07 静かな熱戦

 歓声と拍手の祝福をあびながら、瓜子は花道を引き返した。

 入場口の裏には、次の出番である魅々香選手と天覇館のメンバーが待ち受けている。その中から、来栖選手が大きな右拳を突き出してきた。


「見事な勝利だった。あちらも心を入れ替えてトレーニングしてきたようだが、化け物として開花した君の敵ではなかったようだな」


「恐縮です」と笑顔を返しつつ、瓜子は来栖選手の拳にグローブでタッチさせていただいた。さまざまな相手と交わす挨拶であるが、来栖選手が相手の場合はいまだに若干の緊張を覚えてしまう瓜子である。


「魅々香選手も、健闘を祈ってます。タイトル獲得に向けて、頑張ってください」


「はい。ありがとうございます」


 ユーリのように可愛らしい声に張り詰めた気迫を漂わせつつ、魅々香選手はそんな風に答えてくれた。

 こちらのサブトレーナーである柳原はそれ以上に張り詰めた面持ちで、「頑張ってな」とひと声かける。魅々香選手に特別な思い入れを持つらしい柳原であったが、やはり試合前の選手に余計な苦労をかけたりはしなかった。


 そうして控え室におもむくと、ユーリを筆頭とするさまざまな人々がお祝いの言葉をかけてくれる。しかしまだ決勝戦が残されていたので、普段に比べれば大人しいほうであった。


 宗田選手は鼻が折れてしまったようで、病院に向かったとのことである。

 ストレッチをしていたベリーニャ選手は、遠い場所から笑顔で手を振ってくれた。親交の薄い沖選手は出陣の支度を整えつつ、それでも「おめでとう」とひと声かけてくれる。

 あとはおおよそ親交の深い相手ばかりであったのだが――その中で、ひとりだけ姿が見えなかった。


「あれ? 雅選手はどこに行っちゃったんすか?」


「ああ、あのおねーさんなら、あっちだよ」


 灰原選手が親指で、控え室の奥を指し示す。

 そこに巨大な芋虫のようなものを発見した瓜子は、思わず言葉を失ってしまった。決勝戦を控えた雅選手は、なんと寝袋で身を休めていたのである。


「すごいっしょ? あの人、耳栓にアイマスクまで準備してるんだよ! トーナメント戦では、いっつもああなんだってさー」


「へえ……でも、それでスタミナが回復するなら、何よりっすね。何せ相手は、今日も秒殺KOでしたし」


「うんうん! イヌカイとかいうやつに恨みはないけど、チーム・フレアの連中にベルトをくれてやるわけにはいかないからね!」


 すると立松が、「こら」と瓜子の腕を引いてきた。


「決勝戦を控えてるのは、お前さんも一緒だろ。椅子に座って、大人しくしてろ。……メイさん、頭にアイシングを。柳原は、手足のマッサージだ」


 パイプ椅子に座らされた瓜子は、至れり尽くせりの扱いであった。

 しかしキックの時代には何度かトーナメント戦を経験しているし、今日の試合は初回で仕留めることができたので、スタミナも十分だ。脳震盪の影響も感じられないし、連戦に対する不安はなかった。


 ともあれ、今は身を休めながらモニターの試合を観戦させていただく。

 次の出番である沖選手は入場口の裏に向かい、ユーリは最後のウォーミングアップだ。トーナメントの一回戦目も、これでようやく折り返し地点であった。


 モニターの中で、魅々香選手はすでにケージインしており、マーゴット選手が花道に現れたところだ。

 マーゴット選手はかつてのミドル級で、ジジ選手に次ぐナンバーツーの外国人選手と呼ばれていた。北米の名門ジム、ゴードンMMAの所属であり、ボクシング&レスリングという昨今の王道スタイルで数々の勝利を収めてきている。鞠山選手の弁によると、《アクセル・ファイト》との契約も間近であるというのだから、その実力は折り紙つきであった。


 黒髪黒瞳で黄褐色の肌をしているので、南米の血も入っているのかもしれない。均整の取れた体格で、やはり日本人よりは遥かに厚みのある身体をしているようだ。


「このお人は、ジーナ選手の同門なんでしょ? 今日はお会いできなくて残念だったにゃあ」


 軽くミットを叩いていたユーリが、ふにゃんとした顔でそのように言いたてた。

 ジーナ選手とは、ユーリと瓜子が初めて出会った日に、ユーリに一本勝ちしていた選手である。その後、沙羅選手との対戦で敗れてから、ジーナ選手は《アトミック・ガールズ》に参戦していないはずであった。


「北米にはあれこれプロモーションがあるから、軌道に乗った選手はそうそう来日しなくなるんだろうな。このマーゴットって選手も、そっちで実績を積んでたみたいだしよ」


 瓜子のグローブを外してバンデージの状態を確認していた立松が、そんな風に声をあげてきた。


「《アクセル・ファイト》との契約も目前って話なら、この選手も相当な実力者なんだろうけど……ただ、そんな選手にどうやってオファーをかけたんだかな」


「ふにゅ? オファーのかけ方に何か違いでもあるのでしょうかぁ?」


「だって、そこまでの実績を積んだんなら、遠路はるばる日本で試合をする必要もないだろ。そもそも外国人選手を四人も参戦させるなんて、これまでの《アトミック・ガールズ》では考えられなかったやり口だしな。外国人選手ってのは滞在費や航空費のせいで、嫌ってほど経費がかかっちまうからよ」


 立松は面白くもなさそうに、そう言った。


「ま、ベリーニャ選手は日本に滞在中だって話だから除外できるけど……しかし、よっぽど懐が潤ってないと、そんな真似はできねえだろうな。それでもって、《アクセル・ファイト》との契約も間近な実力選手を呼びつけるには、普通以上のファイトマネーが必要になっちまうんじゃねえか?」


「にゃるほろ……つまりはそれだけのお金をかけてでも、魅々香選手に優勝させたくないということでしょうかぁ?」


「ああ。魅々香選手はジジ選手さえ下してみせたから、生半可な相手じゃ返り討ちにあうだけだしな」


《アトミック・ガールズ》においてはマーゴット選手よりもジジ選手のほうがもてはやされていたが、それは単純に試合数の問題であるのだろう。逆説的に、ジジ選手は海外においてあまり戦う場所を得られなかったため、《アトミック・ガールズ》にしょっちゅう出場していたという一面があるようなのだ。


 なおかつ《アトミック・ガールズ》ではトーナメント戦でもない限り、貴重な外国人選手同士で試合が組まれることはない。そう考えれば、ジジ選手とマーゴット選手のどちらが強いかは未知数であり、そして、海外における評価はマーゴット選手のほうが高いという次第であった。


(こいつは本当に、正念場だ)


 そんな思いを胸に、瓜子は魅々香選手の試合を見守った。

 試合は、静かな熱戦とでも言うべき様相を見せている。ともにオールラウンダーである両者は、慎重につけ入る隙を見出そうとしているようだった。


 派手な試合を好む人々には、あまり評価されない内容であろう。

 しかし瓜子は、両者のレベルの高さに感服させられていた。打撃の交換も、壁レスも、テイクダウンを切る動作も――なんというか、教本のようにしっかりとしている。おたがいの防御が堅いために山場が生まれず、いささか単調な様相になってしまってはいるが、きっと格闘技関係者であれば誰もが感心するような内容であるはずであった。


 それでけっきょく二ラウンド目でも決着がつかず、延長ラウンドに突入である。

 ここで魅々香選手が猛攻を仕掛けて、ペースを握ろうとした。

 魅々香選手も真っ当なオールラウンダーであるが、ただ一点、豪腕のラッシュという強力な武器を有している。長い両腕と発達した広背筋などは、左右のフックを振るうために鍛え抜かれたかのようであるのだ。さしものマーゴット選手も、いくぶん怯んだ様子で距離を取ろうとしていた。


 魅々香選手はその間隙を見逃さず、フックをフェイントにして両足タックルを仕掛けた。

 今日の試合においてはもっとも綺麗な形で、テイクダウンに成功する。

 そしてその後はポジションキープしつつ小刻みな打撃を振るって、相手の反撃を許さなかった。魅々香選手はキックのランカーであると同時に、柔術の茶帯取得者でもあるのだ。


 結果、魅々香選手は二分もの時間、グラウンドで相手をコントロールし、その後のスタンド状態でも互角の打ち合いを見せ、見事に判定勝利をもぎ取ってみせたのだった。

《カノン A.G》発足以来の、判定勝負である。

 しかしその勝利の価値に上下はなかったし、控え室には歓声が吹き荒れることになった。


「やったやった! ジジとマーゴットに連勝なんて、快挙でしょ! この階級では、ミミーがナンバーワンってことだね!」


「ふん。いずれ勝ち逃げしたどこかの誰かさんとも、決着をつける必要があるだわね」


 そのどこかの誰かさんは、「わーい」と言いながらぺちぺちと拍手をしていた。ユーリは半年前に魅々香選手を下して、王座への挑戦権を獲得した身であったのだ。


 そして魅々香選手の試合が終了したならば、ついにユーリも出陣である。

 控え室の人々は、瓜子のときと変わらないぐらいの熱意でユーリを送り出してくれた。


 ユーリと入れ替わりで戻ってきた魅々香選手には、これまた熱烈に祝福が捧げられる。このたびは、瓜子もその一員であった。

 雅選手も瓜子も魅々香選手も勝利して、残るはユーリのみである。

 ただその前に、沙羅選手と沖選手の一戦であった。


「これはどっちが勝つんだろうねー。勢いだったら、やっぱり沙羅かな?」


 灰原選手は、そんな風に言っていた。

 そして試合結果は、その通りになった。

 沖選手は『グラップル・マスター』の異名を持つ、この階級における日本人ナンバーワン選手と称されていたが、沙羅選手は決して相手にテイクダウンを許さず、立ち技で圧倒し、ついに二ラウンド目で強烈な左ミドルを炸裂させたのだった。

 レバーを撃ち抜かれた沖選手はその場に崩れ落ち、上を取った沙羅選手がパウンドの嵐を振らせて、レフェリーストップのTKO勝利だ。


「ふん……この沙羅って選手は、レスリングのデェフェンス力に磨きがかかったみたいだな。こいつもドッグ・ジムとやらの世話になった恩恵か」


 立松は、また複雑そうな面持ちでそう言っていた。

 沙羅選手がいつドッグ・ジムの所属になったのかは不明であるが、チーム・フレアへの加入が発表されたのは八月中旬だ。それから三ヶ月ばかりもドッグ・ジムで稽古を積んでいたとなると、その成果が表れても何ら不思議はなかった。


「大和さんこそ、日本人では一番キャッチ・レスリングってやつに精通してるお人だろうからな。沙羅選手はもともと空手仕込みの打撃が強力だし、こいつはいよいよ厄介な相手になりそうだ」


 ドッグ・ジムのコーチのひとりである、大和源五郎。沙羅選手もその存在を知っていたがために、ドッグ・ジムの門戸を叩くことになったのだろう。かえすがえすも、沙羅選手がチーム・フレアなどに加入していなければ、喜ばしい話であった。


 勝利者コールを受ける沙羅選手の背後には、その大和源五郎が腕を組んで立ちはだかっている。大柄で土佐犬のような風貌をした、初老の男性である。かつてはこの人物も《レッド・キング》に参戦しており、赤星大吾らと激戦を繰り広げていたのだった。


 そして大和源五郎のかたわらには、初めて目にする若者が控えている。ルールミーティングのときから気になっていたが、新人門下生か何かなのだろうか。百九十センチはあろうかという肉厚の巨体だが、挙動は妙におどおどとしており、いかにも気弱げな表情である。沙羅選手と犬飼京菜のセコンドを務めるのに三名のコーチ陣だけでは手が足りず、雑用係として引っ張り出されたのだろうか。沙羅選手のセコンドを務めているのは、大和源五郎とその若者のみであった。


 ともあれ――四大王座決定トーナメントも、残すはバンタム級のみである。

 ずっと兄君を相手にウォームアップしていたベリーニャ選手は、「シツレイします」と一礼して控え室を出ていった。


 アトム級の決勝戦は、雅選手と犬飼京菜。

 ストロー級は、瓜子と一色選手。

 フライ級は、魅々香選手と沙羅選手。


 ここに並ぶのは、ユーリと青田ナナの試合の勝者、およびベリーニャ選手とタクミ選手の試合の勝者となる。

 いったいどのような結末が訪れるのか――懇意にしている選手らの健闘を祈りつつ、瓜子にも予測することはまったくできなかったのだった。

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