ACT.2 大怪獣と狂犬

01 打ち上げ

 レオポン選手のエスコートで無事に会場を脱出した瓜子たちは、そのまま打ち上げの会場たる赤星道場を目指すことになった。

 協議の末、このたびも全員が打ち上げに参加することになったのだ。

 しかもその中には、ドッグ・ジムの面々も含まれていたのだった。


「これが最初で最後の機会だろうってことで、お嬢もなんとか納得してくれたよ。本当に乱闘騒ぎなんざになっちまわないように俺が目を光らせておくから、猪狩さんは気兼ねなく打ち上げを楽しんでくれや」


 駐車場にて、大和源五郎はこっそりそのように耳打ちしてくれた。

 そこで「はい」と答えられないのが、瓜子の性分である。


「あの、本当におせっかいなのは承知の上なんですが……よかったら、大吾さんや弥生子さんとご一緒するときは、自分も同席させていただけませんか?」


「お前さんは、つくづく酔狂だね。こんな修羅場にまだ首を突っ込もうってのかい?」


「以前にもお話しした通り、自分は赤星道場ともドッグ・ジムとも仲良くさせていただきたいんすよ。だから、みなさんがどんな関係に落ち着くのかを見届けたいって気持ちが抑えられないんすよね」


 大和源五郎は坊主頭をじゃりじゃりと撫でながら、皺深い顔に笑い皺を刻んだ。


「そういうところが、酔狂だってんだよ。……まあ、お前さんの好きにしな。俺たちも、好きなようにやらせてもらうからよ」


「押忍。ありがとうございます」


 そうして一行は、行き道と同じ顔ぶれで赤星道場を目指した。

 やがて駐車場に到着すると、すぐさま巨大なワゴン車が追従してくる。そちらから姿を現したのは、鞠山選手と小柴選手、灰原選手と多賀崎選手の四名であった。


「もー! 挨拶もなしにさっさと行っちゃうんだもん! ちょっと薄情すぎるんじゃない?」


 と、私服に着替えた灰原選手が、いきなり瓜子に抱きついてくる。


「すみません。こっちもお客さんがたから逃げるみたいに出発したもんで。……どうせこっちで合流できるって話でしたしね」


「それが薄情だって言ってんのー! 大仕事を終えたあたしらをねぎらおうって気持ちはないわけー?」


 肉感的な肢体をぎゅうぎゅうと押しつけながら、灰原選手が瓜子の頭に頬ずりをしてくる。やはり試合の余韻で、いつも以上のテンションであるようだ。

 すると、ユーリのかたわらに控えていた愛音が、横から口を出してきた。


「猪狩センパイは、灰原選手の勝利を心から喜んでいたのです。猪狩センパイの頬を伝う涙を、愛音は見逃さなかったのです」


「えー、マジでー! こーのツンデレイノシシ娘めー!」


「べ、別にツンツンした覚えはないっすよ」


 瓜子はいっそう強烈に抱擁され、愛音はしてやったりの顔で微笑んでいる。そしてユーリは羨ましそうに瓜子たちを見つめるという、この顔ぶれではお馴染みの様相であった。


「そういえば、そちらは鞠山選手とご一緒だったんすね。他のトレーナーの方々はどうしたんすか?」


「帰宅組は、四ッ谷ライオットのトレーナーに任せたんだわよ。わたいの秘蔵っ子に手を出したら、訴訟も辞さないんだわよ」


「だーいじょうぶだって! 見た目のガラは悪いけど、高校生に手を出すようなやつらじゃないから!」


 トレーナーや雑用係の少女などは帰宅して、いつもの顔ぶれだけが打ち上げに参加するということであるようだった。

 ならばと、瓜子は鞠山選手たちにもドッグ・ジムの面々を紹介する。幸いなことに、かつて敵陣営であった彼らを忌避するような人間は、こちらにもいないようだった。


「雅ちゃんは、あんたのポテンシャルに着目してたんだわよ。これからは、清く正しくMMAに取り組むことだわね」


 鞠山選手のそんな言葉には、犬飼京菜のほうが反感をあらわにしていたが、口では何も言い返そうとしなかった。今は赤星道場のことで頭がいっぱいなのだろう。

 しばらくすると、新たな車が次々と到着した。本日も、数多くの陣営が打ち上げに参加するようだ。その中から、スキンヘッドの附田選手がきらきらと瞳を輝かせながら突進してきた。


「ユーリちゃん! 今日も来てくれたんだな! ライブのDVDは、三枚買ったよ! ありゃあ最初っから最後まで、最高のステージだったなあ!」


「どうも、恐縮なのですぅ」と、ユーリはマスクごしに愛想笑いを返しつつ、そっと瓜子の背中に隠れる。べつだん附田選手を忌み嫌っているわけではなく、今にも手でも握ってきそうな勢いであるため、それを警戒しているのだ。

 さらに、妙に高級そうな外車からは、グティが笑顔で飛び出してきたのだった。


「ユーリ、キてくれたのですねー! ワタシ、ベリーハッピーです!」


「あん? なんだよ、この色男は? まさか、ユーリちゃんのコレじゃねえよなあ?」


「こちらは赤星道場の関係者っすよ。ずいぶん前には《レッド・キング》にも参戦されてたそうっすけど、ご存じじゃないっすか?」


「知らねえな。赤星さんと懇意にさせてもらったのは、ここ二、三年だからよ」


 附田選手は持ち前の強面を発揮して、グティの長身をにらみあげる。いっぽうグティは附田選手の存在など目にも入っていない様子で、ユーリばかりを見つめていた。


「駄目ですよ、グティさん。女性におかしなちょっかいをかけたら叩き出すって、弥生子さんにも言われてるでしょう?」


 と、穏やかな声でグティをたしなめる者がいた。誰かと思えば、整体師の六丸である。


「オカシナチョッカイ、ナイですよー。ワタシ、ユーリにシンケンです!」


「グティさんと弥生子さんじゃ、真剣の意味合いが違ってるんです。グティさんが叩き出されたら、マリアさんが悲しみますよ? さ、僕たちも荷物運びを手伝いましょう」


 六丸が赤星弥生子や是々柄以外の相手にこうまで気安く振る舞うのは、少し珍しい話である。そういえば、こちらの両名はずっとリングサイド席でもふたりきりで過ごしていたのだった。


「六丸さんは、グティさんと仲良しだったんすね。合宿のときは、気づきませんでした」


「ええまあ、仲良しというか……それなりに古いおつきあいですので」


 年齢不詳のふわんとした笑顔で六丸がそのように言いたてると、グティは心外そうに「オウ!」と大きな声を張り上げた。


「ワタシとレイ、マブダチですー! ワタシ、レイのコト、ソンケイしてますー!」


「レイ? 六丸さんは、レイってお名前だったんすか?」


「いえ、それは仇名みたいなものです。……グティさん、本当に弥生子さんに叩き出されちゃいますよ?」


 六丸がいくぶん困ったように微笑むと、グティは「オウ!」と自分の頭を抱え込んだ。


「ワタシ、ヤクソク、ヤブってませんよー! ヒミツ、マモってますー!」


「いいから、ほらほら、行きますよ。……それじゃあみなさん、またのちほど」


 グティの逞しい背中を押して、六丸は早急に立ち去っていった。

 それを見送る附田選手は、「なんだありゃ」と毛のない眉をひそめていた。


「どうにも胡散くせえ野郎だな。ユーリちゃん、ああいう輩には用心するんだぞ。なまじ色男だと、自分がモテて当然とかいうふざけた思い込みを持ってるもんだからな」


「ご高説、承りましたぁ。……うり坊ちゃん、ユーリたちも移動するべきじゃないかしらん?」


「そうっすね。荷運びの手は足りてるみたいだから、行きましょうか」


 そうして手ぶらで道場のある建物に向かうと、瓜子のかたわらでメイが難しい顔をしていた。


「どうしたんすか、メイさん? 何か気にかかることでも?」


「うん。……でも、確証ないから、黙っておく」


「ほーう? もしかして、あのメキシコ男の言う秘密ってやつに見当でもついたってことかー?」


 サキがそのように口をはさむと、メイは「うん」とうなずいた。


「あのロクマルという男性、僕も気にかかっていた。身のこなし、普通じゃないから」


「なるほどなー。ただ、あんま人様の秘密をほじくるんじゃねーぞ? 日本には、好奇心猫を殺すっつーありがてー格言も存在するんだからよー」


 その口ぶりからして、サキも六丸が古武術の師匠であるということを察している様子であった。瓜子とユーリもたまたまそれを知ることになってしまったが、赤星弥生子から内密にしてほしいと願われていたため、誰にも語っていなかったのだ。


(でも、さっきの会話でヒントになるような話があったかな。ひょっとして、レイって名前に聞き覚えがあったとか?)


 瓜子はそのように考えたが、詮索するのはやめておいた。瓜子とて、人の秘密をほじくるような趣味は持ち合わせていないのだ。


 およそ二ヶ月ぶりとなる赤星道場にお邪魔すると、玄関口にはメキシコ料理店のエプロンをつけた人々が靴を脱いでいるところであった。ちょうど二階の厨房から料理を運び込んできたところであるようだ。


「お疲れ様です。よかったら、手伝いましょうか?」


「いえいえ! これも仕事ですので!」


 店主の影響か、その従業員らは誰もが朗らかなオーラを振りまいていた。店は休業であるはずだが、彼らはボランティアではなく仕事として働いているらしい。ではきっと、赤星大吾が身銭を切って料理の準備をしているだろう。この打ち上げには参加費というものが発生するものの、通常では考えられないぐらいの破格なお値段であるのだ。


 従業員たちの後を辿るようにして、瓜子たちも稽古場へと足を踏み入れる。

 本日も、稽古場にはぴっちりとビニールシートが敷かれて、打ち上げの準備が整えられていた。


「あ、そうだ。こちらに犬飼さんってお人はいらっしゃいますか?」


 従業員のひとりがそのように声をあげると、犬飼京菜ではなく大和源五郎が「なんだい?」と応じた。


「店主の大吾さんは料理の準備があるんで、しばらく待っていてほしいそうです。三十分ていどで切り上げられるはずですので、どうぞよろしくお願いします」


「三十分ね。了解したよ」


 ドッグ・ジムの面々はずかずかと稽古場を横断して、奥の壁際に陣取った。

 瓜子がそれを追いかけると、大和源五郎に苦笑を向けられる。


「聞いてたろ? 大吾が来るのは、三十分後だ。お前さんも俺たちばかりにかまわないで、打ち上げを楽しめよ」


「押忍。それじゃあ、お隣にお邪魔しますね」


 瓜子はユーリと並んで、腰を下ろす。そしてメイが逆側の隣に座ろうとすると、灰原選手が「ちょっと待ったー!」と割り込んだ。


「あんたはずーっとうり坊と一緒だったんでしょ! あたしらはやっと身動き取れるようになったんだから、ちょっとは譲りなよねー!」


 メイはいくぶん心外そうに灰原選手と瓜子の姿を見比べたが、やがて「承知した」と言って少し離れた場所に座った。

 するとユーリがにんまり笑いながら、瓜子に耳打ちしてくる。


「今のはきっと、うり坊ちゃんのお困り顔で心を決めたのだろうねえ。メイちゃまの一途さにはユーリも目頭が熱くなりますわん」


「そうっすか。ユーリさんがメイさんに席を譲るって手もありますけど」


「にゅふふ。ユーリはメイちゃまほど聞き分けのいい存在ではないのです」


 瓜子たちがそんな阿呆な言葉を交わしている間に、他の面々も着席した。エドゥアルド選手と一緒にいるオリビア選手を除けば、誰もが声の届く範囲に陣取ったようだ。


「オリビアのやつ、あたしに遠慮してんのかな」


 と、多賀崎選手がちょっと心配そうに言う。何を隠そう、来年一月の興行では多賀崎選手とオリビア選手の一戦が決定しているのである。


「いえ。きっとオリビア選手は、エドゥアルド選手のエスコートを優先しているのです。愛音の推測によると、あのお二人にはやんごとなき感情が芽生えかけているのです」


「たぶんだけど、やんごとなきの使い方が違くない?」


「いえいえ。尊いという意味では合致しているはずなのです」


 愛音は鼻息を荒くしながら、そのように言いたてた。恋愛脳である愛音の推測はあまりあてにならなかったが、それでもまあ意外にお似合いに見えなくもないお二人である。


「それにしても、《レッド・キング》ってのもなかなか楽しい興行だったね。あれっぽっちのお客しかいないのが惜しいぐらいさ」


 と、関係者の耳をはばかって小声になりつつ、小笠原選手がそう言った。


「まあやっぱり、身内が出場してたってのもでかいけど……大怪獣ジュニアは、さすがだったなあ。舞さんも、ちょっと疼いちゃったんじゃない?」


「うん。……わたしは五年早く生まれたかったと、そんな思いを抱え込むことになった。今のわたしでは、彼女に勝つことなど夢のまた夢だろうからな」


 来栖選手は、とても静かな声でそのように応じた。


「あのベリーニャが赤星弥生子には勝てないと言っていたというのも、納得した。ベリーニャはまぎれもなく怪物だが、赤星弥生子は……それを上回る存在だろう」


「大怪獣は、怪物をも上回るってことかね。こりゃあピンク頭の怪物に期待をかけさせてもらおうか」


「にゃはは。ユーリは死力を尽くすのみですぅ」


 ユーリは相変わらずの様子であるが、その段階でもう大物の部類であろう。もしも瓜子が赤星弥生子と対戦する事態となったならば、とうてい平常心ではいられないところであった。


「それより、あたしらはー!? まだちゃんと感想を聞いてないんだけど?」


 灰原選手が元気に言いたてると、小笠原選手は明るい笑顔を返した。


「小柴には、ざっくり伝えさせてもらったけどね。二人とも、お見事としか言いようがないよ。男子選手を相手に、ノーダメージで一ラウンド勝利だもんねえ」


「ふふーん! そこはそれ、前回の試合で研究させてもらったもん! ね、あかりん?」


「は、はい。男子選手の攻撃を一発でももらったらまずいと考えて、ああいう作戦を立てることになりました」


「その作戦を完遂させたんだから、やっぱり見事だよ。ね、舞さん?」


「うん。アトミックに君たちのような選手が育ったことを、心から誇らしく思っている」


 来栖選手のそんなお言葉に、灰原選手はにこーっと笑い、小柴選手は目もとを潤ませた。

 そこに、大きな人影が近づいてくる。赤星道場の師範代、赤鬼の大江山軍造である。


「よう、挨拶が遅れちまったな。灰原さんに小柴さんは、お疲れさん。どっちも見事な試合だったよ。手が空いたときは、またよろしくな」


「うん! こっちこそ、どうぞよろしくー!」


「それに、他のお人らも、お疲れさん。来月は対抗戦だが、何もいがみ合う理由はないからな。好きに食って、好きに騒いでくれ」


 赤鬼そのままの顔で笑いつつ、大江山軍造は瓜子たちの隣に陣取った一団に視線を転じた。


「それで、と……打ち上げにまで参加してくれるとは、ありがたい話だな。いくら騒いでもかまわねえが、荒事だけは勘弁してくれよ、大和さん」


「ああ。大吾と語らったら、すぐに失礼するさ」


 大和源五郎がそのように応じると、大江山軍造は「ふうん?」と眉をひそめた。


「大吾さんと、そういう約束なのかい? あの人はいつも終盤になるまで、厨房にこもりきりなんだけどな」


「今日は三十分で出てくるとよ。それまで居座らせてもらえりゃあ十分だ」


「へえ。しかし、打ち上げには参加費ってもんが存在するんだ。酒を飲むなら三千円、飲まないなら二千円。たった三十分じゃあ、いくら何でも丸損だろう」


「何も飲み食いしなきゃ、文句はねえだろう」


「飲み食いしねえなら、こんな場所に居座るなって話だよ」


 瓜子は一瞬ぎくりとしたが、大江山軍造の赤ら顔に敵意の色は見られなかった。むしろ彼は、この状況を楽しんでいる様子である。


「ただ大吾さんと話したいだけなら、こんな日を選ぶこともねえだろう? しかし、大吾さんと弥生子師範の両方と語らえるのは、こういう日ぐらいだ。あいつらは普段、まったくおたがいのそばに寄ろうともしねえからよ」


「そうなのかい。そいつは意外な話を聞かされるもんだ」


「つまりそれだけ、あんたがたは赤星のことを知らねえってこった」


 そう言って、大江山軍造はグローブのように大きい手の平を大和源五郎のほうに差し出した。


「赤星のことを知りてえなら、三十分じゃ足りねえよ。その間、ずっと空きっ腹を抱えるつもりか? ……酒を飲むならひとり三千円、飲まないなら二千円だ」


 大和源五郎は、無言で大江山軍造の顔をにらみあげていたが――最後には、仏頂面でその手の平に一万円札を握らせたのだった。

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