ACT.5 New Year's Eve

01 二度目の大晦日(上)

『Sunset&Dawn』の翌日――十二月三十一日の、大晦日である。

 この日も幕張パレットにおいてはイベントの後半戦が繰り広げられているはずであるが、瓜子たちがそちらに向かう理由はない。道場も副業もお休みであるこの日は、自宅のマンションで過ごす予定になっていた。


 午前の十時まではごろごろとくつろぎ、スーパーの開店時間にあわせて夕食の買い出しに出向いたのちは、またリビング兼トレーニングルームに腰を落ち着ける。が、その場には第三の人物もいた。誰あろう、マンションのお隣さんであるメイである。


「……僕、邪魔じゃない?」


 マットの上で膝を抱えたメイが、仏頂面で問うてくる。しかしその目に宿されているのは、ちょっぴり不安げな感情だ。それを解消させるべく、瓜子は心からの笑顔を返してみせた。


「邪魔だったら、わざわざ誘ったりしませんよ。ねえ、ユーリさん?」


「はぁい。昨年はサキたんと理央ちゃんで、本日はメイちゃまという布陣でありますねぇ。ご一緒に、ぴょーんと年を越しませう」


 ユーリの笑顔も無邪気そのものであったため、メイもようやく人心地がついたようだった。


「ユーリ、不満でない、意外だった。君、独占欲、強いから」


「あはは。確かにユーリは、独占欲の権化でありますけれども! その反面、イベントに無関心な人間であるのです! べつだん大晦日というものに思い入れを抱いておりませんため、本日も普通の休日にメイちゃまをお迎えするのと同じ心地でありますぞよ!」


 なおかつ、ユーリが上機嫌であるのは、午後から自主トレーニングに取り組む予定であるためであった。こと寝技に関しては瓜子よりもメイのほうが難敵であるため、それがユーリには悦楽のタネなわけである。


「さすがに今日ばかりは、ドッグ・ジムもお休みでありますからねぇ。メイちゃまとの合同トレーニングは楽しみでならないのです!」


「大和さんたちも、けっこう呆れた顔をしてましたもんね。まあ確かに、大晦日にまでトレーニングをする人間なんて、そうそういないと思いますけど」


「うんうん。去年はユーリのケガのせいで、食っちゃね食っちゃねの年末年始だったものねぇ。まあ、あれはあれで楽しくないこともなかったけれど……やはり、お稽古に打ち込める楽しさにはとうてい及ばないのでぃす!」


「……君のそういう部分は、尊敬している」


 メイは相変わらず不愛想であったが、ユーリに対してもそれなりに打ち解けてきた様子である。そういえば、彼女もいつしかユーリや愛音のことをファーストネームで呼ぶようになっていたのだった。


「ではでは、楽しい楽しいお稽古の前に、まずは座学であるのです! ……えーと、これはメイちゃまのお部屋に移動しないといけないんだっけ?」


「はい。自分らの部屋には、パソコンもありませんからね」


 というわけで、瓜子たちはさっそくメイの部屋にお邪魔することになった。

 ベッドとテーブルと巨大なテレビぐらいしか調度のない、実に殺風景なリビングである。そして本日は、そのテーブルの上にノートパソコンが鎮座ましましていた。


 瓜子とユーリはクッションの上で待機をして、メイはテレビとノートパソコンの電源をオンにする。その姿に、ユーリが「うみゅみゅ」とうなり声をあげた。


「もしかしたらもしかすると、パソコンの映像もテレビに投影できるのでせうか?」


「トウエイ? ……ああ、投影。おそらく、言葉、不適切。正確には、無線接続」


 パソコン音痴のユーリと瓜子には、やはり未知なる世界である。しかし以前には携帯端末の動画もテレビ画面で拝見できたのだから、何も驚く必要はないように思われた。


 ノートパソコンを立ち上げたメイは、まずそちらの操作を開始する。瓜子がこっそり覗き見してみると、《レッド・キング》のウェブサイトにパスワードなどを打ち込んでいる様子であった。


「えーと、それで《レッド・キング》の過去の試合を拝見できるんすよね? 立松コーチとかが購入した動画をお借りするって形なんすか?」


「正確には、違う。ストリーミング再生だから、観る権利、借りた形」


「すとりーみんぐさいせい……《レッド・キング》の過去の試合は、動画のダウンロード販売のみって聞いた覚えがあるんすけど」


「おそらく、誤情報。このウェブサイトの試合の動画は、ストリーミング再生に統一されてる」


 では、ストリーミング再生とは何ぞやという疑問が残されるのだが、瓜子たちはパソコンを購入する予定もなかったので、聞くだけ無駄かもしれなかった。


 何にせよ、立松たちは赤星弥生子の試合を研究するために、過去の試合映像を大量にかき集めることになったのだ。そしてそれを、この年末年始の休みでユーリにも視聴するようにと言いつけていたのだった。


「えーとですね、最優先でこの三試合を確認するように申しつけられました。これで、わかりますか?」


 立松から届けられたメールの内容を携帯端末に表示して、メイのほうに差し出してみせる。それをちらりと確認してから、メイは「承知した」とノートパソコンを操作した。


 しばらくして、テレビのほうにもパソコンと同じ内容が表示される。

 試合模様の一場面を切り取った画像がサムネイルに使われており、その横に試合の日付けと対戦の内容が記されていた。

 メイが最初にクリックしたのは、今年の三月の試合映像――赤星弥生子と青田ナナの対戦した、メインイベントのサムネイルであった。


「ほうほう、まずは青田ナナさんとの対戦でありますか」


「はい。確かにこれは、参考になりそうっすね」


 赤星弥生子は年にいっぺん、青田ナナとマリア選手の挑戦を受け付けているのだと聞いている。だからこれは、青田ナナ戦の最新映像であるわけであった。

 その内容は――先日のマリア戦にも劣らない、激戦である。オールラウンダーである青田ナナは、正攻法で赤星弥生子をあわやという場面まで追い込み――そして、第二ラウンドの開始と同時に発動された古武術スタイルによって、あえなく撃沈することになった。決まり手は、タックルへのカウンターで繰り出された右のハイキックだ。


「やっぱり青田ナナさんも、れっきとしたトップファイターっすね。たとえ縛りがある状態でも、弥生子さんをあそこまで追い込めるってのはすごいと思います」


「うみゅうみゅ。沙羅選手との試合も、大激戦になりそうなところだねぇ」


 人様の試合に大きな関心を持たないユーリは、のほほんとした顔で笑っていた。

 次の試合を拝見する前にと、瓜子はメイにも感想を聞いてみる。


「メイさんは、どうでしたか? 率直な意見をお願いします」


「うん。……ナナ・アオタ、あまり興味を引かれない。技術、一定の水準に達してると思うけど……世界、通用しないと思う」


「世界っすか。そういえば、青田さんは《アクセル・ジャパン》で王者のアメリア選手とやりあってましたね。メイさんも、あの試合はチェックしてたんすか?」


「うん。あの試合、現状を象徴してると思う。日本人、フィジカルが弱いから、それを補う何かが必要。ナナ・アオタ、すべての技術をまんべんなく鍛えてるけど……無個性で、突出したものがない。世界のトップファイター、対戦したら、フィジカルで潰される」


「そうっすか。同じ日本人として、耳が痛いっすね」


 瓜子が何気なく相槌を打つと、メイは「違う」ともじもじした。


「ウリコ、むしろ個性的。僕と同じ、骨密度もだけど……それだけじゃなく、あの……試合中、ふいに訪れる、集中力の上昇……大怪獣タイム、似てると思う」


「いえいえ。自分は弥生子さんみたいに、いきなり動きが素早くなったりしないっすよ」


「でも、異様に反応速度がよくなる。まるで、こちらの動きが予測されてるみたいで……僕、心からぞっとした。ウリコ、モンスターだと思った」


 瓜子が気分を害したりはしないかと、メイは心配そうな眼差しになる。

 それを安心させるために、瓜子はまた笑顔を届けることになった。


「メイさんにそんな風に言ってもらえるのは、光栄の限りっすよ。こっちにしてみれば、メイさんのほうがモンスターなんすからね」


「僕、フィジカルが強いだけ。ウリコ、追いつくには、技術や戦略、磨くしかない。……だから、プレスマンで頑張ってる」


「はい。再戦の日を、自分も楽しみにしてますよ」


 そんな風に答えてから、瓜子は心中に浮かびあがった疑念を口にすることにした。


「あの、それじゃあメイさんは、弥生子さんやベリーニャ選手やユーリさんのことを、どんな風に評価してるんすか?」


「ヤヨイコ・アカボシ、個性的。古武術スタイル、僕ならスピードで潰せると思うけど……大怪獣タイム、攻略法がわからない。世界、通用すると思う」


「なるほど。卯月選手も、立派に世界で通用してますもんね。……それじゃあ、ベリーニャ選手は?」


「ベリーニャ・ジルベルト、ブラジリアンとしては並のフィジカル。でも、技術と精神力、際立ってる。特に、精神力が凄い。どんな場面でも心が乱れないから、体得した技術、百パーセントの力で発揮できるんだと思う」


「ふみゅふみゅ!」と、ユーリが嬉しそうな声をあげた。

 そちらを横目で見やりながら、メイは静かに言葉を重ねる。


「だから、タクミ・アキシロに負けたの、意外だった。たぶん、予期しない反則で、心を乱されたんだと思う。ベリーニャ・ジルベルト、一番重要なの、たぶん心だから」


「にゅー! お言葉を返すようですが、アレはベル様の敗北ではなく無効試合でありますぞよ!」


「わかってる。あの試合で、彼女、もっと心、強くなると思ってる」


「ええ。ベリーニャ選手なら、きっとそうでしょうね。……それじゃあ、ユーリさんは?」


「ユーリ、不可解」と、メイは眉根を寄せてしまった。


「ユーリのフィジカル、欧米人に匹敵すると思う。寝技の技術も、世界クラスだけど……ただ、立ち技の技術が未知数。未知数だから、予測が難しい。誰に勝っても、誰に負けても、おかしくないと思う」


「にゃっはっは。確かにユーリは、色んなお相手に勝ったり負けたりしてますからにゃあ」


「でも、この二年近くは負けなしっすよ。……ユーリさんは、弥生子さんに勝てますかね?」


「わからない。でも、可能性はあると思う」


 ならば、その勝率を可能な限り引き上げるしかないだろう。

 大怪獣たる赤星弥生子に打ち勝つというのは、本当に大変なことであるのだろうが――負けていい試合などこの世には存在しないし、すべての人事を尽くした人間だけが、天命を待つことを許されるのだ。

 そうして瓜子は緊迫感と無縁であるユーリの分まで発奮して、その後の研究に取り組むことに相成ったのだった。

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