02 第二世代

「みなさん、お疲れ様ですー」


 と、会場の入り口にまで到着すると、こちらにぶんぶんと手を振ってくるひょろ長い人影があった。

 しかしそれよりも目を引くのは、そのかたわらにたたずむ人物である。ニメートルを超える長身に、百三十八キロの小山のごとき巨体――それは前回の《レッド・キング》で赤星弥生子と対戦した『ジョージアの摩天楼ジュニア』こと、エドゥアルド・パチュリアに他ならなかった。


「やあ、オリビア。アタシのせいで現地集合になっちゃって、ごめんね」


 小笠原選手がそのように声をあげると、エドゥアルド選手をかたわらに控えさせたオリビア選手は「いえいえー」と朗らかに笑った。来栖選手の車は定員が七名であったので、オリビア選手が小笠原選手に席を譲る格好になったのである。


「もともとエディも来場する予定だったから、車で送ってもらえましたー。ワタシもエディもさっきまで、同じ道場でコーチの仕事をしてたんですよー」


「道場って、もちろん玄武館だよね? やっぱそのお人が、噂の摩天楼ジュニアってわけか」


「はいー。トキコとマイは初対面でしょうから、ご紹介しますねー」


 瓜子たちは前回の打ち上げに参加していたので、いちおうこのエドゥアルド選手とも挨拶は交わしているのだ。

 そうして小笠原選手と来栖選手の紹介が終わったならば、今度は瓜子の出番であった。


「それじゃあ、ドッグ・ジムの方々も紹介させてもらっていいっすか? いちおう同じエリアで観戦させていただく間柄ですので」


 すると、彫りが深くて陰影の濃い迫力満点の顔をしたエドゥアルド選手が、とても柔和な笑みを浮かべた。


「あなた、しってます。ゲンゴロー・ヤマト。フクツのトウケンです。わたしのちち、たいせんしてます」


「あん? ずいぶん懐かしい言葉を聞かされるもんだな。お前さんは、何もんだよ?」


「エディは、グレゴリ・パチュリアの息子さんですよー。アナタは、マスター・グレゴリと対戦したことがあるのですかー?」


 オリビア選手がそのように説明すると、大和源五郎は渋面をこしらえながら坊主頭を撫でさすった。


「グレゴリって、あのグルジアのでかぶつかよ。こりゃまた親父に負けねえぐらい育ったもんだなあ」


「はい。おあいできてこうえいです、ゲンゴロー・ヤマト」


「光栄たって、お前さんの親父にはKOをくらった思い出しかねえな」


 エドゥアルド選手は柔和な笑みをたたえたまま、オリビア選手に向かって英語で何事かを伝え始めた。彼はまだまだ日本語が覚束ないという話であったのだ。


「えーと、マスター・グレゴリはアナタの強さに感服していたそうですよー。ロープエスケープのルールがなかったら何度負けていたかもわからないと言っていたそうですー」


「あの頃はあのルールが絶対だったんだから、何の言い訳にもなりゃしねえさ」


 そんな風に応じながら、大和源五郎はちらちらと犬飼京菜の様子をうかがっていた。

 犬飼京菜は――眉を急角度に吊り上げて、両目を爛々と燃やしている。おそらくは、彼女の父親もエドゥアルド選手の父親と対戦していたのだろう。赤星大吾と対面する前に、とんだ伏兵の登場であった。


「エディはその頃の《レッド・キング》の試合を、ビデオで何回も見返していたそうですよー。それで自分もMMAにチャレンジしたくなったみたいですねー」


 事情を知らないオリビア選手はにこにこと笑いながら、そのように言いつのった。


「それじゃあ、他の人たちの紹介もお願いできますかー、ウリコ?」


「は、はい……えーと、こちらはドッグ・ジムの道場主である犬飼京菜さんで――」


「イヌカイ?」と、エドゥアルド選手が反応した。

 そしてまた、英語でオリビア選手に何かをまくしたてる。オリビア選手はふんふんとうなずいてから、瓜子に向きなおってきた。


「キョウナ・イヌカイはタクヤ・イヌカイの親族かって聞いてますねー」


「あ、はい……彼女は、犬飼拓哉さんの娘さんです」


 エドゥアルド選手はオイとアイともつかぬ感嘆の声を張り上げるや、そのグローブみたいに大きな手で犬飼京菜の手の先をひっつかんだ。

 完全に虚を突かれた様子の犬飼京菜は、驚愕の表情でわめきたてる。


「い、いきなり何すんのさ! 気安く人の身体にさわってんじゃないよ!」


「エディは、タクヤ・イヌカイのこともマスター・グレゴリに聞いていたそうですよー。来日するたびに、タクヤ・イヌカイのお世話になっていたそうですー」


「お、お世話? あたしの父さんだって、そいつの親父には二回もKOをくらってるんだよ! こっちだって、その頃の試合は忘れられないぐらい見返してるんだからね!」


 オリビア選手が犬飼京菜の言葉を、英語でエドゥアルド選手に通訳した。

 しかし、エドゥアルド選手の笑顔は変わらず、その手も犬飼京菜を解放しようとしない。


「試合とは関係なく、タクヤ・イヌカイには恩があるそうですー。タクヤ・イヌカイはとても優しくて、外国人選手に人気があったみたいですねー」


「い、いいから、この手を離せってば! いい加減にしないと、蹴り飛ばすよ!」


 エドゥアルド選手は犬飼京菜の手を解放してから、また英語で何かをまくしたてた。


「当時のジョージアは政情が不安定で、マスター・グレゴリもすごく心を痛めていたそうですー。そんなマスター・グレゴリを、タクヤ・イヌカイは親身になって面倒を見てくれたみたいですねー」


「……知らないよ、そんなの。父さんはそいつの親父のことなんて、何も言い残してないからね」


「言い残す? ……タクヤ・イヌカイは、お元気でないですかー?」


「……六年以上も前にくたばってるよ」


 オリビア選手がその言葉を伝えると、エドゥアルド選手はついに笑みを消した。

 そして――今度はアスファルトの地面に膝をついて、とても悲しそうに犬飼京菜の仏頂面を見上げたのだった。


「タクヤ・イヌカイ、ざんねんです。わたしのちち、かなしむでしょう。わたしも、かなしいです」


「……だから、そんなの知らないってば」と、犬飼京菜はそっぽを向いてしまう。

 ただ――その小さな肩は、何かをこらえるように震えてしまっていた。


「……拓哉は日本人連中とそりが合わなかったから、外国人連中と仲良くしてたんだよ。ああいうあけっぴろげなやつは、外国人のほうが馬が合うのかもな」


 大和源五郎が犬飼京菜の震える肩に手を置きながら、そう言った。


「そういう意味では、大吾も日本人ばなれしていたもんだが……そっちは似たもん同士ってことで、ぶつかることになっちまったんだろうな。二人そろって、我慢ってもんを知らない馬鹿同士だったからよ」


 犬飼京菜はそっぽを向いたまま、何も答えようとしなかった。

 そうしてその場に、なんともやりきれない空気が漂いかけたとき――「ユーリ!」というけたたましい声が投げつけられてきたのだった。


 ぎょっとして振り返った瓜子は、その声の主を目にして、またぎょっとする。それはむやみに背が高く、冬の装いでもわかるぐらいマッチョな体形をした、映画俳優のごとき美男子であったのだ。


 その人物は、アメフト選手のような勢いでこちらに駆け寄ってくる。

 そしてその勢いのまま、ユーリを抱きすくめようとしたのだが――瓜子が手を出すまでもなく、ユーリは「とーう!」とバックステップを踏んで、その抱擁を華麗に回避してみせたのだった。


「グティさん! 無許可の抱擁は、ご遠慮願いたいのです! なおかつユーリはいちおう世を忍んでおりますため、大声で名前を呼ぶのも控えていただきたいのです!」


「ユーリ、カオをカクしても、すぐワかりました。そのグレートボディ、ワスれません」


「グレートボディ」がネイティブな発音で、とても軽薄に聞こえてしまう。

 しかし彼の生まれはメキシコであり、母国語はスペイン語であるはずであった。その後、北米に移住したため、英語も達者になったのであろう。

 要するに、それは夏の合宿稽古でお目見えした、マリア選手の腹違いの兄君――アギラ・アスール・ジュニアこと、グティなんちゃらであったのである。


「わー、こいつはひさびさのご対面だね。……舞さん、これはアレだよ。《レッド・キング》に参戦してた、アギラ・アスール・ジュニアだよ」


 小笠原選手がそのように声をあげると、来栖選手ではなく、またエドゥアルド選手が反応した。


「アギラ・アスール・ジュニア? わたしのちち、たいせんしています」


「******! アナタ、グレゴリのジュニアですね? マリアからキいていました! ****! コウエイです!」


 ところどころにスペイン語らしい感嘆の語句を織り交ぜつつ、グティはエドゥアルド選手にハグをした。二メートル強と百九十センチ強の、力強い抱擁である。


「なんだかなぁ。会場に入る前から、同窓会みたいな騒ぎじゃねえか」


 大和源五郎は、しみじみと溜息をついている。

 オリビア選手はにこにこと笑いながら、そちらを振り返った。


「ゲンゴロー・ヤマトも、グティをご存じですかー?」


「いや。そいつは俺や拓哉が抜けた後の世代だろ。俺がやりあってたのは、ジュニアじゃねえほうだな」


 元祖アギラ・アスールとそのジュニアは、二代にわたって《レッド・キング》に参戦していたのだ。ただし、父親のほうは団体の黎明期で、ジュニアのほうは赤星大吾の引退前後の低迷期に出場していたはずであった。


「親父のほうは俺と同い年で、《レッド・キング》の前身である《ネオ・ジェネシス》のほうがメインだったはずだ。……だから拓哉も、一回あたったぐらいだろうな」


「うん。投げ技でダメージをくらって、最後はアームロックで一本負けだったよ」


 大和源五郎と犬飼京菜が、小声で言葉を交わし合っている。

 その間にエドゥアルド選手と英語でやりとりをしていたグティが、陽気な笑顔で大和源五郎を振り返った。


「ゲンゴロー・ヤマト! チチから、ハナシはキいています! アナタのレスリング、サブミッション、スバラしいそうですね!」


「ああ。お前さんの親父とは、戦績もタイぐらいだったはずだな」


「ハイ! それに、そっちのガール! タクヤ・イヌカイのムスメさんですか? おアいできて、コーエイです!」


 グティが抱きつきそうな仕草を見せたため、犬飼京菜は機敏に榊山蔵人の背後に回り込んだ。


「何さ! あんたの親父と父さんは、一回しかやりあってないはずだよ!」


「ハイ! でも、ウワサ、キいていました。シアイのアト、アサまでパーティー、タノしんだそうです」


 グティは、罪のない顔で笑っている。彼はエドゥアルド選手よりも遥かに年長で、もはや壮年と言ってもいい世代であるはずなのだが――そうとは思えないほど、若々しくて無邪気な笑顔であった。


 本当に、会場に入る前から大騒ぎである。

 摩天楼ジュニアに、アギラ・アスール・ジュニアに、犬飼京菜――そして会場内には、大怪獣ジュニアや赤鬼と青鬼のジュニアも待ち受けている。ことほど左様にして、《レッド・キング》の関係者には二世選手がひしめいているのだった。


(まあそれは、ベリーニャ選手やオルガ選手だって同様なわけだけど……やっぱり格闘技ブームの時代に活躍していた選手の子供さんってのは、感化されやすいってことなのかな)


 グティやエドゥアルド選手の父親たちがどのような活躍を見せていたのか、瓜子は知らない。瓜子は赤星大吾の試合すら、映像でも拝見したことがないのだ。

 ただ、グティやエドゥアルド選手は屈託なく我が道を進んでいるように見受けられる。そんな中で、赤星弥生子と犬飼京菜だけが深い業を背負っているように思えてしまうのが、瓜子には釈然としなかったのだった。

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