10 凶行

 ユーリが控え室に凱旋すると、また歓呼の声が吹き荒れた。

 本日はそれほど親交の深い相手が勢ぞろいしているわけではないのだが、まあ灰原選手と鞠山選手だけで十分な賑やかさであるのだ。魅々香選手や来栖選手、それにひかえめな性格をした小柴選手も、それぞれユーリの勝利を祝福してくれた。


 今のところは、すべてが望む通りの結果になっている。

 しかしこれから行われる一回戦目の最後の試合も、決して見逃すことはできなかった。

 バンタム級の第二試合、ベリーニャ選手とタクミ選手の一戦である。


「さてさて。これもお手並み拝見だな」


 そのように述べる立松を筆頭に、誰もがモニターにかじりついた。この後には十五分間の休憩が入れられると宣告されていたので、次の出順である雅選手の陣営も時間いっぱいまで控え室に留まることが許されたのだ。


 モニターでは、すでにベリーニャ選手が花道を歩いている。

 セコンドは、兄たるジョアン選手と二名の外国人コーチだ。最近のベリーニャ選手は日本で世話になっている道場の関係者にセコンドを頼んでいたようだが、このたびはジョアン選手とともに来日したコーチ陣がその役を担っているのだろう。その片方は、ブラジルではなく北米の男性であるようだった。


 そうしてセコンドの顔ぶれを変更すると新たなウェアを購入しなければならなくなるわけであるが、天下のジルベルト柔術の経済力であれば何ほどのことでもないのだろう。全員が、緑と黄のウェアに身を包んでいる。おそらくそれは、ブラジルのイメージカラーなのであろうと思われた。


 ボディチェックを受けたベリーニャ選手は、ハーフトップにショートスパッツという試合衣装でケージに踏み入る。

 かつては来栖選手を下して無差別級王者に輝いたベリーニャ選手に、観客たちは惜しみない歓声を届けていた。


「やっぱりベリーニャって、華があるよねー。そういえば、若い頃にはハリウッド映画にも出演したことがあるんだっけ?」


 灰原選手がそんな言葉をもらすと、ユーリが満面の笑みで「そうなのです!」と応じた。


「映画などにはこれっぽっちの興味もないユーリなのですが、その映画だけはDVDを三枚保持しているのです! あとベル様は二十七歳になられましたが、今でも十分にぴちぴちのお若さであられるのです!」


「わかったってば、でっかい声だなー。あんた、こいつと決勝戦であたるかもって自覚はあんの?」


「もちろんなのです! ユーリはさっきの試合を終えてから、頭の中身がその驚異的な事実でいっぱいなのです!」


「だからその、イネ公みたいな喋り方もやめろっての」


 イネ公とは、愛音につけられたニックネームである。何かと愛音と衝突することの多い灰原選手は、いかに可愛げのない仇名をつけるかで頭を悩ませたようだった。


 それはともかくとして、赤コーナーの側からはタクミ選手が入場している。

 入場曲は、軽妙なラップサウンドだ。まったく今さらの話であったが、タクミ選手と一色選手は「マーくん」の所属するラップチームの楽曲を入場曲として使っているようだった。


 タクミ選手は、悠然と花道を闊歩している。

 それに続くのは、赤と黒のウェアに身を包んだ三名の外国人たちだ。彼らはいずれもヴァーモス・ジムの関係者であろうと見なされていたが――こうして見ると、あまり年のいった人間は含まれていないようだった。


(まあ、ヴァーモス・ジムだって《JUF》の時代に名を上げた名門ジムなんだからな。そんな何ヶ月も、正規コーチなんかを貸し出せるわけもないか)


 タクミ選手ばかりでなく、そのセコンド陣にも緊張感は見られなかった。

 どこか、お祭りを楽しんでいるような風情である。ブラジル人にはラテン系で陽気な人間が多いと聞き及んだことがあるが――少なくとも、ベリーニャ選手の関係者が入場時にこんな浮ついた姿をさらすことはなかった。


 そうしてタクミ選手もボディチェックを終えてケージインすると、今度は「マーくん」のラップではなくアナウンスが響きわたる。


『第八試合、五分二ラウンド、バンタム級、六十一キロ以下契約……王座決定トーナメント、バンタム級第一回戦、第二試合を開始いたしまァす! ……青コーナー、百六十八センチ、六十・四キログラム、ジルベルト柔術アカデミー所属……ベリーニャ・ジルベルトォ!』


 ベリーニャ選手は、静謐な表情で一礼した。


『赤コーナー、百六十八センチ、六十一キログラム、フレア・ジム所属……タクミ=フレアァ!』


 タクミ選手はふてぶてしい笑顔で、右腕を振り上げた。


 両者がケージの中央に招かれると、さきほどのユーリの試合とさほど変わらないぐらいの体格差があらわになる。

 大きく見えるのは、もちろんタクミ選手のほうだ。ベリーニャ選手はこれが通常体重であるため、対戦相手はリカバリーしたぶんウェイトでまさるのだった。


 ベリーニャ選手も生粋のブラジル人であるはずだが、骨格の作りは日本人とそれほど変わらないように見受けられる。ただし、頭が小さくて手足が長いため、むしろシャープに見えるぐらいであった。

 脂肪どころか不要な筋肉をも削ぎ取ったかのような、研ぎ澄まされた肉体である。

 また、灰原選手も言っていた通り、ベリーニャ選手にはユーリに負けない華があった。モデルや俳優としてのオーラではなく、野生動物を思わせる静かな雰囲気が、彼女に独自の美しさと彩りを与えているのだ。


 いっぽう、タクミ選手は――敵陣営の人間であるという色眼鏡も作用してか、瓜子にはまったく魅力が感じられなかった。

 体格は、立派なものである。手足にも肩や背中にも頑健そうな筋肉が張っており、たゆみなくトレーニングを積んでいるのがうかがえる。それに加えて、胸もとと臀部が大きく張り出しているために腰だけがくびれて見えて、これだけ逞しいのにどこか色香も感じられるのだ。


 顔立ちも、十分に整っているほうだろう。試合時には真っ赤な髪を綺麗に編み込んでいるため、その端整な顔があらわにされている。欧米人のように鼻が高く、目もとがくっきりしていて、それこそモデルやタレントでもつとまりそうなビジュアルであった。


 しかし瓜子には、まったく魅力的に感じられなかった。

 ユーリと違ってアスリートらしい逞しさもきちんと備え持っているのに、どこか薄っぺらく感じられてしまうのである。


「……そういえばさ、ネットなんかでは秋代の整形疑惑なんてネタが持ち上がってたねー」


 と、灰原選手がそんな風に言いたてた。


「こいつ、ピンク頭に鼻を潰されて、それを整形手術で治したから人相が変わったって話だったでしょ? でもそれだけじゃなくって、目とか頬とかもいじってるんじゃないかって検証画像とかが作られてたよ。あと、ニセ乳疑惑もね」


「ニ、ニセ乳疑惑っすか?」


「うん。こいつもけっこう、水着でグラビアとかやってたじゃん? そんでビキニとか着ると、おっぱいのわきっちょにぽつんと穴みたいのが見えるんだってさ。それがヒアルロン酸だか何だかを注入した痕なんじゃないかって騒がれてたねー。こいつ、去年よりも明らかにバインバインだしさ」


「でも……ファイターが豊胸手術なんて、危なくないっすか? 寝技では無茶苦茶圧迫されますし、打撃技が当たることだってありますし……」


「どうだろー? あたしはまごうことなき天然モノだから、よくわかんないけど! シリコンのパックとかよりは、ヒアルロン酸のほうがまだ安全なんじゃない?」


 瓜子はあらためて、モニター上のタクミ選手を見やった。

 観客やカメラの前だけで陽気に振る舞う彼女は、本当の自分というものを隠しているように感じられる。その上、彼女は外見にまで手を加えているのだろうか。


 ベリーニャ選手が拳を差し出すと、タクミ選手はいかにもどうでもよさげにタッチを返した。

 そうして両者がフェンス際まで下がり、ついに試合の開始である。


(……まあ、いいや。外見どころか、本当の性格だってどうでもいいことだもんな。大事なのは、ファイターとしての実力だ)


 試合開始のブザーが鳴らされ、ベリーニャ選手とタクミ選手はそれぞれのスタイルでケージの中央に進み出た。

 ベリーニャ選手はそれほど腰の低くない、ストライカーのように背筋ののびた立ち姿だ。

 いっぽうタクミ選手は十分に腰を落としつつ、本日もサウスポーの構えを取っている。世界最強と名高いベリーニャ選手を前にしても、まったく臆するところはないようであった。


 ベリーニャ選手は小刻みにステップを踏みつつ、間合いを測っている。

 ベリーニャ選手はほとんど蹴り技を使わず、スピードフルなボクシングテクニックだけで相手を翻弄し、一瞬の隙を突いてテイクダウンを狙うのが特色であった。これだけ腰が高くとも、タックルのスピードとタイミングが超絶的であるため、どのような相手からでも容易にテイクダウンを奪えるのだ。


 いっぽうタクミ選手は、どれだけの武器を隠し持っているか、いまだ不明な部分が多い。

 とりあえず、ベリーニャ選手のタックルを過度に警戒している様子はない。小笠原選手と対戦した際と同じように、躍動感のあるステップを見せていた。


 最初に手を出したのは――タクミ選手である。

 遠い間合いからひと息に踏み込んで、右のローを繰り出した。

 ローとしても、さらに軌道が低い。ふくらはぎの下側を狙った、カーフ・キックだ。


 ベリーニャ選手は軽く左足を浮かせることで、そのカーフ・キックを受け流した。

 これほど速やかに前足を浮かせられるということは、最初から後ろ足に重心をかけているということだ。

 これならばカーフ・キックを無効化することも容易いが、カウンターを狙うのは難しくなる。ベリーニャ選手が反撃する前に、蹴り足を引いたタクミ選手は間合いの外に逃げていた。


 今度はベリーニャ選手が、タクミ選手のほうに詰め寄る。

 タクミ選手は右回りのサークリングで、ベリーニャ選手の前進から逃げた。

 しかし、スピードならばベリーニャ選手のほうがまさっている。それから逃げようとするタクミ選手はステップが大きくなり、それを追いかけるカメラの映像も頻繁に切り替えられることになった。


《カノン A.G》の映像は、三台のカメラで構成されている。台の上に乗ってフェンスの上から舞台を見下ろす二台と、フリーに動き回りながらフェンス越しに映す一台だ。

 それらのカメラに映されるタクミ選手は、じわじわとフェンス際に追い込まれつつあった。これほど広いケージ上でも、踏み込みの鋭いベリーニャ選手から距離を取ろうとすると、こんなに呆気なく追い込まれてしまうのだった。


(レスリング力のあるタクミ選手なら、むしろフェンス際で壁レスに持ち込んだほうが不利も少ないんじゃないかって、立松コーチはそんな風に言ってたけど……実際のところは、どうなんだろう)


 瓜子がそんな風に考えた瞬間、ベリーニャ選手が大きく踏み込んだ。

 タクミ選手は弾かれたような勢いでバックステップしたが、それでフェンスに背中をぶつけてしまう。

 ベリーニャ選手のしなやかな腕は、タクミ選手の両足を難なく捕獲した。

 タクミ選手はフェンスに背中をつけたことで転倒をまぬかれたが、完全に膝裏まで手を回されてしまっている。そして、タクミ選手が足を開いて防御するより早く、ベリーニャ選手の手がクラッチされた。


 こうなっては、もう逃げようがない。

 ユーリも先刻、このポジションから青田ナナの身体を横合いに倒してみせたのだ。ユーリにできることを、ベリーニャ選手ができないわけがなかった。


 相手の両足を抱えたベリーニャ選手は、タックルの勢いのままに身をひねった。

 タクミ選手の足の裏が、マットから引き剥がされ――

 その動きが、つんのめるようにして停止した。


 何か不自然な挙動で、タクミ選手の足がそのまま元の位置に着地する。

 それと同時に、レフェリーが『ブレイク!』の声をあげた。


「えー、なんでなんで!? ベル様の神業タックルが、パーフェクトなタイミングで決まったはずなのにー!」


 ユーリがわめきたてると、鞠山選手が「やかましいだわよ」と掣肘した。


「カメラの死角で見えなかったけど、今のはきっとフェンスをつかんでこらえたんだわね。そら、反則野郎に口頭注意だわよ」


 レフェリーに指導を受けたタクミ選手は、「ごめんごめん」とばかりに頭を下げていた。

 客席からは、ブーイングの声があげられている。そんな露骨な反則行為があったのなら、当然だ。


「フェンスをつかんでテイクダウンをこらえるなんて、戦況を一変させる大反則なのに、どこのプロモーションでも罰則がゆるいだわね。こんなもん、一発で減点のイエローカードが相応だわよ」


「ですよねー! でもまあベル様なら、すぐさま二度目の神業タックルを決めてくださるでしょうけれども!」


 両者はケージの中央に戻されて、そこから試合が再開された。

 タクミ選手は反則行為の失態を補わんとばかりに、今度は自分から攻勢に出る。まずはお馴染みの、カーフ・キックだ。

 さきほどと同じ要領でベリーニャ選手がブロックすると、今度はアウトサイドに回り込みつつ、左フックを放つ。


 が、威勢がいいのはそこまでであった。

 ふたつの打撃を防御したベリーニャ選手が反撃の姿勢を見せると、また大きく距離を取って逃げの一手である。

 会場には、失望したようなブーイングが吹き荒れていた。


「てんでなっちゃいねえな。これじゃあ捕まるのも時間の問題だぞ」


 立松も、うろんげな声をあげていた。

 

「ベリーニャ選手のプレッシャーが予想以上で、思うように動けないのかもしれねえな。そら、またフェンス際まで追い込まれちまった」


 フェンスの上から見下ろすカメラによって、両者の姿が大映しにされた。

 しかし近すぎてアングルが悪かったためか、すぐに地上のカメラの映像に切り替えられる。今度は片足タックルを仕掛けられたタクミ選手が、フェンスに背をつけて何とかこらえた格好であった。


「うーん……フェンス際まで逃げられたことを、褒めてやるべきなんだろうだわね。並の選手なら、きっとその前に倒されてただわよ」


「でも、防戦一方だね! まだ始まったばっかだけど、秋代に勝ち目があるとは思えないなー」


 片足を捕獲されたタクミ選手は、フェンスにもたれて腰を落とすことで、なんとかテイクダウンをこらえていた。

 そうして右肘を振り上げたが、ベリーニャ選手は上手く頭を横合いにそらしているため、ぶつけようがない。ベリーニャ選手こそ、誰よりもケージにおける戦い方をわきまえている熟練者であるのだ。


 この体勢からテイクダウンに持ち込むのは難しいと考えてか、ベリーニャ選手は胴体への組みつきに切り替えた。

 自分の頭を相手の下顎にあてがい、両腕を脇に差し込む。タクミ選手はなんとか四ツの体勢に戻すべく右腕をこじいれようとしたが、ベリーニャ選手はべったりと相手に身体を張りつかせて、それを許さなかった。


 地上からのカメラが、そんな両者の姿をフェンス越しに映している。

 タクミ選手は、しとどに汗を垂らしており――それでいて、ぼんやりとした無表情であった。

 それに気づいた瓜子は、何がなしぞっとする。それは彼女がルールミーティングの前にも見せていた、寝ぼけているような顔であったのだ。


(試合中に何だよ、その顔は……あんた、どういうつもりで試合をしてるの?)


 けっきょく腕を差し返すこともできなかったタクミ選手は、背中でクラッチを組まれて、今度こそ横合いに倒されそうになった。

 が――それも途中で、不自然に止まる。今度はタクミ選手がフェンスをつかむ指先が、はっきりとカメラにとらえられていた。


 レフェリーが再びブレイクをかけて、会場にはいっそうのブーイングが吹き荒れる。

 二度目の反則行為とあって、タクミ選手には減点一とイエローカードが提示された。次の反則で、タクミ選手は失格負けである。


「うわー、何これ? あれだけ大口を叩いておいて反則負けとかだったら、大笑いしてやろっと!」


 灰原選手はそんな風に言っていたが、瓜子はまったく笑える心境ではなかった。

 タクミ選手のあの茫洋とした顔は、何故か瓜子を不安にさせてやまないのだ。有り体に言って、それは瓜子に生理的な嫌悪感を抱かせる表情であったのだった。


 両者は再びケージの中央に戻されて、試合再開である。

 残り時間は、二分足らずだ。

 タクミ選手はまた何発かの攻撃を打ち込んでから、サークリングで逃げ始めた。

 客席は、もはやブーイングの坩堝である。


 しかしベリーニャ選手は度重なる反則にも心を揺らした様子はなく、至極沈着にタクミ選手を追い詰めていった。

 ベリーニャ選手も遠い位置からジャブを振って相手を誘おうとしているのだが、タクミ選手はまったく反撃のそぶりも見せずに逃げ惑う。力強いステップでひたすら逃げ惑うという、何か奇妙な図であった。


 そうして追いかけっこをしている間は、タクミ選手も集中した表情だ。

 そして――ベリーニャ選手が、三たびタックルを繰り出した。

 今回も片足タックルで、タクミ選手はたたらを踏みながらフェンスまで逃げのびる。さらに、ベリーニャ選手が片足から胴体に組みなおすという、さきほどとまったく同じ構図であった。


 ただ今回はフェンス上のカメラ二台のどちらからも遠い位置であったので、二人の姿が小さめだ。

 それをフォローするべく、地上のカメラに切り替えられて――

 そこでモニターが、いきなり白濁した。

 いや、モニターが真っ白な光に包まれたのだ。

 モニターを凝視していた瓜子たちは、眩しさのあまり悲鳴をあげることになった。


「なんだよー! カメラの故障!?」


「いや。これはたぶん、天井の照明だわよ」


 瓜子も、鞠山選手と同じ意見であった。画面がホワイトアウトする寸前、そこにはへらへらと笑う外国人の顔と、カメラのほうにのばされた腕が見えたのだ。

 あれは確かに、タクミ選手のセコンドを務めている人間のひとりであった。

 おそらく両者は、赤コーナー側のフェンスで組み合うことになり――それをカメラに収めようとしたカメラマンが、タクミ選手のセコンドに突き飛ばされたのだろうと思われた。


(でも、なんのために?)


 カメラは二台も余分があるのだから、すぐその片方の映像に切り替えられた。

 そして――

 そこには、信じ難い映像が映し出されていたのだった。


 ユーリの手が、瓜子の手の先をぎゅっとつかんでくる。

 両者はフェンス際で、グラウンドの状態になっていた。

 ただし、上になっているのはタクミ選手である。

 マウントポジションを取ったタクミ選手が、ベリーニャ選手の頭部に何度となく肘を振りおろしており――そのたびに、赤く鮮血が跳ね散っていたのだった。


 レフェリーがタクミ選手の肩をつかんで、その攻撃をストップさせる。

 タクミ選手が返り血にまみれた右腕を振り上げると、客席からは歓声がわきたった。


『一ラウンド、四分十二秒、パウンドによるレフェリーストップで、タクミ選手のTKO勝利でェす!』


 悪夢のような結果が、耳障りな甲高い声で宣告された。

 灰原選手が、瓜子の肩をがくがくと揺さぶってくる。


「なんでなんで!? あたしらが目を離した数秒で、いったい何があったっての!? ベリーニャの楽勝コースだったはずじゃん!」


 もちろん瓜子が、そのような疑問に答えられるわけがなかった。

 瓜子はのろのろと、ユーリのほうを振り返り――

 そこに、ぽろぽろと涙を流す幼子のような泣き顔を見出すことになったのだった。

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