04 第三幕
『ワンド・ペイジ』が二曲の楽曲を披露している間に、ユーリは超特急でお色直しを済ませることになった。ステージはこのままノンストップで、第三の部――『Yu-Ri』の部に突入するのである。
ユーリが主役となるこの部のステージ衣装は、やはりロックテイストの強い装いとなっていた。ハーフトップとビキニパンツの上に、ダメージだらけのニットセーターとショートのデニムパンツを重ね着するという、なかなかの露出度である。
「今回は、ステージ上でどれだけの露出が許されるか試したいというご依頼だったので、こういう衣装になりました。ちょっと攻めすぎましたかね?」
「私は問題ないかと思います。不評であれば、大阪公演では改めることにいたしましょう」
千駄ヶ谷のゴーサインとともに、ユーリは舞台袖に舞い戻った。
『ワンド・ペイジ』の演奏は、すでにエンディングに近づいている。客席には、瓜子たちが退出する前と変わらない熱気が渦巻いていた。
この時点で、『ベイビー・アピール』と合わせて十四曲目であるのだ。時間にして、もう九十分以上は経過している。ライブというのは観客たちにも体力が必要なんだなと、そんな思いを噛みしめる瓜子であった。
やがて最後の曲が終了すると、大歓声の中で西岡桔平がマイクに口を近づける。
『俺たちの曲はここでおしまいですけど、イベントはまだ終わりません。最後まで楽しんでいってくださいね』
ステージ上でも、普段通りに温和な西岡桔平である。観客たちも、温かい声援でそれに応えていた。
その間に楽器を手放した山寺博人と陣内征生は、ステージ上でジャケットやシャツを脱いでいる。その下に着込んでいたのは、『トライ・アングル』のTシャツであった。
担当のスタッフが駆け出して、脱ぎ捨てられたステージ衣装を拾いあげていく。そうして両名が楽器を抱えなおしたタイミングで、ユーリがステージに出ていった。
『ワンド・ペイジ』の挙動から、観客たちもユーリの再登場を期待していたのだろう。その期待が報われたことで、客席には凄まじい歓声と熱気が渦巻いた。
ユーリはにこにこと笑いながら、『あらためまして、こんばんはぁ』と呑気な挨拶の言葉を放つ。
『ユーリ、三度目の登場でぇす。一生懸命歌いますので、どうぞよろしくお願いいたしまぁす』
ユーリを嫌う人間は、わざわざこのような場に足を運ぶこともないだろう。よって観客たちは、誰もが大喜びでユーリを迎えてくれていた。
ユーリが挨拶をしている間にTシャツ姿となった西岡桔平が、小気味よくシンバルを打ち鳴らす。それを合図にして、チューニングを終えた山寺博人と陣内征生もそれぞれの楽器をかき鳴らした。
『ではでは、ユーリのファーストシングル、「ピーチ☆ストーム」でぇす』
山寺博人が荒々しいカッティングを見せて、観客たちに新たな歓声をあげさせる。
まるでここからライブが始まったかのような熱狂ぶりである。多少の疲れを覚えていた瓜子も、目を覚まされたような心地であった。
「よ、盛り上がってるみたいだな」
と、背後から『ベイビー・アピール』のタツヤが耳打ちしてきた。
とたんに、ダイがタツヤの腕を引っ張って、何事か言いたてた。その表情から察するに、「近づきすぎだ」とでも言ったようであった。
まあ、このような舞台袖で雑談は差し控えるべきであろう。瓜子としてもユーリのステージを見届けたかったので、精一杯の社交スマイルを振りまいたのちは、ステージに集中させていただいた。
やはりユーリはここ最近の特訓で、迫力が増している。
ただ歌い慣れたというだけでなく、振り絞るような歌唱を体得できたのだ。なおかつ、もっとも歌い慣れているのは自身の持ち曲であったため、この『ピーチ☆ストーム』ではその成長も顕著に表れていた。
それを横から見守っているだけで、瓜子は身体がうずうずとしてしまう。
『ワンド・ペイジ』の曲では深い感動を得られるが、ユーリの曲では元気づけられるのだ。そして、心から楽しそうに歌うユーリの姿が、瓜子を温かい気持ちにさせてくれた。
同じ勢いで『リ☆ボーン』も披露され、『ワンド・ペイジ』の出番はいったん終了だ。
それと同時に『ベイビー・アピール』の面々がステージに乱入していくと、観客たちは歓声を張り上げた。
『どうもどうもぉ。俺たちとも楽しもうぜ、ユーリちゃん』
『どうもお疲れ様でぇす。『ベイビー・アピール』のみなさん、よろしくお願いいたしまぁす』
ユーリと漆原の脱力した掛け合いを背に、『ワンド・ペイジ』の面々は舞台袖に帰還してきた。
瓜子が「お疲れ様です」と頭を下げると、やはり笑顔を返してくれるのは西岡桔平だ。
「いやぁ、合間合間にユーリさんをお迎えするのは刺激的で、その分ものすごく消耗しますね。なんだか、フルのステージを終えた気分です」
「そうですか。でも、最高のステージでしたよ」
「ありがとうございます。……でもやっぱり、ドラムが一台だと転換に手間取っちゃいますね」
後半の言葉は、千駄ヶ谷に向けられたものだ。
千駄ヶ谷は冷徹な面持ちで「はい」と応じた。
「西岡氏と中山氏ではまるでセッティングが異なりますし、こればかりは致し方ありません。今後はなるべく、二台のドラムセットを準備できる会場を選ぶべきなのでしょう」
「でもこのハコも、音はいいですよ。DVDを拝見したところ、照明の演出や映像の設備もばっちりですしね」
演奏の直後にこのような会話を交わせるのは、やはり西岡桔平ならではなのであろう。山寺博人と陣内征生はアンコールに備えて、さっさと楽屋に戻ってしまっていた。
ステージ上ではまだユーリと漆原の掛け合いが続けられており、その間にダイがドラムのセッティングに勤しんでいる。前回のライブではスムーズな進行を優先させるために、セッティングの変更も最小限に留められていたが、今回は全局面で最高のクオリティを発揮できるように取り計らわれていたのだ。
しかしまた、弦楽器であればそれぞれ自前のアンプを置いたままにできるので何の苦労もないが、ドラムに関してはスネアやタムやシンバルを交換しなければならないため、ずいぶんな時間がかかってしまうのだった。
(ドラムにそんな違いがあるなんて、あたしは考えたこともなかったもんな)
スネアというのは皮の張り具合やら何やらでずいぶん音が変わってしまうらしく、アマチュアの人間でも自前のものを持ち込むことが多いのだそうだ。
タムやシンバルなどは、プレイヤーによって個数さえ変わるらしい。現に、ダイは西岡桔平よりも多くのタムとシンバルを使用するため、それを増設しつつ位置や角度も調節しなければならないのだ。
と、門前の小僧である瓜子が理解できるのはそこまでで、実際のところはスネアとタムの見分けもつかない。クラッシュシンバルとチャイナシンバルでどのように音色が変わるのかも、まったく把握できていなかった。
『ダイはまだ準備が終わらねえのかぁ。じゃ、時間潰しにセッションでもしようぜぇ』
そんな宣言とともに、漆原がエレキギターのクリーントーンでゆったりとコードをかき鳴らした。
セッションと言いながら、これもスタジオで軽く練習した演出のひとつである。それが『ワンド・ペイジ』の『ジェリーフィッシュ』のコード進行であることに気づいた観客たちが、歓声をあげた。
疾走感のある『ジェリーフィッシュ』が、まるでバラードのようにゆったりと演奏されている。リュウとタツヤも同じ調子でギターとベースをかぶせ、さらにユーリが甘い声音で歌い始めると、さらなる歓声がわきたった。
しばらくすると、要所要所でダイがスネアやタムやシンバルを打ち鳴らした。曲の邪魔をしないように、サウンドチェックをしているのだ。
そして最後にはドラムもゆったりとリズムを刻み、ユーリの歌声も普段通りに熱を帯びて、『ジェリーフィッシュ』が完奏されたのだった。
『いいねぇ。これもDVDに収録してもらおうぜぇ』
『あはは。マネージャーさんたちに交渉してみましょうかぁ』
客席には、温かい拍手が巻き起こっている。
そしてそれを断ち切るように、リュウが重く鋭いギターサウンドを響かせた。
『じゃ、本番ねぇ。ラスト二曲、とばして行くよぉ』
ここで披露されるのは『ハッピー☆ウェーブ』と、再びの『ピーチ☆ストーム』であった。
『ピーチ☆ストーム』はついさきほど『ワンド・ペイジ』によって演奏されていたが、やはりまったくアレンジが異なっているため、二番煎じの印象は生まれない。ステージ本編のラストを締めくくるのに相応しい盛り上がりようであった。
『どうもありがとうございましたぁ!』
元気いっぱいの挨拶を残して、ユーリが舞台袖に戻ってくる。
『ベイビー・アピール』のメンバーがそれに続く頃には、すでに「アンコール!」の声があげられていた。
「どうせアンコールは二回以上かかるだろうからさぁ。ここは焦らさないほうがいいと思うよぉ?」
漆原がそのように言いたてると、千駄ヶ谷も「同意いたします」と即答した。
『ベイビー・アピール』の面々は楽屋に戻る手間もはぶいて、汗に濡れたTシャツを脱ぎ捨てる。そうして『トライ・アングル』のTシャツに着替えたならば、二分と空けずにステージへと戻っていった。
いっぽうユーリは大急ぎで控え室に戻り、こちらも物販のTシャツに着替えた上で、申し訳ていどにメイクを直し、すぐさまステージを目指すことになった。
『アンコール、ありがとうございまぁす! それじゃあここで、新曲をお披露目しちゃいますねぇ』
そうして演奏されたのは、『ベイビー・アピール』が作りあげた新曲、『ハダカノメガミ』であった。曲名は漆原の原案通りで、ただカタカナ表記にされていた。
これは漆原が作詞作曲をした、アップテンポの楽曲である。ユーリがこれまでに歌ってきた中でも最速のテンポであり、それに相応しい迫力を有していた。
歌詞の内容は――
「ありのままの自分を見ろ」
「ただし、お前に理解できるかな?」
という意味合いになっていた。
これは漆原が、ユーリをイメージして作った歌詞であるのだ。
ユーリは誰よりもあけっぴろげでありながら、その奥底に重い秘密を抱えている。漆原はその事実を知らないはずだが――あるいは、何かを察しているのだろうか。それほど奇抜な歌詞ではないながらも、その歌詞はユーリの有する二面性をひそかに象っているように思えてならなかった。
しかし何にせよ、ユーリは「素敵な歌詞ですねぇ」と言っていた。
それでユーリも、存分に気持ちを込めることができていた。
さらに、ユーリが体得した振り絞るような歌唱と相まって――それは、凄まじいまでの疾走感と躍動感でもって、聴く人間の心を揺さぶるのだった。
「やはりライブでは、いっそうの爆発力が生まれるようですね。いっそこの音源をシングルとしてリリースしたいぐらいです」
演奏のさなか、千駄ヶ谷がそのように耳打ちしてきた。
瓜子も、まったく異存はない。この『ハダカノメガミ』であれば、『ハッピー☆ウェーブ』を超えるほどの人気を獲得できるはずであった。
そして楽屋からは、『ワンド・ペイジ』のメンバーが戻ってくる。この後には、全員参加で『リ☆ボーン』をお披露目する予定になっているのだ
(本当に、目の回りそうな騒ぎだな)
前回よりもバンドメンバーの入れ替えが激しく、そしてユーリの歌が迫力を増しているせいか、ただ脇から眺めているだけの瓜子ですら、試合の時に負けないぐらい消耗してしまっていた。
なおかつ、試合の時に負けないぐらい、昂揚もしている。業務ではなく観客として参加している人々は、これ以上の疲労と昂揚を覚えているのだろうか。それはなかなか、想像の難しいところであった。
そして――ステージに立つ人々こそが、最大の疲労と昂揚を味わわされているはずであるのだ。
そんな風に考えると、瓜子はおもいきり触発されて、自分も試合がしたくてたまらなくなってしまった。
(ユーリさんも、決勝戦の不完全燃焼な気持ちを、少しは払拭できたのかな)
そんなユーリの本心は、本人にしか知るすべはなかったが――ステージで躍動するユーリは、誰よりも楽しそうで誰よりも光り輝いていたのだった。
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