02 開幕
そうして瞬く間に時間は過ぎて、気づけばライブの開始ももう目前であった。
二度目の公演ということで、瓜子も今回はそれなりに落ち着いた心地で業務に取り組めている。いっぽうユーリも華やかなステージ衣装に身を包まれて、至極ご満悦の面持ちであった。
「こういうカッコって、新鮮だにゃあ。どうどう、うり坊ちゃん? 似合ってるぅ?」
と、瓜子の前でしなを作るユーリは、『ベイビー・アピール』に寄せたステージ衣装――すなわち、派手なペイントの入ったライダースジャケットに、毒々しいスカル柄のタンクトップ、レザーのショートパンツとライダースブーツ、それに鋲だらけのリストバンドという、古めかしいロックテイストのファッションであった。
もっとも『ベイビー・アピール』は、そうまでコテコテのロックファッションなわけではない。ただ彼らは古きよきヘヴィメタルやハードロックに影響を受けたミクスチャー・ヘヴィロックの申し子であるため、オマージュ的な意味合いでそういったロックファッションを随所に取り入れているのだ。ユーリのステージ衣装は、それを強調して極端化させた格好であった。
「ユーリさんには、どんな衣装にも負けない個性とプロポーションがありますからね。普通のアイドルさんがこんな衣装を着たら、質の低いコスプレにしかならないですもん」
と、衣装係の女性もユーリに負けないぐらいご満悦の様子である。そのかたわらでは、メイク係の女性もにこにこ笑っていた。
「メイクに関しても、まったく一緒です。ここまでけばけばしい色味でも、ユーリさんだと浮かないんですよね。本当に、腕のふるいがいがあります」
ユーリの顔は、紫色のアイシャドウと真っ赤なルージュで彩られている。確かに普段よりは相当けばけばしい色合いであるが、とりたてて違和感は生じていないし、普段とは一風異なる色香も生まれているようであった。
「準備が済みましたら、楽屋のほうにどうぞ。メンバーの方々がお待ちですので」
と、千駄ヶ谷の案内で男性陣の楽屋に招かれる。本日も、ユーリは器材置き場が控え室としてあてがわれていたのだ。こうしてライブ直前に他のメンバーと合流するのも、二ヶ月前と同じ光景であった。
「お、ユーリちゃん! 今日も色っぽい衣装だねぇ」
「あれ? その下に着てるの、俺らのTシャツじゃん!」
「はぁい。袖をちぎって、タンクトップに仕立てなおしたそうですぅ。せっかくのTシャツをごめんなさぁい」
「いいっていいって! ユーリちゃんに着られたら、そいつも本望だろ」
相変わらず、『ベイビー・アピール』の面々はライブ直前でも緊張感とは無縁の様子であった。
そして記念撮影大会に突入するのも、前回と同じ流れである。また『ワンド・ペイジ』のメンバーとご一緒させていただいた瓜子は、性懲りもなく胸をどきつかせることになってしまった。
「そのTシャツも、いいデザインですね。これは売れそうです」
と、西岡桔平が瓜子に笑いかけてくる。本日も瓜子たち会場スタッフは、物販のTシャツを着用させられていたのだ。
これもまた、突貫工事で準備された新しいデザインのTシャツである。三角形の頂点に『ユーリ』と『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』の名前が、真ん中には『トライ・アングル』のユニット名が、それぞれ英語表記でプリントされている。今回は時間がなかったため、このユニット名が入った物販商品はTシャツとスポーツタオルのみであった。
『トライ・アングル』は三組が対等の立場であるため、こういった物販の売り上げも均等に配分されるのだ。あとはもちろん、個々の名義の物販もブースで販売されている。この規模のライブハウスでは収益も微々たるものであるため、物販の売り上げこそが生命線となるのだった。
「この先は、ユニットメンバー勢ぞろいのポスターだの何だのも作られるわけだよな。想像すると、なんかワクワクしちまうよ」
タツヤがそのように言いたてると、ダイも「そうだなあ」と同意の声をあげた。
「ただ、女の子がユーリちゃんだけってのも寂しい話だよな。いっそ、瓜子ちゃんや愛音ちゃんもメンバーになっちまえばよかったのに」
「な、なに言ってんすか。自分たちは、ずぶの素人なんすからね」
「タンバリンやマラカスで十分じゃん。あの特典映像なんか、本編に負けねえ勢いで話題になってるみたいだしよ」
「ぜ、絶対無理です。そればかりはありえないっすよ。千駄ヶ谷さんも、なんとか言ってあげてください」
ビジネス至上主義の千駄ヶ谷であれば、このような提案を一蹴してくれるだろう。瓜子はそのように期待をかけて、助け船を要請したのだが――千駄ヶ谷は、思いも寄らない形でそれに報いてくれたのだった。
「こちら陣営の企画会議におきましても、猪狩さんと邑崎さんのメンバー加入に関しては念入りに協議されました。ユーリ選手をリーダーとする三人組のアイドルユニットとして取り扱えば、『トライ・アングル』に参加させることが可能なのではないかという意見が主流であったのです」
「お、いいじゃん! なんでそうならなかったのさ?」
「それはあまりに、ユーリ選手の実力が突出しているためとなります。猪狩さんと邑崎さんにタンバリンやマラカス、あるいはダンスやコーラスなどという役割を与えても、ヴォーカルを担当するユーリ選手の存在感にかき消されて、引き立て役にもなり得ないでしょう。『トライ・アングル』はきわめて質の高い音楽ユニットでありますため、音楽的素養を持ち合わせない方々にはあまりに荷が重すぎるものと思われます」
そんな真剣に瓜子と愛音の加入が取り沙汰されていたのかと思うと、瓜子は背筋が寒くなる思いであった。
いっぽうダイやタツヤは、不満げに口をとがらせている。
「そうかなぁ。瓜子ちゃんはもちろん、愛音ちゃんだっていい味だしてんじゃん。三人そろった水着姿なんて、破壊力も倍増じゃきかないしよ」
「そうそう。ユーリちゃんと並んで見劣りしねえなんて、それだけですげえじゃん。それに、あの特典映像だっていい出来だったろ?」
「はい。ああいった形であれば、猪狩さんと邑崎さんの存在も調和が取れるようですね。ですが、想像してみてください。実際のライブステージに猪狩さんと邑崎さんを配置して、それがプラスの効果を生み出せるでしょうか? 私には、部外者が無理やりステージに立たされているような悲壮感しか見出すことはかないません」
ダイとタツヤが首をひねっていると、西岡桔平が「そうですね」と控えめに発言した。
「ユーリさんは、たったひとりで俺たちや『ベイビー・アピール』さんに対抗できる存在感と爆発力を持っています。それと同じステージに立つには、ユーリさんと同レベルの歌やダンスや楽器ができないと、とうてい立ち行かないんでしょう。……すみません、猪狩さん。決して猪狩さんを悪く言うつもりはないんですけど……」
「いえいえいえ! 自分もまったく同意見です! それが当然の話なんですから、そんな申し訳なさそうなお顔をしないでください!」
ここぞとばかりに、瓜子も自分の思いを主張させていただいた。
「みなさんのステージは、最高です。そこに素人がしゃしゃり出るなんて、言語道断っすよ。たとえば見栄えがいいだけのアイドルか何かが『トライ・アングル』に加入するなんて話になったら、自分は絶対に我慢なりませんしね。キッペイさんが言ってた通り、ユーリさんやみなさんと同じぐらい歌や楽器のできる人じゃないと――あいた!」
いきなり後頭部を小突かれたので、瓜子は後方を振り返った。なんとなく想像はついていたが、そこに待ち受けていたのは山寺博人の仏頂面である。
「お前、思ったより良識あるんだな。俺だって、素人なんざを入れる気はねえよ」
「だったら、小突かないでくださいよ!」
「そうだよ! お前、隙あらば瓜子ちゃんにさわろうとすんなよな!」
「うるせえな。お前らが馬鹿な話を持ちだすから、こんな騒ぎになってんだろ」
そうして場が荒れそうになると、千駄ヶ谷が「静粛に」と一刀両断した。
「ともあれ、猪狩さんと邑崎さんの加入については企画段階で差し止められたのです。再検討の余地はないかと思われますので、どうぞご了承ください」
「いやあ、俺だってそこまでマジで言ってたわけじゃねえけど……ただ、あの特典映像は評判がいいし、俺らも実際に楽しかったからさぁ」
ダイがなおもそのように言いつのると、千駄ヶ谷は「そうですね」と首肯した。
「こちらでも、特典映像の評価においてはリサーチを進めております。よって、次に映像作品をリリースする際にもああいった演出を取り入れる可能性は十分にありえますし……みなさんのご了承をいただけるようでしたら、ミュージック・ビデオにおいても猪狩さんと邑崎さんの登場時間を増やせないものかと思案しておりました」
「お、いいね! 水着姿でダンスでも踊ってもらったら、映えそうじゃね?」
「ええ。一案として、留意させていただきます」
「りゅ、留意しなくていいっすよ! ダンスなんて、絶対無理ですから!」
瓜子がそのようにわめいたとき、会場スタッフが楽屋を覗き込んできた。
「間もなく開演時間になります。『ベイビー・アピール』のメンバーは袖に移動していただけますか?」
「お、もうそんな時間かよ! それじゃあ、出陣だな!」
『ベイビー・アピール』の面々は、てれてれとした足取りで楽屋を出ていった。
ユーリは「ふみゅ」と小首を傾げつつ、千駄ヶ谷を振り返る。
「ユーリの出番は、五曲目からですよねぇ。それまで、どうやって過ごすべきでしょうかぁ?」
「四曲目の開始までは、こちらで待機をお願いいたします。あちらのモニターで、ステージの模様をご確認できますので」
「はぁい。それじゃあユーリも、ウォームアップしておきますねぇ」
ユーリはレザージャケットをソファに放り出すと、人目もはばからずにストレッチを始めた。何せタンクトップにショートパンツという姿であるから、陣内征生などは盛大に目を泳がせてしまっている。西岡桔平は折り目正しくモニターのほうを注視しており、目もとを隠している山寺博人はどこを見ているのかもわからなかった。
しばらくして、モニターから歓声が響きわたる。
ステージ上に、『ベイビー・アピール』の面々が登場したのだ。ついさっきまで歓談していた相手が、モニターの中ででスポットを当てられる姿を拝見するのは――やはり、試合の日を彷彿とさせた。
『じゃ、始めるねぇ。みんな、楽しんで帰ってなぁ』
漆原の脱力した挨拶とともに、『ベイビー・アピール』の演奏が開始された。
初っ端から、ものすごいアップテンポの楽曲である。ボリュームの抑えられたモニターからのサウンドでも、その迫力を感じるには十分であった。
「今回は時間がありませんでしたけど、ゆくゆくはもっと『ベイビー・アピール』さんとのセッションを楽しみたいものですね」
西岡桔平がそのように言いたてると、千駄ヶ谷が「ええ」と応じた。
「現時点ではユーリ選手の曲においてのみ合同で演奏をしていただいておりますが、今後はみなさんのお好きなように楽曲の幅を広げていただければと思います」
「はい。このメンバーなら、色々なことができると思いますよ。あれこれメンバーを入れ替えた編成にしてみたりとか、三人で歌う新曲を作ったりとか……本当に、新しいバンドでも組んだみたいにワクワクしています」
「ふん。俺やジンには飽きてきたってことか」
山寺博人がふてくされたような声で言うと、西岡桔平は朗らかに笑った。
「お前だって一緒に楽しんでるのに、なんですねるんだよ」
「すねてねえよ。第一、そんなあれこれ手を出す前に、まずは目の前の課題だろ。けっきょくこっちの新曲も、一曲しか間に合わなかったしよ」
「あうう。ユーリが不甲斐ないばかりに、申し訳ありませぬ……でもでも絶対、あの素晴らしい曲を歌いこなせるように死力を尽くしますので!」
けっきょくユーリは、山寺博人と漆原の新曲をそれぞれ一曲ずつしか完成させることができなかったのだ。まあ、一ヶ月足らずで四曲もの新曲を仕上げようというほうが無謀であったのだろう。妥協を知らない山寺博人が相手では、なおさらであった。
「では、そろそろ参りましょうか」
『ベイビー・アピール』の三曲目が終盤に差し掛かった頃合いで、ユーリ陣営の三名は舞台袖を目指すことになった。
短い通路を踏み越えて舞台袖に到着すると、ちょうど演奏が終了する。その次に披露されたのは、『ワンド・ペイジ』の曲である。この日のために、『ベイビー・アピール』と『ワンド・ペイジ』はそれぞれの持ち曲を一曲ずつカバーすることになったのだ。この小粋なはからいに、観客たちは盛大に歓声をあげていた。
「ううむ。これがワンド様の曲とは、信じ難い思いですにゃあ。ワンド様をこよなく敬愛するうり坊ちゃんとしては、どんなご感想なのかにゃ?」
「枕詞が余計っすよ。……そうっすね。確かに『ベイビー・アピール』そのものの演奏っすけど、自分にとっては馴染みの深い曲ですから。ワンドの曲をこんな風にアレンジできるのかって感心しています」
もちろん瓜子にしてみれば本家の演奏が最高であるが、『ワンド・ペイジ』の曲の魅力と『ベイビー・アピール』の演奏の魅力が掛け合わされて、まったく異なる魅力が生み出されているように感じられる。そういう意味では、ユーリが『ワンド・ペイジ』や『ベイビー・アピール』の曲を歌うようなものであった。
(それに、この歌……ヒロさんとは別の意味で、なんか鬼気迫るものを感じちゃうな)
漆原はねちっこくからみついてくるような歌声であり、ヘヴィメタル調のデスボイスやラップの歌唱なども得意にしている。瓜子の好みではないものの、きっとヴォーカリストとしては高いレベルにあるのだろう。
ただ――ユーリや山寺博人に比べると、若干の物足りなさは否めなかった。
なんとなく、『ベイビー・アピール』におけるヴォーカルというのは、楽器のひとつという印象であるのだ。歌を聴かせるバンドではなく、歌と演奏が同等の立場にあるような――よくも悪くも、歌が突出していないように感じられた。
しかしユーリが『ベイビー・アピール』の曲を歌うと、歌が突出する。他のバンドと同じように、歌と演奏の対比という構図が現出するのである。
もちろんそれは、ユーリが異物であるという側面もあるのだろう。雄々しさの極致であるような『ベイビー・アピール』の演奏に、基本的には甘ったるい声音をしたユーリがまぎれこむことで、上手い具合にギャップが生じるのだ。ユーリと『ベイビー・アピール』の共演は、そのギャップこそが大きな魅力であるはずであった。
しかしまた、そこにはスタイルの違いという一面もあるのだろう。
ものすごく大雑把に分類すると、ユーリと山寺博人は同系統のスタイルであるのだ。こまかい技巧は考えずに、感情の爆発が主体であるという意味においてである。
いっぽう漆原の歌唱に、感情の発露というものは希薄であった。彼の歌声はどこかデジタルで、声帯を楽器のように操っているような印象があった。それがある種のふてぶてしさや、人を食ったような印象を作りあげ、『ベイビー・アピール』の個性と魅力になっているようであるのだった。
しかし、『ワンド・ペイジ』の曲を歌っている漆原は――どこか、調子が狂っていた。人間が感情を発露しているのではなく、壊れかけた機械が無理に作動しているような雰囲気であったのだ。
前々日の通しリハで初めてその姿を見たとき、瓜子はいくぶんハラハラしたのだが――今は、まったく異なる心持ちであった。おそらくこれは、漆原が意図的に構築した歌声であるのだと理解したのである。
自分が『ワンド・ペイジ』の曲を歌うには、これが最善であると彼は判じたのだ。
瓜子がそのように確信するほど、漆原の歌には奇妙な魅力が生まれていた。ユーリや山寺博人とも異なる、壊れかけた機械のような――無理に人間を真似しようとしてショートしてしまった機械人形のような歌声である。
(おかしなところでブレスを入れたり、ときどき声がひっくり返ったり……それも全部、計算ずくなんだろうな)
真偽のほどは、わからない。
何にせよ、漆原の歌声はどこか調子っ外れであり、そして、これまでと異なる奇妙な魅力を生み出していたのだった。
(だからやっぱり、この人もすごいヴォーカリストなんだ。好みじゃないけど尊敬できるっていうのは……雅選手みたいなもんかな)
瓜子がそんな感慨を噛みしめている間に、『ワンド・ペイジ』のカバー曲は終わりに向かっていた。
そして瓜子のかたわらからは、ユーリがおずおずと右拳を差し出してくる。
「あにょう、お忙しいところを恐縮なのですけれど、ユーリに激励をお願いしてもよろしくありましょうか?」
「え? 何も忙しくないっすよ。何をそんなに、恐縮してるんすか?」
「だって、ウルさんの歌声に聴きほれていたのでせう?」
「聴きほれてたっていうか……ちょっと色々、妄想を広げてただけっすよ」
瓜子は笑いながら、自分の拳をユーリの拳に当ててみせた。
さっと鳥肌の浮かんだ拳を口もとにやりながら、ユーリは「にゅふふ」と笑う。
「ならばユーリはウルさん以上に、うり坊ちゃんをトリコにしてみせませう。ちゃんと見守っててくれないと、ユーリはすねちゃうぞよ?」
「そんな心配はご無用ですよ。頑張ってくださいね、ユーリさん」
「はぁい。死力を尽くしますですぅ」
ステージ上の演奏が終了し、客席には歓声が爆発した。
そして漆原の宣言が、さらなる歓声を巻き起こす。
『それじゃあそろそろ、色気を追加しようかぁ。ユーリちゃん、一緒に楽しもうぜぇ』
ユーリは瓜子に笑いかけてから、レザージャケットをなびかせてステージ上に躍り出た。
そうしてその日も、ユーリのめくるめくステージが披露されたのだった。
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