05 ピース

『ワンド・ペイジ』のメンバーを迎えて『リ☆ボーン』を披露したのちは、すぐさま『砂の雨』のお披露目だ。

 ユーリの囁くような歌声で始まるこの曲も、客席を存分に盛り上がらせているようであった。

 大切な存在と再び巡りあえた喜びで、ユーリは歌いながら涙をこぼしてしまう。その姿を見て瓜子も涙してしまうというのは、大阪公演を経た現在も変わりはなかった。


『どうも、「砂の雨」でしたぁ。……これ、本当に素敵な歌詞ですよねぇ』


 歌い終えたユーリがポケットから取り出した『トライ・アングル』のミニタオルで目頭を押さえると、会場からは大歓声が返ってきた。


『ではでは、気を取り直して次の曲ですけれども……こちらの曲でも、けっきょくユーリは泣いてしまうのです。ライブが終わる頃にはメイクもぐずぐずになってしまうかもしれませんけれど、どうぞご勘弁くださいねぇ』


 客席に渦巻く歓声に、期待の念が入り混じったように感じられた。

 ユーリが泣くといえば、やはり『ネムレヌヨルニ』と『ホシノシタデ』のバラード曲である。そしてそれらの楽曲は聴衆の涙腺をも激しく刺激するために、SNSなどでも大層な評判を呼んでいたのだった。


 しかし、次にお披露目されるのは、そちらの二曲ではない。

 ミニタオルをショートデニムのポケットに戻しながら、ユーリはその旨を宣言した。


『この曲は、今日が初めてのお披露目になります。一生懸命歌いますので、よろしくお願いいたしますねぇ。……では新曲で、「ピース」です』


 陣内征生が、弓で流麗なる旋律を奏で始めた。

 いかにもメロウな楽曲の始まりであるかのように思われるが――そんな想像は、すぐさま裏切られる。ベースの流麗さはそのままに、重いドラムと激しいギターのサウンドがかぶせられるのだ。


 テンポはゆったりとしているが、腹の底に響くような重々しさと苛烈さである。

 そしてAメロに入ると同時にギターのファズ・サウンドはフェイドアウトして、音圧を弱めたドラムと哀切なベースの音色だけが残されるのだった。


 そこにかぶせられるユーリの歌声もまた、哀切だ。

 他のバラード曲ほど声量は抑えられていないものの、今にも泣き出しそうな震えを帯びている。そしてそこで歌われているのは、絶対的な孤独の中で虚勢を張っている人間のさまであった。


 曲名の『ピース』は平和ではなく、ジクソーパズルのピースを指しているのだ。

 あちこちのピースが欠けているために、彼女の孤独はどうしても埋まらない。そうして形の違うピースを無理やり嵌め込もうとするため、彼女はますますいびつに歪んで、孤独になっていく――要約すると、そんな内容の歌詞であった。


(ヒロさんはラブソングじゃないって言ってたけど、本当にそうなのかなぁ)


 色恋やら何やらに疎い瓜子でも、それらの歌詞には男女の関係が暗喩されているように思えてならなかった。

 しかしまあ、それは聞き手次第であるのだろう。抽象表現を多用する作者に向かって本当の意味を問い質すことほど、野暮な話はないはずであった。


 何にせよ、長らく孤独に苦しんでいた主人公は、やがて理想の存在と巡りあう。ガタガタに歪んだ隙間に、その存在はぴったりと嵌まり込んで、主人公に安らぎをもたらしてくれるのである。


 Bメロでは哀切な雰囲気を保持しつつ、じわじわと切迫感が高まっていく。それがサビで爆発するというのは、『ワンド・ペイジ』の真骨頂であった。

 ユーリはかつてこちらの歌詞を目にしただけで、涙をにじませていた。そこに歌声と演奏が加えられることによって、瓜子も涙をこらえられなくなってしまう。まさしくこれは今までのバラード曲にも劣らないぐらいの、痛切な歌であった。


 孤独に苦しむユーリの歌声は、聞いているだけで心臓を握り潰されそうな心地である。

 しかもユーリは、振り絞るような歌声を体得していた。その歌声にインスピレーションを受けて作られたこの曲は、ユーリに歌われることによって真の完成を見たのだ。そういう意味では、これまでのバラード曲を遥かに凌駕していた。


 これが苦しいままで終わる歌詞であったなら、ユーリも精魂尽きてしまうことだろう。

 しかしこの歌は、救いの歌である。前半部で歌われる孤独と絶望が深ければ深いほど、ユーリの情感は凄まじい勢いで急浮上して、この世に生きる喜びを歌いあげることがかなうのだった。


 曲がエンディングに向かうにつれて、ユーリの熱量はますます高まっていく。

 舞台袖から見えるユーリの横顔には涙がきらめき、瓜子が自分のために準備したスポーツタオルもすっかり濡れそぼってしまった。

 そして、そんな二人にとどめを刺すかのように――最後のサビで、山寺博人が歌に加わった。これまたリハーサルやスタジオ練習では見せることのなかった、ハモりのコーラスである。


(ちょっと、勘弁してくださいよ)


 ヴォーカルとしてもそれほど小器用ではない山寺博人は、ハモりの音程もやや揺らいでしまっている。しかし、その揺らぎがいっそうのダイナミズムを生み出しているように思えてならなかった。


 ユーリと山寺博人のまったく異なる歌声がからみあい、理想の存在と巡りあえた喜びを歌いあげる。そこにはただの喜びや希望ばかりでなく、思いがけない幸福に見舞われた驚きや困惑と、もうその相手を手放すことのできない申し訳なさや罪悪感なども込められており――瓜子の心を、しっちゃかめっちゃかにしてくれた。


 そうして二人の声がもつれあいながら消えていき、最高潮に達した演奏もやがてフェードアウトしていくと――どこか虚脱したような静寂ののちに、大歓声が爆発した。

 ユーリは天井を見上げながら、『ふいー』と息をつき、再びミニタオルを引っ張り出す。


『ではでは、たたみかけますよぉ。こちらはこの前のイベントでお披露目した新曲、「burst open」でぇす』


 あれだけ『ピース』に情感を込めながら、どうしてすぐさま気持ちを切り替えることができるのか。ユーリは何事もなかったかのように笑顔となって、『ワンド・ペイジ』の楽曲としてはもっとも激しい『burst open』を高らかに歌い始めた。


 そして舞台袖においては、『ベイビー・アピール』の面々がやってくる。漆原はまっすぐ千駄ヶ谷のもとに向かい、瓜子はダイとタツヤに挟み撃ちされることになった。


「あいつ、いきなりハモりを入れるなんて、無茶だよなー! ユーリちゃんがびっくりしてトチるとか考えねえのかよ!」


「なんかウルも火がついたみたいだから、こっちの新曲も面白いことになりそうだよ! 次のスタジオを楽しみにしててくれよな!」


 瓜子はこくりとうなずき返してから、ステージのユーリたちに集中した。

 今はまだ、ユーリの歌声と『ワンド・ペイジ』の演奏にひたっていたかったのだ。職務怠慢と言われようとも、この気持ちを抑えることは難しかった。


 やがて『burst open』が終了すると、『ベイビー・アピール』の面々が再びステージに躍り込んでいく。ラストの曲は、全員参加の『ハッピー☆ウェーブ』であったのだ。


 二曲のバラード曲は封印し、『ワンド・ペイジ』のカバー曲たる『ジェリーフィッシュ』は『ベイビー・アピール』の手によって演奏された。残りの持ち曲はすべて披露して、これで堂々の全十曲である。


 まだまだ『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』の融合は進んでおらず、ほとんどの曲はユーリが歌うことによってユニットの意義が保たれている状態にある。

 しかし、ユニット結成からの期間を考えれば、それも仕方のないことなのだろう。ゆくゆくは、この八名がどのような融合を果たし、どのようなステージを見せられるようになるのか――それを想像するだけで、瓜子は目が眩むような心地であったのだった。


                  ◇


 すべての曲が終了したのちは、またメンバー一同が横並びとなって、客席にご挨拶である。

 そこから生じる大歓声が、観客たちの満足度を如実に示していた。一万人前後の人間があげる歓声に、耳が痛いほどである。

 そうして舞台袖に凱旋してきたユーリは、鼻先がぶつかりそうなぐらいの勢いで瓜子に顔を寄せてきたのだった。


「ただいまー! うり坊ちゃん、ユーリたちの勇姿を見届けてくれたー?」


「もちろんですよ。……ちょっと近くないっすか?」


「にゅっふっふ。これは魂の奥底からわきおこってくるハグの衝動を、すんでのところで我慢した結果であるのです。ユーリの自制心もなかなかのものでせう?」


 全精力を絞り取られるバラード曲を免除されたためか、ユーリは活力にあふれかえっている様子であった。

 涙のせいで目もとのメイクは崩れてしまっているし、全身が汗だくだ。しかし、疲労を上回る達成感によって、ユーリはステージ上と同じぐらい光り輝いているように見えた。


 が、こちらにはすでに夜の部のトップバッターが控えている。瓜子たちも他の面々を追いかけて、早急に楽屋を目指さなくてはならなかった。


「皆様、お疲れ様でした。本日は、『トライ・アングル・プロローグ』を上回る仕上がりであったかと思われます」


 楽屋にて、千駄ヶ谷がそのように宣言すると、各バンドのマネージャーたちも笑顔でうなずいていた。


「こちらの映像をソフトとして販売できないのが口惜しいほどですが……これらの模様は、CSチャンネルで配信されるのですね?」


「うん。ひとつの組で、せいぜい二曲ぐらいだけどねぇ。どの曲をチョイスするか、放送局の連中も頭を抱えるんじゃねえかなぁ」


「何にせよ、そちらの配信でもまたいっそう『トライ・アングル』のポテンシャルを示すことができましょう。皆様、本当にお疲れ様でした」


 冷徹きわまりない千駄ヶ谷であるが、こういう際に礼節を欠くことはない。そうして千駄ヶ谷が深々と一礼すると、『ベイビー・アピール』の面々などは子供のように喜んでくれるのだった。


「ま、固い話は来年の打ち合わせまで取っておこうよ。とりあえず、打ち上げではっちゃけようぜぇ」


「はい。時間にゆとりはありますので、どうぞごゆるりと撤収の準備をお願いいたします」


 こちらのイベントホールには関係者用のシャワールームが完備されていたため、瓜子はまずそちらに向かうユーリに付き添うことになった。

 シャワールームはリハーサルルームなる場所に設置されているため、楽屋からは多少の距離がある。そうして瓜子たちがその場所に辿り着いて、いざシャワールームに向かおうとすると――その手前に、ちょっと目立つなりをした二人の女性がたたずんでいた。


 ひょろりと背の高い女性と、瓜子よりも小柄なちんまりとした女性だ。その小柄なほうがぽろぽろと涙をこぼしており、背の高いほうが困り顔でなだめているという構図であるようであった。


(どうしたんだろう。バンド内で、何か揉め事でもあったのかな)


 瓜子はそのように考えながら、ユーリをシャワールームに送り込もうとしたのだが――その行き道で背の高い女性が瓜子たちの存在に気づき、「あーっ!」と大きな声を張り上げた。


「ほらほら、みよぴょん! 本人が来ちゃったよ! どうする? サインでももらっとく?」


 小柄な女性が涙に濡れた顔をあげて、瓜子たちのほうを見る。その大きな目がユーリの姿をとらえるなり、くわっと見開かれることになった。


「ユ、ユーリさん! あの、ステージ最高でした! ワンドさんとの新曲なんて、もう涙が止まらなくって……」


 と、言葉の途中でまた大粒の涙をこぼしてしまう。長身の女性は笑いながら、小柄な相棒の頭をぽんぽんと叩いた。


「ごめんなさいねぇ。あの『ピース』って新曲が、モロにツボっちゃったみたい。このコが人様の曲に涙するなんて、そうそうないことなんだけどねぇ」


「はぁ、そうですかぁ……どうも、光栄ですぅ」


 ユーリはいくぶん困った感じで、愛想笑いを返していた。

 小柄な女性は大きな垂れ気味の目ところんとした丸顔が印象的で、どこかタヌキっぽい風情である。いっぽう長身の女性は面長で目が細く、キツネを思わせる容姿であった。なおかつ、前者はショートのブロンドヘアに赤や紫のカラーをちりばめており、後者はセミロングの髪を頭の天辺で結いあげて、両サイドを男のように刈りあげている。服装も、いかにもロックバンドのメンバーらしく派手派手しいデザインであった。


「あっ! よくよく見たら、そっちのそのコはマスコットガールちゃんじゃん! へえ、お洋服を着てると、けっこうボーイッシュなんだねぇ」


「あ、いえ、あれはダイさんのジョークですから……自分はユーリさんのマネージャー補佐で、スターゲイトの猪狩と申します」


「知ってる知ってる、うり坊ちゃんでしょ? 特典映像の水着姿、可愛かったねぇ。あのカウボーイスタイルのやつが、あたしはツボったなぁ」


 どうやらこの女性も、『ユーリ・トライ!』の特装版を購入してくれた模様である。瓜子は頭痛をこらえつつ、それでもビジネスライクな対応を心がけた。


「どうも恐縮です。ちょっと人を待たせていますので、シャワーをお借りしますね」


「うんうん。おしゃべりは打ち上げのお楽しみだねー。てか、あたしらもさっさとシャワーを浴びないと!」


「打ち上げ?」と瓜子が反問すると、長身の女性がきょとんとした。


「あー、もしかして、あたしらのこと知らなかった? 合同で打ち上げをしようって、花ちゃんさんに持ちかけさせてもらったんだけど」


「あっ! もしかして、『モンキーワンダー』の方々ですか? も、申し訳ありません。不勉強なもので……」


「いいっていいって! 『NEXT』のときもバタバタしてて、ロクに挨拶できなかったしねぇ」


 そう言って、長身の女性はにっこり微笑んだのだった。


「こっちはヴォーカルの定岡美代子で、通称みよっぺね。あたしはドラムの原口千夏で、ぐっちーって呼ばれてるよ。どうぞよろしく、ユーリちゃんにうり坊ちゃん」

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