ACT.2 怪獣の箱庭
01 いざ打ち上げ
《レッド・キング》の興行の終了後、女子ファイターのご一行は再び車中の人となり、目黒にあるという赤星道場を目指していた。けっきょく協議の末、全メンバーで打ち上げに参加させていただくことになったのである。
「ああ、ナナのことは気にしないでいいよ。今はもう別件で、師範とコレだからさ」
試合会場での別れ際、大江山軍造はそう言って、自分の左右の人差し指をのばしてぶつけ合う仕草をした。
「師範とナナはどっちも頑固でぶきっちょだから、しょっちゅうぶつかっちまうんだよ。今はもう別件でやりあってるから、桃園さんたちに対する鬱屈なんざ忘れちまってるはずさ」
「えーと、そんな場所に部外者が乗り込んでいくのは、差し控えたほうがいいように思うのですが……」
「大丈夫大丈夫。どうせ今日なんかは、おたがい口もきかないだろうからさ。万が一、あいつらが空気を悪くなるような真似をしたら、俺がとっちめてやるよ」
そんな陽気な師範代の言葉にほだされて、一行は赤星道場に向かうことになったのである。なんと《レッド・キング》の打ち上げは、毎回道場の稽古場で執り行われているという話であったのだった。
「それにしても、最後の試合はすごかったですね。まさかあんなに大きな選手に一本勝ちできるなんて、今でも信じられないぐらいです」
車中でそのように発言したのは、瓜子の隣に座した小柴選手であった。このたびは愛音とメイと灰原選手が多賀崎選手の車になってしまったため、彼女がこの席を獲得することがかなったのだ。メイたちには申し訳なかったが、にこにこと笑う小柴選手は子犬のように可愛らしかった。
「あれが噂の、大怪獣タイムってやつなんですね。あれだったら、八百長とかを疑う余地もありません。だって実際に、すごいスピードで動いてるんですもん。赤星さんだけ倍速スピードになってたみたいで、すごかったですね!」
「あかり。言葉の内容はともかく、声音や挙動でうり坊への色欲がだだもれだわよ」
「し、色欲ってなんですか! 人聞きの悪いことを言わないでください!」
「それはともかくとして、わたいもようやく赤星弥生子の真の姿を見定めることができたから感無量だわよ。目が赤くなるところまで、父親とそっくり同じだっただわね」
「え? あれって本当に目が赤くなってたんすか? まさか、そればっかりはありえないでしょう?」
「なんでだわよ。赤星大吾は大怪獣タイムを発動させると、眼球の毛細血管が破裂しまくって真っ赤な目になるんだわよ。兄君様はダンディな糸目なんで確認できないけど、きっと全員おんなじ現象が起きてるんだわね」
瓜子は、呆気に取られてしまった。
「自分は絶対、気のせいだと思ってましたよ。……そんな、試合のたびに眼球の血管が破裂しまくるなんて、危険じゃないんですか?」
「何十年も試合をしてた赤星大吾がピンピンしてるんだから、大丈夫ってことだわね。正式には結膜下出血とかいうらしいけど、視力に影響が出ることはないって話だわよ」
「なるほど! 憧れの卯月選手にも関わることだから、鞠山さんもとっくに調査済みってわけですね!」
さきほどの仕返しとばかりに、小柴選手が子供のように声を張り上げた。
巨大なワゴン車を運転しながら、鞠山選手は「ふふん」と鼻を鳴らす。
「わたいに叛逆するとは見上げた根性だわね。……今日は我がカフェの広報活動の一環として、赤星道場のみなさまにあかりんのラブリー・ピンナップでご機嫌をうかがってみるだわよ」
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい! 二度と逆らいませんので、それだけは勘弁してくださいっ!」
なんだか自分とトシ先生のやりとりを見せつけられているかのようで、瓜子はとても心が痛かった。
そんなこんなで、車は赤星道場に到着する。ビルの隣には専用駐車場があり、事前に聞かされていた来客用のスペースに駐車させていただいた。
車を降りると、あたりはしんと静まりかえっている。居住用の家屋と商業用の建物が入り乱れている区域であり、赤星大吾の所有する五階建ての雑居ビルもその中でごく自然に佇立していた。
「ふむふむ。サキセンパイは定期的に、この場所まで通われているわけなのですね」
多賀崎選手のトールワゴンから降車するなりユーリにすりよった愛音が、ビルを見上げながらそう言った。ビルの四階の窓ガラスに、『シックス・ラウンド整体院』の名が表示されていたのだ。
「シックス・ラウンド……ああ、六丸ってことっすか。そういえば、六丸さんは姿が見えませんでしたね」
瓜子がそのように口をはさむと、サキは気のない顔で「いんや」と声をあげた。
「あいつなら、反対側のリングサイドでぽけーっと座り込んでたぜ。どっかの誰かさんみたいに、深々とフードをかぶってなー」
そのどこかの誰かさんは、すでに瓜子のかたわらに控えている。
スカジャンのポケットに両手を突っ込んだサキは、横目でその誰かさんを見た。
「おい、新入り。そういえば、おめーの感想を聞いてなかったな。おめーの目に、大怪獣ジュニアはどんな風に映ったんだ?」
「……彼女、ウヅキ・アカボシの妹であること、納得した。同時に、驚嘆した。あんな特異体質、遺伝で伝わること、ほとんど奇跡だと思う」
「あー、おめーは《アクセル・ファイト》で野郎の試合もチェックしてたのか。だったら、見慣れた光景だわな」
「うん。それに、ヤヨイコ・アカボシの名前も、知っていた。ベリーニャ・ジルベルトを負かした、数少ない選手だから。……でも、その試合、収集できなかった。とても古い試合だったから、あきらめたけど……その判断、間違っていたかもしれない」
そのように語るメイは、黒い瞳を爛々と輝かせていた。
「彼女なら、ベリーニャ・ジルベルト、勝てると思う。でも、不思議。ヤヨイコ・アカボシ、あんなに強いのに、北米を目指さない、何故?」
「別に、MMAの選手すべてが北米進出を目標にしてるわけではないと思いますよ。自分だって、そんなことは考えたことすらありませんでしたからね」
そう言って、瓜子はメイをやんわりたしなめてみせた。
「もちろん《アクセル・ファイト》との契約を目指すっていうメイさんの目標を軽んじてるわけじゃありません。でも、人にはそれぞれ事情があるんです。弥生子さんは、きっと信念をもって今の活動に励んでいるんでしょうから……本人の前では、あまりぶしつけなことを言わないように気をつけてくださいね?」
メイは鋭い眼光を瓜子に突きつけてきたが、数秒間ほど黙考したのち、その眼光をやわらげた。
「……わかった。僕だって、他人の価値観、押しつけられたくない。不用意な発言、気をつける」
「はい。おたがいを尊重するのは、大事なことですからね」
瓜子が笑顔を届けると、メイは笑顔をこらえるように眉をひそめた。
このやりとりを横目でうかがっていたサキが、「はん」と鼻を鳴らす。
「おめーもすっかり猛獣使いが板についてきたなー。牛を手懐けるだけで飽き足らねーとは、恐れ入ったぜ」
「メイさんは猛獣なんかじゃないっすよ」
「そしてユーリも牛ではないのだよ」
「あー、うるせーうるせー。牛に猪にタスマニアデビルで、いよいよ動物園じみてきやがったなー。そういえば、肉食ウサギみてーなガキんちょもいたっけか。たったひとりの人間様としては、肩身がせまいったらねーぜ」
サキがそんな悪態をついたところで、赤星道場の車も続々と到着した。興行主ともなればイベントの後始末も大変そうなイメージであったが、案外に早く片付いたらしい。
「なんだ、中で待っててくれりゃあよかったのに。カギは開いてたろ?」
大きなワゴン車からのそりと現れた大江山軍造が、陽気に笑いかけてくる。試合後もバタバタしていたために、瓜子たちはけっきょくまだ彼としかまともに言葉を交わしていなかった。
「さすがにこの人数でドカドカ乗り込むのは、気が引けちゃいました。でも、そんなに待たなかったすよ」
「じゃ、行こうか。荷物を下ろすんで、ちょいと待っててな」
「あ、それなら手伝います」
今日はすべての試合に赤星道場の門下生がからんでいたので、十名もの選手が出場していたことになるのだ。それだけの選手が出場すれば、荷物のほうも大変なボリュームであった。
そうして瓜子たちが荷下ろしを手伝っていると、別のワゴン車から赤星弥生子が降りてくる。
そちらに声をかけようとした瓜子は、思わずハッと立ちすくんだ。赤星弥生子は地面に降り立つなりぐらりと倒れかかり――それを、後から飛び出してきたマリア選手が慌てて支えたのだった。
「駄目ですよー、弥生子さん! 無理しないで、つかまってください!」
「うん……世話をかけるな」
閉会式やここまでの道中を考えれば、試合の終了からすでに一時間以上は過ぎている。それでも赤星弥生子はひとりで歩けないぐらい消耗し果てていたのだった。
マリア選手に肩を借りながら、赤星弥生子は道場の入り口に向かう。その動線に、荷物を抱えた瓜子がたたずんでいた。
瓜子がまごまごしていると、赤星弥生子が力なく視線を向けてくる。
鋭く切れあがったその目は――まさしく血に濡れているかのように、白目の部分が真っ赤に染まってしまっていた。
「猪狩さん……本当に来てくれたんだな」
「あ、は、はい。遅ればせながら、今日はご招待ありがとうございました。打ち上げにまでお邪魔することになっちゃって、なんだか申し訳ありません」
「こちらこそ……この目、薄気味悪いだろう?」
赤星弥生子は彼女らしからぬはかなげな所作で、すっと目を伏せてしまった。
「私にはかまわず、打ち上げを楽しんでもらいたい。……あの馬鹿な父親も、料理の腕だけは確かだからな」
瓜子に返事をするいとまを与えず、赤星弥生子は力なく立ち去ってしまった。
すると、いつの間にか忍び寄ってきたサキが、皮肉っぽい声を投げかけてくる。
「おめー、あの大怪獣も手懐けようって魂胆なのか? つくづく、貪欲なんだなー」
「その、手懐けるってのはやめてくださいよ。冗談なのはわかってますけど、相手の方々に失礼だと思います」
「へん。アタシはいつでも本気だけどなー」
「ふむふむ。つまりは猪狩センパイの関心がよその女子に向くのが面白くない、と……痛い痛い痛い! 痛いのです! ギブなのですー!」
「夜ですよ。みなさん、お静かに」
瓜子たちも荷物を抱えて、赤星道場に向かうことにした。
建物の造りは、むしろ武魂会や天覇館に似通っているようだ。大きな扉をくぐるとロビーになっており、巨大な下駄箱が設えられている。
「大事な靴だったら、下駄箱を使ってな。そうじゃなきゃ、脱ぎっぱなしでかまわねえよ」
と、聞きなれた声が頭上に響く。
瓜子が降り仰ぐと、そこには頭に白い包帯を巻いたレオポン選手の笑顔が浮かんでいた。
「よ、ひさしぶり。挨拶が遅くなっちまったな」
「いえいえ、とんでもない。頭のお怪我は大丈夫なんすか? てっきり病院かと思いました」
「うちには頼りになる非正規ドクターがいるからさ」
と、レオポン選手がかたわらの人物の肩を抱いた。年齢不詳の童顔で、子犬のようにあどけない眼差しをした、小柄で痩身の若者――六丸である。
「どうも、お疲れ様です。六丸さんは、外傷にも強いんすか?」
「素人の手習いです。ハルキくん、明日きちんと病院でみてもらってくださいね」
「わかってるって。師範たちも、そういうことにはうるさいからな」
そういえば、レオポン選手と六丸が言葉を交わす姿は、初めて目にするような気がする。というか、六丸は夏の合宿稽古でも、ごく限られた相手としか行動をともにしていないように見えたのだった。
(なんていうか、いまひとつ立ち位置のわからないお人なんだよな)
瓜子がそんな風に考えたとき、新たな人影が扉の向こうからやってきた。
その巨大さに、瓜子は思わず息を呑んでしまう。それは赤星弥生子と対戦した、ジョージアの摩天楼ジュニアであったのだった。
「あー、エドゥアルド、お疲れ様ですー。ワタシのこと、覚えてますかー?」
少し離れた場所で靴を脱ごうとしていたオリビア選手が、笑顔でこちらに近づいてきた。
エドゥアルド選手は陰影の濃い迫力満点の顔でそちらを振り返り――とたんに、笑み崩れた。
「あなた、おぼえてます。せかいたいかい、ごあいさつです」
「そうですー。あのときはお世話になりましたー。……あ、去年の世界大会で、ワタシは地元の代表選手のお手伝いをしてたんですー」
そんな風に語るオリビア選手はのんびりとした笑顔であり、それと相対するエドゥアルド選手も一変してやわらかい表情になっていた。
「左腕は、大丈夫ですかー? かなり痛そうな感じでしたよねー?」
「はい。じんたい、ぶじです。ミヒコ、ロクマル、かんしゃです」
「ミヒコ?」と瓜子が小首を傾げると、「あたしのことっすよ」という声が首筋のあたりに響きわたった。
「うわあ、びっくりした! な、なんでそんなに接近してんすか?」
「お肉を無断でさわるのは禁止ということだったんで、香りだけでもと思った次第っす」
「か、勝手に人のニオイを嗅ぐのもご遠慮ください!」
「それはともかくとして、是々柄見日児と申し上げるっす。見る日照りの児童と書いて、見日児っす。あらためまして、末永くよろしくお願いしたいっす」
瓜子が脱力していると、灰原選手たちもどやどやと上がりこんできた。
「あれー? なにをグズグズしてんのさ! とっとと片付けて、とっとと打ち上がろーよ!」
「あ、はい。すみません」
瓜子はかかとをこすりあわせて靴を脱ぎ、ロビーに上がらせていただいた。
正面の通路を辿って、稽古場と思しき場所を目指すと――そちらから出てきた人物と、ぶつかりそうになる。それはTシャツ姿で全身汗だくの、青田ナナに他ならなかった。
「あ、どうも。おひさしぶりです」
青田ナナはちらりと瓜子を見やっただけで何も語らず、横合いのドアを開けて消えていく。どうやらそちらは、シャワールームであるようだった。
「相変わらず、感じ悪いねー! ま、気にせず打ち上げを楽しもうよ!」
灰原選手は持ち前の能天気さを発揮していたが、瓜子は一抹の不安にとらわれた。あんな汗だくであったのは、きっと稽古に励んでいたゆえであろう。道場主催の興行が開かれて、数多くの門下生がそちらの試合や運営のお手伝いに取り組んでいたというのに――彼女はひとりで、稽古に明け暮れていたのだろうか?
(弥生子さんとの仲違いって、そんなに根が深いのかなあ)
正直に言って、瓜子はあまり青田ナナにいい印象を持っていない。よって、気にかかるのは赤星弥生子の心情であった。
(邪魔がられなかったら、今日も仲良くさせてもらいたいな)
赤星大吾に言われたからではなく、瓜子自身がそのように考えていた。赤星弥生子というのは、とても魅力的な人物であるし――それと同時に、どうにも放っておけない部分があるように思えるのだ。
(あたしなんかで弥生子さんの心を和ませられるかはわかんないけど、試合に勝った日ぐらい楽しい気分でいてほしいもんな)
そうして瓜子は、あらためて稽古場に足を踏み入れようとしたのだが――何か左右の頬がちりちりするような感覚を覚えて、視線を巡らせることになった。
瓜子の右手側にはユーリが、逆の側にはメイが、それぞれ荷物を抱えて立ち尽くしている。そしてその両名が、妙にじっとりとした目で瓜子を注視していたのだった。
「ど、どうしたんすか、おふたりとも?」
「ううん、べっつにぃ。……ただ、いつになくうり坊ちゃんの脳裏からユーリの存在がかき消えていたようなのでぇ、ちょっと存在をアピールしたかったのですぅ」
ピンク色のふくよかな唇をとがらせながら、ユーリはすねきった口調でそのように言いたてた。
メイは無言で無表情だが、その目にはユーリと同じぐらい不満げな光が渦巻いている。
そうして瓜子がなすすべもなく立ち尽くしていると、また背後からサキが囁きかけてきたのだった。
「貪欲な願いには、でっけー苦労がつきまとうもんなんだよ。おめーに三股かけられる器量があるかどうか、じっくり拝見させてもらうぜー?」
「……ああそうですか。たくさんの人と仲良くなりたいのが貪欲だってんなら、いくらでも苦労してみせますよ」
そう言って、瓜子はせいぜいふてぶてしく笑ってみせた。
「ただ自分が仲良くなりたかった筆頭はサキさんだったんで、どうぞそのおつもりで」
「はん。イノシシハーレムの仲間入りなんざ、御免だな」
サキは右手で荷物を抱えなおし、左手で瓜子の頭をくしゃくしゃとかき回してきた。
そうして瓜子たち女子ファイターのご一行は、いざ赤星道場の打ち上げに乗り込む段に至ったのだった。
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