ACT.3 Happy 20th Birth Day
01 三つのお祝い(上)
十二月の第一土曜日――世間的には何ら特別でないその日、瓜子たちは三つもの祝い事を抱えて、都内某所のダイニングバーに集結することになった。
集合時間は、午後の五時。普段であれば、道場で稽古に励んでいる頃合いだ。しかし今日ばかりはトレーニングホリックのユーリも文句を言わずに稽古を休んで、このお祝いに参席していた。
「何せ本日は、この世でもっとも好いたらしいうり坊ちゃんのバースデーだからねぇ。二人きりでしっぽりお祝いしたかったという気持ちもなくはなかったけれども、みんなにお祝いされて幸福にひたるうり坊ちゃんの姿を拝見できれば、それもまた感涙の極みであるのです」
というわけで、祝い事のひとつは瓜子の誕生日に他ならなかった。なんと瓜子も、これで二十歳になってしまうのだ。まだまだまったく大人らしい落ち着きなど身につけていない瓜子は、恐縮することしきりであった。
「うり坊ちゃんは、そのままでいいんだよぉ。三十歳になっても四十歳になっても、猪突猛進の精神を忘れないでほしいのです」
「いや、さすがにそれはどうかと思いますけど……とにかく、行きましょうか」
いかにも小洒落たアンティーク調のドアを開くと、シックで品のいい制服を纏ったウェイトレスが「いらっしゃいませ」と軽やかな笑顔で出迎えてくれた。
「ご予約の鞠山様ですね? 二階のほうにどうぞ」
本日は、二階のフロアがまるまる貸し切りにされているのだ。こちらのダイニングバーは結婚式の二次会などでも重宝されているそうで、どこもかしこも隙のないモダンな調度で埋め尽くされていた。
そうして瓜子たちが木目の美しい階段をのぼって二階に向かうと、先客たちが「おめでとー!」という元気な声をぶつけてきた。
「主役のくせに、遅かったじゃん! さあさあ座って座って! すぐに料理も運ばれてくるはずだからねー!」
元気の筆頭は、もちろん灰原選手である。本日の彼女は黒いレースのワンピースで、金色の髪がまじったセミロングの頭には豪華な花飾りまでつけられていた。
「ど、どうも。灰原選手、今日は気合が入ってますね」
「こんな立派な店だったら、それなりの格好をしなきゃでしょ! そうでなくったって、あれこれおめでたい日なんだからさー!」
「自分は普段着ですいません。……あ、邑崎さん、今日はお疲れ様でした。応援に行けないで、申し訳なかったっすね」
「いえいえ。ユーリ様の大切なお仕事であったのですから、致し方ないのです。それでもこのような祝勝会を開いていただき、光栄の限りなのです」
祝い事の二つ目は、愛音の祝勝会であった。本日、愛音は《フィスト》のアマチュア大会に出場して、見事に二戦とも勝利してみせたのだ。しかしユーリにボイトレのスケジュールが入っていたため、観戦にはおもむけなかったのだった。
「半年ぶりの、二回目の試合だったんだって? ま、イネ公が負けてもお祝いのネタに困ることはなかったけど、勝つに越したことはないもんねー」
灰原選手はけらけらと笑いながら、愛音の背中をばしばしと叩いた。
イネ公よばわりに納得していない愛音は、ぶすっとした顔で灰原選手の笑顔をにらみつける。すると、灰原選手はその鼻先に小さな包みを差し出した。
「んじゃ、これはお祝いねー! 次の試合も、せいぜい頑張りな!」
「……灰原選手が、愛音のためにプレゼントを準備してくれたのです?」
「そりゃーまあ、うり坊がプレゼントまみれなのにあんただけ手ぶらだったら、あまりに不憫だと思ってさー」
にこにこと笑う灰原選手に見守られながら、愛音は不審顔で包みを解いた。
その中から現れたのは――エスニックな、蓮の葉と花をモチーフにしたブローチのようであった。
「……うかつに触ると電流でも走るのです?」
「そんな機能はないと思うよー。こいつはブローチだけど、あんたが使ってるでっかいトートバッグとかにも似合いそうじゃない?」
灰原選手は、邪気のかけらもない顔で笑っている。いっぽう愛音は、面食らった様子で目を白黒とさせていた。
「あ、ありがとうございます。とても可愛らしいデザインなのです」
「いいっていいって! 今日は特別だよー? 勝つたびにプレゼントなんてあげてたら、こっちの財布がもたないからさ!」
灰原選手は愛音が思っているよりも、優しくて情の深い女性であるのだ。どうやら愛音は、ようやくその身で灰原選手の優しさを体感することになったようであった。
とりあえず、瓜子とユーリもソファにお邪魔させていただく。こちらへの挨拶を済ませた他の人々は、近場の相手とのおしゃべりを再開させていた。
小柴選手、多賀崎選手、オリビア選手、魅々香選手――予定のメンバーの半数ていどは、すでに来場しているようだ。そしてフロアの奥からは、血のように赤いフードつきパーカーを纏ったメイがひたひたと近づいてきた。
「ウリコ、待ってた。……誕生日、おめでとう」
「ありがとうございます。メイさんは、どこに行ってたんすか?」
「小用」という難しい日本語で答えつつ、メイも瓜子のすぐそばに腰を下ろした。
「今日はメイさんも、セコンドのお手伝いをしたんすよね。日本のアマチュア大会は、どうでした?」
「うん。レベル、高いとは言えないけど……規模、立派だと思う。競技人口、多ければ、有望な選手、増えると思う」
「海外で活躍してたメイさんにそう言ってもらえると、心強いっすね」
瓜子が笑顔を届けると、メイは笑顔をこらえるようにきゅっと口もとを引き締めた。プレスマン道場に入門して二ヶ月以上が経過したメイであるが、その奥ゆかしさに変わるところはなかった。
そしてそこに、新たな人々が到着する。それは瓜子の旧友たる、佐伯とリンに他ならなかった。
「どうもどうもー。本日はお招きに預かりまして、恐縮ですー」
「おー、来たね! さー、座って座って! 二人が初めて顔をあわせるのは……ミミーとオリビアだっけ?」
灰原選手の元気な応対に、佐伯は「いえいえー」と猫のように目を細めて笑う。
「この前の大会で多賀崎さんにオリビアさんを紹介されて、一緒に観戦することになりましたよー。あと、魅々香さんは一昨年ぐらいまで、《G・フォース》でご一緒することが多かったですねぇ」
「あー、ミミーもキックの試合とかに出てたんだっけ! じゃ、あたしらより早く、この二人と顔をあわせてたわけだ?」
「は、はい。……で、でも、本当に顔をあわせたぐらいで、挨拶らしい挨拶もしたことはありませんでしたけど……」
「ですよねぇ。これを機会に、仲良くさせてくださぁい」
魅々香選手は極度の人見知りであったが、佐伯とリンは持ち前の社交性を発揮して笑顔を返している。
瓜子の古い友人たちが、ついに新しい友人たちのプライヴェートな集まりにまで参加することになったのだ。瓜子は何だか、胸の中がくすぐったいような心地であった。
そこで時間が午後の五時ジャストとなり、店員たちがコースの料理やドリンクを運んできた。
最後の三名が到着したのは、ちょうどそのタイミングである。
鞠山選手と来栖選手――そして、小笠原選手だ。
小笠原選手の長身があらわになるなり、灰原選手が「わーっ!」とけたたましい声を張り上げた。
「トッキー、ひさしぶりー! もー、こっちはお見舞いしたかったのにさー! 二ヶ月以上も会えなかったから、さびしかったよー!」
「ごめんね。あんまり恥ずかしい姿は見られたくなかったからさ」
そう言って、小笠原選手は朗らかに微笑んだ。
瓜子たちが知っている通りの、穏やかで落ち着いた笑顔である。瓜子は灰原選手に負けないぐらい昂揚して、思わず涙ぐみそうになってしまった。
「小笠原選手、おひさしぶりです。お元気そうで、何よりです」
「ありがとう。猪狩たちの活躍は、ずっとチェックしてたよ。試合の放映が待ち遠しいところだね」
小笠原選手はタクミ選手との試合で頸椎損傷という重傷を負って以来、ずっと地元の小田原で静養していたのだ。
その期間はトレーニングどころではなかっただろうから、さすがにいくぶん精悍な印象は薄くなってしまったようだが――それでも身体に不自由なところはなさそうであったし、その表情も明るかった。童顔で、とても気さくでありながら、指導者らしい頼もしさと落ち着きをも兼ね備えた、小笠原選手だ。
小笠原選手の来訪が決まったのは、今週頭のことである。それで各人の都合のいい日取りを調査したところ、関係者の全員が集まれるのは今日しかないということになり――それが瓜子の誕生日と愛音の試合の日であると知れると、それならまとめて豪勢なパーティーにしてしまおうという話に落ち着いたわけであった。
「小笠原先輩……お会いできる日を、心待ちにしていました」
と、こちらに駆けつけてきた小柴選手が小笠原選手の手を取って、大粒の涙をこぼしてしまう。小笠原選手はそれをなだめるように微笑みながら、小柴選手の肩にぽんと手を置いた。
「心配かけて、悪かったね。小柴も元気そうでよかったよ」
「はい……はい……」
やはり武魂会の同門ということで、小笠原選手をもっとも慕っていたのは小柴選手であるのだ。二十センチ以上の身長差があって、容姿にもそれほど似たところがあるわけではなかったが、二人は何だか姉妹のように見えてしまった。
「まったく、あかりんは相変わらずだわね。トキちゃんも、あんまり可愛い後輩を心配させるんじゃないだわよ」
そのように語る鞠山選手も、コートの下はフリフリのドレスめいた衣装で、平たいお顔もきっちりメイクで整えられている。魔法少女の姿でなく着飾った鞠山選手というのは、なかなか新鮮なものであった。
「どうやら、わたいたちが最後だったみたいだわね。それじゃあさっそく、パーティーを開始するだわよ」
「遅刻してきたくせに、でかい顔しないでよねー! ま、さっさと飲みたいから、さっさと始めてよ!」
「だったら、茶々を入れるんじゃないだわよ。……それでは各々、グラスの準備をお願いするだわよ」
瓜子もついに二十歳であったが、アルコールに興味はないのでグリーンティーをいただくことにした。愛想のないことに、プレスマン軍団は全員がソフトドリンクである。
「ではでは……今日はトキちゃんの復活と、うり坊のバースデーと、愛音の勝利をお祝いするだわよ。ただそこに、腐った運営陣とチーム・フレアを壊滅させたお祝いもつけ加えたいところだわね」
「そーそー! なんか、きっちりお祝いする機会もなかったからねー! あの日の試合の後は警察沙汰になっちゃって、祝勝会って雰囲気でもなかったからさー!」
「黒澤とかいう腐った代表も、すべての元凶だった徳久とかいうネズミ男も、そいつらに担ぎあげられたチーム・フレアも、みんなそれぞれ再起不能のダメージを負ったんだわよ。三代目の新代表が《アトミック・ガールズ》を健全な形に戻せるかどうかは、まだまだ予断を許せないところだわけど……そっちが駄目なら、舞ちゃんにご足労を願って、新団体をぶちあげるだけなんだわよ。何にせよ、《カノン A.G》は完全消滅したんだから、それをお祝いするんだわよ」
そう言って、鞠山選手はむちむちとした腕でカクテルグラスを高く掲げた。
「試合に出場した人間も、陰からそれをサポートしてた人間も、この喜びを分かち合うんだわよ。トキちゃんとうり坊と愛音と、《アトミック・ガールズ》の前途を祝して――乾杯だわよ!」
「かんぱーい!」と、その場の全員がグラスを掲げた。
そして、彫像のようにひっそりとたたずんでいた来栖選手が進み出る。
「わたしはほとんど部外者のようなものだが、朱鷺子がひさびさに顔を出すということで参席させていただいた。皆の邪魔にならないように気をつけるので、どうか容赦を願いたい」
「どうして来栖さんが、部外者なのさ! そんな水臭いこと言わないで、来栖さんも楽しんでよー!」
「こればかりは、ウサ公に一理あるんだわよ。わたいたちは打倒チーム・フレアで団結した間柄なんだから、まったく部外者じゃないだわよ」
「うん。そのように言ってもらえることを、ありがたく思う」
来栖選手は笑いこそしなかったが、とても穏やかな眼差しであった。
その間にも続々と料理が運ばれてきたので、まずはそれらを楽しみながら、鞠山選手たちにも佐伯とリンを紹介することにする。しかし、完全に初対面となるそちらでも、コミュニケーションに不都合が生じることはなかった。
「無差別級で活躍してた来栖さんと小笠原さん、それに魔法少女の鞠山さんですよねぇ? ウチらも猪狩ちゃんの応援をするためにアトミックの放映は欠かさず観るようになってたから、みなさんのことはご存じですよぉ」
「それはいたみいるだわね。あんたがたのことは、うり坊やあかりんから存分に聞かされてるだわよ」
「あははー。ワルいウワサじゃないとイいんですけどー」
来栖選手以外は全員が社交的な人柄であるため、そちらでも速やかに交流の輪が築かれることになった。
そしてその後は小笠原選手をこちらのテーブルに招いて、メイを紹介させていただく。もちろんメイがチーム・フレアを離脱して新宿プレスマン道場に入門したことは小笠原選手にも伝えられていたが、こうしてきちんと言葉を交わすのは初めてなのである。
「花さんに連絡をもらったときは、ベッドの中でひっくり返りそうになっちゃったよ。アンタはチーム・フレアに入るぐらい、猪狩のことを敵視してるんだと思ってたからさ」
「……敵視、少しニュアンスが違う」
と、メイは仏頂面のまま、もじもじとする。瓜子は笑いながら、それをフォローしてみせた。
「表現をやわらげると、ライバル視ってところですかね。英語のライバルとニュアンスが一致してるかどうかはわかんないっすけど」
「ライバル。……常に対立し合っている、宿敵」
「あ、やっぱりちょっと違うみたいっすね。日本で使われる外来語としてのライバルには、好敵手って意味合いもあるんすよ」
「そうそう。宿敵と書いて友と呼ぶってやつね」
「友」と、メイはいっそうもじもじしてしまった。
わずか数十秒で、メイの奥ゆかしい可愛らしさが小笠原選手にも伝えられただろうか。小笠原選手はやわらかく笑いながら、メイのほうに手を差し出した。
「まあ何にせよ、プレスマンのお人らにはあれこれ世話になってるからさ。アンタもこれから、どうぞよろしくね」
あまり他者とのふれあいを得意にしていないメイは、「うん」とうなずきながら控えめに小笠原選手の手を握った。
九月大会の敗北を機に大きく運命が変わってしまった小笠原選手とメイが、ようやく交流を結ぶことになったのだ。何とはなしに、瓜子は感慨深かった。
(小笠原選手が元気な姿を見せてくれたことで、《カノン A.G》にまつわるゴタゴタが本当に終わったんだって実感できた気分だな)
そんな風に考えると、瓜子はますます満たされた心地になっていくのだった。
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