06 褐色の荒鷲と大怪獣ジュニア

 灰原選手が勝利した後も、キッズクラスの試合や異種格闘技戦めいた特別マッチなど、《レッド・キング》らしい試合が繰り広げられ――そうしてついに、この日のメインイベントであった。


 まずは青コーナーからマスクとマント姿のマリア選手が颯爽と登場し、観客たちに歓声をあげさせる。向かいのリングサイド席では、グティが立ち上がって声援を張り上げていた。


 フェンスにのぼったマリア選手がレスラーマスクを客席に投げつけて、ボディチェックを受けたのちにケージインしたならば、大怪獣ジュニアの入場だ。

 今回は、青コーナー陣営が青田コーチや青田ナナ、赤コーナー陣営が大江山師範代やレオポン選手という布陣になっている。瓜子が《レッド・キング》を観戦するのはこれで二度目であるが、赤星道場の同門対決が行われるのはこの試合が初めてのことであった。


 青白い雷光めいたオーラを纏った赤星弥生子は、本日も割れんばかりの歓声を浴びている。

 リングサイド席の犬飼京菜は、両方の拳をぎゅっと握り込みながら、食い入るようにその姿をにらみ据えていた。


『メインイベント、第十試合、五分三ラウンド、フリーウェイト、インフォーマルマッチを開始いたします!』


 リングアナウンサーのそんな言葉に、瓜子は思わず「え?」と声をあげてしまった。

 しかし瓜子の内に生じた疑念を晴らす間も与えず、リングアナウンサーは朗々たる声を張り上げる。


『青コーナー、百六十五センチ、六十・八キログラム、赤星道場所属、褐色の荒鷲……マリア!』


 赤星弥生子にも引けを取らない大歓声が、マリア選手に送られる。

 そんな中、ユーリは「ふにゅう」とおかしな声をあげた。


「普段は五十六キロ以下級のマリア選手が、六十キロオーバーなのだねぇ。普段の試合より五キロ近くも重くて、不都合はないのかしらん」


「どうでしょうね。弥生子さんと対戦するときだけ、重いウェイトで調整してるのかもしれませんよ」


 少なくとも、外見上はマリア選手も活力にあふれており、普段よりも厚みを増した肉体が力強いほどであった。

 普通、体重制限がなくとも、ベストコンディションで試合に臨もうとしたならば、一キロや二キロは落ちるものであろう。もしもマリア選手もそういったタイプであるならば、平常体重をさらに上げてから、現在の数字まで落としたということになるのだった。


『赤コーナー、百六七十二センチ、六十二キログラム、赤星道場所属、大怪獣ジュニア……赤星、弥生子!』


 いっそうの声援が、会場の空気を震撼させる。

 今日も赤星弥生子の凛々しさは、戦場の若武者さながらであった。


 そうして両名がケージの中央で向かい合うと、赤星弥生子のほうが身長で七センチも上回っている分、マリア選手のほうが厚みでまさっているように感じられる。ウェイトに一キロわずかの差しかなければ、それも当然の話であろう。

 しかしそうすると、瓜子の疑念はますます強まってしまうのだった。


「あの、どうしてこの試合は公式マッチじゃないんでしょう? 女子のプロ選手同士でウェイトもほとんど差はないんですから、公式マッチのほうが自然なはずっすよね?」


 瓜子が素早く後方に問いかけると、本日は割合に静かである是々柄が親切に答えてくれた。


「それは、マリアちゃんが来月に猪狩さんとの対戦を控えてるからっすよ。公式試合でKO負けをくらったら二ヶ月間は出場停止になっちゃうんで、そのための用心っすね」


「でも、公式試合にしないと戦績にカウントされないのに……弥生子さんは、それでいいんすか?」


「弥生子ちゃんは、公式の戦績なんて眼中ないっすからね。公式だろうと非公式だろうと全戦無敗なんすから、こだわる理由もないんじゃないっすか?」


 瓜子は何とも複雑な心境で、ケージに視線を戻すことになった。

 瓜子たちがおしゃべりをしている間にルール確認は終了し、グローブタッチをした両選手はフェンス際まで引き下がる。


 そうして試合開始のブザーが鳴らされると――瓜子は再び、「あっ」と驚くことになった。

 赤星弥生子が古武術スタイルではなく、スタンダードなMMAの姿勢を取ったのである。


 拳は顎のあたりまで上げて、腰と膝をいくぶん落としつつ、足は自然に前後に開いている。これ以上もなく、ごく尋常なファイティングポーズだ。

 しかし客席からは、驚きの声もあげられていない。ということは――これも赤星弥生子の、スタイルのひとつということであるのだ。


 いっぽうマリア選手は背筋をのばしたアップライトで、躍動感に満ちたステップを見せている。灰原選手よりも背丈とウェイトでまさっているためか、やはり本家はいっそう力に満ちたステップであった。


「やっぱり観戦に来て、よかったですね。弥生子さんが普通のスタイルで戦うなんて、ユーリさんも想像してなかったでしょう?」


「そうだねぃ。まあ、弥生子殿の過去の試合映像は、いずれ拝見できるそうですけれども」


 ユーリと赤星弥生子の対戦が決定された時点で、立松は《レッド・キング》の過去の試合映像をのきなみかき集めたそうなのだ。その中から必要な試合を選りすぐって、いずれユーリに確認してもらうという手はずになっていた。


 ともあれ、試合を肉眼で確認できるならば、それに越したことはないだろう。

 来月にマリア選手と対戦する瓜子は、どちらの挙動からも目が離せなかった。


 試合場ではマリア選手がサークリングをして、赤星弥生子がジャブを打ちながらそれを追いかけるという、ごく真っ当な試合模様が展開されている。

 そうしてマリア選手が大きな踏み込みから左ローを繰り出すと、赤星弥生子は軽く左足を上げてその衝撃を受け流した。


 と――マリア選手は、そのまま組みつきに移行する。

 赤星弥生子がローをカットすると予測していたのだろうか。後ろ足重心となっていた赤星弥生子は呆気なく胴体に組みつかれてしまい――さらにマリア選手は、お得意のフロントスープレックスを繰り出した。


 が、赤星弥生子が足を掛けたため、スープレックスは不発に終わる。

 マリア選手は背中から倒れ込み、赤星弥生子が上のポジションを奪取するかと思われたが――マリア選手は野生動物のごとき敏捷さで腰を切り、すぐさま立ち上がって距離を取った。


 いかにもおたがいが相手のことを知り尽くした、同門対決らしい試合模様である。

 会場には、赤星弥生子とマリア選手を応援する声援が同じぐらいの勢いであげられていた。


「マリアちゃんも、すっかり人気選手っすからね。それにやっぱり、判官びいきって心理も働くんだと思うっすよ」


 客席の歓声に負けぬよう、わざわざ身を乗り出した是々柄がそんな言葉を瓜子の耳に届けてきた。


「判官びいきってことは、やっぱりマリア選手が不利ってことっすか?」


「そりゃあそうっすよ。何せ相手は、大怪獣なんすからね。おまけに、あとふたつの変身を残してるんすから」


 ふたつの変身――古武術スタイルと、大怪獣タイムのことであろうか。

 瓜子がそんな風に考えていると、親切な是々柄はさらに解説してくれた。


「本当は弥生子ちゃんも、真っ当なMMAのスタイルで勝ちたいって思ってるんすよ。でも、男子選手が相手じゃあ出し惜しみできなくて、最初っから古武術スタイルなわけっす。マリアちゃんやナナちゃんが相手の場合は、ぎりぎりまでMMAのスタイルで粘るっすね」


「そうなんすか。見ようによっては、手を抜いてるように思われそうっすけど……自分が対戦相手だったら、ちょっと悔しく感じちゃいそうっすね」


「だからマリアちゃんたちも、一秒でも早く最初の変身をさせるんだって、奮起してるんすよ。去年の試合では、たしか二ラウンド目の終盤で変身させたはずっすね」


「それじゃあ、大怪獣タイムは?」


「弥生子ちゃんがマリアちゃんやナナちゃんを相手に大怪獣タイムを発動させたことは、いっぺんもないっす」


 では、赤星弥生子は奥の手を使わずとも、それだけの実力者であるのだ。

 まあ、瓜子も夏の合同合宿で赤星弥生子の実力を体感しているので、べつだん驚くような話ではないのだが――何とはなしに、寂寥感めいたものを感じてしまっていた。


(なんだか、それって……本物の怪獣が、人間と遊びたくて人間のふりをしてるみたいな感じがしちゃうな)


 そんな瓜子の思いもよそに、試合上ではごく真っ当な試合模様が展開されていた。

 相手の手の内をわきまえた同門対決でも、決して慎重になりすぎることもなく、高い技術で攻防が繰り広げられている。《アトミック・ガールズ》のトップファイター同士の対戦とも遜色のない、それは素晴らしい試合であった。


 よって、観客たちも普通に試合を楽しんでいる。

 ただ――前回のエドゥアルド選手との対戦よりは、熱狂の度合いもひかえめであるように感じられた。


「《レッド・キング》の観客たちは、赤星弥生子という見世物を楽しんでいるんだ」


 かつて赤星弥生子は、そんなようなことを言っていた。

 男子選手を相手に無敗の記録を打ち立てる、怪物のごとき強さを持った女子ファイター――それが、赤星弥生子の売りであるのだろう。

 その価値を守るために、赤星弥生子は六丸から奇妙な古武術のスタイルを学び、使いたくもない大怪獣タイムを使っているのだろうか。


(でもそれだって、弥生子さんに備わった実力の内なんだから……何も嫌がる必要はないように思うんだけどな)


 瓜子がそんな風に考えたとき、マリア選手が何度目かの組みつきを見せた。

 相手の身体を双差しでとらえ、左右に揺さぶりながら足を掛けようとする。得意のスープレックスはすべて潰されていたため、堅実にテイクダウンを取ろうというつもりであるらしい。


 しかし、赤星弥生子は倒れない。マリア選手の執拗な揺さぶりも、すべて適切な動作で回避していた。

 そうして、第一ラウンドが終了する寸前――マリア選手は、やおら背中をのけぞらせた。

 見ていた瓜子がぎょっとするほどの、爆発力に満ちたアクションである。それでさすがの赤星弥生子も、マットから両足を引っこ抜かれて、まともにスープレックスをくらうことになった。


《レッド・キング》においても、投げ技で頭から落とすことは禁止事項にされていない。

 赤星弥生子は側頭部からマットに叩きつけられて、そのままサイドポジションを取られた。

 大歓声の中、マリア選手がアームロックを狙い――そこで、第一ラウンド終了のブザーが鳴る。


「今のは、ヤバい落ち方だったっすね。弥生子ちゃん、ひさびさの大ピンチっすよ」


 是々柄の言う通り、コーナーに戻ろうとする赤星弥生子はいくぶん足もとがふらついていた。

 いっぽうマリア選手は元気いっぱいで、インターバル中も大声援を受けている。最後の一幕以外はほとんど互角の勝負であったため、ポイントをつけるならば確実にマリア選手のラウンドであるはずであった。


 そうして迎えた、第二ウランド――赤星弥生子が拳を垂らした古武術スタイルを披露すると、客席にはいっそうの歓声がわきたった。


「マリアちゃん、記録更新っすね。これでナナちゃんに追いついたっすよ」


 マリア選手は嬉々として、大股のステップワークを見せている。

 赤星弥生子はひたひたと普通に歩いて、ケージの中央に陣取った。


 マリア選手は、赤星弥生子を中心にぐるぐると回り始める。

 そのステップが、不規則に変化した。大きなステップと小さなステップ、素早いステップとゆったりとしたステップが、ひどくランダムに入り混じり始めたのだ。


(マリア選手は、こんな動きもできるのか)


 ただこれは、そうとうスタミナの削れる動きであるに違いない。

 それでもマリア選手は、ブレーキの壊れたおもちゃを思わせる挙動で、そんな不規則なステップを継続させた。


 いっぽう赤星弥生子は、水面に立っているかのような静謐さである。

 マリア選手の動きに合わせて身体の向きを変え、相手が近づきそうになると足を引いて一定の距離をキープする。大江山すみれと同じような所作でありながら、その流麗さと緊迫感はけた違いであった。


 そうしておたがいに手を出さないまま、一分の時間が過ぎてしまう。

 さしもの観客たちも、焦れたような声をあげかけたとき――突如、マリア選手がおかしな動きを見せた。赤星弥生子の間合いの外で、いきなり走り始めたのだ。


 まるで犬飼京菜のファーストアタックを思わせる疾走である。

 マリア選手は赤星弥生子の横合いを走り抜けて、すぐに正面のフェンスに到達した。

 すると、思い切り跳躍して、正面のフェンスを蹴り飛ばし――それからさらに、赤星弥生子のもとを目指したのだった。


 赤星弥生子は、ようやく背後から迫り来るマリア選手に向きなおったところだ。

 マットに着地したマリア選手は、その勢いのままに大きくステップを踏んで、赤星弥生子のもとに跳びついた。


 狙いは、胴体への組みつきだ。

 組んでしまえば自分が有利という考えであるのだろう。


 ちょうど瓜子の席からは、そんな両者の姿が真横から見えた。

 マリア選手はいくぶん頭を下げながら、赤星弥生子のほうに両腕を突き出している。

 赤星弥生子は――

 半歩だけ下がって、右の拳を振り上げた。

 腰のあたりに垂らされていた拳が、振り子のように振り上げられて――それが真下から、マリア選手の下顎を叩いたのだった。


 かつての浜松大会で、成沢選手が大江山すみれに敗れたときと、ほとんど同一の光景である。

 ただその動きのなめらかさと、ぞっとするような静けさが、まったく違っていた。


 ただし、マリア選手はその攻撃を予測していた。

 ぐっと顎を引き、アッパーカットの衝撃に備えていたのだ。


 マリア選手は変わらぬ勢いで、赤星弥生子につかみかかろうとした。

 するとその風圧に押されたかのように、赤星弥生子がふわりと後ずさった。

 そうして後ずさりながら、左足を支点にして横に一回転した。


 マリア選手の両腕は、虚空をつかみ――その側頭部に、赤星弥生子の右肘がめりこんだ。

 マリア選手は前のめりに倒れ込み、突進の勢いで何回転かして、フェンスに激突した。


 すべての人間が息を呑んだかのような、一瞬の静寂の後――大歓声が、爆発する。

 赤星弥生子はケージの中央で不動であり、マリア選手のもとに駆け寄ったレフェリーはすぐさま試合の終了を宣告した。


『第二ラウンド、一分十五秒、バックスピン・エルボーにより、赤星弥生子選手のKO勝利です!』


 大怪獣タイムを発動させることなく勝利した赤星弥生子は、凛然たる面持ちでレフェリーに右腕をあげられていた。

 それは誰にも恥ずる必要のない、立派な勝利であるはずであったが――大歓声をあびながら、赤星弥生子はひどく孤独に見えてしまった。

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