02 交流

 しばらくして、瓜子はタツヤを小笠原選手のもとに案内することになった。

 瓜子にはユーリが、タツヤにはダイが、それぞれひっついている。そして瓜子たちの行動を皮切りに、あちこちで席の移動が始められた様子であった。


「ど、どうも! おひさしぶりです、小笠原さん!」


 小柴選手たちとにこやかに談笑していた小笠原選手は一瞬きょとんとしてから、「ああ」と笑った。


「えーと、『ベイビー・アピール』のタツヤさんだよね。どうも今日は、お疲れ様でした」


「えっ! 俺なんかの名前を、覚えててくれたんですか?」


「そりゃあまあ、そっちの猪狩からもあれこれ話を聞いてたからね。アタシなんかのことをずいぶん心配してくれてたみたいで、どうもありがとう」


「そ、そうだったんですか! ……瓜子ちゃんは、やっぱり優しいなぁ」


「おら、今は瓜子ちゃんじゃなく、小笠原さんだろ」


 ダイに尻を蹴られたタツヤは、その勢いに押されたような格好で座り込んだ。

 気をきかせた鞠山選手と多賀崎選手、それに引っ張られた灰原選手が席を空けてくれたため、瓜子たちもそこに座らせていただく。小笠原選手の隣には小柴選手、テーブルの向かいにはプレスマン軍団と理央という位置取りであった。


「きょ、今日はご来場、ありがとうございました! 俺たちの演奏、どうでした?」


「すごかったよ。アタシ、ロックバンドのライブなんてほとんど未経験だったからさ。爆音で、首の傷が疼いちゃった」


「えっ! マジっすか!? そ、それはなんとお詫びを言っていいか……」


「冗談だよぉ。前にも言ったけど、アタシなんかにへりくだりすぎじゃない?」


「い、いや、選手のお人と対面する機会なんてあんまりなかったから、すっげえ緊張しちゃうんですよね」


 タツヤはスキンヘッドに汗まで浮かべてしまっていたが、気さくで社交的な小笠原選手のおかげで何とか和やかな空気が形成されていった。

 そしてその間に、ダイは向かいの人々に愛嬌を振りまいている。


「そっちのあんたは、瓜子ちゃんと二回やりあったメイなんちゃらって選手だよな。あんた、瓜子ちゃんたちと同じ道場に入門したんだって?」


 音楽に興味がなく、今日のライブも見届けていないメイは、普段通りの無表情で「うん」とうなずく。

 これは脈なしと見て取って、ダイはすぐさま周囲の人々に視線を巡らせた。


「おー、愛音ちゃんも、ひさしぶり! ってことは、周りの人らも瓜子ちゃんたちの同門なのかな?」


「サキセンパイは道場の古株で、理央サンはそのお連れなのです。……ダイサンは、サキセンパイをご存じでないのです?」


「んー、俺って女子の試合は最近になって観始めたクチだからさぁ。それでも今年のアトミックは全部チェックしたはずなんだけど、ちょっと記憶にないかなぁ」


「サキセンパイは去年の年末に負傷をして、休業中なのです。でも、ユーリ様や猪狩センパイのセコンドには欠かさずついているはずなのです」


「おー、言われてみれば、その赤い髪には見覚えがあるかも! ごめんなぁ、女子MMAは、まだ初心者でさぁ」


 ダイがプレスマン道場の面々と交流を結ぶというのは、何だかものすごく奇妙な心地であった。

 が、ユーリや瓜子はもちろん、愛音とも撮影の場で面識を得ているため、残るメンバーはサキとメイのみであるのだ。これは人見知りという概念を持たないダイでも、なかなかの難敵であるはずであった。


「あの、サキさんは自分と同じ階級で、前王者っすよ。よかったら、去年の試合もチェックしてみてくださいね」


「へー、そうなんだ? プレスマンって、すげえ女子選手がそろってるんだなぁ。野郎連中は、早見ぐらいしか印象にないのによ」


「あ、早見選手はご存じなんすね」


「そりゃあ知ってるよぉ。《アクセル・ファイト》と契約までこぎつけた、数少ない日本人選手なんだからさ! 今年の日本大会は、ちょっと残念だったよなぁ」


 そんな風に言ってから、ダイは理央のほうに目を向けた。


「で、そっちの美少女ちゃんは? 連れって言っても、さすがに格闘技の関係者ではなさそうだよな」


「理央サンは、サキセンパイの妹分であられるのです。理央サンへの失礼は、愛音も容赦しないのです」


「俺がそんな真似するわけねえだろぉ? よろしくな、理央ちゃん!」


 ダイは『ベイビー・アピール』の中でもっとも大柄であり、坊主頭に濃い髭を生やし、手の甲には蛇のタトゥーを入れている。がっしりとした体格と相まって、バンド内でももっとも強面の部類かもしれなかった。

 が、理央は怯えた様子もなく、ただおずおずと微笑んでいる。これは相手が誰であっても、初対面における理央のスタンダードな姿であった。


「んー、なんかプレスマンの関係者って、みんなレベルが高いんだな! そっちのサキちゃんやメイちゃんも、ルックスはすげえ整ってるしよ!」


「……ちゃん?」とサキが不穏なつぶやきをもらしたため、瓜子はいささかならず慌てることになった。


「あ、あのですね、誰でも彼でもちゃんづけで呼ぶのは、ちょっと如何なものでしょう?」


「えー? だってさすがに、俺よりトシをくった人はいねえだろ? なんか問題あるかなぁ?」


 瓜子がひとりであわあわしていると、サキの向こう側で背中合わせになっていた人物が、こちらの卓に身を寄せてきた。


「失礼します。俺もご挨拶をさせてもらっていいですか? ダイさんと一緒に『トライ・アングル』でドラムを担当している、西岡桔平と申します」


 サキは不穏な目つきのまま、そちらを振り返る。

 そこに待ち受けているのは、山小屋のオーナーを思わせる温和そうな笑顔だ。


「俺は昔っから、アトミックの試合を拝見してました。サキさんの燕返しを、また試合場で拝見したいところですね」


「はん。アタシが復帰したら、すぐさまそこのイノシシ娘と当てられそうなところだけどなー」


「それこそ、この階級の頂上決戦でワクワクしちゃいますね。でも、一年以上ぶりの試合なら、しっかり調整試合を組んでほしいところですよね」


 こんな際にも、西岡桔平の誠実な人柄は瓜子を救ってくれるようだ。瓜子は心の中で西岡桔平を拝みつつ、ダイのほうに向きなおった。


「プレスマンは、こんな感じです。他の方々もご紹介しましょうか?」


「いやー、タツヤはしばらく動かないだろうから、俺もそっちにつきあうわ。瓜子ちゃんとユーリちゃんも、好きな相手とつるんでくれよ」


 なかなかダイには珍しい気遣いである。

 では、どなたのもとを目指すべきかと、瓜子は視線を巡らせてみた。


 千駄ヶ谷は、相変わらず漆原と熱心に語らっている。千駄ヶ谷が熱心ということは、何か『トライ・アングル』の今後について有意義な会話が為されているのであろう。

 こちらから離脱した鞠山選手たちは、『モンキーワンダー』の女性陣と語らっていた。旧知の仲である鞠山選手といつでも元気な灰原選手がそろっているため、なかなか盛り上がっているようだ。

 あとは――山寺博人と陣内征生は『ワンド・ペイジ』のスタッフと語らっており、リュウは『モンキーワンダー』の男性陣と語らっている。交流を広げるためには、リュウのもとを目指すべきであるように思えた。


(男性ばっかりの集まりだけど、女性問題を起こすような人たちじゃないって話だから、まあ大丈夫か)


 それに、そのすぐ隣には鞠山選手たちが輪を作っているため、必要であればすぐに支援をお願いできるだろう。

 そうして腰をあげかけたところで、瓜子は小柴選手の存在を思い出した。小柴選手は『モンキーワンダー』のファンであり――そのメンバーとお会いするためならば、魔法少女カフェで働くという条件さえ承諾するぐらいの熱情であったのだ。


「あの、『モンキーワンダー』の方々にご挨拶しようかと思うんすけど、小柴選手もご一緒にどうっすか?」


 小笠原選手と一緒にタツヤの話を聞いていた小柴選手は、たちまち真っ赤な顔をして瓜子に耳打ちしてきた。


「お、お気遣いありがとうございます。でも、メンバーの方々とお話しするのはものすごく緊張しちゃうので……もうちょっとその、お酒の力を借りてからにしようと思います」


「そうっすか。了解しました。……小柴選手って、本当に可愛いっすね」


「な、何を言ってるんですか! からかわないでください!」


 と、小柴選手がべちべちと瓜子の腕を引っぱたいてきた。そういう仕草も子供みたいで、とても可愛い小柴選手なのである。

 そんなわけで、瓜子は軽く熱を帯びた二の腕をさすりながら、ユーリと二人でリュウたちのもとを目指すことにした。


「失礼します。みなさん、今日はお疲れ様でした」


「お、噂をすれば何とやらだ。お前ら、サインでももらっとけよ」


 リュウは陽気に声をあげ、『モンキーワンダー』の面々は丁寧にお辞儀を返してくる。愛妻家にして優男風のトキと、ゲイにして真面目な大学生風のハチベエだ。


「こっちのトキはユーリちゃんの、こっちのハチベエは瓜子ちゃんのファンなんだってよ。バンドマンがアイドルのファンってのも、なかなか珍しい話だよなぁ」


「いい歌に、ジャンルは関係ないでしょう? 俺、昔っからユーリさんの歌声は耳にひっかかってたんですよ」


 とても朗らかな笑顔で、トキはそう言った。


「でもまあその頃は音源を買うほどじゃなかったんですけど、ベイビーさんやワンドさんが伴奏したシングルで、やられちゃいました。ライブDVDも、もちろん買わせていただきましたよ」


「わぁ、それは恐縮ですぅ」と、ユーリはめいっぱいの社交スマイルを振りまいた。まあ、初対面であればこれをお義理の笑顔と看破することは難しいだろう。そしてリュウは、どこか満足げにも見える面持ちでそんなユーリの笑顔を見守っていた。


「でも、ユーリさんってセクシーすぎるんですよねぇ。DVDとか観てると、カミさんがおっかない顔でにらみつけてくるんですよ。カミさんは特典映像の猪狩さんに夢中になってるのに、俺だけにらまれるってのは理不尽ですよねぇ」


「あはは。やっぱりうり坊ちゃんの女性人気はさすがでありますねぇ」


 と、話題が瓜子のほうに傾くと、ユーリの笑顔に元来の無邪気さが垣間見える。そしてそんなさまも、リュウは満足そうに見守っていた。


「カミさんが瓜子ちゃんファンなら、いっそうお前にムカつくんじゃねえの? どうせお前は、不純な目で瓜子ちゃんたちを見てるんだろうしよ」


「やだなぁ。俺はカミさんひと筋ですってば。……そりゃまあ可愛い女の子の水着姿にはクラクラきちゃいますけど、見るだけだったら罪にはならないでしょう?」


「瓜子ちゃんは、そういう目で見られるのを嫌がるタイプなんだよ。あ、こっちのハチベエは選手としての瓜子ちゃんファンらしいから、安心してな」


 そのハチベエは、ほわんとした顔で笑っている。本当に、瓜子と同世代ぐらいに見えかねないような童顔であった。


「俺、花ちゃんさんの影響で女子MMAを観るようになったんです。猪狩さんもユーリさんも、毎回すごい試合をしてますよね。本当に尊敬します」


「ありがとうございます。そんな風に言っていただけると、光栄です」


「次は《レッド・キング》っていう団体と合同イベントなんですよね? そっちの団体はよく知らないんですけど、猪狩さんがマリアさんとやりあうって聞いて、びっくりしちゃいました。マリアさんには、ユーリさんだって苦戦してましたもんね」


「はぁい。マリア選手はお強かったですぅ。でもでもうり坊ちゃんだったら、きっと豪快無比なるKO勝利を収めてくれますですよぉ」


「お、やっぱ格闘技関連だと、ユーリちゃんも口が回るな。でも、本当にしんどいのはユーリちゃんだろ? 何せ、大怪獣ジュニアが相手なんだからよ」


「大怪獣ジュニア?」


「ユーリちゃんの対戦相手だよ。男相手に負けなしってやつで、俺はどうせショープロレスみたいなもんだろと思ってたんだけど、どうやら違うみたいなんだよなぁ」


「ええ。弥生子さんの強さは、本物っすよ。自分たちは合宿稽古でも、弥生子さんの強さを体感してますしね」


 格闘技関連の話題で口が回るのは、瓜子も同様である。ハチベエは感心しきった様子で「へえ」と目を丸くしていた。


「男相手に負けなしなんて、嘘みたいな戦績ですね。それじゃあユーリさんは、大変だ」


「はぁい、大変ですぅ。でもでも、赤星弥生子殿はベル様よりもお強いって評判ですので、ユーリはわくわくしちゃいますねぇ」


「ベル様? ……ああ、ベリーニャ・ジルベルトって選手ですか。そういえば、ユーリさんはその選手に憧れて格闘技を始めたそうですね」


「そうなんですよぉ。ベル様みたいにかわゆくて強いファイターになるのが、ユーリの夢なんですぅ」


 と、ユーリが完全に無防備な笑顔をさらしたため、瓜子は内心で「おや」と思った。たとえ格闘技関連の話題でも、ユーリが初対面の相手にこうまでくつろいだ姿を見せるのは、至極珍しいのである。


(そうか。このハチベイって人は……)


 ひとつの想念に思い至って、瓜子は納得した。

 が、納得していない人物が、すぐ目の前に存在する。リュウはユーリの無邪気な笑顔にびっくりまなことなって、それからうろんげに眉をひそめたのだった。


「リュ、リュウさん、ちょっといいっすか? ユーリさん、ほんの少しだけ失礼しますね」


 瓜子はユーリたちから数メートルほど距離を取り、リュウに耳打ちすることになった。


「あの、リュウさん、誤解しないでほしいんすけど――」


「誤解って? ユーリちゃんが初対面の野郎に、あの可愛い笑顔を向けてること?」


 リュウは瓜子の言葉をさえぎって、完全にすねきった声を返してくる。


「はい。その件についてです。実はみなさんが到着する前に、自分たちは鞠山選手から、その……ハチベイさんが女性に興味がないって話をうかがってたんすよ。それで、自分も今さっき気づいたんすけど、あのハチベイって人はユーリさんのご友人と雰囲気が似てるんすよね」


「……って、そのお友達も、ゲイってこと?」


「はい。見かけは全然違いますけど、雰囲気が似てるんすよ。なんかこう、空気がやわらかいっていうか……それできっと、ユーリさんもすぐに打ち解けられたんだと思います」


「そっか」と、リュウは息をついた。


「俺にはそういう空気とかわかんねえけど、あのトキなんかはスケベな目つきでユーリちゃんや瓜子ちゃんを見てるもんな。ま、傍から見たら、俺だってそうなんだろうけどよ」


「あ、いえ、決してそんなことは……」


「いいんだよ。それなら、俺が昼間にしゃべくった話も的外れじゃなかったってことなんだからな」


 そう言って、リュウは普段通りの笑顔を見せた。


「ユーリちゃんが中坊の頃、教師に襲われかけたって話は、俺も聞いてるからよ。だったらきっとユーリちゃんは、男のそういう目に敏感なんだろうな」


「……ええ。きっとそうなんだと思います」


「で、瓜子ちゃんは俺がムカついてるんじゃないかって、心配してくれたわけだ? なんか俺、マジで親衛隊に加入したくなっちまうなぁ」


「い、いえいえ、自分なんかスタッフのひとりなんすから、どうぞ節度をおわきまえください」


「はは。ユニットのメンバーが三人もスタッフに夢中だと、カッコがつかねえか。……じゃ、そろそろ戻ろうぜ。どうしてユーリちゃんをひとりにしてるんだって、千駄ヶ谷さんがこっちをにらんでるからよ」


 それはリュウの軽口かと思いきや、本当に千駄ヶ谷が端の席で漆原と語らいながらこちらに絶対零度の眼差しを向けていたので、瓜子は心からぞっとしてしまった。


「あ、ちょっと待った。俺も瓜子ちゃんに伝えておきたかったんだ。モンキーのベースがゲイで、ドラムがバイってのは、業界じゃ有名な話だからよ。男だけじゃなく、あのキツネ女にも気をつけてな」


「……ええまあ、それは何となく、すでに体感してますので」


「はは。瓜子ちゃんもユーリちゃんも、気苦労が絶えないねえ。可愛く生まれつくってのも、なかなか難儀なもんだ」


 リュウとそんな言葉を交わしながら、瓜子はユーリのもとに戻ることになった。

 ハチベイと語らっていたユーリは、「おかえりぃ」と甘えた顔で言う。


「リュウさんとの密談は楽しかったですかぁ? ユーリを仲間外れにしただけの甲斐があったのなら幸いですぅ」


「やだなぁ。そんなすねないでくださいよ」


「すねてないもぉん」と、ユーリは瓜子のシャツの裾をつかんでくる。

 そんなユーリの子供っぽい姿を、リュウはいっそう満足そうな面持ちで見守っていたのだった。

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