ACT.4 トライ・アングル・プロローグ

01 リハーサル

 二度にわたった瓜子のバースデーパーティーを終えて、十二月の第一月曜日――ついにその日が、『ユーリ・トライ!』のDVDの発売日であった。


 そちらは事前の予約数だけで、すでにとてつもない数字を叩き出しているものと、千駄ヶ谷から伝えられていた。そうして発売日が過ぎたのちも、売り上げは上昇する一方であるとの話であったのだった。


「ソフトを購入した方々がSNSなどで好意的なレビューを拡散してくださったため、こちらの期待値を上回る数字になっているようです。具体的な数字を出すにはしばらくかかりますが、十分にご期待くださってけっこうです」


 千駄ヶ谷は、そんな風に言っていた。

 まったくもって、喜ばしい話である。が、こちらの映像作品に関しても、特装版のほうがずばぬけた売り上げを誇っており――そしてそちらには瓜子にとって悩みの種である特典映像だのフォトブックだのが同梱されているわけであるが。この段に至って羞恥にのたうち回っても詮無き話であるため、瓜子は何も考えないように努めていた。


 何にせよ、ユーリの初めてのライブ映像作品である『ユーリ・トライ!』は、破格の売り上げを叩き出していたのである。

 そしてそんな熱気の中、ユーリには次なるミッションが待ち受けていた。『ユーリ・トライ!』の販売促進のために企画された、新たなライブイベントである。


 イベント名は、『トライ・アングル・プロローグ』。

 現時点でその名称の意味を知るのは、ごく限られた関係者のみとなる。ユーリと『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』が合同ユニット『トライ・アングル』を結成したという事実は、このライブイベントの初日に発表される手はずになっていた。


 ライブイベントは、東京と大阪で一回ずつ公演される。

『ベイビー・アピール』の面々などは全国ツアーなどを希望していたものの、そんな簡単に会場の手配をできるわけもないし、そもそもユーリのスケジュール的にも難しい話であった。千駄ヶ谷の組み立てたスケジュールには唯々諾々と従うユーリであるが、それもあくまで「ファイターとしての活動を優先する」という大前提があってのことであるのだ。


 なおかつこれは、『ユーリ・トライ!』が開催された十月の第二日曜日以降から企画された、強硬スケジュールなのである。

 準備期間は二ヶ月で、しかもユーリは《カノン A.G》の十一月大会を終えるまで、ボイトレもスタジオ練習もしていなかった。新曲のデモを初めて聴いたのは、十一月の第三水曜日となる。一ヶ月足らずで新曲を覚えてライブを決行しようというのだから、これはなかなかに無謀な話であるはずであった。


「ま、ユーリちゃんの持ち味はライブの爆発力だからねぇ。商品としての完成度なんてのは、レコーディングまでに整えておけばいいんじゃないのぉ?」


 スタジオ練習の際、『ベイビー・アピール』の漆原はそんな風に言っていた。

 いっぽう『ワンド・ペイジ』の山寺博人などは、怒髪天を衝いていたものである。


「なんだよ、そのへっぽこな歌は? そんな生き恥さらすぐらいなら、歌なんてやめちまえ! 十二月のライブもキャンセルだ!」


 そんな罵声をあびせられたときは、ユーリも「あうう」と頭を抱えていたものであった。

 それを取りなしてくれたのは、もちろん『ワンド・ペイジ』の良心たる西岡桔平である。


「ヒロはそれだけ、ユーリさんに期待してるんですよ。それで、期待通りの結果が出ないから、ガキみたいにすねてるだけです」


 なおかつ、山寺博人が外部の人間にそれだけの期待をかけることは、これまでにいっさいなかったという。


「ユーリさんは、ヒロが期待するだけのポテンシャルを持っていますからね。それが新曲で発揮できるかどうか、時間の許す限り頑張りましょう」


 そんな騒乱を経て、十二月の第二日曜日――

 その日が『トライ・アングル・プロローグ』の初日、東京公演の当日であったのだった。


                  ◇


 瓜子とユーリは、再び都内のライブハウス『高田馬場 Departure』を訪れていた。

 二ヶ月前に『ユーリ・トライ!』を開催したのと、同じ場所である。今回はさらなる集客を期待できるはずであったが、準備期間が短かったために選択の余地がなかったのだ。こちらは新設のライブハウスでまだまだ名前も売れていないため、なんとか希望の日取りを押さえることがかなったのだという話であった。


「で、大阪のほうは土曜日になっちゃったけど、ハコの規模は倍の六百だもんねぇ。それをきっちり売り切ったんだから、大したもんだよぉ」


 照明の落とされた客席で、漆原がそんな風に言っていた。

 ステージ上では『ワンド・ペイジ』のメンバーがリハーサルの準備を進めており、瓜子とユーリと千駄ヶ谷は『ベイビー・アピール』のメンバーに囲まれながら、それを見守っている。二ヶ月前とほとんど同一のシチュエーションであった。


「そちらのチケットを完売することがかなったのは、『ベイビー・アピール』と『ワンド・ペイジ』のほうでもチケットの販売を受け持ってくださったゆえでしょう。これがユーリ選手の単独ライブという体裁であったなら、大阪の会場で六百席も埋めることは不可能であったかと思われます」


 千駄ヶ谷がそのように答えると、漆原は「うんうん」と愛想よくうなずいた。千駄ヶ谷への熱情は、いまだ衰えていないようだ。


「ま、合同ユニットの話は秘密でも、今回は三組合同のライブイベントって名目だもんねえ。実際、俺たちもユーリちゃん抜きのステージをお披露目するし、収益も三組で折半だからさぁ」


「しかし、この規模のライブハウスで収益を折半したならば、ひと組あたりの取り分は微々たるものでありましょう。複数のメンバーを抱えるバンドの方々は、なおさらです。……そのように割安のギャランティでライブイベントの開催を承知してくださったこと、心より感謝いたします」


「水臭いなぁ。もうユニットは結成したんだから、死ぬも生きるも一緒だろぉ? 俺たちも、変に期間を空けてでかいハコを狙うより、速攻でたたみかけたほうがいいって判断しただけさぁ」


 前回はあくまでユーリが主役であったが、今回からは三組が同等の立場となるのだ。ユーリの持ち歌ばかりでなく、『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』のそれぞれのライブ演奏が執り行われて、通常のイベントと同様の二時間半にも及ぶステージがお披露目されるのだった。


「二時間半って、すごいっすよね。しかも普段は、単独でそれだけの時間をこなしているんでしょう? よっぽどの体力と集中力がないと、つとまらないと思います」


 瓜子がそんな感慨をこぼすと、すぐ近くに控えていたベースのタツヤが「そんなことねえよ」とにこやかに反応した。


「殴ったり殴られたりの試合を十五分も続けるほうが、よっぽどすげえさ! ま、瓜子ちゃんは十五分もかけずに、KOで終わらせちまうけどさ!」


「そうそう! 今年に入って全試合KOなんて、すげえよなぁ。こんなにちっちゃくて可愛いのにさ!」


 と、ドラムのダイもすぐさま割り込んでくる。ギターのリュウに「瓜子親衛隊」と揶揄される両名であるのだ。しかしこのお二人には不思議と下心を感じなかったので、瓜子も「恐縮です」と平常心で応じることができた。


「もちろんユーリちゃんもすげえけど、俺は基本的にストライカーがタイプだからさ。……それにこの前の試合では、また俺の好みじゃない喧嘩マッチをお披露目してたしよ」


「うみゃー! それは言いっこなしなのですぅ……」


「いいっていいって! ただ、次に小笠原選手とやりあうことになったら、そのときはしっかり頼むぜー?」


 すっかり忘れがちであったが、タツヤはもともと小笠原選手のファンであったのだ。

 同じことを思ったのか、ダイが皮肉っぽい目でタツヤを見た。


「小笠原って人と瓜子ちゃんじゃ、ファイターとしても女の子としてもタイプがまったく違うだろ。ちっとばっかり節操がねえよなぁ」


「何を言ってやがる。お前なんて、そもそも格闘技に興味もなかったくせに、瓜子ちゃん目当てで追っかけてるだけだろ」


「お、俺は瓜子ちゃんのおかげで、格闘技に興味を持てたんだよ! アトミックの試合だって、彼女が録画してたやつを全部チェックしたんだからな!」


「どうだかなぁ。瓜子ちゃんのおへそやフトモモを追ってるだけなんじゃねえの?」


 瓜子が「あの」と声をあげると、タツヤとダイは同時に「ごめん!」と大声を張り上げた。


「瓜子ちゃんは、こういう話が嫌いなんだよな! ついつい口がすべっちまったんだよ!」


「お、俺だって試合はちゃんと観てるからな? 瓜子ちゃんの色っぽい姿は、水着のほうで十分だしさ!」


「いえ、あの……そろそろ演奏が始まるみたいだから、大声は控えたほうがいいと思いますよ」


 この三週間ほどでスタジオ練習の回数を重ねたせいか、『ベイビー・アピール』の面々とはいっそう気安い関係を構築できたようであった。ただ、マネージャー補佐に過ぎない瓜子が、こうまで熱烈な感情を向けられるのは如何なものかと思うのだが――千駄ヶ谷はべつだん気にしていない様子であったし、ユーリもにこにこと笑うばかりであった。それもきっと、彼らに下心が見えないという証であるのだろう。


 そうしてステージ上では、『ワンド・ペイジ』のリハーサルが開始される。

 ユーリとの音合わせはこの後であるので、まずは山寺博人が歌う彼らの楽曲だ。山寺博人は本番でないと本気を出さないタイプであるようだが、その生歌を耳にするだけで瓜子は陶然としてしまうのだった。


「……瓜子ちゃんって、マジでこいつらのこと、好きだよな」


 曲と曲の隙間で、ダイがいくぶんすねたような口調でそう言った。


「で、こいつらのファンってことは、俺たちには興味なしだよな。俺たちとこいつらってまるで方向性も違うし、そんなにファンもかぶってないはずだしよ」


「あ、いえ……でも、ユーリさんの歌でしたら、『ベイビー・アピール』の演奏も『ワンド・ペイジ』と同じぐらい好きっすよ」


「本当かなあ。そんなきらきらした目で、俺たちのことも観てくれてんの?」


「き、きらきらなんてしてないと思いますけど」


「してるじゃん。そりゃあ中坊の頃からのファンなら、思い入れも違うよなあ」


「お前、しょうもねえ話で絡むなよ。悔しいなら、実力で瓜子ちゃんの心をつかんでみせろっての」


 と、タツヤが陽気に笑いながら、取りなしてくれた。

 そして、黙然とステージのほうを見据えていた千駄ヶ谷も、冷徹なる眼差しを向けてくる。


「確かに『ベイビー・アピール』と『ワンド・ペイジ』はファン層が重なっていないというお話でありましたが、決してファン同士が反目しあっているわけではないというリサーチ結果が出ています。そこでおたがいのファンを取り込むことによって、それぞれの活動に益を為そうというのが、『トライ・アングル』の基本コンセプトであったように思いますが」


「そうそう。ユーリちゃんを架け橋にして、俺たちはあいつらとつるむようになったわけじゃん。お前らだって、全然タイプの違うあいつらに、刺激を受けてるんだろぉ?」


 と、ついには漆原までもが加わってくる。

 その不健康に痩せこけた顔には、子供のように無邪気な笑みがたたえられていた。


「俺なんか、勝負を張るのがユーリちゃんとあいつなんだぜえ? 死ぬ気でかからねえと、引き立て役になっちまうよぉ。お前らも、自慢のヴォーカルを潰されたくなかったら、せいぜい頑張ってなぁ」


「バーカ、お前が潰されるようなタマかよ」


「こっちはいつだってマジだから、お前はいつも通りダミ声を張り上げてりゃいいんだよ」


 ダイとタツヤは笑いながら、漆原の頭や肩を小突き始めた。

 こんなに仲がよければ、バンド活動もさぞかし楽しいのだろう。瓜子がプレスマン道場で充足しているように、彼らも『ベイビー・アピール』という場で充足しているのだ、きっと。

 そしてさらに、『トライ・アングル』という場ですべてのメンバーが楽しむことができたのなら――参加人数が増える分、いっそうの充足が望めるのかもしれなかった。

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