05 復活の極悪バニー
『まじかる☆あかりん』こと小柴選手の勝利から、間にひとつの試合をはさんで――お次は『バニーQ』こと灰原選手の登場であった。
荒々しいロックサウンドとともに灰原選手が姿を現すと、会場にはまた歓声が吹き荒れる。灰原選手は半年ぶりとなる、バニーガールの姿での入場であったのだった。
頭は金色の部分だけをふたつに結わって、ウサギの耳を表現している。試合衣装は白いレオタードと足先まで包まれた黒のロングスパッツで、首には付け襟と蝶ネクタイ、手首にはカフスまで装着しているのだ。それで灰原選手はユーリと沙羅選手に次ぐ色香と肉感的な肢体を有しているのだから、そういう意味でも破壊力は抜群であった。
灰原選手は花道を突き進みながら、自ら小道具のステッキを振り回して、観客たちを煽っている。半年ぶりの試合ということで、灰原選手はおもいきりテンションを上げている様子であった。
それに付き従うセコンドは、多賀崎選手と四ッ谷ライオットのトレーナー陣だ。パラス=アテナの改心とともに所属ジムとの和解を果たした灰原選手と多賀崎選手は四ッ谷ライオットでのトレーニングを再開し、プレスマン道場での出稽古も週一回に抑えられていた。
花道を踏破した灰原選手は付け襟とカフスを外して、ステッキとともに多賀崎選手へと受け渡す。それでも肩丸出しのレオタードと黒タイツのごときロングスパッツだけで、バニーガール感は十分に保たれていた。
そうしてケージインしたのちも、灰原選手は両手を振りながら舞台を回り、観客たちを煽っている。なんだかもう、嬉しさのあまりにじっとしていることも難しい様子であった。
「なんか灰原さんは、色んな意味でいいカラダになったなぁ」
小笠原選手は、そんな感慨をこぼしていた。
灰原選手はどれほど稽古を積んでも、あまり筋肉の線が出ないタイプである。腕などは棒のように真っ直ぐなまま厚みをおびて、肩や背中もなだらかな曲線を描いている。そして、一月に瓜子が対戦したときとは比較にならないぐらい腰が引き締まり、むっちりとした足などはカモシカさながらであった。
(本当に、本職のユーリさんや沙羅選手を抜かしたら、文句なしにナンバーワンの色気とプロポーションだもんな)
しかし、ふよふよとやわらかそうな肢体をしたユーリと異なり、灰原選手の肢体はパンと張り詰めている。それがいかにも力の強そうな印象であり、また実際、灰原選手はかなりの腕力を有しているのだった。
腰がくびれて見えるのは、やはり背筋と臀部が張り詰めているゆえなのであろう。そう考えると、タクミ選手に近い体形であるのかもしれない。また、灰原選手は顔立ちもけっこう整っているため、タクミ選手や一色選手よりも見栄えがいいように感じられるのだった。
(それはもしかして、内面の差ってやつもあるのかな)
タクミ選手や一色選手も容姿は整っていたものの、どちらも内心を押し隠すタイプだった。それに比べて、灰原選手は直情的と言ってもいいような気性であったため――現在のようににこにこと笑っていると、とても魅力的なのである。
なおかつ、ケージの内部で踏んでいるそのステップが、とてつもない躍動感に満ちている。それは、マリア選手に通ずるものがあった。
ただ見栄えがいいだけではなく、その肉体にはMMAファイターとして恥ずるところのないエネルギーが満ちているのだということが一目瞭然であり――それがまた、灰原選手をいっそう魅力的に見せるのだった。
そうして灰原選手への声援が吹き荒れる中、対戦相手も入場してくる。
一転して、こちらは厳つい男子選手であった。
背丈は低めで骨ばった身体つきであるが、その分くっきりと筋肉の線が浮かんでいる。そして胸もとと背中には、和柄のタトゥーがびっしりと入れられていた。
頭は赤毛のモヒカンで、眉を剃りあげており、落ちくぼんだ三白眼がむやみに迫力を撒き散らしている。
その外見からも推察される通り、この豪山という選手は地下格闘技団体の所属選手であった。
セコンドのひとりは、前回の興行でマリア選手と対戦したスキンヘッドの附田選手である。残りの面々も、町なかで出くわしたら避けて通りたいような顔ぶればかりであった。
『第五試合! 五分二ラウンド! 男女ミックス、五十六キロ以下級、インフォーマルマッチを開始いたします!』
リングアナウンサーが、そのように紹介した。
ウェイトは、豪山選手に合わせたものとなっている。灰原選手は瓜子よりもひと足早く、上の階級に挑戦するわけである。ただし、かつてはこの選手もマリア選手と対戦し、敗北を喫しているという話であった。
『青コーナー、百五十六センチ、五十五・五キログラム、四ッ谷ライオット所属、極悪バニー……バニー、Q!』
減量をせずに済むと大喜びしていた灰原選手は、その体重であった。まあ、瓜子も平常体重は大差のない身であったが――それで余計に、灰原選手は肉感的に見えるのかもしれなかった。
『赤コーナー、百六十五センチ、五十五・九キログラム、荒川ハンマーヘッド所属、デスナックル……豪山!』
小柴選手の対戦相手と同じように、こちらも同程度のウェイトで背丈がまさっているにも拘わらず、灰原選手よりは肉厚の体形だ。骨ばった体形はしていても、きちんと減量してリカバリーもしているのだろう。現状では、灰原選手よりも三キロや四キロは上回っているのだろうと思われた。
ケージの中央で向かい合うと、豪山選手はにやにやと笑いながら灰原選手の全身を検分した。
さきほどの保坂選手のように、女子選手を甘く見ている様子ではない。この色っぽい娘さんがどれだけの実力であるのかと、心の底から期待しているような眼差しだ。
「こいつは明らかに、小柴の相手より難敵だね。ま、アマでもないなら当然か」
「はい。肩書きとしては、たぶんセミプロだと思いますけど。《黒武殿》っていうのは、アマとセミプロの興行らしいっすから」
まあ、千駄ヶ谷も《黒武殿》の存在は認知しており、危険はないはずだと言ってくれていた。それに、前回の打ち上げで語らうことになった附田選手らも、強面だがずいぶん気のいい人々であったのだ。そういう意味では、瓜子も安心して観戦することができた。
(だから後は、実力がどうかだよな)
マリア選手や大江山すみれはもっと重い選手にも勝利していたが、それは《レッド・キング》の舞台でそういう試合に勝つすべを磨いた結果なのだろう。元来は、階級が上の男子選手に挑むなど、無謀の極みであるはずなのだ。
一番の活路は、相手のトレーニング不足によるスタミナ切れであるのだが――今回の豪山選手に限っては、ずいぶん絞った身体をしているし、プロの男子選手ともそれほど遜色はないように感じられた。
(どうか怪我だけはしませんように)
瓜子がそんな風に祈る中、試合が開始された。
灰原選手は試合前にも見せていた躍動感のあるステップで、相手の周囲を回り始める。
いっぽう豪山選手は、しっかりとガードを固めて灰原選手の挙動を見据えている。やはり、女子選手を侮る気配はなかった。
灰原選手は、前後と左右にステップを踏み――やおら、相手のもとに踏み込んだ。
真正面ではなく、きちんとアウトサイドから踏み込んでいる。そうして放たれた右フックが、おもいきり相手の右頬を叩いた。
灰原選手はすかさずバックステップを踏み、それで空いた空間に、豪山選手の右フックが振るわれる。
これは、灰原選手のステップワークをほめるべきであろう。相手の動きも、決して悪くはなかった。
灰原選手は同じ調子でステップを踏み、ここぞというタイミングで拳を打ち込む。なかなか堂に入った、ヒット&アウェイである。生粋のインファイターであった灰原選手も、ゴールデンウィークの合宿稽古を皮切りに、めきめき成長しているのだった。
豪山選手もときおり左右のフックを繰り出すが、それは灰原選手の身に触れることはない。とりあえず、スピードとフットワークに関しては灰原選手がまさっている様子であった。
しかしまた、相手は灰原選手の攻撃を何発くらっても、ダメージを負った気配がない。これこそが、男女の差異というものであろう。瓜子あたりであればぐらつくほどの当たりでも、相手はビクともしないのだ。
それでも攻撃を当て続けているのは灰原選手のほうであるので、客席はわきかえっている。
同じペースで二分ほどが過ぎ、灰原選手が何発めかの右フックを叩き込むと――これまでよりも危ういタイミングで、あちらの右フックが振るわれた。
ステップだけではかわしきれず、灰原選手は左腕で頭部をブロックする。
すると、その一撃で灰原選手はバランスを崩してしまい、何歩かたたらを踏んで、肩からフェンスにぶつかってしまった。
とたんに、豪山選手が躍りかかってくる。
瓜子はひやりとしてしまったが、灰原選手は横っ跳びに逃げて、相手はフェンスに正面衝突することになった。
「攻撃のリズムをつかまれたね。もう同じパターンは危ないよ」
小笠原選手は、そんな風につぶやいていた。
灰原選手は体勢を整えながら、再びケージの中央に陣取る。
豪山選手は余裕たっぷりに、そちらに近づいた。
灰原選手はアウトサイドにステップを踏み――そこからまた、相手のもとに足を踏み出す。
これまでと同じリズムで、同じ角度からの踏み込みだ。
ただ違うのは、パンチの種類であった。このたびは、右フックではなく左ジャブであったのだ。
左ジャブのほうがモーションが小さいため、これまでよりも早く相手の顔面にヒットする。
相手は同じリズムで右フックを振るったが、その頃にはもう灰原選手も間合いの外に逃げていた。
いっそうの歓声が巻き起こり、相手はぐっと距離を詰めてくる。
そこに、灰原選手の肉感的な右足が飛ばされた。出足をくじく、前蹴りである。
まともに腹を蹴り抜かれた豪山選手は、いっそういきりたって突進する。
それを横合いにやりすごして、灰原選手はワンツーを繰り出した。
左右の拳が、小気味よく相手の顔を叩く。
そして相手が右腕を振りかぶると、がら空きになった脇腹にミドルキックが射出された。
灰原選手は、最初からワンツーと左ミドルのコンビネーションを狙っていたのだ。
レバーを蹴られた豪山選手の右フックは、腰くだけとなる。
灰原選手はすかさず相手の首裏を抱え込み、同じ場所に左の膝蹴りを打ち込んでから離脱した。
いかに男子選手が頑丈であっても、急所のレバーはきついものである。
豪山選手は、そこからがくりと動きが落ち――灰原選手は、猛攻を見せた。
相手の懐に飛び込んで、左右のフックを叩きつける。
苦しまぎれの右フックを返されたら、フットワークで回避して、今度はボディアッパーだ。
相手は苦しげに腹を抱えて、ついに後ずさる。
その顔面に、灰原選手が右フックを叩き込んだ。
たとえ階級が上であっても、女子選手であれば間違いなく倒れているクリーンヒットだ。
それでも豪山選手は倒れずに、ふらふらと後ずさっていく。
完全にギアの入った灰原選手は再び相手の首裏を抱え込み、今度は顔面に膝蹴りを叩き込んだ。それも、三発連続である。
豪山選手は狂ったように身をよじり、灰原選手の身体を突き飛ばす。
それだけで、灰原選手はマットにひっくり返ってしまったが、後ろざまに一回転して、すぐさま立ち上がる。その華麗なモーションに、観客たちは歓声を張り上げた。
そして、豪山選手は不屈の闘志で灰原選手に殴りかかろうとしたが――レフェリーが横から割って入った。
『タイムストップ。……豪山選手に、ドクターチェックが入ります』
膝蹴りを連続でくらった豪山選手は、大量の鼻血を流してしまっていたのだ。
いい場面で試合を止められてしまった観客たちは、ブーイングをあげかけていたが――レフェリーが両腕を交差させると、それが大歓声に変じた。
『四分二十四秒、ドクターストップにより、バニーQ選手のTKO勝利です!』
灰原選手は、きょとんとした顔で立ち尽くし――やおら歓喜の表情となって、かたわらのフェンスに跳びついた。
そうしてフェンスにまたがった灰原選手が両腕を振り上げて雄叫びをあげると、観客たちも怒号のような声援でそれに応える。エプロンサイドに立ち上がった多賀崎選手も笑いながら、灰原選手の太腿をぴしゃぴしゃと叩いていた。
「すごいすごーい。普通にテクニックで勝利してしまったねぇ」
ユーリもにこにこと笑いながら、ぺちぺちと手を叩いた。
そして瓜子のほうを振り返ると、「にゅふふ」と楽しそうに笑う。
「うり坊ちゃん、すっごく嬉しそう。ハンケチをお貸ししませうか?」
「さすがに涙まではこぼさないっすよ」
瓜子はそのように答えたが、実のところは落涙寸前にまで胸を揺さぶられてしまっていた。
もともとは怠け性であった灰原選手が懸命に稽古する姿や、所属のジムがパラス=アテナに優遇されていると知って憤慨していた姿や、有利にお膳立てされたマッチメイクを果然と拒絶する姿や、瓜子が勝利するたびに子供みたいにはしゃいでいた姿や――そんな光景が走馬灯のように、瓜子の内部を駆け巡ったのだった。
最後に試合を行った六月以降、灰原選手はひたすら稽古に明け暮れていた。《カノン A.G》への出場オファーを蹴ったばかりでなく、《NEXT》や《フィスト》からも出場を拒まれて、長らく無聊をかこっていたのだ。
悪漢どもは四ヶ月ていどで壊滅したが、当初はそんな見込みもまったく立っていなかった。灰原選手と多賀崎選手はこのまま業界から干されてしまうのではないかという不安に苛まれながら、それでも希望を捨てることなく、いっそうの熱意で稽古に取り組んでいたのである。
それがようやく報われたからこそ、灰原選手はあのように歓喜しており――そして瓜子も、これほどに情動を揺さぶられてしまうのだろう。
いつまでもフェンスから下りようとしない灰原選手に、レフェリーが注意を与えている。そんな灰原選手の姿に笑いながら、瓜子はひと筋だけ涙が頬を伝うのを感じた。
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