05 アンコール
全員参加の『リ☆ボーン』によって、アンコールのステージも終了した。
しかしすべてのメンバーが舞台袖に戻るなり、再びアンコールの声が唱和される。瓜子は前回のイベントにおいても二回ぐらいのアンコールはお決まりと聞かされていたが、それでも感慨深いことに変わりはなかった。
(いくらお決まりって言っても、ステージの内容がいまいちだったら、アンコールなんてかからないんだろうしな)
そんな思いを噛みしめる瓜子のかたわらで、ユーリはくぴくぴとスポーツドリンクを飲んでいる。その身はしとどに汗で濡れており、呼吸も大きくなっていたものの、その表情は明るく活力にあふれかえっていた。
「もう余裕で二時間ぐらいは経ってるのに、さすがのスタミナっすね」
「えー? でもでもユーリは、その内の半分ぐらいしか歌ってないからにゃあ。試合やお稽古に比べれば、どうってことナッシングですのよ」
しかしボイトレの先生などは、ユーリの咽喉の頑丈さに驚いていた。最近体得した振り絞るような歌唱についても、そんな無茶をしていたら咽喉がもたないと警告されていたのに、ユーリはけろりとしているのである。
「それではそろそろ、ステージに向かいましょう。くれぐれも、段取りに間違いのないように」
千駄ヶ谷の冷徹な声に、ユーリは「はぁい」と気安く応じる。
舞台袖に向かってみると、すでに『ワンド・ペイジ』の面々が集合していた。客席から聞こえるアンコールの要求は、まったく勢いを減じていない。
「お疲れ様です。ラスト二曲、頑張りましょう」
「はぁい、頑張りまぁす。……二曲で終われば、至福の極致なのですけれど……」
と、ユーリが上目づかいで千駄ヶ谷のほうをうかがうと、絶対零度の眼差しに迎えられた。
「もしも三度目のアンコールがかけられたならば、予定通りに『ネムレヌヨルニ』をお願いいたします。こちらの準備にぬかりはありませんので」
「あうう。こればかりは、ぬかっていてほしいものでありまする……」
ユーリがしょんぼりしてしまったので、瓜子はエールを送ることにした。
「ほらほら、そんなお顔をするのは三度目のアンコールをかけられてからにしましょう。楽しいお歌を歌うんだから、楽しい気分でいないと」
「ううむ。これぞスターゲイトの、アメとムチ作戦でありますねぃ」
そんな風にぼやきながら、ユーリはにこりと笑って右の拳を出してきた。
瓜子も笑って、自分の拳を押し当てる。
「ではでは! 『ワンド・ペイジ』のみなさま、よろしくお願いいたしまぁす!」
「はい。頑張りましょう」
「こ、こ、こちらこそお願いいたします」
「でけえ声はステージまで取っておけよ」
三者三様の言葉を返す『ワンド・ペイジ』のメンバーとともに、ユーリはステージへと躍り出た。
まったく勢いの減じない歓声が、会場の壁をびりびりと震わせる。ユーリはそれを煽るように、『トライ・アングル』のスポーツタオルをぶんぶん振り回した。
『二度目のアンコール、ありがとうございまぁす。みなさん、楽しんでますかぁ?』
大歓声が、ユーリの言葉に応じてくれる。
ドラムセットは幕間にローディーがセッティングしていたため、いつでも演奏可能な状態だ。しかしユーリは段取りに従って、さらなる言葉を重ねた。
『次の曲をお披露目する前に、お伝えしたいことがありまぁす。みなさん、本日のイベントタイトルを覚えておられますかぁ? こちらのタオルやTシャツにもプリントされておりますけれども……そう、「トライ・アングル・プロローグ」ですねぇ』
頭の上にスポーツタオルを掲げたユーリは、のほほんとした笑顔でそう言った。
『実はこれ、「トライ・アングル」のプロローグという意味であるのですが……キッペイ様、「トライ・アングル」とは、いったい何なのでしょう?』
『「トライ・アングル」は、俺たち「ワンド・ペイジ」と「ベイビー・アピール」、それにユーリさんの八人で組んだ、新しいユニットの名前です』
『はぁい。そういうことですねぇ。これからユーリたち八人は、このユニット名で活動していくことになりましたぁ。もしも本日のライブがお気に召しましたら、応援よろしくお願いいたしまぁす』
ユーリの言葉を聞くために抑制されていた歓声が、揺り戻しのように勢いを増した。
あまり観客を煽らない西岡桔平も、にこにこと笑いながらシンバルを打ち鳴らす。
『「トライ・アングル」がどういうペースで活動していくかは予定も未定なのですけれど、現時点で三つほど決まっていることがあるので、そちらを告知させていただきますねぇ』
ユーリが再び語り出すと、客席が静まった。
しかし、その内に熱気を孕んだ静けさである。
『まず、本日のライブと大阪公演のライブは、DVDで発売される予定でぇす。それで、二番目は……えーと、ごめんなさい、何月何日のなんていうイベントでしたっけぇ?』
これは段取りでなく、単なるユーリのポカであった。
西岡桔平は慌てず騒がず、それをフォローする。
『幕張パレットで開催される年越しイベント「Sunset&Dawn」の前夜祭に、飛び入りで参加することになりました。年越しイベントの前夜祭なので、日取りは十二月三十日ですね』
ユーリの『そうでしたぁ』という声は、歓声によって半ばかき消されることになった。瓜子は寡聞にして存じあげなかったが、『Sunset&Dawn』というのは初開催から十五年もの歴史を持つ由緒正しきロックフェスであるようなのだ。
『そして二月には、「トライ・アングル」のファーストシングルが発売される予定でぇす。たぶんライブのDVDと同時発売になると思うので、みなさんよろしくお願いいたしまぁす』
大歓声の中、西岡桔平がバスドラを鳴らし始めた。
山寺博人はギターをハウリングさせ、陣内征生は弓で優美な音色を奏でる。曲の開始の前兆に、人々はいっそうわきたった。
『この曲も、シングル候補のひとつでぇす。ではでは、準備はよろしいですかぁ? ……新曲で、「burst open」でぇす』
西岡桔平がスネアを乱打して、『burst open』のイントロが開始された。
『ワンド・ペイジ』としては指折りのアップテンポで、なおかつシャッフルのリズムである。山寺博人は荒々しくギターをかき鳴らし、陣内征生はひとり流麗なる旋律を重ねた。
そこに、ユーリの歌声が響きわたり――十分に覚悟を固めていた瓜子の心臓を貫いた。
さきほどまでの甘ったるい喋り声とはまったく異なる、悲壮なまでの迫力に満ちた歌声だ。ここ最近でユーリの歌唱力を思い知った人々も、これには度肝を抜かれたことだろう。瓜子にしてみても、出だしからこれだけの声を振り絞る楽曲というのは、まったく馴染みのないものであった。
その歌詞は、山寺博人らしく抽象表現に満ちている。
しかしまた、それほど難解な言葉ではない。山寺博人はシンプルな感情を少しだけひねった言葉で歌いあげるというのが、主たるスタイルなのである。ユーリとて、今回は瓜子の解説なしに「素敵な歌詞ですねぇ」と涙していたのだった。
その内容は――不条理に満ちた世界にあらがって、我が道を行くというものであった。
まったく難解なものではない。ロックバンドの楽曲の歌詞としては、むしろストレートすぎるぐらいであろう。それをありきたりのものに思わせないのが、山寺博人の言葉選びのセンスであるのだった。
ちなみにタイトルの『burst open』とは、「弾ける」だとか「爆ぜる」だとかの意味であるそうだ。
そのタイトルに相応しい、爆発力に満ちた曲である。
ドラムとギターとユーリの歌は、イントロからAメロまでずっと爆発し続けている。地雷原をかまわずに突進する重戦車のごとき迫力であった。
そうしてBメロに入ると、歌とベースだけが残される。
ベースは変わらずに流麗な音色であり、ユーリの歌は囁くような歌唱に変じた。
しかし、爆発の予兆の匂いたつ囁き声である。
そしてサビでは、その予想を上回る迫力が炸裂するのだった。
「ユーリ選手の歌としては、ワイルドすぎる面があるかという危惧を抱いておりましたが……それは杞憂であったようです」
スタジオ練習の際、千駄ヶ谷はそのように言いたてていた。
確かにこれは、今までの曲でもっとも荒々しい。暴力的と言ってもいいぐらいの迫力であろう。
だがしかし、ただ迫力があるだけの歌ではない。もともと甘ったるいユーリの声質が、そこに得も言われぬ艶と色香を加えているのだった。
ギャップといえば、これ以上のギャップはないぐらいだろう。あのような外見をしていて、声質も甘ったるいユーリが、荒々しい歌を荒々しい言葉で歌いあげている。そのギャップが、この歌を特別なものにしているのだ。瓜子はかつてカメラマンのトシ先生から聞かされた「アンビバレント」という言葉をまざまざと思い出していた。
山寺博人は、かつて撮影の現場で披露されたユーリの振り絞るような歌声から、インスピレーションを受けたのだ。歌のキーはユーリが歌えるぎりぎりの高さに設定されており、ブレスの間も少ないので、ユーリは否応なく全身全霊で力を振り絞るべき領域に追いやられているのだった。
この『burst open』を聞いていると、瓜子はむやみに心臓が騒いでしまう。
涙が流れたりはしない。どのような逆境でもめげないユーリの力強さが、瓜子の心をおののかせるのである。何か、ユーリの持つエネルギーの暴風雨に巻き込まれるような心地であった。
アップテンポであるためか、曲は四分ていどで終わりを迎える。
しかし、物足りないと感じる人間はいないだろう。サビの勢いのままアウトロに突入して、ユーリのシャウトが響きわたり、断ち切られたように曲が終わると、今日一番の凄まじい歓声が会場を揺るがしたのだった。
『ありがとうございまぁす。新曲の、「burst open」でしたぁ。……ではでは、「ベイビー・アピール」のみなさんもカモンでぇす』
曲が終わるなり元来の無邪気さを取り戻したユーリが、いくぶん肩を上下させながら元気にそのような声をあげる。
いつの間にか舞台袖に集結していた『ベイビー・アピール』の面々が、堂々たる足取りでステージに乗り込んでいった。瓜子はステージの迫力に圧倒され、彼らの存在にも気づいていなかったのだ。
そうして再び全員集合したならば、最後の楽曲たる『ハッピー☆ウェーブ』が披露される。西岡桔平がドラムを担当するバージョンで、ダイは聴こえもしないマラカスを振り回していた。
『burst open』が物凄い迫力であったためか、『ハッピー☆ウェーブ』がずいぶん朗らかな曲に聴こえてしまう。
しかし、疾走感や躍動感が損なわれるわけではないので、むしろ明るく楽しい大団円の雰囲気が生まれているように感じられた。
ユーリも、心から楽しそうに歌っている。
『ベイビー・アピール』のメンバーは誰もがはしゃいでいたし、『ワンド・ペイジ』のメンバーは心地よさそうに演奏を楽しんでいるように見える。そして全員が同じ『トライ・アングル』のTシャツを着ているためか、これだけタイプの異なる三組であるのに、確かな統一感も感じられた。
『みなさん、ありがとうございましたぁ!』
ユーリの元気な挨拶とともに、最後の一音が叩きつけられる。
客席からは、充足しきった歓声と拍手があげられていた。
『トライ・アングル』の八名は横並びとなって、一礼する。これも今後は八名が対等な立場であるということを示す演出である。全員が手をつないで、大きくバンザイをしてから頭を下げるという、とても和やかな姿であるが――一番端に陣取った山寺博人がタツヤに片手を取られながら、いかにも嫌そうに頭を下げているのが、瓜子には可笑しかった。
そうして温かな拍手に送られて、メンバーはそのまま一列になって舞台袖に戻ってくる。先頭の山寺博人は速足で瓜子の前を素通りして、さっさと楽屋に戻ってしまった。
瓜子は通りすぎていく人々に「お疲れ様です」の声をかけながら、ユーリの帰りを待つ。列の真ん中に陣取っていたユーリは鳥肌の浮いた手もとをスポーツタオルで覆いつつ、漆原と西岡桔平にはさまれて凱旋してきた。
「みなさん、お疲れ様でした。最後の最後まで、最高のステージでしたよ」
「ありがとうございます。ただ――」
と、西岡桔平が自分の耳もとに手をやった。
拍手と歓声の向こう側から、じわじわとひとつの言葉が浮かびあがってくる。それに気づいたユーリは、瓜子の足もとにがっくりと突っ伏してしまった。
「おおう……二十三曲にも及ぶ素晴らしい楽曲を味わいながら、まだご満足いただけないのでしょうか……?」
「それだけユーリ選手のバラード曲には、独自の魅力があるということなのでしょう」
千駄ヶ谷は情けも容赦も存在しない声音で、そのように言いたてた。
そして、その手に握られていたストップウォッチが作動される。
「計測を開始いたしました。アンコールの要求が三分間を超えたならば、『ネムレヌヨルニ』をお願いいたします」
「はいぃ……その三分間でお客さまがたがあきらめることを、切にお祈りいたしまする……」
「大変だねぇ、ユーリちゃん」と、まだその場に留まっていた漆原が身を屈めて、悲嘆に暮れるユーリの顔を覗き込んだ。
「俺たちのしっとり曲が完成したら、昔のしっとり曲からは解放されるかもしれないからさぁ。それまでは、なんとか頑張ってねぇ」
「はいぃ……どうしてどちらも元気なほうの曲だけが完成してしまったのか……ユーリは忸怩たる思いであるのです……」
「しっとり曲のほうが音程とかリズムとかがシビアになるから、しかたないんじゃないのぉ? ……何せ俺たちは、ユーリちゃんがしっとり曲でもすげえ歌を歌えるって知っちゃってるからさぁ。それを超えるクオリティにまで仕上げないと、納得いかないんだよぉ」
そう言って、漆原は子供のような顔で笑った。
「でもまあ俺たちの曲が完成したら、お客らも絶対満足するはずだからさぁ。こんな苦労も年内いっぱいだよぉ」
「あうう……ウルさんの優しさが、ユーリの弱りきったハートに響きわたるのです……」
「あははぁ。俺、下心がないほうが女の子に優しくできるのかもねぇ」
そうして三分間を超えるまで、アンコールの声が途絶えることはなく――その日もユーリは『ネムレヌヨルニ』を歌唱して、全精力を使い果たすことに相成ったのだった。
しかし、イベントとしては大成功であろう。のちの評価を待つまでもなく、会場の人々は前回の『ユーリ・トライ!』よりも明らかに熱狂の度合いが増していた。
そうして『トライ・アングル』は強硬スケジュールで組まれた初ステージにおいて、きわめて華々しくスタートを切ることがかなったのだった。
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