04 アフターバースデー(下)

「……で、再来週の用事ってのは、もしかしたら《レッド・キング》かい?」


 と、瓜子たちの騒ぎが一段落すると、大和源五郎がそんな風に問うてきた。

 サキに引っかき回された頭を整えていた瓜子は、いくぶん背筋をのばしつつ「はい」と応じる。


「仲良くさせてもらってる人たちが出場するんで、それを応援しにいくことになりました。まあ、自分やユーリさんには、敵情視察って面もありますね」


「なるほど。……沙羅はその日、プロレスだったっけか?」


「せやね。埼玉でひと暴れしてくるわ。青鬼ジュニアの対策なんざ、映像で十分やろ。……京菜はんは、赤鬼ジュニアの視察にでも出向いたらええんとちゃう?」


「あんなやつ、眼中ないよ! 一回勝った相手だしね!」


「せやけどあのツインテールは、赤星弥生子かぶれのスタイルなんやろ? 前回は寝技で仕留めたみたいやけど、立ち技なんかは厄介なんとちゃう?」


「……赤星弥生子のスタイルは、もう何年も前から対策を練ってるよ。今さら研究なんて、必要ないね」


 犬飼京菜の大きな目に、めらりと物騒な光が燃えあがる。

 やはり赤星弥生子に向ける対抗心は、何より強烈であるようだ。


「……犬飼さんは、赤星大吾さんとお話ししたことはあるんすか?」


 瓜子が意を決して尋ねてみると、犬飼京菜は「ないよ!」とわめき散らした。


「引退したジジイに用事はないからね! しかもあいつは道場にも関わらないで、料理屋の親父になったっていうんでしょ? そんなもん、なおさら眼中ないね!」


「そうっすか。でも……当時の《レッド・キング》のやり口に不満があるんなら、弥生子さんじゃなく赤星大吾さんと話し合うべきじゃないっすか?」


 犬飼京菜は、ますます凶悪な目つきになっていく。

 それを見かねてか、大和源五郎が真面目くさった面持ちで声をあげた。


「猪狩さん。稽古をご一緒できるのはありがたい限りなんだが、その件については放っておいてもらえねえかな。ちっとばっかり、デリケートな話題だからよ」


「押忍。自分が部外者ってことは、わきまえてます。ただ……何か誤解があるんなら、それは解いておくべきじゃないっすか? そのほうが、まっさらな気持ちで格闘技に取り組めるんじゃないかと思います」


「誤解って何さ! あいつらが父さんを噛ませ犬にしてたのは、厳然たる事実だよ!」


「自分だって、噛ませ犬の役を負わされたことぐらいありますよ。というか、犬飼さんと対戦した前園選手だって、そうじゃないっすか? 前園選手はケージで試合をした経験もないのに、一ヶ月前に犬飼さんとの試合をオファーされたんですからね」


 何かわめきかけていた犬飼京菜は、出鼻をくじかれた様子で口をつぐんだ。


「……何それ? 前園って、あたしが九月にやっつけたやつでしょ? 試合のオファーは、七月の終わりだったはずだよ」


「あ、犬飼さんたちはその頃にオファーをもらってたんすか? こっちはお盆休みの直前でしたよ」


「あー、魔法少女が、動画でそんなようなことをしゃべくっとったなぁ」


 平然と食事を続けていた沙羅選手が口をはさむと、犬飼京菜は「何それ!」と大声をあげた。


「あたしはそんなの、聞いてないよ! なんで言ってくれなかったのさ!」


「そんなん、わざわざ言う必要ないやろ。京菜はんは、外野の騒ぎなんざ興味もあらへん風やったしな」


「でも、こっちだけ先に試合の相手がわかるなんて……そんなの、ずるいじゃん!」


「チーム・フレアはヒールなんやから、こすずるい真似もするやろ。あっこに加入するなら泥かぶる覚悟も固めとけて、ウチも最初に忠告したったよなあ?」


 犬飼京菜は口を引き結び、コーチ陣をにらみ回した。

 大和源五郎は坊主頭を撫でながら、首を横に振る。


「俺らだって、知らなかったよ。動画だの何だの、そういうもんには疎いんでな」


「何をそないにエキサイトしてんねん? 前園いう選手も覚悟を固めてオファーを受けたんやろうから、べつだん文句はあらへんやろ。……京菜はんのおとんかて、そうだったんとちゃう?」


 犬飼京菜は、殺気のこもった目つきで沙羅選手をにらみつけた。

 が、沙羅選手は平然とそれを見返す。


「ウチもその件に関しては部外者やから、口を出す気はあらへんよ。あとは、うり坊に任せるわ」


「自分だって、部外者ですけどね。ただ、赤星道場の打倒を目標に掲げてるなら、きちんと事実確認とかをしておくべきだと思います」


「そりゃあ俺たちだって、大吾自身が拓哉を噛ませ犬に仕立てあげたと思ってるわけじゃねえさ。ただ、今さらあいつと顔をあわせたって、なんにもなりゃしないだろうし……乱闘沙汰なんてのは、こっちも望んじゃいないんでね」


「乱闘沙汰? みなさんが暴れたりしなければ、そんな事態にはならないでしょう?」


「危なっかしいのは、あっちだろ。まあ、引退してからはずいぶん丸くなったって噂だが、もともとは爆弾みたいな野郎だからな」


 瓜子は思わず、「ああ」と笑ってしまった。


「そういえば、大吾さんはそういうお人だったんすよね。でも今は、絶対に暴れたりするようなお人じゃないっすよ。自分も何回かご挨拶をさせてもらっただけの間柄ですけど、それは保証できます」


「あー、むしろあいつの腑抜け加減に腹が立つぐらいだろうなー。あの間抜けヅラを拝んでたら、復讐心も鎮火しちまうかもしれねーぞ」


 そんな風に言いながら、サキは厳しい目でドッグ・ジムの面々を見回した。


「だけどまあ、そんなていどで鎮火するようなもんだったら、後生大事に抱え込む必要もねーだろ。赤星道場を恨むなら恨むで、いっぺんぐらいは赤星大吾本人のツラを拝んでおくべきじゃねーか?」


「煽るな」と、ダニー・リーがこの場で初めて発言した。

「うるせーよ」と、サキは子供のように舌を出す。


「大体よ、大怪獣ジュニアをぶっ潰すって目標を掲げながら、生で観戦したことがねーとか手抜きもいいとこだろ。うかうかしてっと、勝ち逃げされちまうぞ? あっちはそこのクソガキよりも、十歳ぐらいはババアなんだからよ」


「わかったわかった。あとはこっちで話し合うから、もう煽るな。そんな話ばかりしてたら、お嬢の食欲が引っ込んじまうよ」


 大和源五郎は苦笑を浮かべながらサキをたしなめ、犬飼京菜のほうを振り返った。


「さ、面倒な話は後回しだ。今は栄養補給の時間だろ。身体を作るのも、大事なトレーニングの一環なんだからな」


 犬飼京菜は不明瞭な面持ちで「うん」とうなずきつつ、アボガドサラダのエビをつまんだ。

 やはり彼女は直情的なだけで、決して悪人なわけではないのだ。それが知れただけでも、瓜子には大きな収穫であった。


「本当に、あれこれ余計な口を出しちゃってすみません。でももし《レッド・キング》の試合を観戦する気になったら、自分に声をかけてください。今回は特別に、雛壇席のチケット代でリングサイド席を準備してもらえるっていう話になってますんで」


「ほう。俺たちなんざに肩入れしてるなんて知れたら、そっちと赤星の関係にヒビが入っちまうんじゃないのかい?」


「自分はどっちにも肩入れしていないつもりっすよ。あつかましい言い草ですけど、どっちとも仲良くさせていただきたいと思ってます」


 大和源五郎は何か言いかけたが、途中でちらりと犬飼京菜のほうをうかがってから、口をつぐんでしまった。やはりこの場では、もう踏み入った話をするつもりはないのだろう。瓜子も反省して、食事を再開させることにした。


「ややこしい話はおしまいかいな? ほんなら、雑談タイムに突入といこかぁ」


 グラスのビールをあおってから、沙羅選手がそのように言い出した。


「うり坊も噛ませ犬にされた経験があるっちゅう話やけど、それはいつの話なん? ウチの記憶にある限りでは、そんなマッチメイクも思い当たらんのやけど」


「え? ややこしい話はおしまいでしょう?」


「せやから、雑談や。ひょっとしたら、キックの時代かいな?」


「ええ、そうっすよ。デビュー二戦目で元王者の調整試合に引っ張り出されたり、余所のジムの有望選手の当て馬にされたり……キックの時代は、そんな試合が多かったっすね」


「なるほどなぁ。ウチも生意気やいうて、昔は先輩がたに喧嘩マッチを仕掛けられたもんや。ま、そんなもんはみーんな返り討ちにしたったけどな。うり坊かて、そうなんちゃう?」


「いえいえ。デビュー当時は、けっこう泣かされましたよ。その悔しさをバネにさせていただいたから、今があるんだと思ってますけどね」


「せやなあ。そこで勝ち残れるかどうかが、選手の命運を分けるわけや」


 そんな風に言いながら、沙羅選手はもそもそと料理を食している犬飼京菜のほうを振り返った。


「京菜はん。あんたはここのボスやけど、選手としてはウチの後輩や。せやから、ひとつだけ忠告したるわ。……あんたは試合が派手やから、運営陣にも注目されとるやろ。せやったら、並の選手よりもでっかいチャンスとでっかいピンチがいっぺんに降りかかってくるんやから、一戦一戦が正念場になるはずやで?」


「……何が言いたいのか、さっぱりわかんないんだけど」


「大怪獣ジュニアの背中ばっか追いかけて、足もとをおろそかにせんようにっちゅうこっちゃ。次の試合なんざ、現時点ではアマの選手で、しかもいっぺん勝っとる相手やからなぁ。油断するには絶好の相手やろ」


「……油断するには絶好って、日本語おかしくない?」


「ありがたい話をしとるんやから、揚げ足とんなや。……京菜はんは赤鬼ジュニアを格下や思うとんのやろ? その格下に後れを取ったら、京菜はんの格も落ちるんやで。そういった話を、もうちょい重く受け止めるべきやないかなぁ」


 普段通りの飄然とした口調で、沙羅選手はそのように言葉を重ねた。


「あんたは先月、雅はんにやられてもうた。これで赤鬼ジュニアにもやられたら、二連敗や。せっかくトップファイターを二人も下したのに、連敗してもうたら台無しやろ。しかも年下のアマ上がりの選手にやられてもうたら、イメージは最悪やね。そんで運営陣に愛想を尽かされたら、起用のチャンスも減るんやで? あんたはもうプロの世界に足を突っ込んだんやから、そういうシビアさを思い知るべきやろうね」


「ふん。おめーも下手を打ってプロレスの団体を追い出されたクチだから、そのシビアさが身にしみてるってわけか。さすが、説得力が違うわな」


 と、意外なことに、サキが割り込んで発言した。

 沙羅選手はにんまり笑いながら、サキのほうを振り返る。


「そういうサキはんは、無謀にも無差別級にチャレンジして、一年以上も休養することになったわけやね。最近じゃあ、すっかりセコンド役が板についたみたいやんか」


「粛清で足首を折られたやつに言われたかねーぜ。それで焦って、あんなクズどもに尻尾を振ることになったんだろ」


「チーム・フレアとは、ギブ&テイクの関係やったね。ウチはあいつらを芸能界に紹介して、その代わりに試合のチャンスをいただく。ごく真っ当な取り引きやろ?」


「真っ当が聞いて呆れるぜ。そういえば、おめーもクスリに手を出してるんじゃねーかって疑われて、警察にションベンを差し出すことになったみてーだなー」


「おいおい、そっちで戦争を始めんなよ」と、大和源五郎が苦笑した。

 しかしまあ、サキも沙羅選手もいっこうに激している様子はない。もともと毒舌家である両名は、軽口の応酬でもなかなかの過激さになってしまうということなのだろう。


 それに、もしかしたら――サキは犬飼京菜の心情を思いやって、話題をそらそうとしたのかもしれなかった。それぐらい、犬飼京菜は覇気のない様子で沙羅選手の言葉を聞いていたのだ。

 もちろん沙羅選手は沙羅選手で、犬飼京菜のために言葉を重ねていたのだろう。瓜子にしてみても、沙羅選手の発言はのきなみ真っ当であるように感じられていた。


(そう考えたら、犬飼さんもけっこうな人たちに愛されてるじゃないか)


 瓜子はそんな思いを胸に、残りの時間を過ごすことがかなったのだった。


                   ◇


 それから二時間ほど歓談を楽しんで、帰宅の時間である。

 なんと本日は、大和源五郎が客人たちを車で送ってくれるとのことであった。


 瓜子は駅までで十分と言いたてたのだが、大和源五郎は「いいからいいから」と譲らなかった。

 裏の駐車場にとめられていたのは、恐ろしいほど年季の入ったワゴン車である。ドッグ・ジムの面々に見守られながら、瓜子はユーリと、サキは理央と、それぞれ座席に落ち着くことになった。


 サキと理央は同じ横浜市内であるので、数分で到着する。懐かしのあけぼの愛児園を前にすると、瓜子の胸にはそれなりの感慨がわきおこった。


「それじゃあ、サキさんはまた明日。理央さん、素敵なプレゼントをありがとうございました」


 そうしてワゴン車は、瓜子たちのマンションがある三鷹を目指してひた走り――その道中で、大和源五郎がしみじみとした声をもらしたのだった。


「それにしても、猪狩さん。お前さんは、大したもんだね。そんな風にぐいぐいと人の懐に入ってくる人間を見たのは、俺も初めてのこったよ」


「え? あ、えーと……色々と余計な話に口を出しちゃって、申し訳ありません」


「いやいや、それでも何の騒ぎにもならないことを、驚いてるのさ。お嬢はもちろんダニーだって、そう簡単な相手じゃないはずなんだからよ」


 そう言って、大和源五郎は低く笑った。


「俺たちと赤星の連中の、両方と仲良くなりたいなんてね。他の人間がそんなことを言いだしたら、お嬢は爆発するに決まってるし……ダニーだって、すぐさま追い出しにかかるだろう。でも、あいつらは何も言い返さずに、お前さんの話を聞いてた。お前さんがあまりに真っ直ぐだから、毒気を抜かれちまったんだろうさ」


「はあ……気を悪くさせなかったのなら、幸いです」


「……実はな、お嬢を大吾から遠ざけてたのは、俺なんだ。ダニーやマー坊だって、大吾とは顔をあわせたこともないからよ。それで唯一、大吾をよく知るこの俺が、わざとお嬢に会わせないように手を回してたんだ」


「え? どうしてそんなことを?」


「昔の大吾は爆弾みたいなやつだったが、それでも裏表のない真っ直ぐなやつだった。そんな大吾と顔をあわせたら、お嬢の無念の行き場がなくなっちまうんじゃないかって……そんな風に思ってたんだよ」


 ワゴン車のハンドルをゆったりと切りながら、大和源五郎はそのように言葉を重ねた。


「お嬢は赤星道場を憎むことで、なんとか心のバランスを保ってたんだ。それでもしも、赤星道場に悪い人間はいないなんてことを知っちまったら……お嬢の心がもたないかもしれない。悪いのは、ぶざまに負け続けた拓哉自身なんだ……なんて思っちまったら、お嬢の心がぶっ壊れちまうんじゃないかって心配してたんだよ」


「……そうだったんすか。でも――」


「ああ。お嬢はもうすぐ、十八歳だ。いつまでも、現実逃避してちゃいけねえよな。しかもそれは、俺がお膳立てした現実逃避だったわけだからよ。サキの言う通り、周りの俺たちがボンクラだったから、お嬢を真っ直ぐ育てることができなかったんだ」


 そう言って、大和源五郎はバックミラーの中で微笑んだのだった。


「憎しみを原動力にするのは、もうおしまいだ。これからはお嬢にも格闘技を楽しみながら、世間を見返すっていう目的に向かってほしいと思う。……お嬢やダニーは俺が説得してみせるから、チケットを五人分お願いするよ、猪狩さん。よかったら、赤星の連中にも俺たちのことを伝えておいてくれ」


「……承知しました。何かあったら、ご連絡ください。自分にできることがあったら、なんでも協力します」


「あんたのそういう部分に、お嬢やダニーも呑み込まれちまったんだよ」


 大和源五郎は、顔をくしゃくしゃにして笑った。

 瓜子の隣では、ユーリも無邪気ににこにこと笑っている。

 瓜子はとうてい、笑えるような気分ではなかったが――それでも胸の内には、温かい気持ちが広がっていたのだった。

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