03 昔語り
「そもそも俺と源さんは、日本の老舗プロレス団体の所属だった。ハナタレだった俺を鍛えてくれたのは、若手の中からシゴキ役に任命された源さんだったわけだが……ま、そのあたりのことは、源さんに聞いたほうが早いわな」
普段通りの気安い口調で、赤星大吾はそのように語り出した。
両足を投げ出して座ったその姿は、巨大なクマの人形を思わせる。その顔にも、とりたてて深刻な色は見受けられなかった。
「それから俺たちは従来のプロレスってやつに嫌気がさして、《ネオ・ジェネシス》っていう団体を立ち上げた。発起人は俺と竜崎ってやつで、源さんはそれを後押しする形で参戦してくれた。でもまあその頃は『真剣勝負のプロレス』ってお題目で、俺もまだ総合格闘技なんていう気のきいた言葉は思いついてなかった。試合のほうも、道場のスパーをそのまま見せてるような感じで……まあ、賛否両論だったわな。それで興行もふるわず、一年やそこらでもとの団体に出戻ることになっちまったわけだ」
「そいつは話が古すぎるだろう。拓哉のタの字も出てこねえじゃねえか」
大和源五郎がそのように言いたてると、赤星大吾は「まあまあ」と気さくに笑った。
「いちおうバックボーンってやつを説明しておきたかったんだよ。でもまあそのへんの昔話は源さんでも聞かせられるだろうから、大幅にはしょらせていただくよ。……で、俺やら源さんやらは元のプロレス団体に出戻った。そこで独立して新しい格闘技ってやつを模索し始めたのが、竜崎だな。それで竜崎はのちのち《フィスト》って団体を立ち上げることになり、俺も大いに触発されたってわけだ」
その逸話は、瓜子もうっすらと聞き及んでいた。瓜子が産まれるよりも昔の、総合格闘技の黎明期である。
「で、俺はけっきょく元の団体でも大人しくできなかったから、今度はむこうからクビを言い渡された。それで、《ネオ・ジェネシス》を復活させて……義理堅い源さんやら他の若い連中が、力を貸してくれたんだよ。あのとき源さんたちに見捨てられてたら、俺はどこかで野垂れ死んでただろうなあ」
「手前が、そんなタマかよ。いいから、話を進めやがれ」
「ああ。新しい《ネオ・ジェネシス》はなかなか好評で、こいつは新時代の格闘技だってもてはやされることになった。格闘技ブームはここから始まったなんていう、ありがたいお言葉もいただけたな。まあ、ダウン制度だのロープエスケープだののルールが整ったのもこの時代だし、総合格闘技って言葉も登場した。プロレスラーだけじゃなく、空手家やら柔道家やらを招いて異種格闘技戦みたいなもんをメインにしたのが、受けたんだろう。……その末期に、レムと出会うことができたんだよ」
と、最後の言葉は瓜子たちに向けられたものであった。
「それに、俺が正式に道場を立ち上げて、拓哉が入門してきたのも、その頃だ。拓哉は赤星道場の、第一期の門下生だったんだよ。あいつはボクシングやら空手やらを渡り歩いてたから、ちっとばっかりトシを食ってたが、そのぶん実力は確かだった。他の門下生たちは、拓哉のシゴキに泣かされてたもんさ」
ようやく犬飼拓哉の名前が出て、犬飼京菜の眼光が鋭さを増した。
「で、その頃は古巣のプロレス団体からもイキのいいのが移籍してきたんで、かなりの盛り上がりようだったんだが……船頭多くしてなんちゃらってやつなのかね。エースを張れるような実力者が何人もそろった途端、収拾がつかなくなっちまったんだ。それで、拓哉がデビューする前に、《ネオ・ジェネシス》は解散することになっちまったわけさ」
それでいくつもの格闘技団体が乱立したというのは、瓜子も伝え聞いていた。現在は、《フィスト》と《NEXT》と《パルテノン》の三強時代と称されているが、《パルテノン》はその時期に生まれたという話であったのだ。
「《ネオ・ジェネシス》の人気選手が、それぞれの団体を立ち上げたってことだな。それでまあ、俺は《レッド・キング》を立ち上げたわけだが……あまりに人望がなかったもんで、他の選手は誰ひとりついてこなかった。道場の門下生すら、他のジムと団体に移籍しちまってな。……そんな中、拓哉だけが赤星道場に残って、俺を支えてくれたんだよ」
「…………」
「あとは、レムだな。レムや外国人選手は、みんな俺を支援してくれた。だから俺はたったひとりの日本人選手としてそいつらとやりあい……しばらくして、拓哉もプロデビューすることになったんだ。軍造や芳治が入門してきたのは、ちょうどその頃だったはずだな。で、いったんは他の興行に参戦してた源さんも、そっちで仲違いをして《レッド・キング》に移ってきた。もともと源さんは拓哉と仲がよかったから、俺よりも拓哉のことが心配だったんだろうな」
「…………」
「スタートは散々だったが、拓哉や源さんや軍造たちのおかげで、俺は一番しんどい時期を乗り越えることができた。それでもって、BSチャンネルで試合を放映してもらうこともできたから、他の団体を立ち上げた連中よりも先に注目されることになったんだ。オランダやロシアやグルジアや――ああ、今はジョージアだったっけ? とにかくそういった場所からも有望な選手を呼ぶことができて、《レッド・キング》は盛り上がった。あの何年かが、《レッド・キング》の最盛期だよ。拓哉もその中で興行を盛り上げるひとりだった」
「……あんたたちの、噛ませ犬としてね」
犬飼京菜が、初めて口を開いた。
赤星大吾は、ゆったりと微笑んでいる。
「確かに拓哉は、負けが込んでた。あいつは背丈はほどほどだったが、もともとは七十キロ台の痩せっぽちでな。外国人選手に対抗できるように、無理やりウェイトアップしたんだよ。後から思えば、まったく適性体重ではなかったんだろうが……あの頃は、無差別級が格闘技の華だった。中量級なんてのはオマケ扱いだったから、第一線で暴れたいっていう拓哉は見向きもしなかったんだな」
「…………」
「《レッド・キング》の設立当時は、拓哉の心意気がありがたかったよ。何せ日本人選手が足りなかったから、拓哉に期待をかけるしかなかったんだ。あいつはロシアやオランダのでかぶつにやられてもへこたれず、誰よりも熱心に稽古に取り組んでた。外国人連中も、拓哉の頑張りには感心してたもんだ」
「…………」
「ただ、空手やムエタイの実力者だった軍造や芳治なんかは、ちょとレスリングの基礎を叩き込むだけで、もう自分のスタイルってやつを確立することができた。それで、拓哉の一年遅れで次々とデビューして……あっという間に、拓哉を追い抜いちまったわけだな。特に芳治なんかは拓哉より小柄だったのに、初戦で拓哉にKO勝ちしちまった。あれで俺は、拓哉はまったく適性体重じゃないって思い知らされたんだよ」
「…………」
「俺は拓哉に、ウェイトを落とすように言いつけた。芳治と同じぐらい絞れば、きっとベストの試合をできるはずだってな。だけど拓哉は、従わなかった。ここまで《レッド・キング》を支えてきたのは自分なのに、今さら二軍に落とすのかよってな。それで俺も頭に来ちまって、中量級を二軍呼ばわりできるような戦績かって、足腰が立たなくなるまで殴りつけてやった。……俺と拓哉の仲違いは、それがスタートだったわけだ」
ついに話が、核心に突入した。
この赤星大吾が、言うことを聞かない門下生に鉄拳制裁をするような人間であったのだ。今ののほほんとした姿からは、まったく想像がつかなかった。
「それで拓哉は、九十キロ級の体格で試合をし続けた。しかし正直なところ、あの時代は九十キロでも小粒扱いだったんだよ。俺やレムはその頃から百十キロオーバーだったし、それより重い外国人選手もざらだった。芳治なんかはすぐ中量級に転向して、きっちり実力を発揮することができたが……拓哉はいつまでも、無差別級にこだわった。源さんも、そのあたりのいきさつは見届けてるよな?」
「ああ。手前らは、顔をあわせても無視か怒鳴り合うかのどっちかだったな」
「どっちも短気で、他人の言葉に耳を貸すような人間じゃなかったからな。ちなみに源さんは、拓哉に中量級への転向をうながしたりはしなかったのかい?」
「なんべんもしたさ。でも、中量級じゃあ手前をぶっとばすチャンスがないって、まったく聞きやしなかったな」
「そうか。つくづく、意固地なやつだなあ」
赤星大吾は昔を懐かしむように、目を細めた。
すると、犬飼京菜がいっそう凶悪な目つきになる。
「でも、父さんは源爺を恨んだりしなかった。父さんが恨んでたのは、あんたたちだけだよ」
「あんたたちって、軍造や芳治もか? それならそいつは、俺の巻き添えをくっただけのこった」
「いいや、違うね。そいつらもあんたにべったりだったから、父さんを煙たがってたんだよ。道場主の意向に逆らう、負け犬の狂犬ってね」
赤星大吾は、犬飼京菜の言葉を待つように口をつぐんだ。
犬飼京菜は小さく肩を震わせながら、言葉を重ねる。
「試合でも、そいつらはさんざん父さんをいたぶってくれた。青鬼のほうは中量級に移った後でも、父さんとだけは試合を組まれてたよね。あれは、見せしめだったんでしょ? 自分より小さな相手にも勝てない父さんを、小馬鹿にしてたんでしょ?」
「小馬鹿にはしてないな。ただ、その体重は適性じゃないと思い知らせようって意図はあった。悔しいなら中量級に落として、芳治に勝ってみやがれって思いもあったな」
赤星大吾はしみじみとした口調で、そう言った。
「俺はとにかく、拓哉に適性体重に落としてほしいだけだったんだ。ただ……俺は俺で団体を引っ張っていくことにかかりきりで、拓哉の心情とはまったく向き合えてなかった。言うことを聞かない拓哉が腹立たしくて、なんて恩知らずな馬鹿野郎だと思ってたよ。こっちがそんな態度だったから、拓哉もなおさら言うことを聞けなかったんだろうな」
「……ちっとは拓哉と腹を割って話し合えと、俺はなんべんも言ったはずだな」
大和源五郎がひさびさに声をあげると、赤星大吾は「ああ」と切なげに微笑んだ。
「でも、そいつは無理な話だったよ。たった今、言っただろう? 俺の腹の中も、拓哉への苛立ちでいっぱいだったんだ。こいつが言うことを聞いて中量級を盛り上げてくれりゃあ、興行だってもっと上手くいくかもしれないのにって……そんな打算のほうが、大きいぐらいだった。それじゃあいくら話し合ったって、殴り合いになるだけだろ」
「……拓哉はな、手前らを見返すことしか考えてなかったよ。あいつにしてみりゃあ、赤鬼と青鬼に自分の居場所を奪われたような気分だったろうさ」
「あいつが中量級に転向してくれりゃあ、芳治と同じ場所にいられたはずだけどな」
「そういうことじゃねえよ」と、大和源五郎は溜息をついた。
「あいつは手前を倒すことが、人生の目標だった。だけど手前は、あいつに三行半を突きつけたんだ。中量級に落として、そっちで頑張れってよ。……つまり手前はその時点で、あいつを自分の対戦相手と見なしてなかったってこったろ。そんな屈辱が、他にあるかよ」
赤星大吾は、きょとんと目を丸くした。
「いや、だけど……それなら、芳治は無関係だよな。あいつはさっさと中量級に転向したわけだし……」
「青鬼の心情なんざ、俺は知らねえよ。だけどあいつは、手前に心酔してた。手前を試合でぶっ倒すっていう話じゃなくても、手前の存在を目標にしてたってことに変わりはねえ。それなら、同じこったよ。……だけど拓哉は、手前に存在を否定された。拓哉は手前を目標にしてたのに、お前なんざ眼中にねえって言われたも同然なんだよ」
大和源五郎は言葉を絞り出すように、そう言った。
「だけど拓哉は、けっきょく結果を残せなかった。だったら外で腕を磨いて、いつか手前を振り向かせてやるって、赤星道場を出ることになった。それでもあいつが結果を出せない内に……手前は、さっさと引退しちまった。それであいつは、戦う目的を失っちまったんだ」
「……でもあいつは、俺が引退した後も選手活動を続けてたよな?」
「それ以外に、生きる道がなかったんだよ。どんなに落ちぶれても、大事な娘を食わしていかなきゃならなかったしな」
犬飼京菜が、ぎゅっと唇を噛みしめた。
具体的な年代は語られていないが、犬飼拓哉が《レッド・キング》で試合をしている頃から、すでに彼女は産まれているはずであるのだ。もしかしたら、それらの試合のいくつかはリアルタイムで観ていたのかもしれなかった。
「そこで出てきたのが、卯月だよ。手前の餓鬼がデビューしたってんで、あいつはいったん持ちなおした。それで卯月をぶっ倒すために、《JUF》に乗り込んで……卯月との対戦を実現させる前に、負けが込んでクビを切られた。それであいつは引退して、ドッグ・ジムを立ち上げることになったんだ」
「……そっちのジムも、上手くいかなかったのかい?」
「上手くいくわけがねえな。あいつは引退すると同時に、酒びたりになっちまったからよ。門下生なんかひとりも居つかず、コーチ連中ばかりが集まって……最後はトラックに轢かれておしまいだ」
マー・シーダムが無言のまま、悲しげに目を伏せた。
榊山蔵人はひたすら心配そうに犬飼京菜の様子をうかがっており、ダニー・リーは変わらず冷徹な面持ちだ。
そんな人々の様子を見回しながら、赤星大吾は「なるほどな」と嘆息をこぼした。
「それでそっちの娘さんは、赤星道場に恨み骨髄ってわけか。……でもなあ、知っての通り、《レッド・キング》はすっかりマイナープロモーションだ。身を引いた俺が言うのも何だが、恨む甲斐もないんじゃないのかい?」
「そんなわけがあるかよ。手前の娘っ子は、女子最強とかいう評判じゃねえか」
「親の因果が子に報い、か。そいつは、ぞっとしねえなあ」
赤星大吾はぶすっとした表情を作って、初めて反感をあらわにした。
「俺を恨むのはかまわないけど、弥生子や道場に恨みを向けるのは、ちっと違うんじゃないか?」
「何が違う? 赤鬼や青鬼だって健在じゃねえか」
「あいつらは、俺に従ってただけだろ。拓哉と上手くやれなくて、けっきょく追い出すみたいな形にしちまったのは、この俺だ。恨むなら、俺ひとりにしてほしいところだね」
「料理屋の親父を恨んだところで、こっちには何の身にもならねえんだよ」
「弥生子たちを恨んで、何の身になるってんだよ。そいつはあまりに、志が低いんじゃないのかい?」
「志……?」と、犬飼京菜が怒気に震える声で言った。
「あたしたちは、父さんの無念を晴らそうとしてるんだ。そいつを馬鹿にしようってのかい?」
「弥生子を倒したり、赤星道場のメンツを潰したりすれば、拓哉の無念が晴れるってのか? それが立派な志とは、とうてい思えないな。……大体さ、お前さんはそんなにちんまりしてるじゃないか。そんなお前さんが弥生子に挑もうだなんて……それこそ拓哉のことを思い出して、俺は憂鬱になっちまうよ」
犬飼京菜が、膝を立てた。
こちらでは、サキがぴくりと反応する。瓜子も犬飼京菜が暴れるようであれば、自分が盾になる覚悟であった。
が――次の瞬間、犬飼京菜とは異なる人物が、赤星大吾の大きな頭をぺしんと引っぱたいたのだった。
「何か問題でも生じただろうか? であればそれは、すべてこちらの責任だ。馬鹿な父親に代わって、私が謝罪を申し述べたい」
言うまでもなく、それは赤星弥生子であった。
ここで彼女が登場するのは、果たして吉と出るのか凶と出るのか――引き続き、瓜子は盾になる覚悟を固めておくことにした。
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