04 毒蛇と岩石女

 第一試合は、犬飼京菜のTKO勝利によって終了した。

 これはトーナメント戦の一回戦目であるため勝利者インタビューが行われることもなく、犬飼京菜はセコンド陣とともに花道を引き返す。そこで立松が、「よし!」と気合の入った声をあげた、


「こっちも最後のウォーミングアップだな。雅選手の応援はよそに任せて集中しろよ、猪狩」


「押忍」


 今日は普段よりも出場選手が少なく、ゾフィア選手も病院に向かってしまったため、控え室にはゆとりがあった。ということで、瓜子も控え室でウォーミングアップに取り組みつつ、時おりモニターの様子をうかがっていたのだが――そちらは戦前の予想通りの試合展開であるようだった。


 アトム級の一回戦の、第二試合。雅選手とアレクサンドラ選手の一戦である。

 鞠山選手いわく、アレクサンドラ選手は祖国ブラジルにおいて「技術はないのにスタミナと頑丈さは一級品」と称されていた。これは雅選手のスタミナを削るために準備された捨て駒であるというのが、鞠山選手の見立てであったのだ。


 まさしくアレクサンドラ選手というのは、前評判通りの選手であった。

 こちらは身長百四十五センチで、背丈がないぶん横幅ががっしりとしている。そして、どれだけの打撃をくらおうとも怯むことなく、小さな戦車のようにぐいぐいと前進してくるのだった。


 雅選手は百六十一センチの長身であるため、リーチ差を活かして的確に打撃を当てていく。しかしどれだけ殴られようとも、アレクサンドラ選手は愚直に前進してぶんぶんと左右のフックを振ってくるのだ。雅選手はただでさえKOパワーを有していないため、いっそう難渋している様子であった。


「ふん。負ける要素はゼロだけど、普段の倍ぐらいはスタミナを削られそうなところだな」


 ユーリのセコンドであるサキはモニターを凝視しながら、そんな風に言っていた。

 確かにこれは、嫌な相手である。殴っても殴っても前進してくるファイターというのは、それだけで相手にプレッシャーを与えられるものであるのだ。しかもアレクサンドラ選手の攻撃もかなり迫力があったので、雅選手はディフェンスをおろそかにすることもできなかった。


 両者は身長差がある上に、アレクサンドラ選手がかなり前のめりのクラウチングスタイルであったため、これではテイクダウンを狙うことも難しい。雅選手は何度か胴タックルや壁レスリングを仕掛けていたが、相手は根を張ったようにびくともせず、守りも堅かった。


 そうして第一ラウンドは同じ調子で終了し、第二ラウンドである。

 最初の一分ほどは同じ展開のままであったが、それから雅選手が自ら前に出た。

 二匹の毒蛇めいたジャブとストレートをクリーンヒットさせると、そのまま相手の頭を抱え込み、白い膝を振り上げる。


 身長差があるために、雅選手の膝蹴りは物凄い勢いで相手の顔面にめり込んだ。

 普通であれば、倒れているところだろう。そのまま試合が終了してもおかしくないほどの勢いであった。

 が――相手は痛がる素振りも見せず、そのまま雅選手の胴体に組みついて、なんとテイクダウンを成功させてしまったのだった。


 雅選手の長い両足が、すかさず相手の胴体を絡め取る。

 相手はスイープを仕掛けられないようにぐいぐいと体重をかけつつ、身を伏せている。そうして小刻みに、雅選手の腹部に肘を落とし始めた。


 こんなにべったりと身を伏せていたら射程もかせげないため、さしたるダメージは与えられないだろう。

 ただ、相手は執拗であった。ひたすらポジションキープに努めながら、どすっ、どすっと肘を落とし続けているのだ。懸命に腰を切りながら、雅選手はいつしか赤い唇を吊り上げて微笑んでいた。


「毒蛇ババアが、意外に苦しんでんな。このブラジル女は腕が短いから、このていどの隙間でもそれなりの威力ってことか」


 雅選手は漬物石を思わせるアレクサンドラ選手にのしかかられたまま、腰を切り続けて何とかフェンス際まで逃げた。

 そうしてフェンスに背中をつけて、雅選手が立ち上がろうとすると――今度はその腹に、何発もの拳をぶつけられてしまう。雅選手の白い面は、いよいよ妖艶な形相に成り果てていた。


「このブラジル女……勝つことよりも、ババアのスタミナを削ることに専念してるみてーだな」


 フェンスにもたれて立ち上がった雅選手は、肩が大きく上下していた。執拗な肘打ちとボディブローで、ぞんぶんにスタミナを削られてしまったようだ。

 そして雅選手が立ち上がってもなお、アレクサンドラ選手は相手の胸もとに頭を押しつけつつ、まだボディブローを繰り出していた。


「クビズモウのチャンスだねー」


 ジョンの声が聞こえたかのように、雅選手は相手の頭を抱え込んだ。

 しかし相手はおかまいなしで、両手の拳を振るっている。膝蹴りを打ちたいならお好きにどうぞと言わんばかりの猛攻だ。


 雅選手は、にやりと笑い――膝蹴りではなく、肘打ちを繰り出した。

 左腕で相手の首を固定して、右肘を相手のこめかみにめりこませる。

 骨と骨の当たる音が、こちらにまで聞こえてきそうな勢いであった。


 これまでどのような攻撃をくらってもビクともしなかったアレクサンドラ選手が、ぐらりと倒れかかる。

 それを左腕で支えつつ、雅選手はさらなる肘打ちを繰り出した。

 二発、三発、四発と、ボディブローのお返しのように右肘を振るっていく。ゾフィア選手のように鮮血をしぶかせることはなかったが――それはダメージが外側ではなく内側に浸透している証のように思えてしまった。


 アレクサンドラ選手は腰くだけになって、ついに倒れ込もうとした。

 すると雅選手は体を入れ替えて、相手の背中をフェンスに押しつけた。

 そして左腕で首を抑えたまま、さらに肘打ちを叩きつける。ストップのタイミングを計っていたレフェリーは、アレクサンドラ選手の両腕がだらりと下がったところで、ようやく手を差し伸べた。


 雅選手が身を引くと、アレクサンドラ選手はフェンスにもたれたままずるずると崩れ落ちた。

 十発近くも肘打ちをくらって、完全に脳震盪を起こしてしまったようだ。


「ははん。流血よりも、こっちのほうがよっぽどヤバそうだなー」


 そんなサキのつぶやきもよそに、客席には歓声が巻き起こっていた。

 そして控え室においては、ユーリがぺちぺちと手を打ち鳴らしている。


「すごいすごーい! この選手って、今までずーっと判定負けだったんでしょー? 雅選手が初めてのKO勝利を成し遂げたわけだねぇ」


「はい。さすが雅選手っすね。……ちょっとスタミナのほうが心配なところっすけど」


 そんな風に答えてから、瓜子はユーリの前に右の拳を突き出してみせた。

 ユーリはきょとんとした顔で、「うみゅ?」と小首を傾げる。


「いや、第二試合が終わったから、自分も出陣なんすよ。激励してくれないんすか?」


「にゅわー! 忘れてた! ごめんよう、うり坊ちゃん! ほれほれ、激励激励!」


 ユーリがむにむにと、バンデージに包まれた拳を瓜子のグローブの拳に押し当ててくる。そんなユーリの慌てっぷりが、瓜子には可笑しかった。


「では、行ってきます。絶対に勝ってきますんで」


「はーい! うり坊ちゃんの勝利を信じておりまする!」

「ピエロ女の悪ふざけに引っかき回されんなよー」

「ウリコならカてるよー。ガンバってねー」

「……猪狩センパイの勝利をお祈りしています」


 すると、黙々とウォーミングアップに励んでいた魅々香選手と来栖選手も瓜子を振り返ってきた。


「が、が、頑張ってください、猪狩さん」

「君の勝利を祈っている。決して油断ないように」


「ありがとうございます。行ってきます」


 残るは、沖選手とベリーニャ選手のみだ。

 沖選手は無反応であったが、ベリーニャ選手は笑顔で手を振ってくれた。いちおう瓜子とベリーニャ選手も、大阪にて狂乱の打ち上げをご一緒した間柄なのである。


 そんなベリーニャ選手に一礼してから、瓜子はセコンド陣とともに控え室を出た。

 すると廊下の途中で、雅選手の陣営と行き当たる。もっとも身長の近い灰原選手に肩を貸されつつ、雅選手は青息吐息であった。


「雅選手、お疲れ様でした。見事なKO勝利でしたね」


「ありがとさぁん。瓜子ちゃんも、期待してるさかいなぁ」


 口を開けばいつも通りの軽妙さであるが、その細身の身体はしとどに汗で濡れている。そういえば彼女のセコンド陣は全員ひとつ上の階級であるのに、雅選手より背の高い人間はいないのだ。雅選手はそれだけ長身であり、そのぶん誰よりも細身であるのだった。


(まあ、身体が細いからってスタミナがないことにはならないけど……)


 しかし雅選手は、《アトミック・ガールズ》のレギュラー選手の中で最年長の三十五歳であるのだ。いや、師走も迫ってきた現在は、もうひとつ齢を重ねてしまっているかもしれない。何にせよ、スタミナにゆとりのある世代ではないはずであった。


(それで犬飼京菜は、十七歳……下手したら親子ぐらいの年齢差になっちゃうんだ)


 妖艶なる美貌をした雅選手は年齢を感じさせないので、あまりにピンとこなかったが――それにしても、アトム級の決勝戦はいっそう過酷なものになってしまいそうだった。


「うり坊、頑張りなね! 控え室で、ばっちり応援してるから!」

「おふざけピエロに後れを取ったら、わたいが承知しないだわよ」

「猪狩さんなら、絶対に勝てます! どうか頑張ってください!」


 そんな言葉を残して、雅選手の陣営は控え室に向かっていった。

 瓜子はいっそうの気合を入れて、入場口の裏手を目指す。


 そうして瓜子が身体を冷やさないように、立松に構えてもらったキックミットに攻撃を打ち込んでいると――ものの数分で、大歓声が巻き起こった。


「終わったな。やっぱり駄目だったか」


 しばらくして、セコンド陣に抱えられた宗田選手が舞い戻ってきた。

 顔にあてられたタオルから、ぼたぼたと血がしたたっている。きっと膝蹴りか何かをくらって、鼻をやられてしまったのだろう。いかにも無惨な姿であったが、瓜子のほうに向けられた目には試合前と変わらぬ朗らかさがたたえられていた。


「やっばりやられぢゃいまじだ! いがりざんは、がんばっでぐだざいね!」


 鼻をおさえられているためか、別人のように濁った声で、宗田選手はそのように言いたてた。

 それを支える深見塾長は、残念そうな顔で微笑んでいる。負けてもなお笑顔を絶やさないというのが、深見塾の方針なのだろうか。


 ともあれ――決勝戦の相手は、一色選手に決定した。

 そして今はその前に、イリア選手との対戦である。

 瓜子は最後にミドルキックを打ち込んでから、その瞬間を待ち受けることにした。

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