07 閉会式

 赤星弥生子とマリア選手の試合が終了すると、リングアナウンサーが笑顔で勝利者インタビューを開始した。


『赤星選手! 本日も、目の覚めるようなKO勝利でした! およそ一年ぶりに対戦したマリア選手は、いかがでしたか?』


『一ラウンド終盤のスープレックスでは、数秒ほど記憶が飛ぶことになった。あと十秒も試合が続いていたなら、私は腕を折られていたかもしれない』


 赤星弥生子は、普段通りの沈着かつ張り詰めた口調でそのように応じた。


『なるほど! 負けていたかもという言葉でないところが、赤星選手らしいですね!』


『たとえ腕を折られようとも、私がタップすることはない。ただ、どの道レフェリーストップで敗北を宣告されてしまうのだろうから……そんな言葉選びは、さもしい自尊心の表れに過ぎないのだろう』


 いかにも赤星弥生子らしい、クールでいくぶん自虐的な物言いであった。

 その間に、観客たちの多くは帰り支度を始めてしまっている、《アトミック・ガールズ》でもそうであったが、閉会式まで居残ろうというのは熱心なファンのみであるのだ。


『それではここで、重大な発表がございます! 客席の方々も、どうかその発表を聞き届けてからお帰りください! ……じゃないときっと、あとで損をした気分になってしまいますよ!』


 リングアナウンサーはお笑い芸人らしい軽妙さで、観客たちの関心を引きとめた。

 そしてケージの入場口からは、駒形代表と小さなデジタルビデオカメラを抱えた青年が上がり込んでくる。赤星道場の側からの提案で、彼らの登場は閉会式ではなくこの勝利者インタビューの時間に繰り上げられたのだった。


『詳しくは、こちらの御方にご説明していただきましょう! それでは、よろしくどうぞ!』


『は、はい。か、会場の皆様、本日はお疲れ様でした。わたしは《アトミック・ガールズ》を運営するパラス=アテナの代表、駒形と申します。せ、僭越ながら、この場をお借りして皆様にお伝えしたいお話がございます』


 パラス=アテナの代表になるまでは人前に立つ機会もなかった、駒形代表である。広くなりかけた額の汗をしきりにハンカチでぬぐいながら、駒形代表はぺこぺこと頭を下げていた。

 いっぽう客席のほうは、騒然としている。どうして《アトミック・ガールズ》の新しい代表が、《レッド・キング》の舞台でマイクを握らされているのか――普通であれば、なかなか想像もつかないところだろう。


『お、多くの皆様がご存じかと思いますが、弊社は前代表の不祥事によって、大勢の方々にご迷惑をおかけすることになってしまいました。ですが、このような騒ぎで《アトミック・ガールズ》の灯火を消してしまうのは、あまりに忍びなく……わたしは分不相応とわきまえながら、パラス=アテナ代表の座をお預かりすることにいたしました。そうして新たな代表の最初の仕事として、今回の企画を立案させていただいた次第でございます』


 客席からは、野次とも歓声ともつかぬ声があげられている。

 駒形代表はぐっと踏ん張って、その言葉を口にした。


『その企画とは……《アトミック・ガールズ》と《レッド・キング》の合同イベントでございます。来年一月、PLGホールにて、《アトミック・ガールズ》と《レッド・キング》の対抗戦が執り行われることが決定いたしました』


 冷やかすような歓声が、一気に熱を帯びていく。

 しかし本番は、ここからであった。


『げ、現在そちらの対抗戦は、四試合が決定されております。先鋒戦、大江山すみれ選手対、犬飼京菜選手……次鋒戦、マリア選手対、猪狩瓜子選手……』


 その時点で、凄まじい歓声が吹き荒れた。

 ユーリはにんまりと満足そうに笑い、サキは手をのばして瓜子の頭を引っぱたいてくる。


『副将戦、青田ナナ選手対、沙羅選手……そして大将戦、赤星弥生子選手対、ユーリ・ピーチ=ストーム選手――』


 そこで今度こそ、大歓声が爆発した。

 ケージ上の赤星弥生子は、凛然とした面持ちでその歓声に身をひたしている。


『い、以上の四試合が予定されております。そして本日は、沙羅選手を除く三名の選手が来場しておりますため、こちらでご挨拶をさせていただきたく思います』


 歓声が、ぐんぐんと熱を帯びていく。

 こんな中、ケージに突撃しなければならないというのは、なかなかのプレッシャーである。しかし、《アトミック・ガールズ》の興行を盛り上げるためならば、瓜子たちも苦労を惜しむわけにはいかなかった。


 ユーリがニット帽と黒縁眼鏡とガーゼマスクの三点セットを外すと、それに気づいた観客たちがいっそうの歓声を張り上げる。遠目にも、ユーリのピンク色をした頭はさぞかし目立つことであろう。瓜子もまた、誕生日にユーリからプレゼントされたキャスケットをメイに預けて、いざケージを目指すことになった。


 その道中で、犬飼京菜とも合流する。

 犬飼京菜は、まるで試合前のように闘志の塊となっていた。


 そうして瓜子たちがケージ内に入場すると、歓声が暴風雨のようにうねりをあげる。

 ユーリは人様の舞台では大きな顔をしないタイプであるため、恐縮した様子で頭を下げつつ駒形代表の隣に並んだ。


 その間に、逆の入り口からは青田ナナと大江山すみれが入場してくる。エルボーをくらった側頭部に氷嚢をあてがいながら、マリア選手も赤星弥生子のかたわらに並んだ。


『そ、それではまず、犬飼選手からひと言お願いいたします』


『……せっかくプロに昇格したのに、またアマチュアを相手にやりあうなんてガッカリだよ。しかも一回勝ってる相手なんて、これっぽっちも張り合いがないね』


 たちまち、声援はブーイングに一転した。ここは《レッド・キング》の舞台であるのだから、これが必然である。

 しかし犬飼京菜はそんな観客たちをにらみ回しながら、さらに物騒な言葉を吐いた。


『だけどまあ、そこのツインテールはあたしの父さんをさんざんいたぶってくれた、赤鬼のジュニアだからね。今度こそ、完膚なきまでに叩き潰してあげるよ。それが終わったら青鬼ジュニア、最後は大怪獣ジュニアだ。赤星道場がどれだけ落ちぶれたか、あんたたちに証明してあげるから、楽しみに待ってな』


 ブーイングの勢いに変わりはないが、そこには別種のどよめきも加えられているように感じられた。犬飼京菜の素性はすでに知れ渡っているため、《レッド・キング》の旧来のファンであれば、犬飼拓哉と赤星大吾の確執も承知の上のはずなのである。


『い、犬飼選手、ありがとうございました。それでは次に、猪狩選手、お願いいたします』


『押忍。新宿プレスマン道場の猪狩です。今日はみなさんと同じように、《レッド・キング》の試合を楽しませていただきました』


 まずはそのように挨拶させていただくと、九割方のブーイングが収まって、好意的な歓声がわきたった。ブーイングをあげているのは、きっとマリア選手や《レッド・キング》の熱烈なファンであろう。ここは敵地であるのだから、ブーイングが物足りないぐらいであった。


『先輩格で階級も上のマリア選手に挑ませてもらえるなんて、光栄です。今日の試合でも、マリア選手の強さをあらためて思い知らされました。それでも自分は《アトミック・ガールズ》の代表として、死力を尽くしたいと思います。よかったら、みなさんも見届けてください』


 会場には、「瓜子!」と「マリア!」のコールが吹き荒れていた。

 しかしマイクがユーリに受け渡されると、たちまちそちらのコールに切り替えられる。ユーリはますます恐縮した様子で、ぺこりとお辞儀をした。


『えっとぉ、新宿プレスマン道場のユーリですぅ。そんなわけで、赤星弥生子殿と対戦させていただけることになりましたぁ。弥生子殿はとってもお強いので勝敗はどうなるかわかりませんけど、ユーリも一生懸命がんばりまぁす』


 ユーリへの声援は凄まじいが、やはりその奥にはかすかなブーイングも聞き取れた。赤星弥生子は赤星弥生子で、カリスマ的な人気を誇っているのである。ブーイングがこのていどで済んでいるのは、おそらく赤星弥生子のファンが礼儀正しいということなのだろう。

 続いては、赤星道場の陣営にマイクが回されることになった。


『犬飼選手とのリベンジマッチが実現して、わたしも心から嬉しく思っています。父の時代の確執などとは関係なく、わたしもベストを尽くしたいと思います』


『猪狩選手はすっごく強いので、わたしも今からワクワクしています! みなさん、応援お願いしますねー!』


『……前回のあちらの大会では、ぶざまな姿を見せてしまいました。今度こそ、赤星道場の力を証明してみせます』


 大江山すみれとマリア選手と青田ナナには、温かい声援が届けられる。

 そうして赤星弥生子の手にマイクが回されると――客席が、急激に静まりかえった。まるで、赤星弥生子の気迫に気圧されたかのようである。


『私は十余年もの間、《レッド・キング》だけで試合を行ってきた。それは《レッド・キング》を守りたい一心での行いだったが……その行いが不名誉な風評を呼び起こしたことは、みんなも知っての通りだ。私はこのたびの一戦で、その風評をくつがえしたく思っている』


 赤星弥生子は決して昂ることなく、そのように言い放った。


『こちらの桃園選手と対戦すれば、私の実力のほどは過不足なく示すことができるだろう。《アトミック・ガールズ》のエース選手たる桃園選手との対戦を企画してくれた駒形代表には、心より感謝している。……ただし私は、《レッド・キング》こそが自分の主戦場と定めている。このように外部の興行に参戦することは、今後もそうそうないはずなので……どうか、この希少な機会を見逃さないでいただきたい』


 赤星弥生子がマイクを返却すると、押しひそめられていた歓声が再燃した。

 そして今度は、「弥生子!」や「ジュニア!」の声援で会場が埋め尽くされる。これこそが、《レッド・キング》の舞台に相応しい様相であった。


 出場選手の七名は横並びで立たされて、ビデオカメラに撮影される。

 これは編集が完了次第、すぐさま《アトミック・ガールズ》のサイトで配信されるのだそうだ。


『《アトミック・ガールズ》の代表選手の方々、ありがとうございました! それではこれより閉会式に移行いたしますので、お時間のある方々は最後までおつきあいください!』


 そんなリングアナウンサーの言葉を背中で聞きながら、瓜子たちはケージを下りた。

 観客たちの多くは居残って、瓜子たちの挙動をうかがっているようだ。

 帰り道は大丈夫だろうかと瓜子が思案していると、エプロンサイドで待機していたレオポン選手が笑顔で近づいてきた。


「よう。このままだともみくちゃにされちまうだろうから、帰りは関係者用の通路を使ってくれって、大江山師範代からのお達しだよ。俺がエスコートするから、閉会式が終わるまで待っててもらえるかい?」


「わ、それは本当に助かります。大江山師範代にお礼を言っておいてくださいね」


「ふふん。そんなに感謝してもらえるんなら、俺の発案ってことにしておくべきだったな」


 そんな軽妙な言葉を残して、レオポン選手はエプロンサイドに戻っていく。

 そして二本の花道からは、本日の出場選手たちがぞろぞろ入場してきた。灰原選手も小柴選手も試合衣装のままであるので、なかなかの華やかさだ。

 そしてケージに上がるなり、灰原選手がリングアナウンサーからマイクを強奪したのだった。


『みんな、今日はお疲れさまー! 一月のイベントは、あたしや魔法少女も出場するからさ! こっちは赤星道場との対抗戦でもないんで、よかったら応援よろしくねー!』


 まだ熱情の沸騰していた客席からは、好意的な歓声が返された。

 うるさそうに耳をふさいでいたサキは、「ふん」と鼻を鳴らしつつ瓜子に耳を寄せてくる。


「規模のちっせー《レッド・キング》からも客を奪ってやろうって魂胆か。なかなかしたたかなウサ公じゃねーか」


「あはは。そこは持ちつ持たれつってことで、いいんじゃないっすか? これまで《アトミック・ガールズ》を観たことない人だって、たくさんいるかもしれませんしね」


 ならばそれは、『トライ・アングル』のようなものであろう。これまで別々の場所で頑張っていた人々が手を携えて、新たなムーブメントを開拓するというのは、とても建設的なコンセプトであるはずだ。

《アトミック・ガールズ》のファンたちは《レッド・キング》の魅力を知り、《レッド・キング》のファンたちは《アトミック・ガールズ》の魅力を知る。それでこそ、手を携える甲斐もあろうというものであった。


(チーム・フレアとの対抗戦なんて、おたがいの思惑がドロドロに渦巻いてたもんな。試合で殴り合う相手だからこそ、そんな恨みや憎しみを抱えるのはまっぴらだよ)


 だがしかし、この場には復讐心という暗い情念を燃やしている人物がひとりだけ存在する。

 瓜子がこっそり斜め後方の席をうかがってみると――大事な仲間たちに囲まれた犬飼京菜は、これまでと変わらぬ獰猛な眼差しでケージ上の赤星弥生子をにらみ据えているようであった。

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