02 三つのお祝い(下)
メイとの挨拶を終えたのち、小笠原選手はユーリの隣で食欲を満たしていた愛音のほうに目をやった。
「邑崎は、今日試合だったんだって? 二試合とも勝てたなんて、立派だね」
「押忍なのです。悪党どもが退治されて、ようやく愛音にも出場の機会が巡ってきたのです」
「うん? それはどういう意味かな?」
「ああ、小笠原センパイはご存じでなかったです? あくまで憶測なのですけれど、愛音は《フィスト》や《NEXT》のアマ大会に出場を申請しても、まったくお呼びがかからなかったのです。おそらくは、悪党どもがプレスマン道場に嫌がらせをしていたと思われるのです」
それで愛音は半年もの間、無聊をかこっていたのである。
「それでパラス=アテナの黒澤代表が解任されるなり、《フィスト》から代役出場のお声がかけられたのです。それで急遽、試合をすることがかなったのです」
「うん、そっか。邑崎にまで、被害が及んでたんだね。悪党どもが一掃されたのは何よりだったけど……けっきょく、あたしはみんなの足を引っ張るばかりだったなあ」
すると、隣のテーブルで楽しそうにはしゃいでいた灰原選手が、にゅっと首をのばしてきた。
「そんなことないよ! 今にして思えば、トッキーだって秋代に頭突きをくらってたじゃん! あんな反則女を相手に、勝ち負けもへったくれもないって!」
「それでも桃園は、見事に秋代を潰してくれたね。ベリーニャでさえやられたって話なのに、大したもんだよ」
「いえいえ、滅相もない! ……正直に言って、小笠原選手に試合の放映を観られるのは、気が重くてならないのです」
もりもりと料理を食していたユーリが、しゅんと肩を落としてしまう。小笠原選手は、不思議そうに小首を傾げた。
「どうして気が重いのさ? 一ラウンドでKO勝利でしょ? 立派な結果じゃん」
「あうう……実はあのとき、ユーリは我を見失っておりまして……正直に告白すると、自分が何をしていたか記憶に残っていないぐらいなのです……」
小笠原選手は、「ああ」と笑った。
「もしかして、そいつはアタシとやりあったときと同じような状態だったってこと?」
「うにゃー! 穴があったら入りたいのです! もう二度とあのような真似はしないと誓ったユーリちゃんですのに……」
「なるほどね。ベリーニャを反則で潰されて、あの悪夢が再来したってわけだ。こりゃあ放映の日が楽しみだ」
そんな風に言ってから、小笠原選手はユーリを励ますように笑った。
「それでもアンタは、秋代を潰してくれたからね。反則女にベルトを取られてたら、格好がつかなかったでしょ。アンタは立派に、アトミックの看板を守ってくれたんだよ」
ユーリは「あうあう」とうめきながら、ピンク色の頭を両手でひっかき回した。
小笠原選手は笑いながらソフトドリンクで咽喉を潤し、それから店内に視線を巡らせる。
「そういえば、サキの姿が見えないね。アイツも参加するって話じゃなかった?」
「今日の朝になって、ドタキャンだわよ。妹分が、熱を出したそうだわよ」
と、鞠山選手が横合いから会話に乱入してきた。佐伯とリンは来栖選手とともに、多賀崎選手たちのほうと合流したようだ。
「サキはともかく、妹分が欠席になったのが残念でならないだわよ。前にどこかの会場で、うり坊たちに挨拶してるところを見かけたんだわけど……あれはわたいのカフェにスカウトしたいぐらいの美少女だっただわね」
「やだなあ、理央さんまで毒牙にかけないでくださいよ?」
「どうしてわたいのカフェにスカウトすることが、毒牙なんだわよ! ……毒牙といえば、雅ちゃんはおうちの都合で来られなかったんだわよ。近日中に、トキちゃんとの再会の場をセッティングするだわよ」
「うん、ありがとう。あと、マリアは……猪狩が来月対戦だから、遠慮したのかな?」
「そうだわね。いちおう声はかけたけど、道場の他の連中に申し訳ないから辞退するって話だっただわよ」
「そっか。来月には、《アトミック・ガールズ》と《レッド・キング》で対抗戦だもんね。……そんな大舞台に出場できないのは、やっぱり残念な限りだなあ」
そんな風に語りながら、小笠原選手の表情は澄みわたっていた。
外見上は元気そのものの小笠原選手であるが、医師の診断は全治六ヶ月であったのだ。しかし精悍なる小笠原選手は、そういった境遇をすでに克服している様子であった。
そうしてしばらく、楽しく談笑を続けていると――店内のスピーカーから、ジャズ風にアレンジされたバースデーソングが流され始めた。
そのBGMに乗って、大きなバースデーケーキを掲げた従業員が階段を上がってくる。灰原選手は、「ひゃっほー!」と歓声をあげた。
「待ってましたー! うり坊、誕生日おめでとー!」
他に人々も、口々にお祝いの声をあげてくれる。
これほど大勢の人々に誕生日をお祝いされるのは、人生で初のことである。瓜子は若干の羞恥心とそれを上回る喜びを抱きながら、「ありがとうございます」と返礼してみせた。
巨大なチョコクリームのバースデーケーキには、きっちり二十本のロウソクが立てられている。
瓜子がそれを吹き消すと、いっそうの歓声と拍手が鳴り響いた。
「それじゃあ、プレゼントね! これ、あたしから!」
「おめでとう。厄介事も終わって、いいタイミングの誕生日だったね」
「これであんたも立派な成人なんだから、あんまり子供じみた真似をするんじゃないだわよ」
十三名もの人々が、次から次へとバースデープレゼントを手渡してくれた。
ソファに座した瓜子が、プレゼントの山に埋もれてしまいそうな有り様である。それほど誕生日というものに思い入れを持たず、物欲も希薄な瓜子であったが――このときばかりは、嬉しさで胸が詰まってしまいそうだった。
「さー、開けて開けてー! 他のみんなが何をあげたのかも気になるしね!」
灰原選手に急かされて、瓜子はそれらの包みをすべて開封することになってしまった。
やはり同業者の集いであるためか、あるいは瓜子の面白みのない人間性が伝わっているためか、プレゼントの過半数はきわめて質実な内容であった。すなわち、スポーツタオルや競技用Tシャツ、ドリンクボトルやプロテインの大袋などである。もちろん瓜子には、そういった品々がありがたい限りであった。
それとは趣の異なるプレゼントを準備してくれたのは、やはり格闘技以外の分野にも力を入れている面々である。
愛音は、可愛らしいエスニックな柄のポーチ。
佐伯は、アロマキャンドル。
そして、灰原選手は――なんと、ブランドもののカラーリップであった。
「え? これってただのリップクリームじゃなくて、色がついてるんすか?」
「誕生日に普通のリップクリームを送るやつなんていないでしょ! この色、うり坊に似合うと思うんだよねー!」
「あ、ありがとうございます。でも、自分はメイクとかしないんすよね」
「すっぴんでも浮かないような淡いカラーだから、問題ないって! ほらほら、あたしが塗ってあげるよ!」
灰原選手は嬉々として、瓜子の唇にそのカラーリップを塗りたくってきた。
そうして灰原選手が身を引くと――周囲に集まった人々の間から、どよめきがたちのぼる。
「ホントだぁ。リップひとつで、ずいぶん印象が変わるもんだねぇ」
「カワイイですね! ウリコにニアってますー!」
「ほ、本当です。猪狩さんには、ぴったりだと思います」
「……これでまた、男女問わずに篭絡される人間が増えてしまいそうなのです」
瓜子は羞恥に身をよじりつつ、かたわらのユーリを振り返る。
そちらに待ちかまえていたのは、でれでれの笑顔であった。
「かわゆいねぇ。人目がなかったら、我を見失ってむしゃぶりついていたかもしれませんわん」
「よ、よしてくださいよ、ユーリさんまで」
瓜子は人々の視線から逃げるように、新たな包みを開封した。
そこから現れたのは――手の平サイズだがずしりと重い、クリスタルガラスの置物である。それも、ころころと可愛らしい姿をした、子供のイノシシのデザインであった。
「わー、かわいー! これ、誰のプレゼント?」
灰原選手が周囲の人々を見回したが、名乗り出る者はいない。
すると、鞠山選手が「こいつだわね」とメイを指さした。
「はい、この包みはメイさんですよね。こんな高価そうなプレゼント、なんだか申し訳ありません」
瓜子が笑顔を届けると、メイはまた仏頂面のまま、もじもじとした。
「……イカリのイは猪の意味で、うり坊は猪の子供の意味だと聞いた。だから、それを選んだだけ」
「うんうん! なんだかうり坊ちゃんの化身みたいな風情でありますねぇ。これはどこか目につくところに飾ってほしいにゃあ」
「それじゃあ、マンションの玄関に飾らせていただきましょう。メイさん、ありがとうございます」
残る包みは、ふたつであった。
その片方を開封した瓜子は、がっくりと突っ伏してしまう。
「これは……鞠山選手っすよね?」
「そうだわね。ルームウェアにでも使うといいだわよ」
「どこの世界に、ルームウェアにメイド服を着る人間がいるんすか!」
「それはメイド服じゃなくて、魔法少女ウェアだわよ。遠まわしにスカウトしてるんだから、察するだわよ」
「察しません! 絶対に!」
しかしまあ、誕生日に面白グッズを贈るというのも、定番といえば定番のことであるのだろう。周りの人々もおおよそは笑っていたので、瓜子も矛先を収めることにした。
そうして最後に残されたのは、ユーリからのプレゼントである。
そちらは、深いベージュ色をしたキャスケットであった。
「うり坊ちゃんも最近は帽子がマストアイテムであったため、そのバリエーションを増やしていただこうと考えた次第ですぅ」
瓜子がそれをかぶってみせると、周囲からはまた好意的などよめきがあげられた。
このようにシンプルなデザインであれば、瓜子も着用に抵抗はない。そこまで見越して、ユーリはこのキャスケットを選んでくれたのだろう。昨年の卒業祝い以来、ユーリがプレゼントしてくれる服飾のアイテムに外れはないのだ。瓜子は心を込めて、「ありがとうございます」と笑顔を届けてみせた。
「ん? そっちにまだ、なんか残ってるみたいよ」
と、灰原選手が瓜子の肩を揺さぶってくる。
見てみると、キャスケットが包まれていた包装紙に、また異なる包みが残されていた。そちらは平べったくて、さしたる重さもなかったため、つい見過ごしてしまったのだ。
「ふたつもプレゼントを準備してくれたんすか? なんか、すみません」
「いえいえぇ。厳密に言うと、そちらは千さんとの共同プレゼントなのですぅ」
「ええ? 千駄ヶ谷さんと?」
それはまったく、内容の想像がつかなかった。
瓜子はちょっと緊張しながら、その包みをそろそろと開封し――思わず、「うわ」と声をあげてしまった。
「な、何かと思ったら、『ワンド・ペイジ』のTシャツっすか」
「うん! なおかつ、デビュー当時に販売されたプレミアものだよぉ。千さんにお願いして、新品未開封のアイテムをネットオークションで探してもらったのです」
そう言って、ユーリは天使のような笑みを広げたのだった。
「キッペイ様にTシャツをいただいたとき、うり坊ちゃんはすっごく幸せそうだったからさぁ。もちろんあれは、メンバー様のプレゼントだったから喜びもひとしおだったのだろうけれども、ユーリも二匹目のドジョウを狙いたくてたまらない心地であったのです」
「あ、ありがとうございます。このキャスケットだけでも、十分に嬉しいっすけど……でも、そこまで手間暇かけてくれたお気持ちが、いっそう嬉しいっすよ」
「うふふ。うり坊ちゃんの幸せそうなオーラで、ユーリも存分に報われたのです」
ユーリの笑顔を見ていると、瓜子は何だか胸が詰まってしまいそうであった。
すると、灰原選手がまたガクガクと瓜子の肩を揺さぶってくる。
「あのさー、あんまり甘い空気を作んないでくれる? やっぱりあんたたち、デキてんじゃないの?」
「そういうんじゃないんすよ。なんでもかんでも、色恋沙汰に結びつけないでくださいね」
瓜子は涙をこぼしてしまいそうなほど情動を揺さぶられてしまっていたため、それを誤魔化すべく笑いながら軽口を叩いてみせた。
が、ユーリのプレゼントでとどめを刺された瓜子の心が、プレゼントの山に囲まれた嬉しさを再認識していく。瓜子はこの一年で、こんなにもたくさんの人々と絆を深めることができたのだ、と思うと――本当に、涙がこぼれてしまいそうだった。
新人門下生として道場に迎えた、愛音。
試合で対戦した、灰原選手と鞠山選手。
対戦したのは昨年であるが、その後の合宿稽古でご縁を深めた、小柴選手。
同じ合宿稽古に参加した、多賀崎選手とオリビア選手。
その合宿稽古を企画してくれた、小笠原選手。
その後、夏の合宿から参加するようになった、魅々香選手。
それらの人々との交流から、ついに親しく口をきけるようになった、来栖選手。
二回の試合を経て、同門となったメイ。
間もなく二年来のつきあいとなるユーリや、もともと友人であった佐伯やリンばかりでなく、これだけの人々が瓜子などの誕生日を祝ってくれているのだ。
そしてこの場には集まれなかったが、サキや牧瀬理央、雅選手やマリア選手、そして赤星弥生子やベリーニャ選手も、瓜子にとっては大切な存在であった。
(キックの時代には、二人の友達しか作ることができなかったのにな)
瓜子がそんな感慨を噛みしめていると、鞠山選手が「さて」と声をあげた。
「うり坊へのお祝いは、ひとまず終了だわね。わたいは個人的な余興に移行させていただくだわよ」
「あー、あんたはそっちにもプレゼントを隠してるもんねー。出し惜しみしないで、さっさとお披露目しなよー」
「目ざといウサ公だわね。……まずこれは、愛音へのお祝いだわよ」
鞠山選手にひそかに可愛がられている愛音は、素直に「ありがとうございます!」と応じていた。
包みの中身は、可愛らしいシュシュである。愛音はにこにこと笑いながら、さっそくそれをサイドテールの結び目に装着した。
「……そしてこれは、あんたにだわよ」
と、大きくて平べったい包みを差し出されたユーリは、「ほえ?」と小首を傾げた。
「ユーリにも、何かプレゼントをいただけるのですかぁ? 理由がさっぱりわからんちんなのですけれどもぉ」
「あんた、見下げ果てた記憶力だわね。わたいとの約束を忘却するなんて、許し難い低能さなんだわよ」
それでもユーリがきょとんとしていると、珍しくもメイが自分から発言した。
「ハナコ・マリヤマ、ユーリ・モモゾノがチャンピオンベルトを獲得したら、ウリコの絵、プレゼントすると言っていた」
「うり坊ちゃんの絵? ……あーっ、思い出しましたぁ! 遥かなる昔日、魔法少女カフェにお邪魔した際、ユーリがおねだりしたのでしたぁ!」
そんな話は、瓜子もすっかり失念していた。というよりも、あれは鞠山選手のリップサービスで、本当に実行するとは夢にも思っていなかったのである。
「動画で使ってるイラストは視聴者プレゼントにしてるから、新たに書き下ろしたんだわよ。どんなに気に食わない低能の物体が相手でも、約定を違えるようなわたいではないんだわよ」
「わーい! ありがとうございますー! 鞠山選手のイラスト、ユーリは大好きなんですよぉ」
ユーリはほくほく顔で、包装紙を丁寧に解き始めた。妙に大きなプレゼントだと思ったら、そこにはA3サイズのスケッチブックがまるまる封入されていたのである。
果たして、その表紙をめくってみると――そこには、動画でお披露目されるものと同じタッチで、瓜子のイラストが描かれていた。
三頭身ぐらいにデフォルメされた、実に可愛らしいタッチである。瓜子のイラストに限らず、鞠山選手の描くイラストはいずれも商品として通用しそうなぐらいの完成度であるのだ。
「わー、かわゆいかわゆい! あっ! 《カノン A.G》の試合衣装かと思いきや、《アトミック・ガールズ》のロゴに差し替えられておりますねぇ」
「背景をフェンスにしたから、昔の試合衣装じゃマッチしないんだわよ。まあ、未来の光景を先取りしたわけだわね」
「素敵ですー! ユーリの寝室に飾らせていただきますね! ……うにゃー! 次のページには、なんとユーリとのツーショットが!」
二枚目のページには、私服姿の瓜子とユーリが描かれていた。
ユーリはにこにこと笑っており、瓜子は迷惑そうに口をへの字にしている。ユーリは可愛さよりも面白さを優先したデザインであったが、こちらのイラストは笑顔でまぶたを閉ざしているためか、極端な垂れ目のデフォルメも緩和されて、ごく真っ当に可愛らしかった。
「わー、ほんとにプロの絵みたい! あんた、引退したら絵描きになったら?」
「プロの世界をなめるんじゃないだわよ。……それに、描きたくもない絵を仕事として描くなんて、まっぴらだわね」
それでは鞠山選手も、このイラストを楽しんで描いたということであろうか。それなら、幸いな話であった。
「さてさて……スケッチブックごとプレゼントしてくれたということは、もしや次のページにも……?」
と、ユーリは子供のように瞳を輝かせながら、そろそろと次のページをめくった。
そうして新たなイラストがお披露目されるなり、これまで以上のどよめきがわきおこる。そこには、実にリアルなタッチで、瓜子の横顔が描かれていたのであった。
モノクロで、鉛筆のようにかすれた筆致であるが、淡い灰色で陰影まで表現されており、加工された写真のように精密なイラストである。描かれているのはバストショットであるが、瓜子が実際に着用しているTシャツの柄まできちんと再現されていた。
「こ、これ、何をモデルに描いたんすか? 私服の写真とか、そんなに撮られた覚えもないんすけど……」
「わたいの記憶力をなめるんじゃないだわよ。それは、夏の合宿稽古で初日に着てたTシャツだわね」
「すごいすごーい! どれを飾るか迷っちゃうなぁ」
ユーリはとろけそうな笑顔になりながら、さらにページをめくった。
次に現れたのは――なんと、水着姿である。しかも、こちらもリアルで緻密な画風であった。
「うわ、上手いな。本当に写真みたいだ」
「うんうん! うり坊の絶妙なプロポーションがカンペキに再現できてるねー!」
「いいなぁ。わたしも欲しいぐらいです」
多賀崎選手や小柴選手までもが、昂揚しきった声をあげている。
しかし瓜子は、たちまち羞恥心の坩堝に叩き込まれてしまった。
「ユ、ユーリさん、もういいっすよ。あとはおうちで、ゆっくり見てください。ね?」
「うみゅ。でも、次にも別なるイラストが……」
「わー!」と叫びながら、瓜子は両手で次のページを覆い隠すことになった。
ほんの一瞬しか見えなかったが、そこに描かれた瓜子は一糸まとわぬ裸身であったのだ。
「な、な、なんすかこれは! 人に断りもなく、こんなもんを描かないでください!」
「こんなもんとは、ご挨拶だわね。シャワールームの記憶をほじくり返して、そこまで再現してみせたんだわよ」
「再現しないでください! あまりに悪趣味っすよ!」
「あんた、どうして古来より裸婦像がもてはやされてるか、まったく理解できてないだわね。人間のもっとも美しい姿は、やっぱり裸身なんだわよ。日常生活ではその美しさを覆い隠さなければならないゆえに、人間は少しでも美しい服を考案しようと四苦八苦してきたんだわね」
「ご高説はけっこうですから! ユーリさんも、さっさと閉じてください!」
「はぁい。こちらはおうちで、じっくり堪能させていただきますぅ」
そうしてスケッチブックを閉ざしたユーリは、それをそっとかき抱きながら、幸福そうに息をついた。
「素敵なプレゼントをありがとうございます、鞠山選手。こちらは一生の宝物にさせていただきますね」
「ふん。秋代を潰したあんたは、まぎれもない功労者なんだわよ。たとえベリーニャとの試合が無効試合にされても、あんな反則魔に勝ち逃げされてたらアトミックの復活劇にも水が差されまくってたはずなんだわよ」
そう言って、鞠山選手は傲然と腕を組んだ。
「ま、これからはわたいたちが一丸となって、
「はぁい。結果はともかく、死力を尽くすことをお約束しまぁす」
「それに、あんたもだわね、うり坊」
と、鞠山選手が眠たげな目で瓜子をねめつけてきた。
「ここまでは、あんたとピンク頭、それに美香ちゃんと雅ちゃんに重責を担ってもらうしかなかっただわよ。でも、あんたたちはしっかり結果を残して、アトミックの火を守ってくれたんだわよ。次の興行は《レッド・キング》との対抗戦なんて銘打たれてるけど、あんたは何も背負わなくていいから、好きなだけ試合を楽しむんだわよ」
「押忍。……さっきのイラストがなければ、自分も神妙な気持ちになれたんすけど」
「だから、神妙になる必要はないんだわよ。たとえ対抗戦で全敗しても、他の選手がアトミックを盛り上げてみせるんだわよ」
そのように語る鞠山選手は、とても真剣そうな眼差しであり――それでいて、どこか優しげでもあった。鞠山選手は鞠山選手なりに、ユーリと瓜子をねぎらってくれているのだろう。
他の人々も、満足そうな面持ちで瓜子たちを見守ってくれている。
きっと誰もが、鞠山選手と同じ気持ちであるのだろう。大きな苦難は脱したが、そのぶん足もとの覚束なくなってしまった《アトミック・ガールズ》を、自分たちの手で盛り上げていきたい、と――そんな思いを、新たにすることになったのだ。
当事者ならぬ佐伯とリンは、そんな瓜子たちをどこか羨ましそうに見やっている。
《アトミック・ガールズ》に思い入れを抱いていない、メイは――この輪に入れなくて、ほんの少しだけ寂しそうであった。
しかし彼女たちも、決して部外者なわけではない。彼女たちの協力があったからこそ、瓜子は十一月大会を勝ち抜くことがかなったのだ。
(だから、この喜びを分かち合いましょうね)
そんな思いを込めて、瓜子はメイたちに笑いかけてみせた。
そうして三つの祝い事を抱えた夜は、大いなる熱気の中で過ぎ去っていったのだった。
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