13th Bout ~Year-End~

ACT.1  レッド・ストリートvol.5

01 来場

 合同ユニット『トライ・アングル』の東京公演は大成功に終わり、世間に小さからぬ反響を巻き起こしていた。

 前回の『ユーリ・トライ!』と同じ状況で、会場におもむいた人々からは絶賛のレビューが飛び交い、抽選にもれた人々からは悲嘆の声が吹き荒れたのである。そして今回は、大阪公演のチケットを獲得した人々による期待の声というものも、そこに重ねられたのだった。


 それにまた、『トライ・アングル』が結成されたという事実や、年越しイベントの『Sunset&Dawn』への出演が決定されたことも、反響に拍車をかけていた。

 東京公演でお披露目された二曲の新曲も大絶賛で、早くもシングルのリリースに期待がかけられている。ちょっと怖いぐらい、順風満帆の様相であったのだった。


 そんな中、東京公演の六日後には大阪公演が開催され――そちらでもまた、さらなる熱狂を生み出すことに相成った。こちらは東京公演の倍の集客であったため、倍の勢いで反響を呼び起こすことがかなったのだ。


 なおかつその場で、ユーリはひとつの試練をくぐりぬけることができた。

 ひとつの試練――つまりは、『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』の旧来のファンからも、好評を得ることになったのだ。


 さすがのユーリも活動拠点ならぬ大阪の地で、六百名ものファンを集めることはかなわない。それでもチケットは完売したのだから、そこには『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』のステージを観るために押し寄せた観客も多数存在したわけである。


 もちろんそういった人々の中には、ごひいきのバンドの演奏時間が物足りないという不満の声をあげる者もいた。アイドルシンガーなんぞに好きな曲をカバーされたくないという者もいた。しかしそれらは、圧倒的に少数であったようなのである。


「言ってみれば、ユーリ選手は力ずくで古参のファンを黙らせることがかなったのです。アイドルシンガーとのユニット結成を面白く思っていなかった方々でも、ユーリ選手の歌声の前には口を閉ざす他なかったのでしょう」


 千駄ヶ谷は冷徹なる声音で、そのように評していた。

 ともあれ、二度にわたるライブイベントは盛況のうちに終わりを迎え、『トライ・アングル』の今後の躍進には大きな期待がかけられることに相成ったのだった。


 そうして大阪公演の終了後には盛大な打ち上げパーティーも開催され、ユーリと瓜子は翌朝に新幹線で帰路を辿ることになり――そして、十二月の第二日曜日を迎えることになったわけである。


                    ◇


 十二月の第二日曜日――

 その日は、《レッド・キング》の年内締めくくりの興行であったのだった。


 この興行には、瓜子たちともゆかりの深い人々が出場する。すなわち、灰原選手と小柴選手である。《レッド・キング》の十月大会を観戦し終えた頃、腐敗しきったパラス=アテナは改善の見込みも立っておらず、灰原選手たちには試合を行うあてもまったくなかったため、《レッド・キング》への出場を願い出ることになったわけであった。


「けっきょく彼女たちは《アトミック・ガールズ》の一月大会にも出場することがかなったようだが、他団体への出場というものはきっと大きな糧になるだろう。あとは、負傷などをして一月大会を欠場しないように祈るばかりだな」


 そんな風に申し述べていたのは、来栖選手である。今回は鞠山選手と多賀崎選手がセコンド役を受け持ったため、車を出すことができず――それならばと、来栖選手が車の持ち出しと運転を受け持ってくれたのだった。


 かつての『女帝』たる来栖選手に運転手をお願いするというのは、はなはだ気が引けるものである。しかしまた、来栖選手のありがたい申し出をお断りできるような人間はいなかったため、瓜子たちは大きなワゴン車の中で折り目正しくその言葉を拝聴しているわけであった。


 こちらのワゴン車は天覇館が選手の移送に使っている車であるそうで、鞠山選手のマイカーにも負けないサイズを有している。その座席に収まっているのは、瓜子、ユーリ、愛音、メイのプレスマン陣営に、運転役の来栖選手とその後輩たる魅々香選手、それに小笠原選手の七名であった。


「小柴も灰原さんも、けっきょく男子選手とやりあうことになっちゃったからね。本当に、怪我だけはしないでほしいもんだよ」


 来栖選手の言葉に応じたのは、この日のために小田原からやってきた小笠原選手である。直属の後輩である魅々香選手がつつましい性格をしているため、来栖選手と気安く口をきけるのは小笠原選手ただひとりであったのだった。


「でもそれは、灰原選手が自分から言い出したことですので、致し方ないのです。《レッド・キング》に参戦するからには普通の相手じゃつまらないと、灰原選手はずっとそのように主張していたのです」


 と、小笠原選手の隣に陣取った愛音が、そのように言いたてた。メイとのジャンケンに敗れた愛音は、またもやユーリの隣に座る権利を得られず、尊敬する先輩選手と肩を並べることになったのだ。言うまでもなく、瓜子はユーリとメイにはさまれて、魅々香選手は助手席に収まっていた。


「ま、灰原さんも六月以来の試合だし、あんまり無茶をしないでもらいたいもんだね。本番は、やっぱり来月のアトミックなんだからさ」


「《NEXT》のイベントから、もう半年も経過しているのですね。あの日の小笠原センパイは、素晴らしい試合を見せてくれたのです。一日も早い復帰をお祈りしているのです」


「あはは、ありがとさん。こっちは焦らず、じっくり取り組んでいくよ」


 そのように語る小笠原選手は、立派なニットのマフラーで首もとを隠していた。今日はひときわ気温が低く、首の調子がいまひとつであるため、コルセットを着用しているそうなのだ。小笠原選手の首が完治するには、あと四ヶ月が必要であると診断されていた。


「で、猪狩と桃園は敵情視察って面もあるわけだよね。マリアと大怪獣ジュニアは、誰と対戦するんだっけ?」


「それが、マリア選手と弥生子さんが対戦するんすよ」


「へえ! いつも男とやりあってるジュニアが、マリアとやりあうの? それでお客は盛り上がるのかねぇ」


「よくわかんないっすけど、《レッド・キング》では年に一度、マリア選手と青田選手が弥生子さんに挑むってのが定番らしいっすね。やっぱりそれだけ、弥生子さんの対戦相手を探すのが難しいんじゃないっすか?」


《レッド・キング》は、年に五、六回ほど興行を行っているという。それで赤星弥生子はデビュー以来、欠かさず出場しているという話であるのだから、対戦相手のネタが尽きても致し方ないのかもしれなかった。


「そりゃあまあ、男連中だってそうそうオファーを受けたいとは思わないだろうからねえ。女相手に勝っても自慢にならないし、公式の戦績にもカウントされないんだからさ」


「おまけに弥生子さんは、デビュー以来負けなしですからね。そんな強敵を相手取った上で、八百長疑惑をかけられたらたまらないっていう心理も働くのかもしれません」


「まったく、難儀な選手生活だねぇ。それで心機一転、アトミックとの合同イベントに乗り出したってわけか」


 快活な口調で言いながら、小笠原選手は瓜子たちの隙間から運転席のほうをうかがった。


「それならもっと早く心を入れ替えて、舞さんと対戦してほしかったところだよね。表の『女帝』と裏番長の大怪獣ジュニアはどっちが強いのかって、ここ数年はずっと騒がれっぱなしだったんだからさ」


「そうだな。しかし、パラス=アテナの初代代表は赤星大吾氏と折り合いが悪かったため、そんな企画を立ち上げる気にもなれなかったのだろう。それに、故障だらけのわたしが惨敗することを危惧していたのではないだろうか」


「尻の穴が小さいよねぇ。その点、三代目の代表はいきなり桃園に大怪獣ジュニアを当てようっていうんだから、豪気なもんだ」


 と、今度はユーリのほうを覗き込む小笠原選手である。

 しかしユーリは、すぴすぴと寝息をたてているさなかであった。ユーリは新幹線の中でもぐっすり寝入っていたのだが、やはり昨晩のライブで相当に消耗したのだろう。義理堅く打ち上げも最後まで参加していたので、いっそう疲労もつのったのだろうと思われた。


「実際のところ、桃園とジュニアだったら、どっちが勝つんだろうね。……やっぱり鍵になるのは、大怪獣タイムか」


「そうっすね。立ち技だったらあちらが有利、寝技だったらこちらが有利で、ほとんど五分に思えますから……やっぱりそこが、勝負の分かれ目になるように思います」


「楽しみだなぁ。次の機会には、是非アタシが挑ませてもらいたいもんだよ」


 そのように述べる小笠原選手は、いつも通りの魅力的な笑顔であった。

 そうして車は、目的の地に到着する。試合会場は前回と同じく、埠頭の工場区域に存在する『新木場ロスト』であった。


 前回と同じ手順でスタッフに名前を告げ、関係者用の駐車場に誘導される。今回はこの一団も一般客の身分に過ぎなかったが、赤星道場のはからいで駐車場を準備してもらえたのである。

 そうして来栖選手が、指定された場所にワゴン車をとめると――見覚えのある年代物のワゴン車から、見覚えのある面々が降り立ってきたのだった。


「よー、アトミックの元ラスボスを足にするとは、出世したもんだなー」


「いきなりご挨拶っすね。自分たちはともかく、来栖選手に失礼な口を叩かないでくださいよ」


「あん? おめーはアタシが相手を選んで口をきくような人間だとでも思ってんのか?」


 本日も、サキの毒舌は絶好調であった。

 そして、その背後からぞろぞろと現れたのは――ドッグ・ジムの面々である。大和源五郎は宣言通りに彼らを説得して、この試合会場にまで引っ張り出してみせたのだった。


 サキがそれに同行していたのは、来栖選手の車が定員オーバーであったためである。まあ、住まいは同じ横浜であるのだから、そういう意味では順当なのであろうが――あれほどドッグ・ジムに対して牙を剥いていたサキが自分から同行を願い出たというのだから、瓜子はひそかにじんわりとした喜びを嚙みしめることになったのだった。


「みなさん、二週間ぶりですね。よかったら、こちらのメンバーを紹介したいんすけど、どうっすか?」


「ああ。よろしく頼むよ」


 大和源五郎のお許しをいただけたので、瓜子はこちらの七名を紹介してみせた。

 その間、ドッグ・ジムの面々はいつも通りの様相である。犬飼京菜はこれ以上もなく口をへの字にしており、ダニー・リーは千駄ヶ谷に負けないぐらい冷徹な面持ちで、マー・シーダムはひとり柔和に微笑んでおり、榊山蔵人はおどおどと目を泳がせている。もっとも熱心に瓜子の説明を聞いていたのは、やはり大和源五郎であった。


「女子MMAの有力選手は何年も前からチェックしてたんで、来栖さんや小笠原さんもチェック済みだよ。そっちのメイさんは、控え室で何度もご一緒してたし……そっちの邑崎さんも、たしか会場で挨拶されたよな」


「はいなのです。愛音はその場で犬飼京菜サンに宣戦布告した身なのですが、試合場の外で敵視する理由はないのです」


 そんな風にのたまいながら、愛音は対抗心を剥き出しにして犬飼京菜をねめつけている。いっぽう犬飼京菜はぶすっと黙り込んだまま、声をあげようともしなかった。


「で、そっちの御堂さんってのは、この前の興行でうちの沙羅とやりあうことになったな。腕の調子はどうだい?」


「は、はい。まだテーピングはしていますけれど……稽古には不自由なく取り組めています」


 沙羅選手の腕ひしぎ十字固めで敗れた魅々香選手は、肘の靭帯を少なからず痛めることになってしまったのだ。

 しかしもちろん、試合が終わればノーサイドである。武の心を重んずる天覇館所属の魅々香選手は普段通りにつつましくしているものの、ドッグ・ジムの面々を恨む気持ちなど持っていないはずであった。


 そうして今度は、大和源五郎によってドッグ・ジム関係者の紹介が始められる。コーチ陣や榊山蔵人もセコンド役として会場におもむいていたが、ここ数ヶ月は完全に敵陣営であったため、小笠原選手たちが挨拶をするのも初めてのことであった。

 しかし、ダニー・リーに紹介の順番が巡ってきたとき――あまり関心もなさそうにしていたメイが、ぴくりと反応したのだった。


「ダニー・リー? ……『ブラック・ドラゴン』の、ダニー・リー?」


 ダニー・リーはいっそう冷たく双眸を光らせながら、サキのほうを横目で見た。

 サキは「なんだよ?」と、眉間に深い皺を寄せる。


「アタシがおめーの陰気くせー過去をぺらぺら喋るような人間だとでも思ってんのか? ……おい、黒タコ、おめーはなんでそのこっぱずかしい二つ名を知ってんだよ?」


「僕の養父、優秀なトレーナーを探していた。そのとき、名前が挙がっていたけど発見できなくて、残念がっていた。ニューヨークの『ドラゴン・ジム』、閉鎖されていて、オーナーの『ブラック・ドラゴン』、行方不明だった」


「はん。おめーが格闘技を始めたのは、六年前って話だったな。だったらその頃は、この細目野郎もとっくに日本だ」


「理解した」と言ったきり、メイは口をつぐんだ。それ以上は何も語るなと、サキの鋭い眼光が威圧していたのだ。たとえサキが相手でも、メイが怯むことはありえなかったが――メイは同門の先輩たるサキの心情を尊重したのだろうと思われた。


「そちらのお人も、高名なトレーナーだったってわけね。沙羅がこんな短期間でたいそうな力をつけたのも、納得だ」


 と、硬くなりかけた空気をほぐすように、小笠原選手が朗らかな声をあげる。


「とりあえず、沙羅やそちらの犬飼さんを今さら敵視する理由はないし、赤星道場とのゴタゴタにも首を突っ込む気はないからさ。今日は平和に試合観戦を楽しみたいと思うよ」


「ああ。よろしくお願いするよ」


 それでようやく一行は、試合会場を目指すことになった。

 もちろん赤星道場にはドッグ・ジムの関係者が来場することを伝えているし、ドッグ・ジムの面々には赤星大吾が屋台で働いていることを伝えている。そして瓜子は大和源五郎に「迷惑はかけない」と言いわたされていたが――彼らをこの場に引っ張り出したのは瓜子であったので、いざというときにはいくらでも身体を張る覚悟であった。


(まあ、大吾さんが相手だったら、そんな騒ぎになることもないと思うけど……犬飼さんが癇癪を爆発させる可能性は、十分にあるからな)


 そんな思いを噛みしめている瓜子のかたわらで、メイは歩きながら端末携帯を操作している。メイがそのようにお行儀の悪い姿を見せるのは珍しいなと、瓜子がいささかいぶかしく思っていると――瓜子の携帯端末が、メール受信の振動を伝えてきた。


 差出人はメイで、件名は『黙って読んで』である。

 そして本文には、実に長々と文字が連ねられていたのだった。


『「ブラック・ドラゴン」のダニー・リーはかつて北米の地下格闘技界の覇者と呼ばれていた人物で、若くして引退したのちに「ドラゴン・ジム」を立ち上げた。だけど、現役時代に対戦した選手がニューヨークマフィアの構成員で、試合に負けた報復のために「ドラゴン・ジム」の有望選手を殺害した。それで悲嘆に暮れたダニー・リーは、格闘技業界から身を引いて海外に逃亡したという風聞が残されていた』


 瓜子がびっくりまなこで振り返ると、メイが素早く耳打ちしてきた。


「たぶん、サキはこのことを誰にも知られたくないんだと思う。だから、ウリコも黙っていてほしい」


「も、もちろんこんな話を言いふらしたりはしませんけど……それならどうして、自分にこんな話をしたんすか?」


「……ウリコには、隠し事をしたくないから」


 メイは、すねた子供のような目つきで瓜子を見返してくる。

 瓜子は苦笑しながら、「承知しました」と答えてみせた。


(シーダムさんは網膜剥離で引退することになって、リーさんにはこんな過去があったのか。……犬飼拓哉っていうお人は、そういう人たちを放っておけない性分だったのかな)


 そして犬飼拓哉の死後も、ダニー・リーたちは犬飼京菜のもとに留まり、コーチの役目を果たしている。

 彼らがどれほど強い絆に結ばれているのか、瓜子はあらためて思い知らされた心地であった。

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