03 第一・第二幕

 最初のステージでユーリがお披露目したのは、『ベイビー・アピール』のカバー曲――『境界線』と『アルファロメオ』である。


 疾走感あふれる『境界線』も、けだるいリズムで妖しい色香を撒き散らす『アルファロメオ』も、先々月のステージに劣らない大歓声を授かっていた。


 スタジオ練習を重ねた恩恵で、これらの曲も明らかにクオリティを高めているのだ。舞台袖で見守る瓜子も、大いに情動を揺さぶられることになった。

 それに三度目の共演ということで、バンドとの一体感も増している。ユーリの過剰なロックファッションも、他のメンバーたちといい具合に調和していた。


 それにユーリは歌っているさなか、バンドのメンバーと視線を合わせることが多くなっていた。

 これはスタジオ練習の際、『ベイビー・アピール』のほうから要請があったのである。同じユニットのメンバーとして活動していくならば、メンバー間の交流も重要であるというのが彼らの主張であったのだ。


「アイコンタクトだけでも、気持ちが重なったりするもんだからさぁ。最初は義務感でいいから、俺たちに視線をよこしてよぉ」


 指示を受ければ、愚直に従うユーリである。そして視線の交換というものは、確かに一体感を増幅させる効果があるようであった。

 まるで最初から同じバンドのメンバーであったような――というのは言い過ぎであっても、とりあえず、もはやシンガーとバックバンドという構図には見えない。ユーリと『ベイビー・アピール』は、ともに手を携えてこの魅惑的な空間を作りあげていた。


 そうしてわずか二曲でユーリが引っ込むと、客席からは不満の声があげられる。

 するとそれをかき消すように、『ベイビー・アピール』の面々がそれぞれの楽器をかき鳴らし、打ち鳴らした。


『お楽しみは、まだまだこれからだよぉ。俺たちもこれでいったん引っ込むから、残念がってくれよなぁ』


『ベイビー・アピール』が、最後の曲を披露した。観客たちの不満を爆散させるような、激しい楽曲である。

 それを尻目に帰還したユーリは、汗の浮かんだ顔で瓜子に笑いかけてきた。


「どうどう? うり坊ちゃんをトリコにできたかにゃ?」


「ええ、存分に。それじゃあ、お色直しに取りかかりましょうね」


 千駄ヶ谷の目があったので、ユーリには心からの笑顔で勘弁してもらうことにした。

 器材置き場に駆け込むと、衣装係とメイク係が手ぐすねを引いて待ちかまえている。まずは部屋に施錠して、お着換えであった。


 次は『ワンド・ペイジ』との共演であるので、そちらに寄せた衣装である。

 ただし、行き過ぎたグランジファッションというネタは、すでに前回使ってしまっている。今回は、『ワンド・ペイジ』がときどきお披露目するモッズ系なるファッションであった。


「ワンドさんも、昔はけっこうモッズ系の黒スーツだったんですよね。噂によると、ヴォーカルのヒロさんが嫌がって、滅多に着なくなっちゃったみたいですけど」


 彼らのそういった姿は、瓜子もアルバムのジャケットやライブ映像で確認していた。今日はユーリのために、彼らもひさびさに昔のステージ衣装を引っ張り出してくれたのだ。


 で、それにあわせるユーリのステージ衣装は――無茶苦茶にタイトなミニのワンピースに黒タイツ、それにシャープな革靴という取り合わせであった。ワンピースは白地で、青と白と赤で構成されたターゲットマークというものがでかでかとプリントされている。これがモッズファッションの代表的なマークであるのだそうだ。


「ふみゅふみゅ。男性陣はスーツなのに、ユーリはワンピなのですねぃ。このワンピそのものはかわゆくて好みなのですけれど、これで男性陣と調和するのでしょうかぁ?」


「ユーリさんにもスーツを着ていただくって案もあったんですけど、モッズスーツってタイトさが生命なんですよ。そんなぴちぴちのスーツだと、ユーリさんも動きにくいでしょうし……それに、あんまりモッズ感も出ないと思うんですよね」


「あうう……つまり、ふくよかなユーリに似合うファッションではない、ということですねぃ」


「それはほら、グラマーすぎると和服が似合わないっていうでしょう? それと同じようなものです」


 なだめ上手の衣装係とバトンタッチして、メイク係がユーリの顔を整え始めた。

 派手なシャドウとルージュは綺麗に拭い取られて、口もとには淡いピンク、目の周囲にはくっきりとしたラインがのせられる。そうして最後のとどめとばかりに、前髪が斜めにあげられてピンク色のヘアピンで留められた。


「わ、これも何だか、いつもと違う雰囲気っすね」


 ユーリがおでこを見せるのは珍しいし、レトロなデザインのワンピースと相まって、何かお人形のようである。ただし、これ以上もなく身体のラインが出る服装であるため、人形にはありえない色香も付随してしまっている。


「今回は三部構成なんで、第二部はちょっと奇をてらってます。でも、ユーリさんはどんな服でも着こなしちゃいますからね」


「そうですかぁ……モッズスーツとやらは似合わないようですけれども」


「えー! そんな気にしないでくださいよぉ。ほらほら、鏡で見てみてください。すごく可愛いでしょう?」


 大きな姿見の前に立ったユーリはあれこれポーズを取ったのち、やがて「にゅふふ」と笑い声をこぼした。


「これも普段の撮影では、なかなか着る機会のないファッションですよねぇ。ご機嫌が向上してまいりましたぁ」


 やはりユーリは、着飾ることが大好きであるのだ。衣装係とメイク係の両名もほっと息をつきつつ、こっそりグータッチを交わしていた。


「では、舞台袖で待機いたしましょう。『ワンド・ペイジ』の方々も、演奏を開始したようですので」


 千駄ヶ谷の号令で、再び舞台袖に舞い戻る。

 確かにステージ上では、『ワンド・ペイジ』の面々が幽玄なインストの演奏を奏でていた。陣内征生と西岡桔平はタイトな三つボタンの黒スーツだが、山寺博人はジャケットを着ておらず、カッターシャツの袖をまくって、細い黒ネクタイをだらしなくゆるめている。彼がきっちりとスーツを着込むのは、撮影のときのみであるのだ。


 陣内征生のアップライトベースを基調とした演奏はやがて終了し、なんの挨拶もなく本来の楽曲に移行する。その一曲目は、瓜子が入場曲として使わせていただいている『Rush』であった。


「にゃはは。この曲を流されたら、うり坊ちゃんもついついステージに進軍しそうになっちゃうんじゃない?」


 ユーリの軽口には「そんなことないっすよ」と応じつつ、瓜子は確かに居ても立っても居られないような昂揚感を覚えてしまっていた。

 軽妙にして力強い西岡桔平のドラムに、この曲では打楽器のようにリズムを撃ち鳴らす陣内征生のベース、それに山寺博人の荒々しい歌とギターがかぶせられて、瓜子の心臓をぐいぐいと揺さぶってくる。そもそも瓜子はこの曲にもっとも昂揚させられるからこそ、入場曲として使わせていただいているのだ。その生演奏を前にして、血がたぎらないわけはなかったのだった。


 さらにもう一曲、『Rush』にも負けない疾走感を持つ曲をお披露目してから、西岡桔平が初めて発言した。


『次は、カバー曲です』


 そんな短い挨拶とともに、また激しいビートが打ち出される。

『ベイビー・アピール』のカバー曲である。『ワンド・ペイジ』の面々が選んだのは、『ベイビー・アピール』の持ち曲の中でもかなりアップテンポである、本来はヘヴィメタル色の強い楽曲であった。


 きっとこれは、ギャップを狙った選曲であるのだろう。同じロックというカテゴリにありながら、ヘヴィメタルというのは『ワンド・ペイジ』にとってもっとも縁遠そうなサウンドであるのだ。ジャズ色の強い西岡桔平のドラムと、チェロのように優美な陣内征生のベースと、アップテンポの曲ではいっそう荒々しくなる山寺博人の歌とギターが、本来の楽曲とは似ても似つかない別種の魅力を生み出していた。


 立て続けに激しい曲が披露されて、客席は大いにわきかえっている。

 そうしてその曲が終了すると、陣内征生は単身でアップライトベースを乱打し始めた。

 一部の人々が、さらなる歓声を張り上げる。かつてこの曲がユーリに歌われていたことを知る人々だろう。


『続いて、「ジェリーフィッシュ」です』


 それだけ言って、西岡桔平もハイハットでリズムをのせ始めた。

 山寺博人は空間系のエフェクターをかけたギターで、浮遊感のある音色を奏でる。ライブ用にアレンジされた、遊びのイントロだ。


 ユーリは再び瓜子と拳をタッチさせてから、舞台袖に準備されていたマイクとスタンドを手に、軽やかな足取りでステージに出ていった。

 いっそうの歓声が吹き荒れる中、ユーリはふわふわとステップを踏む。そうしてユーリがステージの中央に到達するなり、激しいフィルインとともに本来のイントロが開始された。


 ロカビリー調のリズム隊に、つんざくようなギターのバッキングだ。

 ユーリはそのサウンドに押し流されるクラゲのように浮ついたステップで、やたらと可愛らしい浮ついた歌声を披露した。


「ユーリ選手の表現力は、素晴らしいですね。この曲で初めてユーリ選手の歌を耳にした人間は、しょせんアイドルかと鼻で笑うことでしょう」


 かつてスタジオ練習に同席した際、千駄ヶ谷はそんな感想をこぼしていた。

 確かにこの曲の前半部で披露されるユーリの歌声は、どんなアイドルよりも愛くるしく、そしてふにゃふにゃしているのだ。


 しかしこれは、あくまで歌詞に合わせた歌声なのである。

 ぷかぷかと海面を漂うだけの、生きる目的を持たないクラゲ――そんなものをユーリなりにイメージした歌声であるのだった。


 曲の後半部に差し掛かると、歌詞の変化に合わせてユーリの歌声も変化していく。光り輝く何かを見つけて、温かい血肉を得て、その重さで深い海底に沈みながら、生きる喜びを知ったクラゲの、力強さと躍動――ここ最近の特訓でいっそうの爆発力を授かったユーリは、その変動をさらなる迫力で見せつけることができていた。


(これなら本職の人たちが刺激を受けたって、不思議はないよ)


 そうして『ジェリーフィッシュ』が終了したならば、『砂の雨』だ。

 囁くような歌声で始まるこの曲も、ユーリの非凡な力量を十分に示しているはずであった。


 どれだけスタジオ練習を重ねても、ユーリはこの曲の途中で涙してしまう。

 そしてそれは、瓜子も同様であった。

 ユーリはこの曲に、瓜子との間に生まれた決裂と和解の思い出を重ねているのだ。もはやそれは、一年以上も前の記憶であったのだが――瓜子の胸には、あの頃の激情が生々しく去来してやまなかったのだった。


(ユーリさんもそうだから、こんなに感情を込めることができるんだろうな)


 きっとシンガーとしてのユーリの才覚は、そこに集約されているのだ。

 もちろん歌声の可愛らしさや、声量やリズム感なども、それなりの水準に達しているのだろう。ただそれは、ユーリの感情を歌にのせるための道具に過ぎなかった。ユーリの最大の特性は、おそらく感情を真っ直ぐ爆発させられることであるのだ。


 最後には大事な相手と再会を果たすことのできた喜びを客席に叩きつけ、ユーリは舞台袖に戻ってきた。

 涙のせいでアイラインが溶けて、白い頬に黒い筋が走ってしまっている。しかしそれさえも、計算された演出のようにユーリを美しく彩っていた。


「ふいー。こういうコマギレの出演だと、情緒をあっちゃこっちゃに引っ張り回される気分ですにゃあ」


 そのように語るユーリは、もう普段通りのユーリであった。

 そんなユーリに、千駄ヶ谷は冷徹な面持ちで通路のほうを指し示す。


「次の出番まで、猶予は二曲しかありません。速やかに準備をお願いいたします」


「はいはぁい。ここからはしばらく楽しい曲の連続ですので、ユーリもうきうき気分ですぅ」


 そんな風に応じてから、ユーリはくるりと瓜子を振り返ってきた。

 おやつをねだる大型犬のごとき眼差しだ。


「今のところ、過去最高のステージだと思いますよ。最後まで頑張ってくださいね」


 瓜子がそんな言葉を届けると、ユーリは嬉しそうに「にへへ」と笑った。

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