04 魂胆

 なんとも後味の悪い試合が終了した後――泣きわめく一色選手は担架で搬送され、瓜子にはストロー級のチャンピオンベルトが贈られることになった。


 客席からは惜しみない歓声が届けられていたが、瓜子の胸に喜びの感情はない。瓜子は勝利者インタビューを受ける前にベルトを外して、それを立松に預けてしまった。


(メイさんに勝って暫定王者になったときは、あんなに夢見心地だったのにな)


 新しいチャンピオンベルトには、《カノン A.G》の名が刻みつけられている。それが瓜子をいっそう虚しい気持ちにさせてしまうのだった。


『それでは《カノン A.G》の初代ストロー級王者となった猪狩選手に、熱いお言葉を頂戴いたしまァす!』


「マーくん」の浮ついた声が、瓜子の虚しさに拍車をかけてくる。

「マーくん」はにやにやと笑いながら、瓜子の前に立ちはだかった。


『アトム級の雅選手に続いて、チーム・フレアを撃破してみせましたねェ。スバリ、勝因はなんですかァ?』


『……今日の試合のために、たくさんの人たちが力を貸してくれました。自分ひとりの力では、これほどの結果は残せなかったと思います』


「マーくん」が職務を全うしようというのなら、瓜子もプロファイターとして責務を果たさなくてはならなかった。

 観客たちは意外な試合結果に困惑しつつ、それでも瓜子の勝利を祝福してくれている。

 そして――そんな中、「マーくん」は突如として職務を放棄してきたのだった。


『そうですかァ。たいしたモンですねェ。……ところで、猪狩選手は清純キャラで売ってますけど、あんな大胆な水着姿をさらしてたら、次から次へとお誘いが来るでしょう? いったいどうしたら、それだけ好き放題やりながら清純な雰囲気をキープできるんですかァ?』


 瓜子は怒る気力もなく、「マーくん」のにやついた顔を見返した。

 歓声は、すぐさま倍する勢いでブーイングに変じている。


 瓜子はプロファイターとして一考し――「マーくん」のもとから身を引くことにした。

 そうして四方の観客席に一礼ずつしていくと、ブーイングが歓声と拍手に移り変わっていく。


 その結果に満足しながら、瓜子はケージの出口を目指した。

 それと同時に、その怒声が爆発したのだった。


『うちの選手にくだらねえ言葉を吐きかけるんじゃねえよ! リングアナウンサーを名乗るなら、それに相応しい品性ってやつを身につけやがれ!』


 瓜子がびっくりして振り返ると、立松が「マーくん」から奪い取ったマイクでがなりたてているところであった。

 会場には、いっそうの歓声がわきたっている。立松はマイクを別のスタッフに突き返すと、足早に瓜子を追いかけてきた。


「……悪い。どうしても、黙ってられなくなっちまったんだ」


 ともにケージを下りながら、立松はそんな風に呼びかけてきた。

 すでに怒気は消し去って、分厚い肩をしょんぼり落としている。立松のそんな姿に、瓜子は思わず笑ってしまった。


「何も謝る必要なんてないっすよ。自分もお客さんたちとおんなじ気持ちです」


 そうして瓜子は大歓声の中、花道を引き返すことになった。

 入場口の裏手には、魅々香選手の陣営が待機している。瓜子が口を開くより早く、来栖選手が「おめでとう」と声をあげてきた。


「あんな選手を下しても虚しさがつのるばかりだろうが、君のおかげで《アトミック・ガールズ》の名誉は守られた。どうかその一点だけは誇りに思って、胸を張ってほしい」


 来栖選手は、また扉の隙間から瓜子の試合を見届けてくれたようだ。

 そして明敏に、瓜子の心情を察してくれたようだった。


「ありがとうございます。来栖選手のそのお言葉で、救われた気分です」


「救われたのは、わたしだよ。君と雅は、《アトミック・ガールズ》を愛するすべての人間を救ってくれたんだ」


 さきほどは拳を差し出してきた来栖選手だが、このたびは両手で瓜子の手を握りしめてきた。

 立松のおかげでやわらいでいた虚しさが、今度こそ綺麗に霧散する。

 瓜子は心を込めて、もうひとたび「ありがとうございます」と返してみせた。


「このベルトにはどうしても価値を見いだせませんけど、それ以上のものを来栖選手からいただくことができました。……魅々香選手も、どうか頑張ってください」


「はい。死力を尽くします」


 試合場からは、すでに魅々香選手の名を呼ぶコールが聞こえてきている。

 魅々香選手は瓜子とグローブをタッチさせてから、花道へと足を踏み出していった。


 瓜子はようやく満たされた気持ちで、廊下を進む。

 するとその途中で、ユーリの陣営と行きあうことになった。


「うり坊ちゃん、おめでとう。なかなかショッキングな終わり方だったねぇ」


 頭にタオルをかぶったユーリは、弱々しく微笑みながらそんな風に言ってくれた。

 その肢体はウェアごしでもわかるぐらい汗に濡れており、丸っこい肩が小さく上下している。明らかに、ウォームアップが過剰であったのだ。


 しかし、負の感情を振り切るには、それしか手段がなかったのだろう。

 瓜子は、胸の奥にキリでもねじ込まれるような痛みを知覚することになった。


「ユーリさんも、どうか頑張ってください。よかったら、入場の直前までご一緒に――」


「ううん。うり坊ちゃんは、魅々香選手の試合を見届けてあげてね」


 そう言って、ユーリは右の拳を差し出してきた。

 瓜子も黙って、その拳に拳をあててみせる。

 そうして控え室を目指しながら、瓜子は何度となく嘆息を噛み殺すことになった。


(去年も今年も、十一月の興行は最悪だな……それでも去年はその日の内に、最悪な気分から脱出することができたけど……)


 しかし今日ばかりは、ユーリがタクミ選手に勝利したところで胸が晴れるわけもない。

 ベリーニャ選手の無事が確認され、その名誉が回復されない限り、ユーリと瓜子は心から笑い合うこともできないはずであった。


「おかえりー! とんでもない終わり方だったけど、ま、勝ちは勝ちだからね! 連勝記録、おめでとさん!」


 と、控え室をくぐるなり、灰原選手が躍りかかってきた。

 その肉感的な肢体に抱きすくめられながら、瓜子は「お、押忍」と返してみせる。


「お、お祝いのお言葉、ありがとうございます。でも、灰原選手はいったいどうしたんすか?」


「どうしたんすかって、うり坊を心配してたに決まってるじゃん! モニターごしでも、あんたが元気ないのは一目瞭然だったもん!」


 すると、鞠山選手と小柴選手も左右から接近してきた。


「一色ルイは、あんたの鈍器みたいな攻撃でメンタルをやられて、自爆したみたいだわね。とんだ雑魚だったけど、この一勝は大きいんだわよ」


「そ、そうですよ! 最後の怪我だって、あんな素人みたいな蹴りを出すからです! 猪狩さんが気にする必要はありません!」


 誰もが瓜子の勝利を喜ぶよりも、その内心を気づかってくれているようであった。

 これも、瓜子の感情が外にこぼれまくっているという証なのであろうか。瓜子は若干の気恥ずかしさとそれを上回るありがたさを胸に、「押忍」と答えてみせた。


「自分は大丈夫です。あとは魅々香選手とユーリさんが、この馬鹿馬鹿しい騒ぎに決着をつけてくれることでしょう」


「そうだわね。まずは、美香ちゃんの勝利を見届けるだわよ」


 モニター上では、すでに魅々香選手も沙羅選手もケージインしていた。


『第十一試合、五分三ラウンド、フライ級、五十六キロ以下契約……王座決定トーナメント、フライ級決勝戦を開始いたしまァす! ……青コーナー、百六十五センチ、五十五・九キログラム、天覇館東京本部所属……魅々香ァ!』


 一回戦目をフルラウンドで戦い抜いた魅々香選手は誰よりもスタミナを削られているはずであったが、そんな疲労はおくびにも出さず、堂々と一礼していた。


『赤コーナー、百六十七センチ、五十五・八キログラム、犬飼格闘鍛錬場ドッグ・ジム所属……シャラ=フレアァ!』


 いっぽう沙羅選手も難敵の沖選手を相手に激戦を繰り広げていたため、相応の疲労を負っていることだろう。それでもやはり、いつも通りのふてぶてしい表情で観客たちにアピールしていた。


 両者は五月の王座挑戦をかけたミニトーナメント戦で対戦しており、半年ぶりの再戦となる。あの日には、緻密な戦略を立てた魅々香選手が接戦の末に判定勝利を収めていたが――今回は、それ以上の大接戦になりそうなところであった。


 沙羅選手はその直後にプロレスの試合で足首の骨折という重傷を負っていたが、そののちにドッグ・ジムに入門し、新たな力を身につけている。さらに、ウェイトアップに取り組んだようで、唯一の穴ともいうべきパワー不足を克服していた。

 さらに、前戦ではマリア選手、本日の一回戦目では沖選手を下し、波に乗っている。もともと沖選手などは魅々香選手よりも格上と見なされていたのだから、沙羅選手の力量も察するに余りあった。


(でも、魅々香選手だってジジ選手とマーゴット選手を撃破してみせたんだからな。地力では、まったく負けてないはずだ)


 とにかく沙羅選手がチーム・フレアに在籍している以上、瓜子は魅々香選手を全力で応援する構えである。

 鞠山選手たちはそれ以上の熱意でモニターを見つめており、寝袋に下半身をうずめた雅選手はひとり眠そうな顔で遠くから視線を飛ばしていた。


 そんな中、試合が開始される。

 序盤は、慎重な探り合いであった。

 やはり半年ていどの期間でリベンジ・マッチというのは、やりにくいものであろう。瓜子もメイとイリア選手で二回もリベンジ・マッチを経験していたが、魅々香選手と沙羅選手はどちらも堅実な力を持つオールラウンダーであったため、やりにくさも増大しそうなところであった。


 そうして一分ていどの静かな時間を過ごしたのち、最初に仕掛けたのは沙羅選手である。

 空手仕込みの、猛打のコンビネーションだ。

 魅々香選手は的確にそれをブロックして、相手の胴体に組みついた。


 たとえ沙羅選手がウェイトアップしても、まだまだパワーは魅々香選手のほうがまさっているのだろう。沙羅選手は、そのままフェンスに押し込まれることになった。

 壁レスリングの攻防だ。

 前回の試合はまだリングであったため、これは初めての展開であった。


 魅々香選手はスキンヘッドを沙羅選手の顎に押し当てようとする。

 しかし沙羅選手は首をよじってそれを許さず、深く腰を落としながら、相手の右腕を差し上げて――そして、体を入れ替えてしまった。


「わー! あっさりポジションを取られちゃった! ミミー、やっぱり疲れてるのかなぁ?」


「いちいち騒ぎたてるんじゃないだわよ。どんなにくたびれてたって、美香ちゃんの根性は並じゃないんだわよ」


 鞠山選手の言葉に応えるかのように、魅々香選手もすぐにポジションを取り戻してみせた。

 しかし沙羅選手は魅々香選手の咽喉もとに前腕をこじ入れて、隙あらば肘を打ち込もうという構えである。その間も腰を落として足を開いているため、魅々香選手がテイクダウンを奪える気配はなかった。


 その後はどちらも手を進めることができず、膠着状態と見なされてブレイクである。

 ケージ中央で試合が再開されると、沙羅選手はまた打撃技で攻勢に出る。

 このたびは魅々香選手もそれに応じて、豪腕のフックを返していた。


 やはり、どちらも実力者だ。

 打撃は鋭いし、組み技のディフェンスにも優れている。近代MMAの基礎をしっかりと学んだ、熟練者同士の試合に見えた。


(相手がどんな性悪でも、こういう試合ができたら……きっと虚しさなんて感じないんだろうな)


 瓜子がそんな想念にとらわれかけたとき――沙羅選手の豪快な左ハイキックが、魅々香選手のテンプルをかすめた。

 それで脳を揺さぶられてしまったのか、魅々香選手はがくりと膝をつく。

 沙羅選手はすかさずその上にのしかかり、マウントポジションを獲得した。


「わー、やばいやばい! 逃げろ、ミミー!」


 沙羅選手は、無慈悲にパウンドを振るっていく。

 魅々香選手は自分の頭を抱え込み、防戦一方だ。

 レフェリーは、厳しい面持ちで魅々香選手の様子をうかがっている。すべてのパウンドをブロックしてもダメージは溜まるし、あまりに動きがなければレフェリーストップをかけられてしまうのだ。


 しかし魅々香選手は不屈の闘志を発揮して、両足をおもいきり振り上げた。

 その足が、背後から沙羅選手の首にからみつく。沙羅選手がそれふりほどくべく身体をよじると、魅々香選手はそれにあわせて腰を切り、足を下ろしながら相手の腰を押して、なんとかハーフガードのポジションまで戻してみせた。


 沙羅選手はあらためて相手の上に覆いかぶさり、今度は肘打ちを振るい始める。

 が、上体を深く倒しているため、これはポジションキープを優先しているのだろう。それほど勢いのある肘打ちではなかったため、レフェリーストップの恐れはなかった。


 第一ラウンドは、それで終了である。

 ポイントは、完全に沙羅選手のものであった。


 続く第二ラウンドは、ポイントを取り返すべく、魅々香選手が猛攻を仕掛ける。

 が――それを予期した沙羅選手に、カウンターの両足タックルでテイクダウンを奪われてしまった。


 完全に、沙羅選手のペースである。

 しかも沙羅選手のポジションキープは、きわめて巧みであった。柔術茶帯の魅々香選手が、どうしても脱することがかなわないのだ。これもまた、ドッグ・ジムでキャッチ・レスリングとやらを磨き抜いた成果なのかもしれなかった。


 この展開では沙羅選手もあまり有効な攻撃を出すことができなかったため、やがてブレイクをかけられることになったが――グラウンドで下になった魅々香選手は、明らかにスタミナを削られてしまっていた。

 沙羅選手もすでに汗だくであるが、動きに衰えは見られない。そうして打撃で魅々香選手を圧倒し、度重なるテイクダウンの仕掛けもすべて切ってみせた。


「わー、やばいやばい! このままじゃ負けちゃうよー!」


 灰原選手が再びそんな風にわめくと同時に、魅々香選手の右フックがカウンターでクリーンヒットした。

 さんざん攻め込まれた上での一発であったが、魅々香選手の拳は重い。沙羅選手は腰から落ちて、ついに上を取られることになった。

 ようやく魅々香選手の反撃開始かと思われたが、沙羅選手もまた根性を見せて、相手に有効な攻撃を許さなかった。下から相手の身体を抱きすくめ、何もさせないまま二ラウンド目も終了である。


 ついに迎えた、第三ラウンド。

 こちらはラウンドの開始と同時に、両者が猛攻を仕掛けていた。


 一ラウンド目は沙羅選手が取ったが、二ラウンド目は微妙なところだ。どちらの陣営も、三ラウンド目を落とすことはできないと判じたようだった。


 最初の一分は、最終ラウンドとも思えない激烈な打撃戦が繰り広げられる。

 それは、魅々香選手の組みつきによって終止符が打たれた。

 胴体に組みつかれた沙羅選手はその勢いに押されつつ、なんとかフェンス際まで逃げる。

 そうして再びの壁レスリングであったが――この場でも、両者の実力は拮抗していた。三十秒ばかりも膠着状態が続いて、ブレイクがかけられる。そうしてケージの中央に戻されると、再びの打撃戦だ。


 いつしか、灰原選手も静かになっている。

 二人のかもしだす熱気が、ついに灰原選手をも黙らせたのだった。


 両名ともにスタミナは尽きかけているはずであるのに、動きはまったく落ちていない。

 全身が汗だくで、苦しげに口を開き、肩で息をしているのに――それでも両者は死力を振り絞って、一ラウンド目と変わらぬ勢いの打撃を出していた。


 客席には、凄まじい歓声があがっている。

 それは、ユーリと青田ナナの試合にも負けないほどの歓声であった。


 あれは、試合を有利に進めるユーリの活躍を喜び、賞賛する歓声であったのだろう。

 しかしこのたびの歓声は――おそらく、どちらにも肩入れしていない、素晴らしい試合そのものに対する歓声であるはずであった。


 瓜子は以前にも、これに似た歓声を聞いたことがある。

 昨年の十一月――ユーリとベリーニャ選手の対戦の際である。


 あの日のお客のほとんどは、ユーリを応援していたはずだ。

 しかしそれはユーリに肩入れしているのではなく、素晴らしい試合を見せてくれているユーリとベリーニャ選手の両方に向けられた歓声であるはずであった。


(本当だったら、ユーリさんもこの後に……)


 と、瓜子の想念がそれかけたとき――

 魅々香選手の左フックが、沙羅選手のこめかみを撃ち抜いた。


 沙羅選手は、再び腰からがくりと落ちる。

 魅々香選手は、すかさずその上に乗ろうとした。


 だが――

 マットに腰を落とした沙羅選手は、背中から倒れ込みつつ、右足を突き上げた。

 その足の裏が、魅々香選手の腹を蹴り上げる。沙羅選手の上にのしかかろうとしていた魅々香選手は、まるで巴投げでもかけられたかのように、一回転してマットに背中から落ちることになった。


 打撃でダウンしたはずの沙羅選手は、獣のような敏捷さで魅々香選手の上にのしかかる。

 そしてその勢いのまま、魅々香選手の左頬に右肘を叩きつけた。

 魅々香選手は、弱々しく沙羅選手の身体を押し返そうとする。

 その逞しい右腕を、沙羅選手が両手で抱え込んだ。


 沙羅選手はマウントポジションであったのに、それをキープしようともせず、魅々香選手の腕を抱えて横合いに倒れ込む。

 沙羅選手が得意とする、腕ひしぎ十字固めである。


 魅々香選手は弾かれたような勢いでブリッジをして、マットを蹴り、強引にうつ伏せの姿勢を取った。

 そうして腕ひしぎを解除するべく、沙羅選手の頭の側に回り込もうとしたのだが――沙羅選手が腰を切って相手の首を刈るように振り上げると、再び仰向けに返されてしまった。


 沙羅選手は決死の表情で、身体をのけぞらせる。

 魅々香選手の頑強なる右腕が、真っ直ぐ以上の角度にそらされて、ついにそのままへし折られるかに見えたとき――レフェリーが、沙羅選手の腕をタップした。


 沙羅選手は寝転んだまま両腕を突き上げて、歓喜の雄叫びをほとばしらせる。

 魅々香選手は右腕を抱えながら背中を丸め、レフェリーはリングドクターを呼びつける。

 客席には、これまで以上の歓声があふれかえっていた。


『三ラウンド、三分五十一秒、腕ひしぎ十字固めにより、シャラ=フレア選手の勝利でェす!』


 控え室には、さまざまな感情の込められた溜息がこぼされることになった。

 そんな中、小さく拍手の音が鳴り響く。その犯人は、純朴そうな顔を涙で濡らした小柴選手であった。


「す、素晴らしい試合でした! 御堂さんは残念でしたけど……でも、こんなに素晴らしい試合を見せてくれたのですから、誰にも責められないはずです!」


「そうは言うてもなぁ。ド腐れどもに、ベルトを渡してしもうたんやでぇ?」


 寝袋にくるまった雅選手が笑いを含んだ声をあげると、小柴選手は涙に濡れた目でそちらを見据えた。


「で、でも、沙羅選手は反則を仕掛けたわけでもありませんし、これまで《アトミック・ガールズ》を小馬鹿にするような発言もしていません! これでも御堂さんにおしおきが必要だっていうんなら……わ、わたしが肩代わりします!」


「別におしおきなんて考えてへんかったけど、せっかくやさかい、あかりちゃんで遊ばしてもらおかぁ」


「え? あ、いや、そういうことでしたら、ご勘弁願います!」


 小柴選手は慌てふためき、雅選手は咽喉で笑った。


「この沙羅いう選手の実力は、ほんまもんや。うちとやりあったちびっこも、なかなかスジがええようやったし……かえすがえすも、あんなド腐れどもの陣営なのが惜しいとこやねぇ」


「そうだわね。でも、美香ちゃんとはこれで白黒ひとつずつのイーブンなんだわよ。次の決着戦では、絶対に美香ちゃんが勝ってくれるんだわよ」


「それに、この階級にはマコっちゃんだっているんだしね! 沙羅は確かに凄かったけど、そうそうでかい顔はさせないよ!」


 熱戦の余韻を引きずって、控え室にも熱気があふれかえっていた。

 いっぽうモニター上では、ベルトを授与された沙羅選手の勝利者インタビューが始められようとしている。


『見事にフライ級の王座をゲットしたシャラ選手に、熱いお言葉を頂戴いたしまァす! ……ついにチーム・フレアが、底力を見せましたねェ!』


『はん。実力や実力。魅々香はんは、最初っからウチのターゲットのひとりだったしなぁ』


 疲労困憊であるはずの沙羅選手は、荒く息をつきながら、それでも不敵なキャラを突き通していた。

 そして何故だか、ベルトを外してセコンドの大和源五郎に受け渡してしまう。また、やたらと大柄な雑用係と思しき若者も、妙に近い距離で沙羅選手に寄り添っていた。


『ターゲットって、何ですかァ? チーム・フレアは、《アトミック・ガールズ》の甘ちゃんすべてが標的だったんですよねェ?』


『そんな御託は、他の連中が勝手にほざいとるだけやろ。ウチは最初っから、MMAの世界でてっぺんを取るために《アトミック・ガールズ》に参戦したんやからなぁ』


 そうして沙羅選手は汗の光る腕を突き上げて、指折りで数え始めた。


『そのために、ウチがターゲットに定めたのは、七人。ミドル級の沖はん、魅々香はん、マリアはん、無差別級の来栖はん、小笠原はん、兵藤はん……それに、白ブタのユーリはんや。この七人をぶっ倒して、名実ともに《アトミック・ガールズ》のてっぺん取ったら、その足で裏番長の赤星弥生子はんに挑むつもりだったんや』


『へェ、壮大な計画ですねェ。……興味は尽きないですけど、勝利者インタビューはこのへんで――』


『いちびんなや。ファンのみなさんかて、最後まで聞きたいやろ?』


 沙羅選手がリングアナウンサーの手からマイクを奪い取ると、観客たちは大歓声でそれに応えた。


『せやけど、そちらの来栖はんや兵藤はんは、早々に引退してもうたからな。残りは五人やろ。それに、ミドル級の三人はこれで撃破やけど、魅々香はんには前回やられてしもうたからなぁ。もういっぺんやりあって完全勝利せな、ウチとしてもスッキリせんわ。……それに、白ブタちゃんには負けたままやし、そっちにもきっちりリベンジせななあ』


 そう言って、沙羅選手は三本の指を突き出した。


『てなわけで、ウチのターゲットは残り三人! 白ブタちゃんと魅々香はんと小笠原はんや! このプロジェクトを完遂するために、ウチはどうしても王座が欲しかったんよ。ウチみたいな外様でも、王者になったらないがしろにでけへんやろうからなぁ。……せやけど、茶番はここまでや』


 沙羅選手は、横合いの若者にマイクを受け渡した。

 そして――汗ではりついた赤と黒のハーフトップに、いきなり手をかけたのだった。


「ちょっとちょっと! こいつ、ストリップでも始める気!?」


 控え室では灰原選手が惑乱の声をあげ、客席にも物凄い歓声が巻き起こっていた。

 沙羅選手は平気な顔で、ついにハーフトップを脱ぎ捨ててしまう。

 その下から現れたのは、胸もとを守るためのチェスト・ガードだ。こちらもハーフトップの形状であるため露出の度合いに変わりはなく、客席には安堵や失望の入り混じったどよめきがあげられた。


 しかし沙羅選手は脱ぎたてのハーフトップで顔の汗をぬぐうと、さらにそのチェスト・ガードまで脱ぎ捨ててしまったのだった。

 その下から現れたのは――目にも鮮やかなエメラルドグリーンをした、トライアングルビキニだ。


 泡をくったスタッフたちは、とりあえずマイクを奪い返そうとしている。だが、大柄な若者がマイクを握った手を高々と上げていたため、それもかなわなかった。


 そんな騒乱などどこ吹く風で、沙羅選手はファイトショーツとファウルカップまで脱ぎ捨ててしまう。

 その下から現れたのは、言うまでもなくビキニのボトムだ。


 あっという間に、沙羅選手は水着姿に変じてしまう。

 もとよりモデルやタレントとしても活躍していた沙羅選手である。小麦色に焼けたその肢体は、ユーリとは異なるタイプの健康的な色香を放ちまくっていた。


『眼福やろ? 好き勝手しゃべらせてもらうためのお詫びやから、心ゆくまで堪能してなぁ』


 若者からマイクを受け取った沙羅選手は、セクシーなポーズを取りながらそのように言いたてた。押し寄せるスタッフたちは、大和源五郎と若者でガードしている。


『ま、そんなわけで、茶番はここまでや。お察しの通り、ウチは自分の目標を達成するために、チーム・フレアを利用させてもろたんよ。ベルトをゲットできたんやから、もうこないなしょうもないチームは用無しや。運営陣は怒り心頭やろうけど、現王者を干すことなんてできないやろうしなぁ。さっきの三人を叩き潰すまで、ウチはこの場所に居座らせていただくでぇ?』


 客席には、さらなる歓声が渦巻いている。

 沙羅選手は満足そうに微笑んでから、ふいに凛々しい表情を浮かべた。


『大体なぁ、チーム・フレアの体たらくは何やねん? 発起人の秋代と一色がそろって反則とかどういうこっちゃ? そんな性根の腐った連中と一緒におったら、こっちの性根まで腐ってまうわ。ウチだけじゃなく、ボスの犬飼京菜はんもこれにてチームを脱退させていただくので、そのつもりでなぁ』


 客席には、「沙羅!」のコールまで吹き荒れ始めた。

 沙羅選手は豊かな胸もとを張りながら、左腕をひらひらとそよがせる。


『ウチの役割は一色たちを芸能界に紹介することやったんやから、もう用済みやろ? 裏切者は許さへん言うなら、ウチを潰せるような選手を用意してみいな。ほな、お疲れさん』


 沙羅選手はマイクをリングアナウンサーのほうに放り捨てて、颯爽ときびすを返した。

 控え室では、雅選手が「あははぁ」と笑い声をこぼす。


「おいしいところを、みぃんな持ってかれてもうたなぁ。チーム・フレアのド腐れどもより、よっぽどしぶとそうやんかぁ? こらぁ全力で美香ちゃんと朱鷺子ちゃんを支援せなあかんなぁ」


「だから、おんなじ階級にはマコっちゃんもいるんだってば! ミミーやトッキーの前に、マコっちゃんがリベンジを――」


 そんな風に言いかけた灰原選手が、ふいに慌てた様子で瓜子の肩に取りすがってきた。


「ど、どうしたのさ、うり坊? 泣くほど悔しかったの?」


「え? いえ、違います。自分はけっこう、沙羅選手のことが好きだったんで……沙羅選手の言葉が、嬉しかったんすよ」


 瓜子は情けない顔で笑いながら、頬を伝った涙をぬぐった。

 そんな中、モニター上では沙羅選手の脱ぎ捨てた試合衣装や防具の上下が、ぽつんと取り残されていたのだった。

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