ACT.3 Sunset&Dawn
01 会場入り
《レッド・キング》の観戦と、ドッグ・ジムにおける出稽古を終えたのちも、日々は粛々と流れ過ぎていった。
いわゆる師走という時節で、世間もなかなか慌ただしそうな様相であったが――それでもきっと、ユーリの多忙さはトップクラスであっただろう。一日五時間の稽古時間だけは死守しつつ、ユーリはモデルとしての仕事とシンガーとしての仕事に追われて、過去にも例がないぐらいの多忙さに追いやられていたのだった。
東京と大阪の公演を終えた時点で『トライ・アングル』の評判はうなぎのぼりであり、それに比例して『ユーリ・トライ!』の売り上げも再燃中であるという。そんな人々の期待に応えるために、ユーリはほとんど毎日のようにボイトレとスタジオ練習に励むことになったのだ。何せユーリにはあと二曲も課題曲が残されていたため、それを完成させるだけでも並大抵の苦労ではなかったのだった。
「演奏陣も年明けのレコーディングに向けて、着々と楽曲のアレンジを進めてくださっています。あとはユーリ選手の歌唱さえ完成されれば、予定通りに新曲をリリースすることがかなうでしょう」
千駄ヶ谷は氷の刃のごとき語調でもって、ユーリのことを絶えず叱咤激励していた。
そんなユーリにとっての救いは、やはり午後五時から十時までの稽古であろう。トレーニングホリックたるユーリは、血反吐を吐くような過酷なるトレーニングを日々の糧として、生きる活力にしているのだった。
何せ本業のほうでは、来月に赤星弥生子との対戦が決まっているのである。
これはまぎれもなく、過去最強の相手であろう。ユーリばかりでなく道場のコーチ陣も発奮して、これまで以上の熱心さでユーリを鍛えあげてくれていたのだった。
なおかつ、瓜子は瓜子でマリア選手という難敵を迎える身であったし――それに、メイのほうもついに対戦相手が決定された。これまで仮おさえであった試合のオファーが、ついに確約されたのである。
その対戦相手は、なんとイリア選手であった。
かつては同じチーム・フレアの一員であったカポエイラ使いの『マッド・ピエロ』と、雌雄を決することに相成ったのである。
「そういえば、そこの黒タコと当たってない日本人選手のトップファイターってのは、あのピエロぐらいだったなー。とぼけたツラして、なかなか小癪なマッチメイクをするじゃねーか、あの三代目組長はよ」
最初に仮おさえのオファーがあった際、サキなどはそのように言いたてていたものであった。
確かにこれは、期待感をそそられるマッチメイクであろう。瓜子にしてみても、過去の対戦相手で最強であったのはメイであり、それに次ぐのがイリア選手であったのだ。地力では、間違いなくメイのほうが上回っているのだが――何せ相手は、トリッキーなイリア選手だ。メイといえども、決して油断はできないはずであった。
「しかしまあ、あのピエロさんについては俺たちもばっちり対策済みだからな。入門してからの初試合を勝利で飾れるように、ばっちりサポートしてやるよ」
立松は、不敵な笑顔でそのように言ってくれていた。
それ以外にも、オリビア選手と対戦する多賀崎選手ばかりでなく、灰原選手、小柴選手、鞠山選手といった馴染みの面々も、一月大会に出場することが決定されている。《アトミック・ガールズ》の復活となるその興行を盛り上げるために、そういった人々も瓜子たちに負けないぐらい勢い込んでいたのだった。
そんな具合に、日々は粛然と過ぎていき――気づけば、年末年始ももう目前である。
ユーリと瓜子は大晦日から三が日まで、休日をいただいている。そしてその前日たる十二月三十日には、今年最後の大仕事――由緒正しいロックフェス、「Sunset&Dawn」への出演が待ち受けていたのだった。
◇
その当日、一行は朝からイベント会場である幕張パレットを訪れることになった。
こちらのイベントは昼の部と夜の部に分かれており、『トライ・アングル』の出演は昼の部であったのだ。それで出演者には事前にリハーサルがあるため、朝早くから会場を訪れる必要が生じるというわけであった。
「ですが初日の昼の部というのはイベントの勢いをつけるために、人気の若手バンドで構成されているそうなのです。飛び入りでそのような枠をいただけたことは、まさしく僥倖であったでしょう」
会場への行き道であるボルボの車中で、千駄ヶ谷はそのように語らっていた。
ちなみに、『トライ・アングル』に飛び入り参加が要請された理由は、ふたつ存在する。そのひとつは、『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』がどちらも初日の昼の部の出演であり――そしてもうひとつは、同じその枠で出演をキャンセルしたグループが存在したためであった。
そのグループとは、何を隠そう『Tender7』なるラップチームである。
あの《カノン A.G》のリングアナウンサーを務めていた、マーくんこと馬城雅史が所属していたグループだ。そのリーダーであった彼が違法薬物の所持で逮捕されてしまったため、『Tender7』は活動休止を余儀なくされ、こちらのイベントの出演枠に空きができたという顛末であった。
「あの御方は無能な敵の中でも、とりわけ有意な存在であったようです。そのありがたみを噛みしめながら、本日も最高のステージをお願いいたします」
「いえいえぇ。そんな美味しくなさそうなものを噛みしめずとも死力を尽くすユーリちゃんですので、どうぞご勘弁くださぁい」
そのように答えるユーリは、珍しくもいささか複雑そうな表情であった。ユーリは瓜子にちょっかいをかけてきた馬城雅史を嫌っていたが、それでも他者の不幸やスキャンダルを喜ぶようなタイプではないのである。それでも同情するほどの気持ちはわかないため、結果、このような面持ちになってしまうようであった。
「失礼いたしました。ユーリ選手のステージに、そのような雑念は不要でありましたね。では本日も、無心で最高のステージをお願いいたします」
「はいはぁい。無我の境地で頑張りまぁす」
ユーリはすみやかに朗らかな表情を取り戻して、にぱっと笑う。本日は『ネムレヌヨルニ』も『ホシノシタデ』もセットリストに入っていなかったため、ユーリは心底からご機嫌であったのだった。
そうして関係者用の駐車場に到着したならば、スタッフの案内でステージに向かう。
幕張パレットはライブハウスではなく、イベントホールを擁するコンベンション・センターなる施設である。瓜子が出場した浜松大会の会場と同系統の施設であろうと思われるが、こちらは日本最大級の規模を誇るとのことで、瓜子などは案内役がなければすぐに迷子になってしまいそうなほど広々としていて、さまざまな建物が密集していた。
「お、来た来たぁ。みんな、朝からお疲れさぁん」
いざステージの客席に到着してみると、さっそく漆原が出迎えてくれる。そして、あちこちに散っていた『ベイビー・アピール』のメンバーも、嬉々として集結してくれたのだった。
「よう、瓜子ちゃん! 今日もスタジャンがキまってるな!」
「ここ最近は、週二ペースぐらいで会ってるよなぁ。これだけでも、ユニットを組んだ甲斐があったってもんだよ」
本日も、タツヤとダイは瓜子のもとに寄り集まってしまった。そうして漆原は千駄ヶ谷に、リュウがユーリにひっつこうとするのも、もはや見慣れた光景である。
「で、けっきょく小笠原さんはどうなったんだい? 予定通り、観にきてくれるのかなぁ?」
「はい。首の調子も悪くないんで、チケットを無駄にせずに済んだそうです。昨日からもう、東京に来てるみたいですよ」
小笠原選手のファンであるタツヤは「やったー!」と子供のように喜んだ。スキンヘッドで両腕にタトゥーを入れており、ガラの悪さは《黒武殿》の出場選手といい勝負であるのだが、無邪気さのほうでもそれは同様であった。
「本当なら、打ち上げに誘いたいぐらいなんだよなぁ。でもやっぱり、無理をさせちゃ悪いよなぁ」
「体調のほうは、問題ないみたいですけどね。でもライブの後は、あっちのほうでも集まりがあるんですよ」
「え、あっちのほうって? もしかして、格闘技関係の?」
「はい。今日は懇意にしてる方々が、たくさん来場してくれますので。それならいっそ忘年会を開こうかって話になったみたいです」
瓜子は何気なく内情を明かしてしまったが、タツヤは目の色を変えてしまっていた。
「だったら、こっちと合流しちまえばいいじゃん! 瓜子ちゃんとユーリちゃんだって、みんなと一緒のほうが楽しいだろ?」
「え? いえ、ですけど、今日は音楽関係者で打ち上げをするという話でしたし……」
「こっちの関係者なんて、せいぜい二十人ていどじゃん! 女の子が増えたら、みんな喜ぶだろうしさ!」
瓜子が不明瞭な面持ちで答えあぐねていると、タツヤはたちまちしゅんとしてしまった。
「やっぱ駄目か……そうだよな。俺たちみたいにガラの悪い輩を、お友達に近づけたくないよな」
「あ、いえ、みなさんを信用してないわけじゃないんすけど……やっぱり女性のみの集まりと男女混合だと、ニュアンスが変わってきちゃいますし……」
すると、ユーリにかまっていたリュウがひょいと首を突っ込んできた。
「もしかして、打ち上げの話か? 実はさっき、モンキーの連中に誘いをかけられたんだよな」
「モンキー? って、『ワンダーモンキー』か? あいつらが誘ってくるなんて、初めてだな」
「ほら、あいつらって魔法少女とコラボしてるじゃん? で、今日は魔法少女も客で来るから、打ち上げに誘おうとしたんだってよ。そうしたら、別の集まりがあるからって断られて、それなら合流しようぜって流れになったらしいんだよ」
自慢のドレッドヘアーを揺らしながら、リュウはそのように言いたてた。
「そんでもって、俺たちはユーリちゃんと打ち上げじゃん? 俺がその話をしたら、いっそ全員合流しちまえって話になったらしいんだよ。魔法少女とは、今も交渉中らしいけどな」
タツヤは瞳を輝かせながら、瓜子に向きなおってきた。
「なあ、瓜子ちゃん。もしかしたら、その魔法少女も――」
「はい。鞠山選手は、あっちの忘年会の幹事っすね」
話がここまで広がると、もはや瓜子の領分から飛び出してしまう。そのように考えた瓜子が千駄ヶ谷のほうを振り返ると、すでにそちらには冷徹なる顔が待ちかまえていた。
「『トライ・アングル』と『モンキーワンダー』と格闘技女子選手の一団で、合同の打ち上げおよび忘年会ですか……私としては異存もありませんので、『ワンド・ペイジ』や女子選手の方々のお返事を待たせていただきたく思います」
「千駄ヶ谷さんは、反対しないの? やった! それなら、実現の芽もあるな!」
「はい。ユーリ選手はパパラッチの目を警戒しなければならない立場でありますが、女性の割合が増えたほうが望ましいという面もありますので」
タツヤは大喜びであったが、瓜子としては複雑な心境であった。
すると、それに気づいたユーリがこっそりと耳打ちしてくる。
「にゅっふっふ。察するに、うり坊ちゃんはヒロ様にドギマギする姿を他の方々に見られたくにゃいのですにゃ?」
瓜子は「えい」と、ユーリのなめらかなほっぺたをつついてみせた。
ユーリは「にゅわー!」と幸福そうな雄叫びをあげて、鳥肌の浮いた箇所を撫でさする。
「言わせてもらいますけど、自分はステージの下でヒロさんにドギマギした覚えはないっすよ。最近なんて、どつき漫才みたいな感じじゃないっすか」
「ふみゅふみゅ。ステージ上のヒロ様にドギマギすることは否定しない、と……にゅわー!」
「えい、えい」
「お、今日もイチャイチャしてんなあ」
ユーリへのおしおきを終えた瓜子は、あらためて周囲の様子を見回してみた。
リハーサルの準備ができるまで客席で待機するというのは、いつも通りのことであるのだが――今日は、その規模が異なっている。こちらのホールは野球でもできそうなほど広々としており、ステージの大きさもそれ相応であったのだった。
「それにしても、大きな会場っすね。大阪のライブハウスの十倍でもきかなそうです」
「そりゃあ天下の幕張パレットだからなぁ。このイベントホールだけで、一万ぐらいは入るんじゃなかったっけか?」
「だけ? 他の施設は、イベントと関係ないっすよね?」
「いやいや。むしろ展示場のほうがメインだろ。あっちには四つもステージが準備されてるんだからさ」
瓜子が目を白黒とさせていると、ダイが笑いながら説明してくれた。
「瓜子ちゃんは、こういうフェスも初めてなんだな。今日はこのイベントホールを含めて五つのステージがあって、八組ずつのアーティストが出演するんだよ」
「は、八組ってのは聞いてましたけど、それが五つですか? でも……同時に演奏を始めたら、お客はひとつのステージしか観られないっすよね?」
「そこはもう、客の取り合いだよな。でもまあ今日だけで四万人ぐらいは来るはずだから、そんなしょっぱいことにはならないはずさ」
「よんまんにん……ロックフェスって、すごいんですねえ」
瓜子が思わずしみじみとした感慨をこぼしてしまうと、何故だかタクヤとダイが身をよじらせ始めた。
「う、瓜子ちゃん。そんな子供みたいな顔しないでくれよ。なんか、情緒がどうにかなっちまいそうだ」
「お、おう。キュン死だの萌え死だのいう概念が理解できちまったな」
「……そうっすか。お二人の健康のために、今後はポーカーフェイスを心がけますね」
「ごめんごめん! すねないでくれよぉ。……でも、すねても可愛いなぁ」
瓜子は羞恥心を仏頂面の下に隠しつつ、それでも嘆息をこらえきれなかった。
「でも、本当に感心しちゃいました。格闘技なんかは冬の時代っすから、正直に言ってちょっと悔しいぐらいっすね」
「そんなことねえよ。四十組のアーティストがそれぞれ一時間のライブを披露するようなフェスだから、これだけの規模になるってだけさ」
「そうそう。ワンマンで四万も集められる連中なんて、本当のトップ連中だけさ。格闘技だって、年末のイベントなんかは万単位だろ?」
「でも、今年は女子選手も出場しないっすからね」
「ああ、アトミックがあんなゴタついてなかったら、きっと瓜子ちゃんたちにもオファーがあったんだろうになぁ。俺も地上波で瓜子ちゃんたちの活躍を観たかったよ」
本年も大晦日に《JUFリターンズ》が開催されるものの、女子選手の出場はないし、瓜子の目を引くような選手はベリーニャ選手の兄たるジョアン選手しか存在しなかった。立松コーチによると、卯月選手にもオファーがあったのだが、稽古中に膝を痛めたために断念したのだそうだ。
(ま、そんなことでいじけたって、みっともないだけだよな)
瓜子は来月もまた、二千人規模の会場で試合ができるのだ。それで文句を言っていたら、罰が当たろうというものであった。
まずは全力で、ユーリのフォローである。
瓜子は気合を入れなおして、本年最後の大仕事に向き合うことにした。
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