06 ドリームマッチ

「わたしがこのような企画を思いついたのは、ユーリ選手のお言葉のおかげでありまして……ユーリ選手が赤星選手との対戦に意欲的であるとお聞きして、ピンと閃いたのです。《アトミック・ガールズ》を主戦場にする選手と《レッド・キング》を主戦場にする選手で対抗戦を行うことができれば、これまで以上の話題を呼び込むことができるのではないか、と……」


 しきりに額の汗をぬぐいながら、駒形氏はそのように言葉を重ねた。


「また、九月大会においては沙羅選手が赤星道場の方々を挑発し、十一月大会においては青田選手が参戦なさることに相成りました。ですが青田選手は、ユーリ選手を潰すための道具として利用されてしまい、なおかつ敗戦してしまいました。その雪辱を晴らすのに、対抗戦というのはうってつけでないかと……ですから、もしもこの企画が実現するようでしたら、青田選手には沙羅選手と対戦していただこうと思案しております」


「で、弥生子ちゃんの相手は桃園さんってわけかい? そいつが実現すりゃあ、確かに盛り上がるだろうけどな」


 そんな風に応じながら、立松は身を乗り出して赤星弥生子の姿を見据えた。


「でも、弥生子ちゃんはもう十年以上も《レッド・キング》にこだわってきた。これまでだったら、こんな話は速攻で断ってたはずだよな?」


「はい。ですが私は腹を割ってナナと語り合い、自分の狭量さを思い知ることになりました。私は自分が《レッド・キング》を支えているつもりであったのですが……実はまったく逆だったのではないかと痛感させられてしまったのです」


「逆?」と、立松は首を傾げた。

 赤星弥生子は張り詰めた面持ちで、「ええ」とうなずく。


「私は自身の希少価値を高めるために、外部の興行にはいっさい出場しませんでした。そして、名のある女子選手が《レッド・キング》に参戦することはそうそうなかったために、男子選手とばかり対戦することになっていたのです。それで私は十年以上も、無敗の記録を保ってきましたが……世間では、どうせ八百長であろうという風評が蔓延しています。女子選手と試合をしていないために、私には相対的な強さを証明することがかなわなかったのです」


「ふうん。でも、ナナ坊やマリアなんかとは、年にいっぺんぐらいやりあってるんだろ?」


「はい。ですが、同門の選手が相手では、やはり手心を加えられたのだろうという風評をくつがえすことはかないません。私は自分ばかりか、ナナやマリアの価値までをも落としてしまっていたのです」


 赤星弥生子の声はとても静かであったが、そこには重々しい力感が備わっていた。


「それでも私が《レッド・キング》における一本の柱であったことは、まぎれもない事実でしょう。私と男子選手との対戦を喜んでくれる人々は、一定数存在するはずです。しかし、それ以外の部分で《レッド・キング》を支えてくれていたのは……外部の興行で結果を残している他の門下生たちに他なりません。ナナしかり、マリアしかり、ハルキしかり……外部の興行で相対的な強さを証明した門下生たちが、《レッド・キング》に意味と価値を与えてくれていたのです」


「それで弥生子ちゃんも、相対的な強さってやつを証明するべきだって考えたのかい?」


「その通りです。……ですが、私が外部の興行を主戦場としてしまっては、やはり《レッド・キング》の衰退はまぬがれないでしょう。ですから、年に一度ていどの特別なイベントという形にすれば、相対的な強さを証明しつつ、《レッド・キング》の灯火を守ることができるのではないかと……そのように考えた次第です」


「年に一度か」と、立松は椅子の背もたれに体重を預けた。


「だけど、そいつは危険な賭けだな。もしも負けたら、十年以上もかけて築きあげてきたもんが、みんなパーになっちまうかもしれねえぞ?」


「そうでしょうか? 相手が桃園さんであれば、たとえ負けても恥にはならないかと思います。……むろん私も、負けるつもりはありませんが」


 そう言って、赤星弥生子は白刃のごとき眼光をユーリに突きつけた。

 それを受け止めたユーリは、澄みわたった眼差しでにこりと笑う。


「夏の大阪の打ち上げで、ベル様はまだまだ赤星弥生子殿にかなわないと仰ってましたよねぇ。それが本当の話だったら、ユーリこそ勝てるわけがないのですけれど……でもでも、ベル様がそこまで褒めたたえる赤星弥生子殿と対戦できたら、ユーリは光栄の限りですぅ」


「過分なお言葉、いたみいる。……ところで、その珍妙な敬称は何でしょうか?」


「あ、ごめんなさぁい。敬いたてまつるつもりで、陰ではそのようにお呼びしていたのですぅ。決して茶化してるわけではないので、ご勘弁くださぁい」


 ユーリは申し訳なさそうに笑いながら、自分の頭をこつんと小突いた。

 きわめて腹立たしい仕草だが、赤星弥生子はただひたすら研ぎすまされた眼光でユーリを見据えている。


「なるほどなぁ。弥生子ちゃんが納得してるなら、俺としても異存はねえよ。だけど、新代表さん、あんたはどうなんだい? 俺が保証してやるけど、弥生子ちゃんの強さは本物だ。桃園さんも化け物の類いだが、弥生子ちゃんは大怪獣なんだよ。社運をかけた一発目の興行で桃園さんが負けちまってもかまわないって考えなのかい?」


「は、はい。その点に関しましては、わたしも花咲元代表と意見を同じくする立場でありまして……勝つことでしか成立しないドラマなど、わたしは二流だと思っています。勝っても負けても観客たちに深い感動を与えることのできる選手こそが、本当のスター選手なのではないでしょうか?」


 気弱げな表情はそのままに、駒形氏は子供のように瞳を輝かせた。


「ユーリ選手と赤星選手の対戦が実現すれば、たとえ勝敗がどうなろうとも、きっと素晴らしい試合になるはずです。なおかつ、興行主としての打算といたしましては……これほどのネームバリューを持つお二人でしたら、リベンジマッチでもまた大きな反響を呼び起こすことが可能になるかと思われます」


「そうかい。選手同士も興行主も納得してるってんなら、俺が口をはさむ話じゃねえな。……しかしこいつは、これまで以上の正念場だ。俺の見立てでも、弥生子ちゃんはいまだにベリーニャ選手よりも格上だからな」


 そんな風に言いながら、立松は不敵に笑った。


「ただし、選手には相性ってもんがある。大怪獣タイムを発動させない限り、純粋な寝技の技量は桃園さんのほうが上なんだからな。つけいる隙は、いくらでもあるだろう」


「……立松さんに挑発されるというのは、とても新鮮な心地ですね」


 そう言って――赤星弥生子は、ふっと微笑んだ。

 瓜子がこれまでに見たことのない表情である。それは若武者のような気迫を保持しつつ、どこか清涼な雰囲気も漂っており――時おり見せる幼げな表情に負けないぐらい、魅力的であった。


「で、では、《アトミック・ガールズ》と《レッド・キング》の合同イベントという方向で企画を詰めても、問題はありませんでしょうか?」


「それはべつだん、俺たちのご機嫌をうかがうような話じゃねえだろう。こちとら、一介のジムと門下生に過ぎねえんだからさ」


「で、ですが前回もお話ししました通り、ユーリ選手と猪狩選手に出場していただけなければ、興行を成功させることも難しいように思いますので……」


「ああそうかい。ただ、そんな風に選手やジムの顔色をうかがうのは、あんまりいただけねえな。それじゃあけっきょく、桃園さんや猪狩が運営に身びいきされてるってことになっちまうからよ。こっちはあんたがたが真っ当な運営を続けてる限り、そうそうオファーを断ったりしねえさ」


 そのように答えてから、立松はにやりと笑った。


「ところで……対抗戦の形を取るってことは、猪狩の相手はマリアが濃厚ってことなのかな」


「は、はい。双方にご異存がなければ、そういった形でオファーさせていただく心づもりでした」


「じゃあ、今日の内にマリアにも伝えておいてくれや。そうじゃないと、不公平だからな」


 そう言って、立松は瓜子の肩を小突いてきた。


「お前さんも、正念場だな。同じウェイトならまだしも、一階級上のアウトタイプで、組み技も寝技もあっちが上なんだからよ」


「押忍。それでも……ユーリさんほどの苦労じゃないっすよ」


 これで本当に、ユーリと赤星弥生子の対戦が実現してしまうわけである。

 赤星弥生子は《レッド・キング》に執着していたために、このような事態は瓜子も想定していなかったのだ。今さらながら、瓜子は胸が熱くなるのを感じた。


(この前の決勝戦は、ユーリさんも不完全燃焼だったからな。それを補って余りあるぐらいの正念場だ)


 瓜子がそんな風に考えていると、ずっと無言で人々のやりとりを見守っていた千駄ヶ谷が「ところで」と声をあげた。


「そちらの合同イベントは、やはり女子選手限定ということになるのでしょうか?」


「え? ああ、はい。そうですね。まだ全試合のマッチメイクを考案したわけではありませんので、確たることは言えないのですが……なるべくは、女子選手の試合を中心にしたいと考えております」


「そうですか。私の記憶によると、赤星道場には四名の女子選手しか所属していないはずですが……その内の一名である大江山選手は、まだアマチュア選手でありましたね。さすがに雅選手の対戦相手としては不相応でしょうから、残念に思います」


「残念? ……ああ、ユーリ選手と赤星選手、猪狩選手とマリア選手、沙羅選手と青田選手というマッチメイクが実現すれば、前回のタイトル戦で王者となった三名が主軸となるわけですね。確かに雅選手も赤星道場の選手と対戦できれば、それがもっとも理想的であったことでしょう」


 そう言って、駒形氏は頼りなげに眉を下げた。


「ただ、それ以前に……雅選手は先日の試合で肋骨を折ってしまったため、しばらくは試合を行えないのです」


「え? 雅選手は、そんな怪我をしてたんすか? 打ち上げでは、日本酒をがぶがぶ飲んでましたけど……」


「はい。犬飼選手の膝蹴りによって、負傷したものと思われます」


 そういえば、雅選手は犬飼京菜の膝蹴りを真正面から受け止めていたのだ。距離を潰して威力を半減させたとはいえ、あれはかなりの勢いであったのだった。


「あれで肋骨をへし折るなんて、大した威力っすね。……そういえば、犬飼選手は今後どんな風に扱っていくつもりなんすか?」


「そ、そうですね。チーム・フレアの第二期生に関しては、とりたてて不祥事の責任は生じていないようですので、他の選手と区別なく扱っていくつもりなのですが……やはりプレスマン道場の方々としましては、ご理解いただくことは難しいでしょうか……?」


「だから、俺らの顔色をうかがう必要はねえって」と、立松が苦笑した。


「ま、ドッグ・ジムの連中のほうこそ俺らのことを毛嫌いしてるみたいだが、それも知ったこっちゃねえや。あいつらをどんな風に扱おうとも、あんたがたの自由だよ。……いっそ、大江山の娘さんと犬飼の娘さんでリベンジマッチでも組んでやったらどうだ? 大江山の娘さんなんかは、もうプロとして恥ずかしくない力量だろ」


「ああ、大江山選手は犬飼選手との対戦以外は全勝であるそうですね。なるほど、それで犬飼選手とのリベンジマッチ……赤星選手は、どのようにお考えでしょうか?」


「異存はありません。すみれのプロ昇格に関しても、コミッショナーにおまかせしたく思っています」


 そんな風に答えつつ、赤星弥生子はふっと目を伏せた。

 その姿を見て、立松は「ふむ」と鼻を鳴らす。しかし、その場では何も言おうとしなかった。


「では、一月大会については、そのような形で進めさせていただきます。正式に決定しましたら、あらためてご連絡を差し上げますので……」


「ああ、よろしく頼むよ。あんたも色々と大変だろうけど、頑張ってな」


 最後には駒形氏をねぎらって、立松は席を立った。

 他の面々もそれに続いて、会議室のドアを目指す。そうして千駄ヶ谷に見送られて『スターゲイト』の玄関を出るなり、赤星弥生子が「猪狩さん」と呼びかけてきた。


「君に伝えておきたいことがあるのだが……少々時間をもらえるだろうか?」


「え? 自分個人にっすか? ……どんなご褒美があっても、ユーリさんの弱点なんかは教えないっすよ」


 瓜子は軽口を叩いたつもりであったのだが、赤星弥生子は凛々しい面持ちのまま目を泳がせてしまった。


「ご、ごめんなさい。ただの冗談なんで、そんな真に受けないでください。……すみません、ユーリさん。ちょっとだけ待っててもらってもいいですか?」


「はぁい。ここでじいっと待ってまぁす」


 すねた目つきをするユーリを立松に託して、瓜子は赤星弥生子とともに数メートルだけ距離を取った。

 そうして余人の耳がなくなるなり、赤星弥生子は形のいい眉を下げて瓜子に顔を寄せてくる。


「猪狩さん……相談もなしにこのような話を進めてしまい、君に不快な思いをさせてしまっただろうか?」


「え? どうして自分が、不快にならないといけないんすか?」


「それは……君はあの桃園さんと、ひとかたならぬ関係を築いているようだし……私は売名行為のために、桃園さんと対戦するようなものであるのだから……」


 と、赤星弥生子は深刻な表情で口もとを引き結ぶ。

 かえすがえすも、純真で誠実で不器用なお人であるのだ。瓜子としては、心よりの笑顔を届けるばかりであった。


「売名行為なんて、言葉が悪すぎますよ。試合でぶつかったら、全力でやりあうだけでしょう? 気を悪くしたりはしませんから、そんな心配しないでください」


「……本当に?」


「本当です。ユーリさんと弥生子さんで試合をしたらどんな展開になるんだろうって、想像しただけでワクワクしちゃいますよ」


 赤星弥生子はしばらく瓜子の顔を見据えてから、ほっとした様子で肩を下げた。張り詰めていた雰囲気が、ようやくやわらいだようである。


「君の言葉を疑わずに済むのは、本当に得難いことだと思う。駒形さんからの申し出は、渡りに船であったのだが……君の心情だけが心配だったんだ」


「優しいんですね、弥生子さんは。弥生子さんが外部の興行に目を向けてくれたことは、自分も嬉しく思ってますよ。……そういえば、青田さんとは和解できましたか?」


「和解というか……ナナは試合の後、私と語らっている最中に泣き崩れてしまったんだ。勝手な真似をしたあげく道場の看板を汚してしまって、ごめんなさい……と。まるで、子供に返ってしまったかのようだった」


 しんみりとした口調で、赤星弥生子はそう言った。


「あれでは私も厳しい言葉を言い連ねることはできなかったし……ナナが不憫に思えてしかたがなかった。ナナは不同視の弱点を突こうとするあまり、本来の力を発揮することができなかったんだ。もちろん、それも含めて勝負なのだから、桃園さんの勝利にケチをつけるつもりはないのだが、ナナとしては悔やんでも悔やみきれない心境であっただろう。それもあって、私は……今回の依頼を引き受けたいと考えたのだろうと思う」


「そうだったんすか。赤星道場を挑発した沙羅選手本人と試合をできれば、青田さんも少しはスッキリするでしょうね」


「うん。それに……私自身も、桃園さんとやりあってみたいと思った。ナナの敵討ちとか、そういう話ではなく……桃園さんがどれだけの力を持つファイターであるのか、それを自分の身で体感したいと思ったんだ」


 そんな言葉を口にするなり、赤星弥生子の雰囲気がまた変じた。

 普段の雷光じみたオーラが、瑞々しい生命力を得て、いきなりうねりをあげたような――そんな、不可思議な感覚である。

 そして赤星弥生子の切れ長の目は、さきほどのユーリに負けないぐらい澄みわたった光を宿していたのだった。


「……自分も本当に、お二人の試合が楽しみっすよ。これもあの、徳久って輩を追い出すことができたおかげですね」


「ああ。その一件こそ、心から得難く思っている。私がいくぶん浮かれてしまっているのは、あいつがようやく最低の人間だと世間に知らしめられたからなのかもしれない」


「へえ。弥生子さんは、浮かれてたんすか? 最初は何か怒ってるんじゃないかって、ひやひやしちゃいましたよ」


「だからそれは、君の気分を害してしまったのではないかと心配していただけなんだ」


 と、赤星弥生子は少し気恥ずかしそうに微笑む。

 この短い時間で、彼女はずいぶん色々な表情を瓜子に垣間見せてくれた。


(本当に、不思議なお人だなぁ。ユーリさんとはまったく違う方向性で、同じぐらい素っ頓狂な人かもしれないぞ)


 それでは瓜子は、そういう素っ頓狂な人間に心をひかれる性質を持っていたのだろうか。

 そんな思いを噛みしめながら、瓜子はあらためて赤星弥生子に笑いかけてみせた。


「それじゃあ一月大会に向けて、おたがい頑張りましょうね。……あ、弥生子さんたちはその前に、《レッド・キング》があるんでしたっけ」


「うん。よければ今回も、猪狩さんたちを招待しようかと考えていたのだが……」


「今回は、きちんとチケットを買わせていただきますよ。灰原選手たちの応援をしたいですからね」


 すると赤星弥生子は、はにかむように微笑んだ。


「それじゃあ主催者の特権として、雛壇チケットの金額でリングサイド席を準備させてもらいたく思う」


「え、いいんすか? 今回も、けっこうな人数になると思いますよ?」


「うん。どうせ毎回リングサイドは空席だらけなので、賑やかしてもらえたらありがたいぐらいだ」


 そのように語る赤星弥生子は、本日で一番やわらかい表情になっていた。

 雷光めいたオーラが完全に消えたわけではないし、その面立ちの凛々しさまでもが変ずるわけではない。そんな彼女がこれほど優しげな表情を浮かべるからこそ、こんなにも魅力的なのかもしれなかった。


「それじゃあ、そろそろ戻ろうか。いい加減に、桃園さんも焦れてしまっているようだ」


「あ、そうっすね」


 数メートルの背後では、子供のようなふくれっつ面をしたユーリをなだめるように、立松が声をかけてくれていた。


「内緒話は、終わったか? まったく、子守りでもしてる気分だったよ」


「時間を取らせてしまって、申し訳ありません。それでは、失礼しましょう。みなさん、駅ですか?」


「いや、電車で帰るのは俺だけだな。猪狩さんと桃園さんは、タクシーで仕事場に直行だとよ」


「そうですか。桃園さん、お忙しい中、ありがとう。……対戦の日を楽しみにしている」


「はぁい。どうぞお気をつけてぇ」


 むくれていたユーリは曖昧な表情で一礼し、赤星弥生子は颯爽とした仕草できびすを返した。

 それを追いかけるかと思った立松が、瓜子に素早く耳打ちしてくる。


「なあ、お前さんがたは、もともと沙羅選手と仲良くしてたんだろう? 試合の後、連絡を取り合ったりしたのか?」


「いえ、特別には。こっちも今日まで、ずっとバタバタしてましたからね」


「でも、連絡先は知ってるんだよな? これは俺の個人的な頼みなんだが……機会があったら、ドッグ・ジムってやつの様子を見てきてくれねえか?」


「え? どうして自分たちが?」


「弥生子ちゃんは、犬飼くんの娘さんのことを無茶苦茶気にしてるはずなんだよ。ああいう性格だから、表に出そうとはしないけどな。……お前さんと沙羅選手が間に立てば、あの頑固な娘っ子たちもちっとは仲良くできるんじゃねえかな」


 それはずいぶんと、買いかぶられたものであった。

 しかし瓜子も、犬飼京菜の話題が出るなり、赤星弥生子が目を伏せる姿を見てしまっている。それに、彼女がさまざまな責任をひとりで背負おうとしてしまう人柄であるということも、この数ヶ月間で思い知らされていた。


「……わかりました。どう転ぶかはわかりませんけど、とりあえず沙羅選手と話してみようかと思います」


「頼むよ。もとを質せば、俺たちは大吾さんを中心に集まったメンバーなんだからな。死んだ犬飼くんのためにも、あいつらには仲良くしてほしいんだよ」


 そんな言葉を残して、立松は赤星弥生子を追いかけていった。

 連続で仲間外れにされたユーリは、すねきった眼差しで瓜子を見つめている。そちらを笑顔でなだめつつ、瓜子は溜息を噛み殺すことになった。


(でも……弥生子さんと犬飼京菜の和解を仲裁するなんて、どのミッションより難しそうだな)


 しかし、運営陣やチーム・フレアに悩まされていた日々を思えば、まだしも幸福な悩みである。

 そんな風に思いなおして、瓜子は本格的にユーリをあやすことにした。

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