03 謝罪と提案
十一月の、第三水曜日。
瓜子とユーリは立松とともに、『スターゲイト』に向かうことになった。
目的は、パラス=アテナの新代表となる予定の駒形氏と面談するためである。
それで面談の場所に『スターゲイト』が選ばれたのは、マスコミの目を避けるためであった。黒澤代表とチーム・フレアのスキャンダルが露見した現在、パラス=アテナの事務所には連日報道陣が押し寄せているという話であったのだった。
「さてさて。新しい代表さんは、どんな話を持ちかけてくるやらだな」
千駄ヶ谷の案内で『スターゲイト』本社の廊下を歩きながら、立松は不敵な表情でそのように言っていた。
やがて到着したのは、普段打ち合わせで使っている応接室ではなく、それなりの広さを持つ会議室である。瓜子たちがその場に足を踏み入れるなり、先に入室していた駒形氏は椅子から飛び下りてリノリウムの床に平伏したのだった。
「ユーリ選手! 猪狩選手! このたびは、本当に申し訳ございませんでした!」
「おいおい、いきなりの歓迎だな。そんな真似をしたって、うちの門下生たちは挨拶に困るだけだと思うぞ」
人生経験の違いであろうか、立松はいきなりの土下座謝罪に驚いた様子もなく苦笑している。そしてユーリはきょとんとしているために、瓜子が取りなす役を担うことになった。
「あ、頭を上げてください、駒形さん。駒形さんは千駄ヶ谷さんに協力して、黒澤代表たちの悪事をあばきたててくれたんでしょう? 何も謝るような立場じゃないじゃないっすか」
「いえ! それでもわたしはこの四ヶ月間、パラス=アテナの人間として業務を続けていたのですから、同罪です!」
「それでも駒形氏の協力なくして、これだけ迅速に事態を解決することはできなかったでしょう。貴方こそは、最大の功労者のおひとりであるはずです」
千駄ヶ谷もまたいっかな心を揺らした様子もなく、席のひとつに着席した。
「ともあれ、時間がありません。駒形氏の謝意は十分に伝わったでしょうから、本題に入っていただきたく思います」
「は、はい……」と駒形氏は力なく身を起こした。
ころころと丸っこい体格をした、いかにも気弱そうな中年男性である。もともと駒形氏はブッキングマネージャーという役職にあり、選手との窓口も受け持っていたので、瓜子としては『パラス=アテナ』においてもっとも見慣れたお相手であった。
「黒澤代表の解任はほぼ決定されたようですが、パラス=アテナにはさまざまな問題が山積みにされているそうです。それを解消するために、駒形氏は新宿プレスマン道場の方々と和解を果たし、ともに苦難を乗り越えていただきたいと願っているわけですね」
そんな風に語る千駄ヶ谷に手振りでうながされて、瓜子たちも着席することにした。
「パラス=アテナの抱える問題点とは、おおまかに分けて二点。財政の立て直しと、今後の興行方針についてとなります。まずは現在の財政状況について、駒形氏の口からご説明を願えますか?」
「は、はい……我々は現在、大きな負債を負ってしまっています。黒澤代表の打ち出した新機軸から脱却するために 我々はそれだけの経済的負担を負わなければならなかったのです。このような話を選手の方々にお聞かせすることは、筋違いも甚だしいのですが……ことは今後の運営方針にも関わってまいりますので、どうかお聞きいただけるでしょうか?」
そうして駒形氏は、卓上に置かれたレポート用紙に視線を落とし、深々と溜息をついた。
「まず我々は、黒澤代表の新機軸から脱却したことを世間や関係者の方々に証明するために、《カノン A.G》の名を《アトミック・ガールズ》に戻すべきだと考えています。ですが……それを実現するためには、ティガーとの契約をどうにかしなければならないのです」
「ティガーとの契約? ……あ、そうか。《アトミック・ガールズ》に名前を戻してくれるのなら、もうあのウェアや試合衣装は使えませんもんね」
「はい。ですがパラス=アテナは、ティガーと年間契約を結んでおりました。少なくとも来年の九月までは、選手の方々にティガーオリジナルのウェアと試合衣装を着ていただかなければならないのです」
そう言って、駒形氏はまた深い嘆息をこぼした。
「よって我々は、《カノン A.G》のロゴを《アトミック・ガールズ》のロゴに差し替えていただけるように画策しているのですが……それには新たにデザイン料を支払わなければなりませんし、在庫分は処分しなければなりません。また、関係者の方々にご購入いただいたウェアと試合衣装も無償で交換するべきでしょうし……一般販売された分に関しましても、交換を希望する方々がおられたならば、やはり料金をいただくわけにはいかないように思います」
「あー、なるほど。確かにこれだけスキャンダルまみれになったら、お客さんたちも《カノン A.G》のウェアを着る気も失せちゃうでしょうしね」
「はい。現段階でも、各販売店には返品希望のご連絡が殺到しております。ティガーの担当者様も、当初はパラス=アテナを訴えかねない勢いで怒り心頭であったのです。……さらにパラス=アテナはカッパー・ジムとの提携でMMAスクールを開設しておりましたが、そちらの告知用ポスターにも《カノン A.G》のロゴとチーム・フレア所属選手の画像が使用されておりましたため、早急に差し替える必要がございます。ウェア方面の損失に比べれば、微々たる額なのですが……それでも現在の我々には、目のくらむような損害であったのです」
聞けば聞くほど、気の毒な話である。自業自得と言ってしまえばそれまでであるが、その苦労は本来黒澤代表が担うべきものであるのだ。
「さらに、もう一点……九月大会の映像ソフトに関してです。本来、弊社から販売される映像ソフトに関しては、すべての試合をノーカットで収録していたのですが、九月大会に関しては格闘技チャンネルの放映分と同じ内容が収録されておりました。我々はこちらの映像ソフトも回収し、新たにノーカットの完全版を販売する予定であるのですが……やはり、旧版をご購入くださった方々には無料で交換さしあげるべきではないかと考えております。それとあわせて、在庫分はやはり処分しなければなりませんため……こちらもまた、財政の大きな負担となっております」
「徹底してますね。でも、映像ソフトの差し替えまで考えてくれてるなんて、とても誠意を感じますよ」
千駄ヶ谷や立松がいっさい甘い顔を見せないため、瓜子が駒形氏を慰める役を受け持つことになってしまった。
しかしそれは、まぎれもなく瓜子の本心である。ティガーやカッパー・ジムがらみの案件はともかく、自社販売の映像ソフトにまで修正を施そうというのは、新たな運営陣の誠意の表れであるように思えてならなかったのだった。
「過分なお言葉を賜り、恐縮の限りです。……実のところ、ティガーやカッパー・ジムとの提携によって、パラス=アテナは莫大な利益をあげていたはずなのですが、それらはすべて黒澤代表の一存によって散財されてしまいました。フレア・ジムの設立や、コーチ陣に対する報酬、外国人選手の滞在費など……それにおそらく、エイトテレビや出版社に対する賄賂なども存在したのでしょう。経理を確認したところ、多額の使途不明金が確認できましたため、この一点だけでも黒澤代表を解任することは容易であるかと思われます」
「前の代表は脱税で、次の代表は横領か。そこまで泥まみれの運営が、これまで通りに興行を続けられるもんなのかね?」
立松がうろんげに言いたてると、駒形氏はさらに気弱げな顔をさらした。
「もしも興行を続けることができなければ、パラス=アテナは倒産する他ないでしょう。そして現時点においても、我々は大きな危機を迎えているのです」
「来年の一月大会についてですね。そちらはすでに、試合会場をレンタル予約されているそうです」
千駄ヶ谷の相槌に、駒形氏は「はい」と肩を落とす。
「しかも会場は、二千人規模のPLGホールとなります。たとえ興行を開くことがかなっても、集客に不足が生じたならば、新たな負債が生じます。その時点で、パラス=アテナの倒産は確定することでしょう。……さらに、もう一点。黒澤代表は独断で、試合の放映権を格闘技チャンネルから引き上げる話を進めてしまっていたのです」
「え? 放映権を引き上げて、どうするつもりだったんすか?」
「どうやら件の重役と、エイトテレビにおける放映の密約を取りつけていたようです。実際にどれだけ実現の可能性があったのかは、まったく定かではないのですが……ともあれ、件の重役はこのたびの失態で完全に立場を失うでしょうから、エイトテレビにおける放映などは実現するわけもありません。そうであるにも拘わらず、格闘技チャンネルにおける放映は来年三月までということで、すでに契約終了の手続きが為されてしまっているのです」
「でも……駒形さんが新しい代表になったら、あらためて契約を交わすこともできるんじゃないっすか?」
「いえ。格闘技チャンネルのスタッフも、パラス=アテナに対しては大きな不信感を抱いてしまっております。黒澤代表は九月大会の放映に関して、チーム・フレアの都合のいいように編集をするよう圧力をかけておりましたため、あちらのスタッフも相当に辟易していたようです。それできっと契約終了の話に関しても、喜んで受け入れることになったのでしょう」
そう言って、駒形氏は広くなりかけた額の汗をハンカチでぬぐった。
「現在の財政状況で放映権料まで失ってしまったら、パラス=アテナはその時点で倒産いたします。かくなる上は一月大会と三月大会でこれまで以上の反響を呼び込み、確かな商業的価値を提示して、格闘技チャンネルとの再契約を目指さなければなりません。二重三重の意味で、我々は興行を成功させなければならないというわけです」
「ふうん。それで、うちらに相談ってわけかい?」
立松のぶっきらぼうな問いかけに、駒形氏は「はいっ!」と背筋をのばす。
「ユーリ選手と猪狩選手は、まごうことなき《アトミック・ガールズ》の看板選手です。もしもお二人が欠場なさったら……他にどのようなカードを組んでも、満足な集客を果たすことは難しいでしょう」
「ふうん。桃園さんはともかく、猪狩もか」
仏頂面をこしらえつつ、立松は頬のあたりをぴくぴくと動かしている。おそらくは、笑顔になるのを懸命にこらえているのだろう。瓜子としては、保護者の前で教師に絶賛される小学生のような心地で、面映ゆい限りであった。
いっぽう駒形氏のほうは、真剣そのものの面持ちで「もちろんです!」と大きな声を張り上げる。
「今年に入って無敗の連続KO記録を作り、しかも格闘技以外の分野においても絶大な人気を誇る猪狩選手は、もはやユーリ選手に並び立つほどのスター選手であられるのです!」
「し、試合のほうはともかく、それ以外の分野はユーリさんのオマケで引きずり回されてるだけっすよ」
「いえいえ! 弊社のリサーチにおきましても、猪狩選手の人気は絶大なものでありました! 特にユーリ選手の音楽活動に付随する水着グラビアの反響に関しては――」
「あ、もういいです。お願いですから、話を戻してください」
「し、失礼いたしました。……それで、ユーリ選手と猪狩選手には、これまで通りに試合のオファーを受けていただきたいのですが……それは、可能でありましょうか?」
それは、瓜子の一存で決められる話ではない。
その確認をするために、瓜子はまず自身の抱いていた疑念を口にすることにした。
「自分たちは、来栖選手の意見に賛同した立場です。二つの条件がクリアされない限り、自分たちは《カノン A.G》を離脱して新団体を立ち上げるって宣言しましたよね。団体名のほうは《アトミック・ガールズ》に戻してくれるそうですけれど、ベリーニャ選手とタクミ選手の試合についてはどうなんすか?」
「ご、ご説明が遅れまして、申し訳ございません。そちらの試合に関しては、すでにコミッショナーに再審議の申請を致しております。ベリーニャ選手からも右目の負傷の診断書をいただいておりますため、近日中にはタクミ選手の勝利を取り消して無効試合の裁定が下されるかと思われます」
「ベリーニャ選手の反則勝ちじゃなくって、無効試合っすか。まあ、それが最低限の妥協ラインなんでしょうね」
「きょ、恐縮です。……ついでと言ってはなんですが、ベリーニャ選手の専属契約に関しても、すでに契約解除の手続きがされております。どのみちベリーニャ選手は負傷の治療のためにしばらくは試合を行うこともできないという話でありましたが……カリフォルニアのご親族がたいそうご立腹であられたため、即時に専属契約を解除させていただいた次第です」
それに関しては、すでに昨日ベリーニャ選手自身の口から聞かされていた。ベリーニャ選手の専属契約は来年の五月までのようであったが、それを待たずして帰国することになったのだ。
ともあれ、来栖選手の出した条件については、問題なくクリアできるようだ。
となれば、あとはプレスマン道場の意向である。そう考えて、瓜子が立松のほうを振り返ると、そちらには取りすました顔が待ち受けていた。
「うちのジムは、個人主義がモットーだ。口を出さないとは言わないが、最後に決めるのは選手本人だよ」
「そうっすか。自分としては、昔みたいに《アトミック・ガールズ》の運営方針が正されるなら、是非とも試合をさせていただきたいと思っています」
そんな風に答えながら、瓜子はユーリの様子をうかがい――そして思わず、ぎょっとしてしまった。ユーリは毅然と顔をあげつつ、ぽろぽろと涙を流しながら微笑んでいたのだ。
「ユーリは、《アトミック・ガールズ》が大好きだったんです。大好きだった《アトミック・ガールズ》が復活してくれるなら……絶対の絶対に、出場したいです」
「だ、大丈夫ですか、ユーリさん? 何をそんなに泣いてるんです?」
「だって、《アトミック・ガールズ》がもとに戻ってくれるなら……ユーリは、すごく嬉しいもん」
そうしてユーリは、さらに大粒の涙をこぼしたのだった。
「そのために、駒形さんはこんなに頑張ってくれていて……本当にありがとうございます、駒形さん。《アトミック・ガールズ》のためだったら、ユーリはどんな苦労も惜しみませんので……絶対に、最後の最後まであきらめないでくださいね?」
「ありがとうございます」と応じる駒形氏も、目頭を押さえてしまっていた。
まったく涙腺を刺激されていない自分は薄情な人間なのだろうかと、瓜子は思わず周囲を見回してしまったが、立松は苦笑を浮かべており、千駄ヶ谷は絶対零度の面持ちであった。であればきっと、ユーリと駒形氏が平均以上に純真である、ということなのだろう。
「ただ一点、問題がございまして……ユーリ選手にせよ猪狩選手にせよ、目ぼしい対戦相手が見つからないのです。お二人はそれぞれの階級において、頭ひとつ飛びぬけた実力をお持ちですので……このような騒ぎがなくとも、対戦相手に相応しい選手がごく限られてしまうのですね」
やがて駒形氏は、気を取りなおした様子でそう言った。
「外国人選手を招聘できればその限りではないのですが、現在の財政状況ではそれも難しく……また、沙羅選手などはユーリ選手との対戦を希望しておりますが、いきなり王者同士の対戦というのは避けるべきであるように思いますし……」
「でも、ユーリさんはともかく自分なんかは、まだまだ対戦してない日本人のトップファイターが山積みっすよね?」
「ですがそれらの方々は、のきなみメイ=ナイトメア選手に打ち倒されてしまいました。メイ=ナイトメア選手に連勝された猪狩選手にとっては、これまでの日本人トップファイターも格下の感が否めないでしょう。いずれはそういった方々と対戦していただくにしても、《カノン A.G》から脱却する最初の興行においては、何か目玉となるマッチメイクが必要となるのです」
そうして駒形氏は、すがるような目で瓜子と立松を見やってきた。
「つきましては、ご相談があるのですが……猪狩選手は別階級への挑戦について、どのようにお考えでしょうか?」
「別階級? ウェイトを落として、アトム級に挑めってことっすか?」
「いえいえ。階級を落とすのは、結果を残せなかった選手の打開策でありましょう? そうではなく、本来よりも重い階級への挑戦です」
それは、あまりに意想外な提案であった。この階級でも小柄に分類される瓜子は、いつだって軽い階級への転向をうながされていたのである。
「下の階級じゃなく、上の階級っすか。……まさか、自分とユーリさんの対戦なんて考えてませんよね?」
「め、滅相もない! そもそもお二人は同門であられますし、そうでなくとも業界の未来を担うスター選手同士で潰し合いをさせるなど、もっての外でありましょう」
「それなら、自分は異存はないっすよ。……っと、立松コーチはどう思いますか?」
「ああ。お前さんの背丈で上の階級に挑むってのは、またまた頭を悩ませることになりそうだな。だけどまあ、頭を悩ませるのが俺たちの仕事だ。イリア選手やラニ選手なんかは上の階級でもおかしくない背丈だったし、どうにでも対策は練れるだろうさ」
そんな風に言ってから、立松はいくぶん不思議そうに首を傾げた。
「それにしても、ずいぶんあっさり引き受けるもんだな。お前さんも、こういう事態を想定してたってわけか?」
「いえ、そういうわけじゃないんすけどね」
瓜子の頭にあったのは、《レッド・キング》の在りようであった。赤星弥生子を筆頭とする赤星道場の人々は、興行を盛り上げるために男女の混合戦やフリーウェイトの試合に挑んでいたのである。
(まあ、ああいう試合を主軸にする気にはなれないけど……駒形さんたちがこれだけ頑張って《アトミック・ガールズ》を再建しようとしてくれてるなら、こっちも頑張りに応えなくっちゃな)
ともあれ、瓜子が上の階級への挑戦を承諾すると、駒形氏は卓に額がつくほど深々と頭を下げた。
「ありがとうございます! 仮に猪狩選手が試合に敗れることになっても、本来の階級でなければ経歴に傷がつくこともないでしょう。《アクセル・ファイト》などにおいても、そういった例は少なくないようですし……」
「へえ。《アクセル・ファイト》でも、上の階級に挑むってのは珍しくないんすか?」
この質問には、立松が答えてくれた。
「《アクセル・ファイト》もトップ選手の潰し合いで王者が決められるから、戴冠後に対戦相手が不足することは珍しくねえんだよ。それでも人気選手を興行で使いたいときは、上の階級に挑ませるのが定番だな。それで二階級制覇する選手もいなくはないし……ジョアン選手なんかは、上の階級でも負けなしだしな」
「なるほど。いつか沙羅選手の王座に挑戦できるかもって考えたら、ちょっとワクワクしてきますね。もちろんそれ以外のトップファイターだって、みんな強敵ですけど」
「ええ。たとえ上の階級であっても、実力の不足した選手では猪狩選手の格が下がってしまいます。沖選手、魅々香選手、マリア選手のトップスリーか……せめて、オリビア選手か多賀崎選手などにオファーを受けていただけたらと思案しております」
そんな話を聞かされると、瓜子はいっそうワクワクしてしまった。
これまでユーリが苦戦してきた相手に自分が挑むことになろうなどとは、まったく考えていなかったのだ。これはもう、献身ではなく自分の欲求に基づいて上の階級に挑みたいぐらいの気持ちであった。
(もしかしたらマリア選手やレオポン選手なんかも、こんな気持ちでああいう試合に挑んでるのかな)
瓜子がそんな風に考えていると、駒形氏はユーリのほうに視線を転じた。
「ただ……ユーリ選手に関しては、そういった打開策も思いつかないというのが本当のところです。フライ級においてもバンタム級においても、ユーリ選手の対戦相手に相応しい日本人選手というものが、なかなか見当たらなく……」
「ほえ? そうなのですか? フライ級では色んな選手と対戦させていただきましたけど、バンタム級なんかは全然ですよね?」
「そもそもバンタム級というのが、新設された階級でありますため……それに、たとえ無差別級を復活させたとしても、ユーリ選手はすでに来栖選手と小笠原選手に勝利しておられるのです。兵藤選手はMMAを引退し、柔術の選手として活動していく方針であるようですし……無差別級のホープであられた高橋選手は、昨年の段階で沙羅選手に敗れてしまっておりますし……」
「にゃるほど」と、ユーリはうなずいた。涙をぬぐってしまえば、あとはもういつも通りの朗らかなユーリである。
「ユーリはあんまり無差別級の試合ってきちんと拝見していなかったのですけれども、そういえばいつも同じような顔ぶれだった印象ですよねぇ」
「はい。ここ数年は、トップの三名と高橋選手がおたがいにやりあうか、あるいは外国人選手を迎え撃つというのが定番のマッチメイクでありました」
「で、外国人選手を呼ぶお金はない、と……ふみゅふみゅ。それは困ったものですねぇ」
そんな風に言ってから、ユーリはポンと手を振った。
「それなら、赤星弥生子殿などは如何でしょう?」
瓜子は思わず立松と一緒になって、ひっくり返りそうになってしまった。
「おいおい、そいつは唐突に過ぎるってもんだろう。そもそも弥生子ちゃんは、《レッド・キング》でしか試合をしないってポリシーだろうが?」
「あ、そういえばそうでしたぁ。赤星弥生子殿であれば申し分ない強さなのに、残念でしたねぇ」
すると駒形氏が、いくぶん引き締まった表情で身を乗り出した。
「あ、あの、ユーリ選手は赤星選手との対戦に意欲的なのでしょうか?」
「はい。あの御方は、うら若きベル様にも勝ったぐらいのお人であられるそうですので」
そのように答えるユーリは、びっくりするぐらい澄みわたった眼差しになっていた。
「ユーリの夢は、ベル様みたいに強くてかわゆいファイターになることなのです。ベル様に勝ったことのあるお人と対戦できるなら、胸が弾んでしかたがないのです」
「そうですか……」と、駒形氏は思案顔になってしまった。
立松は四角い下顎をかきながら、「あのなあ」と声をあげる。
「言っておくが、弥生子ちゃんの頑固さってのは筋金入りだ。あの娘は《レッド・キング》を盛り上げたいって一心で、十年以上も試合をしてきたんだからな。あの頑固者を《レッド・キング》の外に引っ張り出すのは、並大抵の話じゃないぞ」
「ええ、承知しています。……ただ、可能性のひとつとして残させていただければと思います」
いったい何が琴線に触れたのか、駒形氏はたいそう真剣な面持ちになっていた。
そうしてそんな駒形氏の姿を見やっていると、瓜子もむやみに胸が高鳴ってしまったのだった。
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