02 歓談

 しばらくして、《レッド・キング》の打ち上げが開始された。

 本日は赤星弥生子も大怪獣タイムで疲弊していないため、ごく尋常に開会の挨拶役をつとめている。

 赤星道場の関係者に、本日の対戦者の関係者に、瓜子たち女子選手の一行に、ドッグ・ジムの関係者――前回の打ち上げよりも、さらに大人数となっている。そして、ドッグ・ジムの関係者を除く面々は、誰もがこの夜の盛り上がりを共有しているように見受けられた。


 赤星大吾の登場にはまだ時間がかかりそうであったので、瓜子もその間に食欲を満たしつつ、さまざまな人々と交流を結ばせていただく。

 そして予期していた通り、打ち上げが開始して間もなく、附田選手を筆頭とする荒川ハンマーヘッドの面々が突撃してきたのだった。


「ユーリちゃん! 今日も会えるんじゃないかと期待して、嫁の分までTシャツを持ってきたんだよ! よかったら、サインをお願いできねえかなあ?」


「はいはい。サインぐらいでしたら、いくらでもぉ」


「お、俺は握手をお願いできねえかなあ?」


「ごめんなさぁい。お肌の接触はNGなのですぅ。でも、撮影のお許しはいただいてきましたよぉ」


 そんなわけで、今宵も撮影大会が敢行されることになった。

 今回は附田選手以外のセコンド陣もユーリのファンであったようで、もう大騒ぎである。そしてその余波が瓜子や愛音に及ぶのも、前回の通りであった。


「なんかもう、うり坊やイネ公もすっかり芸能人だねー! ま、あれだけ色っぽい水着姿をばんばかさらしてたら、それも当然だけどさ!」


「う、うるさいっすよ。灰原選手だって、格闘技マガジンで水着姿をさらしてたじゃないっすか」


「そんなの、いつの話さ? それにうり坊はMVだとかこの前の特典映像だとかで、水着の動画までお披露目してるじゃーん」


 当然というか何というか、灰原選手も『ユーリ・トライ!』の特装版を購入していたのだ。夕方に語らった父兄の方々や附田選手らの様子を見るに、その特典映像が瓜子と愛音の知名度やら何やらを増幅させてしまったようであった。


「で、でも俺は、お前が一番色っぽいと思うけどな!」


 と、いきなりそのように言い出したのは、灰原選手と対戦した豪山選手であった。

 赤いモヒカンという鮮烈なヘアースタイルをしたその人物が、もじもじとしながら灰原選手を見やっている。灰原選手はきょとんとしながら、その骨ばっていて厳つい顔を見返した。


「えーと、今のはあたしへの発言だったりする?」


「そ、そうだよ。なんか、おかしいか?」


「いやー、おかしくはないけど、あたし同業者とは色恋NGだから、なんか期待してたらごめんねー」


「な、なんでだよ? 同業者とか、関係ねえだろ?」


「関係ないことないっしょ。あたし恋愛にハマるとネジが飛ぶタイプだから、格闘技にそういうのを持ち込みたくないんだよ」


 と、灰原選手は気さくに笑った。


「それにそもそも今は稽古で手一杯だから、色恋に割くエネルギーがないんだよねー。あたし、根性のキャパがちっちゃいからさー」


「そ、そんなことねえよ。俺に勝ったくせに、何を言ってやがる」


「だからそれは、なけなしの根性をぜーんぶ稽古に注ぎ込んだ結果でしょー? いいから、飲もうよ! 女を口説くのは、明日からにしておきな!」


 さすがは年の功というか、灰原選手は男あしらいが上手かった。豪山選手は気づいていなそうだが、おそらく灰原選手は彼よりも年長なぐらいなのである。


「ふみゅう。殿方との対戦というのは、こういう厄介なオプションまでついてしまうものなのかねぇ」


「いや、そんなことはないと思いますけど――」


 と、ユーリのほうを振り返った瓜子は、予想外の光景に目を剥くことになった。反対の側では、小柴選手が本日対戦した保坂選手に接近されて、眉を下げていたのである。

 なおかつユーリ自身も、かつてはレオポン選手とエキシビションマッチを行った直後にプロポーズされるという経験を有している。きっとそれもひっくるめての感慨であったのであろう。


「……まあ、格闘技の選手だったら、強い相手に心をひかれるのかもしれませんね。それを抜きにしても、灰原選手と小柴選手は魅力的ですし」


「にゃはは。ではではうり坊ちゃんも、うかつに殿方とは対戦できないねぇ」


「魅力の権化が、何を言ってるんすか。……うわ、ほらほら、厄介なお人が近づいてきましたよ」


 瓜子の指し示す方向に目をやったユーリは、小柴選手に負けないぐらい眉を下げることになった。ビールのグラスを握ったメキシコ生まれの美男子が、にこにこと笑いながら接近してくるところであったのだ。


「ユーリ、フタリのサイカイにカンパイですー。ちょっとおジャマしますねー」


「お、出やがったな、色男め。手前はマリアちゃんの兄貴なんだってなぁ? あんな可愛い妹さんの前で、みっともねえ姿をさらすんじゃねえぞ」


 と、ありがたいことに、附田選手が牽制してくれた。こうしてみると、アイドルとしてのユーリのファンのほうが、よほど節度を持ち合わせているようである。

 しかしまた、グティは附田選手の強面に怯むような性分ではない。グティは楽しげな笑顔を保持しながら、附田選手の手にあったグラスに自分のグラスをタッチさせた。


「アナタ、イゼンにマリアとタイセンしたそうですねー。シアイ、ハイケンしたかったですー。さあ、カンパイしましょー」


「か、乾杯はいいけどな。ユーリちゃんはアイドルなんだから、そんな気安く色目をつかうなって言ってんだよ」


「アイドル、カンケイありませーん。ワタシ、ユーリというスバらしいジョセイにココロをウバわれたのですー」


「大丈夫ですか?」と、笑顔の六丸が近づいてきた。


「弥生子さんに、お目付け役を頼まれてしまいました。グティさん、そのつもりでいてくださいね」


「オウ! ヤヨイコ、ワタシをシンヨウしてないですねー。ワタシ、カナシいですー」


「信用を得るには、それに足る行動が必要になりますからね」


 意外に遠慮のないことを言いながら、六丸は瓜子に微笑みかけてきた。


「さっきはきちんとご挨拶もできず、失礼しました。今日も猪狩さんたちが来てくれて、弥生子さんはとても喜んでいると思います」


「いえいえ、こちらこそ。……弥生子さんは、大丈夫っすか?」


 六丸はにこりと笑って、瓜子に耳打ちしてきた。


「それは、犬飼さんというお人についてですよね? 大丈夫というか何というか……弥生子さんは、いつも通りの感じです」


「いつも通り……失礼っすけど、あんまり大丈夫じゃなさそうっすね」


 六丸もまた、かつて試合会場で赤星弥生子と犬飼京菜が険悪に言い合うさまを目撃しているのだ。

 六丸はおなかの空いた子犬のような眼差しになって、「はい」とうなずいた。


「どうせ悪いのは大吾さんのほうなんだから、娘の自分が誰に恨まれようと仕方のないことだっていうスタンスです。これってあんまり、健全じゃないですよね」


「はい。今日の話し合いで、なんとか確執が解消されるといいんすけど……」


「そのために、猪狩さんがまたお世話をしてくれているんですよね」


 小声で言いながら、六丸は無邪気な子供のように笑う。


「本当に、猪狩さんには感謝しています。どうか弥生子さんをよろしくお願いいたします」


 するとグティが「オウ!」とわめきながら、六丸のほっそりとした肩を揺さぶった。


「レイこそ、ウワキですか? ヤヨイコにイいつけますよ?」


「やだなあ。グティさんと一緒にしないでください。……それに、きちんと名前で呼んでくださいって、ずっとお願いしてますよね?」


「ロクマァル、ハツオン、ムズカしいです。それに、ワタシにとって、レイはレイです」


「ああもういいです。とにかく、お客さんがたに失礼な真似はしないでくださいね」


 六丸は、大柄なグティのかたわらにちょこんと腰を下ろした。六丸は日本人男性の平均に達していなそうな身長と体重であるので、ものすごい体格差だ。


「今、浮気がどうとか言った? あんたたち、やっぱりつきあってたんだね!」


 と、灰原選手が陽気に笑いかけてくる。そういえば、灰原選手は夏の合宿稽古でも同じ質問を六丸にぶつけていたのだ。

 そのときは、六丸がふわりとかわしていたのだが――本日は、まるきり空気を読めない軽佻浮薄な人物が六丸のかたわらに控えていた。


「ヤヨイコとレイ、まだムスばれていないですー。レイがヤヨイコからイッポントれたら、ケッコンするですよー」


「えー、何それ! マンガみたい! てか、大怪獣ジュニアから一本って、無理ゲーすぎるっしょ!」


「でも、レイだってツヨいです。ワタシ、イッカイもカてませんでしたし、ウヅキだって――」


 グティの口が、六丸の小さな手の平によってふさがれた。

 六丸は、とても困った顔でにこにこと笑っている。


「グティさん、本当に叩き出されてしまいますよ? ……あの、みなさん、今の話は、どうかご内密に。こんな話が広まったと知れたら、弥生子さんがまた心を閉ざしてしまいます」


「りょうかーい! あたし、口の堅さには自信があるから!」


 すでにアルコールが回っているらしい灰原選手は、気安くそんな風に応じていた。

 しかし瓜子は、心の底から驚かされてしまっている。赤星弥生子と六丸の関係性はもとより、後半の言葉により驚かされてしまったのだ。


(六丸さんは、グティさんとやりあったことがあるのか。でも、それより……最後、ウヅキって言ったよな。まさか、卯月選手ともやりあったことがあるとか?)


 そもそも六丸は古武術道場の跡目争いから逃れて、赤星道場に身を寄せているという話であったのだ。だからきっと、人前で自分の技術をひけらかすことをつつしんでいるのだろう。それならば、グティや卯月選手ともやりあう機会など生まれないはずであった。


(その古武術の技は門外不出で、弥生子さんや大江山さんにもほんのさわりしか伝授してないって話だったもんな。それじゃあ、誰ともやりあえないはずだし……)


 瓜子がそんな思いに沈んでいると、ポケットの携帯端末が振動した。

 千駄ヶ谷からの連絡であれば無視は許されないので、瓜子は即時に確認をする。しかしそこに記されているのはメイの名であり、メールのタイトルには再び『黙って読んで』と記されていたのだった。


『ロクマルの正体、判明した。おそらく彼は、レイ=アルバ』


 本文には、それだけ記されていた。

 レイ=アルバ――聞いたことがあるようなないような、いくぶん頭にひっかかる名前である。そんな思いを抱きながらメイのほうを振り返ると、メイは両手の親指で素早くタイピングをした。


『レイ=アルバは、《JUF》の出場選手。キリル・イグナーチェフ、ゴードン・ロックハート、ウヅキ・アカボシに勝利している』


 今度こそ、瓜子は愕然とすることになった。

 遠い記憶が、まざまざと蘇ったのだ。


 レイ=アルバ――それは、《JUF》の最後の興行で卯月選手を打ち負かした、全身タイツとレスラーマスクの珍妙なMMAファイターであったのだった。


(いやいやいや! だってあいつはメキシコ生まれのプロレスラーってふれこみで、ふざけた空中殺法とか使ってたじゃん!)


 瓜子は思わずまじまじと、正面に座る六丸の姿を検分してしまった。

 レイ=アルバという選手は顔どころか全身を隠していたため、正体も確かな素性も不明である。ただ、六丸と同じていどの背丈や体重であるにも拘わらず、無差別級の猛者どもをばったばったとなぎ倒し、それで瓜子も八百長を疑っていたぐらいであったのだった。


(あの頃の《JUF》は失速気味だったから、てこ入れのためにイロモノ選手を準備したんだと思ってたけど……ただ、卯月選手との試合は絶対に八百長じゃなかったって、立松コーチも断言してたよな……)


 瓜子がそんな想念にひたっていると、六丸がふっとこちらを向いてきた。

 瓜子は思わず、あわあわと慌てる姿を見せてしまう。すると六丸は眉を下げて微笑みながら、また瓜子に耳打ちしてきたのだった。


「どうか内密にお願いします」


 六丸は、それしか言わなかった。

 では――おそらく、メイの推察が当たっていたのだ。

 瓜子が「はい」と答えると、六丸は嬉しそうな顔で微笑んだ。


(でも……《JUF》の大流行のあおりで、《レッド・キング》は衰退したようなもんなんだ。それなのに、六丸さんが《JUF》に参戦してたなんて……なんか、辻褄が合わないよなあ)


 しかし、グティが知っていることならば、赤星弥生子だって当然知っているのだろう。このグティがそうまで長きにわたって秘密を守れるなどとは、とうてい思えなかった。


「よう。すっかり待たせちまったな」


 と――笑いを含んだ野太い声が、瓜子の頭上に響きわたった。

 見上げると、赤星大吾が笑顔で立ちはだかっている。ただしその目は、瓜子ではなくドッグ・ジムの面々を見ていた。


「ようやく手が空いたんで、出てきたよ。うちの料理は気にいってもらえたかい?」


「ああ。俺みてえな老いぼれには、ちっとばっかりスパイスがききすぎてるがな」


 大和源五郎が、平坦な声音でそのように応じた。

 瓜子は膝で移動して、そちらの輪に加わらせていただく。すると、ユーリと愛音もそれに続き、別の場所で飲んでいたサキもひたひたと近づいてきた。


「なんだ、お前さんがたもこっちの参加メンバーかい? できれば、打ち上げを楽しんでほしいんだけどな」


「ただの野次馬だから、気にすんな。乱闘になっても、止めやしねーからな」


 サキは普段通りの口の悪さであったが、その目には真剣な光が宿されていた。

 赤星大吾は苦笑しつつ、「よっこらしょ」と腰を下ろす。が、正座でもあぐらでもなく、両足をぽんと投げ出した赤ん坊のような座り方であった。


「場所をくっちまって、すまないね。何せ膝が不自由なもんだからさ」


「はん。どんな姿勢でも、その図体だったら場所をくうだろうさ」


 やはり、赤星大吾の言葉に応じるのは、大和源五郎ばかりだ。他のメンバーは全員、本日初めて赤星大吾と対面したのだった。

 試合前の対面の際と、様相に大きな変わりはない。榊山蔵人とマー・シーダムは心配そうに犬飼京菜の様子をうかがっており、ダニー・リーは冷徹な無表情、そして犬飼京菜は――人喰いポメラニアンの形相だ。


「じゃ、ちょっくら語らせてもらおうかな。お前さんの親父と最悪な仲だった人間の、昔語りってやつよを」


 赤星大吾はにこやかな笑顔で、そう言った。

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