピール』からのプレゼントな! 抜け駆けなしってことで、全員で金を出し合うことにしたんだよ!」


「俺たちはプレゼントを選ぶ頭もないんで、無難に花束にしました。よかったら受け取ってやってください」


 瓜子が目を白黒させながら千駄ヶ谷を振り返ると、そちらには絶対零度すれすれの無表情が待ち受けていた。


「……みなさんのご厚意を無下にすることはできませんでしょう。どうぞお受け取りください」


「は、はい。……なんか、すみません」


 瓜子はぺこぺことへりくだりながら、それらの品物を受け取ることになった。

 そうして驚きや申し訳なさが引いていくと、じんわりとした喜びがわきおこってくる。長年の憧れであった『ワンド・ペイジ』はもちろん、『ベイビー・アピール』だって瓜子にとっては、もはやかけがえのない存在であったのだ。そんな彼らがわざわざこのようなものを準備してくれるのは、ただ純粋に嬉しかった。


「ほらほら、開けてみてくれよ! 瓜子ちゃんの喜ぶ姿を、この目で見届けたいからさ!」


 ダイとタツヤにせっつかれて、瓜子はその場で大きな包みを開封することになった。

 そこから現れたのは――深いネイビーの色合いをした、カーディガンである。裾や袖口に赤と白のラインが入っており、派手すぎず地味すぎないデザインだ。


「瓜子ちゃんのそのスタジャンに似合う色だと思ってさ! よかったら、いっぱい着てくれよな!」


「ありがとうございます。大事に着させていただきます。……あれ? 別の包みも入ってますね」


「ああ、そっちはオマケだけどな。きっと瓜子ちゃんには似合うと思うよ!」


 そちらの包みを開いた瓜子は、がっくりと脱力することになった。そちらは白黒ツートンの、ビキニの上下であったのだった。


「瓜子ちゃんって言ったら、やっぱり白黒ツートンだよな! あのカメラマンさんのお気に召したら、撮影でも使ってくれよ」


「もー!」と瓜子が怒りの声をあげると、タツヤたちは心から楽しそうに笑い声をあげた。

 なおかつ、ユーリも同じ表情でぺちぺちと手を叩いている。その立ち居振る舞いに、瓜子はピンとくるものがあった。


「さては……ユーリさんも、グルだったんすね?」


「うにゅ? ユーリはタツヤさんたちのご要望に従って、うり坊ちゃんのさまざまなサイズをお伝えしただけですぞよ。お洋服はもちろん、水着だってサイズ感が生命だからねぇ」


「ユ、ユーリさんの体内にはデリカシーってもんが存在しないんですか!?」


 さらなる羞恥心に見舞われて、瓜子は卒倒してしまいそうであった。

 そこで千駄ヶ谷が、パンッと鋭く手を打ち鳴らす。


「では、作業を開始いたしましょう。時間は、有限ですので」


 そうしてようやく、レコーディングが開始された。

 本日の課題曲は、二曲。『ベイビー・アピール』の作りあげた『ハダカノメガミ』と、『ワンド・ペイジ』の作りあげた『ピース』である。演奏陣とスタッフの協議によって、そちらの二曲が『トライ・アングル』のファーストシングルとしてリリースされることが決定されたのだった。


 なおかつ、演奏陣は年明けからスタジオ練習を重ね、楽曲に新たなアレンジを施したのだと聞いている。そちらの完成度も考慮して、期限ぎりぎりに選曲が為されたのだという話であったのだ。


「だけどまあ、ユーリちゃんの邪魔になるようなアレンジじゃないはずだからさ。まずは一発オッケーを目指して、一緒に楽しもうぜ」


「はぁい。よろしくお願いいたしますぅ」


 まずは、『ハダカノメガミ』からである。

 ただし、八名の全員が録音ブースに乗り込んでいく。こちらは『ベイビー・アピール』の作りあげた楽曲であったが、『ワンド・ペイジ』のメンバーも何らかの形で参加することになったという話であったのだ。


 西岡桔平は箱形の打楽器カホンにまたがり、陣内征生は愛用のアップライトベースを抱える。そして、山寺博人は――何も持たないままヘッドホンを装着し、ユーリと並んでマイクの前に立った。


(ヒロさんは、コーラスを担当するのか)


 それだけで、瓜子はむやみに胸が高鳴ってしまった。

 本日のプロデューサーは、ふだん『ベイビー・アピール』の作品に携わっているという人物である。いかにも気難しげな風貌をしており、真っ黒なサングラスにもしゃもしゃの髭をたくわえているため、ひと昔前の映画監督めいた風情であった。


「それじゃあ、テイクワン」


 プロデューサーの不愛想な言葉に従い、演奏が開始される。もちろん本日も、ライブさながらの一発録りである。こちら側のスピーカーには、ライブにも負けない勢いの演奏が奔流となって空気をかき乱した。


 この『ハダカノメガミ』は、ユーリの持ち曲の中でもっともアップテンポの楽曲であるのだ。ごく単純な疾走感と迫力においては、『トライ・アングル』でも随一であるはずであった。

 そしてそこに、西岡桔平のカホンがうっすらと異国的なリズムを重ね、陣内征生のアップライトベースが優美なる旋律を重ねた。もともとツインギターで爆音の楽曲が、さらに豪奢に飾りたてられたのだ。


 ユーリは笑顔で身を揺らしながらリズムを取り、いつも通りののびやかさで歌い始める。

 この楽曲もまた、ユーリの振り絞るような歌唱からインスピレーションを受けた曲であるため、その真価が存分に発揮されている。

 そして――サビでは山寺博人がハモりのコーラスを担当し、そこにさらなる迫力を重ねてみせたのだった。


(うわ……すごいな、これは)


 自分の作った曲でなく、キーもユーリに合わせたものであるため、山寺博人はとても苦しそうだ。しかし彼の場合は、その苦しげなさまが魅力に変ずるのである。ユーリと山寺博人の情感豊かな歌声が爆発し、絡み合うと、そこには胸に迫るような切迫感が発生した。


『どうだったぁ? このテイクで問題ないんじゃねぇかなぁ?』


 演奏の終了後、漆原はのほほんとした笑顔で音響ブースに問うてきた。

 それを迎え撃つプロデューサーは――真っ黒のサングラスを額に押し上げて、目頭を押さえている。彼は二番のサビぐらいから、ずっとこのポージングであったのだ。しかし、卓上のマイクに向けられた声は、不愛想なままであった。


「……まあ、及第点だろう。何回かテイクを重ねて、それを比較する。本当なら、バラ録りとも比較したいぐらいなんだがな」


『バラ録りだけは、ありえないってぇ。ユーリちゃんの魅力が半減するに決まってるしさぁ。感涙にむせぶぐらいなら、素直にOKを出してくれよなぁ』


「うるせえっ! とにかく、もうワンテイクだっ!」


 そんな調子で三回ほどテイクが重ねられたが、最後のテイクの終了後にプロデューサーが厳しい言葉を発することになった。


「お嬢ちゃん、完全に集中が切れてるな。もう疲れちまったのか?」


『ごめんなさぁい。スタミナはまだまだたっぷりなのですけれど……』


 ユーリがしゅんとした顔で答えると、リュウが笑顔で割り込んだ。


『だから、ユーリちゃんの魅力は天然パワーって言ったろ? 同じ曲を何度も歌うなんていう事務的な作業じゃ、ユーリちゃんの魅力を引き出せないんだよ。プロデューサーだったら、きちんとこの暴れ馬を乗りこなしてくれよな』


「いちいち腹の立つ餓鬼どもだな!」と、プロデューサーはまた怒声を張り上げる。

 しかしこれは、おたがいに本音をさらけ出している結果なのだろう。かつては品川MAジムにおいて時代錯誤なスパルタ式トレーニングを積んでいた瓜子には、まったく気にならないていどの乱暴さであった。


 ともあれ、『ハダカノメガミ』はいったん保留という扱いになり、『ピース』の録音が開始される。『ベイビー・アピール』の面々はぞろぞろと録音ブースに出てきて、『ワンド・ペイジ』の面々は各自の楽器の準備を始めた。


「みなさん、お疲れ様です。……『ピース』には、みなさん参加されないんですか?」


「いや。全員参加するつもりだよ。だけど俺たちは、後から音をかぶせることになったんだ」


 首にかけていたスポーツタオルでスキンヘッドをぬぐいながら、タツヤがそのように答えてくれた。


「本当は一発録りにチャレンジしたいところなんだけど、あいつらってノリが独特じゃん? 本来は三人で完成してて、割り込む隙間がすっげえ狭いからさ。それでテイクを重ねてたら肝心のユーリちゃんがヘタっちゃうだろうから、泣く泣くバラ録りすることにしたんだよ」


「ああ。もうちょい練習期間があったら、一発録りにもチャレンジできたんだろうけどな。今回ばかりは、しかたねえや」


 と、ダイも笑顔で相槌を打つ。瓜子の身近にこの両名が寄り集まるというのは、もはやお馴染みのことであった。


「でも、次にライブをやるときには、一発でビシッと決めてみせるからよ。瓜子ちゃんも、楽しみにしててくれよな!」


「ふん。お前なんか、普通にベースを弾くだけのこったろ。俺なんかは初お披露目のパーカッションだから、期待しててくれよな!」


 そうして両名のボルテージが上がっていくと、プロデューサーが「おいっ!」と怒鳴りつけてきた。


「静かにできねえんなら、外に出てろ! ここは休憩場所じゃねえんだぞ!」


「やだなぁ。そんなキレてっと、また血圧が上がっちまうぞ?」


「そうそう。もう若くねえんだからさ」


 ふざけた言葉を返しつつ、タツヤはプロデューサーの肩をもみ、ダイは団扇で仰ぎ始めた。その行動も十分にふざけているものの、プロデューサーは気分を害した様子もないので、これが平常運転なのであろう。

 瓜子は再び怒鳴られないように、千駄ヶ谷の隣で録音ブースのさまを眺めている漆原に小声で呼びかけた。


「ウルさんは忘年会のときから、色んなアイディアがわきあがってたみたいっすよね。それがどんなアイディアだったのか、とても楽しみです」


「あ、そう? だったら、ごめんねぇ。アレはほとんどこっちの新曲のアイディアだったから、今日はお披露目されないんだぁ」


「あ、そうだったんすか。それはちょっと残念ですけど、また楽しみが増えました」


『トライ・アングル』には、まだ未完成の曲が存在する。漆原が作詞作曲をしたバラード調の楽曲、『YU(仮)』である。こちらはユーリの歌唱ばかりでなく、演奏陣のアレンジも本人らの納得のいくレベルに達していなかったのだった。


「アレってけっきょく、俺たちが不甲斐ないせいでユーリちゃんの魅力を引き出せなかったってことだと思うんだよねぇ。ほんと、ユーリちゃんには申し訳ないことしちゃったよぉ」


「そうっすか。練習で拝見した限り、『ピース』にも負けない出来だと思いましたけど……」


「うんうん。でも俺の脳内では、もっともっとすげえ音が鳴ってるからさぁ。この前のライブでヒントはつかめたから、セカンドシングルのリリースまでには形にしてみせるよぉ」


 そう言って、漆原は不健康そうな顔で無邪気に笑った。

 それならば、『ピース』を遥かに上回る完成度を目指している、ということなのであろうか。『ワンド・ペイジ』のファンである瓜子には、まったく想像が難しいところであったが――しかしその胸に去来するのは、ごく純然たる期待感であった。


「それじゃあ、テイクワン」と、プロデューサーがぶっきらぼうな声をあげる。いつの間にか、『ワンド・ペイジ』のセッティングが完了していたのだ。


 瓜子は腰を据えて、『ピース』からもたらされる感動の大波に備える。

 そうして今年初の大仕事は、粛然と進行されていったのだった。

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