03 結束

 その後は楽屋に凱旋してきた『ベイビー・アピール』の面々と合流し、ひたすら待機の構えである。

 トップバッターの演奏が終わった時点で、残りの待機時間は二時間半だ。なおかつ、『ワンド・ペイジ』の出番は三番手であるため、そちらのステージの終了後にすぐさま『トライ・アングル』のほうに合流しなければならないわけであった。


「ま、どうせこっちの前半戦は俺たちが受け持つんだから、別に問題はねえだろ。たった一時間のステージでへばるようなやつらじゃねえだろうしさ」


 そのように語る『ベイビー・アピール』の面々も、ステージ終了の直後から元気いっぱいの様子であった。


「今ごろは、展示場のほうで『モンキーワンダー』がやってる頃合いだな。瓜子ちゃんは、観にいったりしないのかい?」


「はい。自分は職務中ですから。……それに、『モンキーワンダー』って『NEXT』のイベントでしか拝見してないんすよね」


「あ、そーなんだ? 魔法少女と仲良くしてるなら、あいつらとも面識があるのかと思ってたよ。……あっちの野郎二人も女グセは悪くないはずだから、合同の打ち上げになっても安心だな」


「それなら、よかったです。実はみなさんの演奏中にも、あちこちの楽屋からユーリさん目当ての人が近づいてきてたんすよ」


「なに!?」と、タツヤとダイがいきりたった。


「だったら、ユーリちゃんだけじゃなく瓜子ちゃんもヤバかったろ。おかしなちょっかいをかけられたりしなかったか? まさか、連絡先の交換なんてしてないよな?」


「やだなぁ。ユーリさん目当てって言ってるじゃないっすか。ねえ、千駄ヶ谷さん?」


 そういう輩の撃退は、千駄ヶ谷が引き受けてくれたのだ。

 しかし千駄ヶ谷は、冷徹なる面持ちで「いえ」とのたまわった。


「その内の何割かは、猪狩さんが目当てであったようです。よって、私が単身で相手取る他なかったのです」


「そら見ろ! 瓜子ちゃんは、もっと自覚しないとヤバいんだって!」


「ほんとにさぁ、バンドマンなんて女グセ悪いやつが多いんだから、隙を見せたら駄目だぜ?」


「いやいや、みなさんだってバンドマンじゃないっすか」


「俺は彼女ひと筋だからな! タツヤはどうだか知らねえけどよ」


「あー、汚ねえぞ、お前! ……瓜子ちゃんに誤解されないように、俺も彼女でも作るかなぁ」


 そんな感じで、待機時間は賑やかに過ぎ去っていった。

 瓜子の端末が着信を告げたのは、二組目のステージが終了してしばらくしてからのことである。


「あ、鞠山選手です。きっと打ち上げについての話なんで、出てもいいっすか?」


 千駄ヶ谷の了承を得て電話に出ると、鞠山選手の濁っていて甲高い独特の声が聞こえてきた。


『そっちも仕事中だろうから、手短に話すだわよ。今日の打ち上げについては、もう伝わってるだわね? 『モンキーワンダー』と『トライ・アングル』とわたいたちで合同の打ち上げにしたいっていう誘いをかけられてるけど、ピンク頭の事務所的には問題ないんだわよ?』


「はい。上司はオッケーだって言ってます。そちらは、どうなんすか?」


『問題ないだわよ。あんたとピンク頭が合流できるならって、喜ぶ人間のほうが多いぐらいだわね』


 それは、心からありがたい話であった。


『それじゃあ、三組合同ってことで異存はないだわね? それなら、会場の手配をそっちとモンキーですりあわせしておいてほしいんだわよ。わたいたちとモンキーのほうは当日でもキャンセルのきく店だったから、そっちの予約した会場で人数を増やせるようなら、理想的だわね。……じゃ、わたいもワンドのステージを観戦に向かうんだわよ』


「あ、それは是非すぐに向かってください。お忙しい中、ありがとうございました」


 瓜子が電話の内容を伝えると、タツヤとダイは大喜びで、千駄ヶ谷は「承知しました」と立ち上がった。


「では、私が代表者として『モンキーワンダー』の方々にご挨拶をしてまいります。どなたか、エスコートをお願いできますでしょうか?」


「りょうかぁい。お前ら、ユーリちゃんたちをしっかりガードしてなぁ」


 にこにこと笑う漆原が千駄ヶ谷とともに楽屋を出ていくと、リュウが苦笑を浮かべながら肩をすくめた。


「あいつが何ヶ月もひとりの相手に執着するなんて、前代未聞だな。しかも、まったく相手にされてないのによ」


「ああ。あいつもようやく、女遊びを卒業かな。……って、それにはまず、千駄ヶ谷さんを射とめなきゃならねえけどよ」


「それが難しいところだよなぁ。……なあなあ、瓜子ちゃん。千駄ヶ谷さんって、どういう男がタイプなんだろ?」


「ええ? そんなの、想像もつかないっすよ。プライベートなことは、一切お話しにならないお人ですので……」


「そっかぁ。そりゃあ千駄ヶ谷さんは美人だけど、クールビューティーを通りこして、冷血の魔女みたいなお人だもんなぁ。……おっと、本人には言わないでくれよ?」


「い、言えませんよ、そんな怖いこと」


 瓜子がそのように答えたところで、リュウがくりんとユーリに向きなおった。


「こういうとき、ユーリちゃんって静かだよな。マンツーマンだと、けっこう喋ってくれるのによ」


「ごめんなさぁい。ユーリは頭の回転が鈍いから、大人数の会話だとなかなかついていけないんですよねぇ」


「ふぅん。でも、マンツーマンでも俺が相手だと、社交スマイル丸出しだよな。やっぱ、警戒してるわけ?」


「はぁ……そういうわけではないのですけれどぉ……」


 と、そのように語る間も、ユーリの顔に浮かべられているのは、れっきとした社交スマイルだ。

 リュウは嘆息をこぼしつつ、ドレッドヘアの先端をいじった。


「あのさ、『ベイビー・アピール』にはバンド内に女関係を持ち込まないっていうルールがあるんだよ。だから、このユニットを続ける限り、俺はユーリちゃんに手を出したりしない。それは、わかってくれてる?」


「はぁい。ユーリもありがたく思っておりますぅ」


「……やっぱユーリちゃんって、二面性があるよな。瓜子ちゃんと喋ってるときなんて、むちゃくちゃ無防備で可愛いお顔をさらすのによ。野郎には、絶対そんな顔を向けてくれねえんだもん」


 ユーリが困ったように口をつぐむと、リュウはにわかににやりと笑った。


「ウルのやつは、ユーリちゃんのそういう部分を歌詞に込めたってわけだな。やっぱあいつは、目のつけどころが違うわ。普通の野郎だったらユーリちゃんの色気に惑わされて、二面性だの何だのなんて考えもしないだろうからなぁ」


「どうしたんだよ、リュウ? お前がそんな真面目に語らうなんて、珍しいじゃん」


 ダイが気安くからかうと、リュウも「うるせえよ」と気安く応じた。


「俺も、覚悟が決まったわ。もうユーリちゃんのことはあきらめて、『トライ・アングル』に集中するしかねえや」


「あきらめるって、お前マジでユーリちゃんを口説くつもりだったのか?」


「当たり前だろ。このユニットでいいとこ見せて、ユニットの終了と同時に全力で口説くつもりだったよ。こんなユーリちゃんを目の前にして、口説く気もない瓜子ちゃんに執着するお前らのほうが、どうかしてるんだって」


 そんな風に言いながら、リュウは電子タバコのパイプをくわえた。


「でも、もうやめた。タップアウトだ。ユーリちゃんに警戒されながらつきあうのって、すげえしんどいわ。なんか、悲しくなってくるしよ」


「……リュウさんをご不快にさせてしまったのなら、お詫びを申しあげますぅ」


 ユーリが眉を下げながらそのように言いたてると、リュウは笑いながらバニラの香りのする蒸気を撒き散らした。


「むしろ、俺がユーリちゃんを不快にさせてたんじゃねえの? 自分では気づいてないかもしれないけど、ユーリちゃんってウルやタツヤやダイのことは、俺ほど警戒してないんだよ。それはやっぱり、こいつらが別の相手に夢中になってるからなんだろうな」


「はぁ……どうなのでしょう……」


「だからさ、『ベイビー・アピール』の中で、ユーリちゃんは俺にだけ壁を作ってるわけ。なんだかそれが、すっげえ寂しく思えてきたんだわ。だからもう、ギブアップだ。俺もこのユニットを楽しみたいから、ユーリちゃんをいつか口説くっていう野望は捨てる。……いっそ、瓜子親衛隊にでも加入しちまうかなぁ」


「来んな来んな。こっちは定員オーバーだよ」


「ああ。それなら千駄ヶ谷さんを追っかければ、二対二でちょうどいいじゃねえか」


 タツヤとダイはまったく深刻ぶる様子もなく笑い声をあげて、リュウの肩を小突いたり蹴飛ばしたりした。


「しっかし、お前の口からそんな言葉を聞かされるなんてなぁ。なんだかんだ、お前も瓜子ちゃんの清純オーラに浄化されたんじゃねえの?」


「ほんとほんと。瓜子ちゃんの前だと、身をつつしまなきゃなあって気分にさせられるんだよな。本人はあんな色気たっぷりの水着姿をさらしてるのによ」


「ちょ、ちょっと、こっちに矛先を向けないでください」


 そんな風に応じつつ、瓜子はユーリから目を離せなかった。

 ユーリはとても曖昧な表情で、わずかにうつむいてしまっている。リュウの宣言をありがたく思うと同時に、とても申し訳なさそうにしているような――そんな様子であった。


「そんな顔しないでくれよ、ユーリちゃん。俺がひとりで盛り上がって、ひとりで撃沈しただけなんだからさ」


 そう言って、リュウはまたドレッドヘアの先端をいじくった。


「俺さ、瓜子ちゃんとけらけら騒ぐユーリちゃんが、すごく好きだったんだよ。だからまあ、自分もそういう関係になりてえなあって思ったわけだけど……それはもうあきらめたから、今後も瓜子ちゃんとイチャついて、俺たちを楽しませてくれよな」


「はぁ……その点に関しましては、いっさい揺るぎないとお約束できますけれど……」


「そうそう、そういう天然発言も大歓迎だ。瓜子ちゃんも、末永くよろしくな」


 瓜子が「はい」と答えたところで、千駄ヶ谷と漆原が楽屋に舞い戻ってきた。


「お待たせいたしました。打ち上げに関しましても、滞りなく進められるかと思われます。……そちらも何か問題は生じなかったでしょうか?」


「ノープロブレム」と、リュウが涼しい顔で応じた。


「お、いつの間にか、こんな時間か。俺たちも、そろそろ準備しなきゃだろ」


「つっても、Tシャツに着替えるだけだけどなぁ」


『ベイビー・アピール』の面々はやいやい騒ぎながら、自分たちの荷物をあさり始めた。

 それを横目に、千駄ヶ谷が瓜子に耳打ちをしてくる。


「何か、空気が変わったようですね。私は即時に事情をうかがっておくべきでしょうか?」


「……いえ。急ぐ必要はないと思います」


「では、のちほど時間ができたときにでも。今は、ステージに集中いたしましょう」


 すると、ソファから立ち上がったユーリが、両手でばちーんと自分の頬を引っぱたいた。

『ベイビー・アピール』の面々がびっくりまなこで振り返ると、ユーリは「てへへ」と気恥ずかしそうに笑う。


「大事なステージに向けて、気合を入れなおしましたぁ。みなさん、どうぞよろしくお願いいたしまぁす」


「ああ、こっちこそな」と、『ベイビー・アピール』の面々も陽気に笑う。リュウ本人も、一緒に話を聞いていたタツヤとダイも、まったく事情を知らない漆原も、いつも通りの笑顔である。


(……ユーリさんは、すごく理想的なメンバーと出会えたんだな)


 バンドマンに限らず、芸能界には異性関係にだらしない人間が多い。その実情は、瓜子もユーリの仕事に同伴する過程で、嫌というほど見届けてきたのだ。

 これまでユーリにちょっかいをかけてきた芸能人と比べるまでもなく、『ベイビー・アピール』のメンバーは誰もが誠実であるように思えた。出会った当初はタチの悪い悪戯を仕掛けてくるような面々であったのに、瓜子もいつしか彼らを心から信頼できるようになっていたのだった。


(さっきのリュウさんの発言なんて、普通は隠しておきたいような内容だもんな。でも、リュウさんはユーリさんときちんとした関係を築きたいから、あんな風に自分の本心をさらしてくれたんだ)


 瓜子がそんな想念を噛みしめている間に、『ベイビー・アピール』の面々の着替えは終了した。本日も物販ブースで売られている、『トライ・アングル』のTシャツだ。

 ユーリも「よーし!」と声をあげて、コートとカーディガンをソファに脱ぎ捨てる。その下に隠されていたのも、やはり同じTシャツである。丈の長いコートに隠されていたのは、ダメージだらけのショートデニムとショッキングピンクのロングタイツだ。


「ちぇっ、今日はタイツなのか。破れ目から見えるおしりを期待してたのによ」


 リュウが笑顔で呼びかけると、ユーリも笑顔で言葉を返した。


「シングルとライブDVDの発売が決定したら、また撮影ざんまいでしょうからねぇ。ユーリとうり坊ちゃんの悩殺衣装は、それまでお待ちくださぁい」


「ちょ、ちょっと、自分はメンバーじゃないっすからね!」


「うふふ。苦情の申し立ては千さんにお願いいたしまぁす」


 同時に複数の感情を抱えることのできないユーリは、ステージを楽しむ方向に気持ちを振り切ったのだろう。そのメイクで綺麗に整えられた顔には、ひたすら楽しげな表情だけが浮かべられていた。


 そしてそんなユーリの周囲に、『ベイビー・アピール』の面々が寄り集まっている。おそろいのTシャツ姿というのは、ファーストライブからの定番であったのだが――今日のユーリたちはこれまで以上に、ひとつの存在として結束しているように感じられてならなかったのだった。

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