02 交流と衝突

「今日もみんなのおかげで、無事に興行をやりとげることができた! 試合に出場した人間も、セコンド役を務めた人間も、警備や屋台で頑張ってくれた人間も、みんなお疲れ様でした!」


 打ち上げの会場と化した赤星道場の稽古場において、そのように挨拶の言葉を述べ始めたのは、やはり師範代の大江山軍造であった。

 赤星道場の稽古場は、ちょっとした体育館ぐらいの面積を有している。本日はその一面にブルーシートが敷かれて、数々の料理やおつまみが広げられていた。


 打ち上げの参加者は、六十人ぐらいにも及ぶらしい。赤星道場の関係者のみならず、対戦相手の関係者も何組か合流していたのだ。そして十一名にも及ぶ瓜子たち女子選手の一団が、さらに人口密度を上げていたのだった。


「あ、初めて参加してくれた人らに言っておくけど、ここは防音設備もばっちりなんで、好きなだけ騒いでくれ! ……それじゃあ師範、乾杯の挨拶をよろしく」


「うん」とうなずいた赤星弥生子は、いかにも大儀そうに立ち上がって会場の面々を見回した。


「みんな、お疲れ様でした。……乾杯」


 普段以上に言葉短く、赤星弥生子は透明な液体を注がれたグラスを持ち上げる。

 しかし人々は昂揚した気分に水を差された様子もなく、「乾杯!」の声を唱和させた。


 瓜子たちの周囲には赤星道場の若い衆が集っていたので、そちらとグラスを合わせていく。そうしてグラスのビールを一気に半分ほど飲み干した灰原選手は「さーて!」と陽気な声をあげた。


「まずは、おなかを満たさないとね! 会場で中途半端に食べちゃったから、もうおなかがぺこぺこだよー!」


「ふん。ぶくぶく太って、さらに上の階級でも目指せばいいだわよ」


「へへーん。運転があるやつは飲めなくてお気の毒さまだねー!」


「荷物の分際で大きな口を叩くんじゃないだわよ。あんたの帰り道は、屋根の上に決定だわね」


「お生憎さま! 帰りはマコっちゃんに送ってもらうもーん!」


 どのような場にあっても、灰原選手と鞠山選手は相変わらずであった。

 それを横目に、瓜子も料理を取り分けていく。赤星弥生子はまだずいぶんと身体がしんどそうであったので、声をかけるにはタイミングを見計らうべきであっただろうし――なおかつ恥ずかしながら、瓜子の胃袋も灰原選手と同じ状態にあったのだ。


 こちらのビルの二階には、赤星大吾の経営するメキシコ料理店『オラ!ホロ』が店を開いている。《レッド・キング》の開催日は臨時休業となるが、打ち上げ用の料理はそちらで準備されているのだという話であった。

 赤星大吾はそちらに直行したようで、姿が見当たらない。きっと瓜子たちが急遽の参加となったので、追加の料理の準備をしてくれているのだろう。その場には夏の合宿の打ち上げにも負けない数々の料理が取りそろえられており、瓜子たちの舌と胃袋を大いに楽しませてくれた。


「……このスープ、すごく美味しい」


 と、瓜子の隣に陣取ったメイが、感銘を受けた様子でそう言った。


「あ、これは牛骨のスープらしいっすよ。バカとかアホとか面白い名前らしいっすけど、絶品っすよね」


「……もしかして、ソパ・デ・アホ・イ・バカ?」


「なんだ、自分より詳しいじゃないっすか」


「詳しくない。聞き覚えがあっただけ」


 メキシコ料理の名前をそんな簡単に暗記できるとは、恐るべき話であった。そういえばメイはわずか数ヶ月でこれだけの日本語を習得してみせたのだ。身体能力ばかりでなく、語学に関してもひとかたならぬ才覚を有しているのかもしれなかった。


「うーん、やっぱりユーリはこのメキシカン・ピラフのトリコだにゃあ。ねえねえ、うり坊ちゃん。お店の場所もわかったことだし、機会があったらそちらにもお邪魔しましょうよぅ」


「あ、出先で昼食をとるときなんかは、いいっすね。あとで営業時間とかを聞いておきましょう」


 メイの反対側では、ユーリもほくほく顔でピラフをかきこんでいる。が、本日は見知らぬ相手も多数存在したため、ユーリは念のためにニット帽だけは外さずにいた。このニット帽は大きなつばと耳当てがついていたので、うつむき加減であればそれなりに顔を隠すこともできるのだ。


(人を見かけで判断しちゃいけないだろうけど、万が一ってこともあるしな)


 瓜子が横目でうかがうと、その一団はひときわ賑やかに打ち上げを楽しんでいた。マリア選手やレオポン選手と対戦した《黒武殿》なる団体の関係者たちである。

 格闘技の世界にもタトゥーの文化はそれなりに蔓延しているし、強面の人間だって少なくはないのだが、彼らは明らかに毛色が異なっていた。はっきり言って、そのスジの人間と言われても不思議がないような容姿をしているのだ。彼らの人間性を見極めるまでは、ユーリに近づけたくはなかった。


「よ、楽しんでるかい、お嬢さんがた」


 と、レオポン選手を筆頭とする若い門下生たちが、また接近してくる。その中には、気まずそうな顔をした竹原選手も含まれていた。


「はい。まずは料理を楽しませてもらってます」


「うんうん、大吾さんのメシは美味いよなあ。試合の日は、毎回こいつが楽しみなんだよ」


 瓜子の正面に腰を下ろしたレオポン選手は、白い歯をこぼしながらそう言った。


「今日は頭をやられちまったから、飲めないのが残念だけどな。でもまあシラフで盛り上がっていこうぜ」


「ええ。自分やユーリさんは、いつもシラフですしね」


 すると、すでにずいぶん赤い顔をした灰原選手も「おつかれー!」と乱入してきた。


「あんたも今日はすごかったね! ドバドバ流血しながらパウンドの嵐! 普通だったら、ドクターストップでしょ!」


「ああ、レフェリーに止められないようにって必死だったッスよ。おかげさんで、勝ちを拾いました」


 実は灰原選手よりも年少であるレオポン選手は、気さくに笑いながらそう答えた。


「師範代に聞きましたけど、灰原さんや多賀崎さんなんかが、うちの興行に興味を持ってくれたんスよね? ご感想は、どうでした?」


「あたしは、面白いと思ったよー! このままだと試合カンが鈍っちゃいそうだから、本気でお願いしちゃおっかなー!」


「あんまり詳しい話は聞いてないッスけど、パラス=アテナとのいざこざで他の興行にも門前払いをくったんでしたっけ? 女子はただでさえ活動の場が少ないってのに、厄介ッスね」


「ほんとだよー! ま、うり坊たちがチーム・フレアを殲滅してくれりゃあ、ちっとはクソッタレどもの目も覚めるかもね!」


 灰原選手はけらけらと笑いながら、瓜子の肩を抱いてきた。

 そんな瓜子と羨ましそうな顔をしているユーリの姿を、レオポン選手は神妙な面持ちで見比べる。


「そういえば、アトミックの――いや、今は《カノン A.G》か。とにかくそっちの興行も、今日でちょうどひと月前のはずだよな。いいかげん、出場選手の顔ぶれは発表されたのかい?」


「いえ。前回もひと月前だったんで、早くても明日ぐらいだろうと思ってましたよ」


「そっか。そっちが早く落ち着いてくれりゃあな……」


 レオポン選手が言葉を濁すと、灰原選手が「んー?」と顔を突き出した。


「どしたのさ? うり坊たちはトーナメントだけど、マリアは負けちゃったから関係ないっしょ?」


「いや、ちょっと内輪の問題でね。うちの師範とナナのやつがさ――」


 と、レオポン選手が何か言いかけたとき、「ハルキくん!」という胴間声が響きわたった。

《黒武殿》の面々が、ぞろぞろとこちらに接近してくる。声をあげたのは、レオポン選手と対戦した坊主頭の住崎選手であった。


「なんだ、また女の子らに絡んでるのか! ちっとは俺たちの相手もしてくれよ!」


「やだなあ、そんなんじゃないッスよ。俺はもう、同業者にはちょっかいを出さないって決めましたんで」


 レオポン選手がいつもの調子で気安く言葉を返すと、スキンヘッドの附田選手が「へえ!」と声を張り上げた。


「それじゃあこちらさんがたも、格闘技の関係者なのかよ? そうとは思えないほど、キレイどころがそろってるじゃねえか!」


「附田さんも、悪い虫を出さないでくださいよ? ただでさえ、見た目がアレなんスから」


「バカヤロウ! 俺はカミさんひと筋だよ!」


 でっぷりとせり出たお腹を揺らして笑いながら、附田選手が瓜子たちを見回してきた。その目がユーリのもとで固定され、ほとんど存在しない眉がひそめられる。


「おい、お嬢ちゃん! こんな場所で帽子をかぶりっぱなしとは礼儀がなってねえな! 赤星のみなさんにも失礼だろうが!」


「ああ、彼女はいいんスよ。そっとしておいてあげてください」


「いやいや、そういうわけにはいかんだろ! だいたい、最近の若いもんは――」


 と、附田選手はそこで「ん?」と顔をしかめた。

 そうしていきなり床に這いつくばると、ニット帽をかぶったユーリの顔を下から覗き込む。その目が、信じ難いものでも見たように大きく見開かれた。


「ユ、ユーリちゃん? まさか、ユーリちゃんじゃないよな!?」


「あ、はいぃ……もしかしたら、そのユーリちゃんかもしれませぇん」


「な、なんで? どうして? おい、ハルキくん! これはどういうこったよ!」


 附田選手は泡をくって、レオポン選手につかみかかった。

 レオポン選手は苦笑しながら、たてがみのような髪をひっかき回した。


「ユーリちゃんは、うちと昔馴染みのプレスマン道場の所属なんスよ。なんか問題でもあったッスか?」


「だ、だって! ユーリちゃん! 本物の!」


 スキンヘッドの附田選手は、ゆでダコのように真っ赤になってしまっていた。

 いっぽう住崎選手は、うろんげな顔で下顎をかいている。


「ユーリちゃんって、アレか。お前さんが入場曲で使おうとして、会長さんにどつかれたってやつか」


「へえ、附田さんはユーリちゃんのファンだったんスか。……カミさんひと筋じゃなかったんスか?」


「バ、バカヤロウ! カミさんともども、ファンなんだよ! ほ、本当に本物のユーリちゃんなのか?」


 レオポン選手の胸ぐらをつかんだまま、附田選手はおずおずとユーリを振り返る。その過程で、瓜子と目が合ってしまった。


「あっ! よく見たら、あんたはユーリちゃんと一緒に水着になってるコじゃねえか! そっちの、茶色い髪をしたコも!」


 瓜子は軽く目眩を覚えて、床に片手をついてしまった。

 そしてその間に、附田選手のお仲間たちも「ユーリちゃん?」「マジかよ?」とざわめきをあげている。平気な顔をしているのは、住崎選手のみであるようだった。


「うちのジムにも、やたらとファンが多いんだよな。歌って踊れるアイドルファイターだったっけか? けったいなもんが流行ってるんだな」


「けったいじゃねえよ! ユーリちゃんは、マリアちゃんにだって勝ってるんだぞ!」


「ってことは、番付でいうとお前さんより上ってことか。こいつはますます、けったいなこった。そんなに騒ぐなら、サインでももらっとけよ」


「サイン!」と雄叫びをあげつつ、附田選手はまたおずおずとユーリを見てくる。

 ユーリは愛想笑いを振りまきつつ、「どうしよう?」とばかりに瓜子を見やってきた。


「そうっすね……サインぐらいなら問題ないっすけど……」


「マジか! ハルキくん、サインペン! ああ畜生、こんなことならCDでも持ってくるんだった! こ、このTシャツの背中にお願いできるかい?」


 ということで、その場においては急遽ユーリのサイン会が敢行されることになってしまった。

 おねだりをしてきたのは、住崎選手を除く《黒武殿》の全関係者である。その人数は、八名にものぼったのだった。


「あ、あと写真! ……は、やっぱりマズいのかなあ……?」


 と、附田選手はすがるように瓜子を見やってくる。スキンヘッドで眉まで剃りあげており、Tシャツの下にはごついタトゥーでびっしりの附田選手であったが、こうなってはもう形無しであった。


「ええと、基本的にファンの方々との写真撮影はお断りさせてもらってるんすけど……」


「そこを何とかならねえかなあ? 絶対、悪用とかしねえから! 同業者のよしみじゃねえか!」


 附田選手があまりに必死なものだから、瓜子はその場で千駄ヶ谷に連絡を入れることになってしまった。そして意外にも、千駄ヶ谷の返事は「かまいません」である。


『ユーリ選手はファイターとして、少しでも交流を広げておくべきでしょう。《黒武殿》の方々であれば、何も問題はないかと思われます』


「せ、千駄ヶ谷さんは《黒武殿》をご存じだったんすか?」


『ユーリ選手の担当を荒本から正式に引き継いで以来、国内のMMA興行に関しては余すところなくリサーチしています。……くれぐれも、ツーショット撮影だけはお許しにならないように。撮影された画像は、すべて猪狩さんの責任においてチェックをお願いいたします』


 瓜子が千駄ヶ谷からの返答を伝えると、附田選手らは小躍りせんばかりに喜んでいた。

 ということで、今度は撮影会である。事ここに至ると、赤星道場の若い衆などもユーリとの撮影を希望して、サイン会よりも大がかりな事態に及んでしまった。


 しかしまあ、こうなってしまっては大勢を巻き込んだほうが、むしろ安心なぐらいである。ユーリひとりではまたゴシップのネタにされかねないので、女子選手の一行にも協力をお願いして、盛大な記念撮影の場とさせていただいた。


「ユーリちゃんの人気はすげえなあ。なんか、この前のCDとかでさらに火がついたみたいだな」


 ようやくすべての撮影が終了すると、レオポン選手が苦笑しながらそんな風に言いたててきた。


「そうっすね。心からありがたいお話なんすけど……かえすがえすも、自分なんかが関わっちゃってるのが痛恨です」


「ああ、CDもMVも瓜子ちゃんの水着姿は大反響だもんなあ。女人気は、瓜子ちゃんのほうが高いみたいだしよ」


「…………」


「なんだよ、話を振ったのはそっちだろ」


 瓜子は口がとがりそうになるのを懸命にこらえながら、棚上げされていた疑問を口にすることにした。


「ところで、さっきの話っすけど。内輪の問題っていうのは――」


 瓜子がそんな風に言ったとき、稽古場の片隅から「なんでだよ!」というがなり声が聞こえてきた。


「今日の試合も無事に終わったんだから、もういいだろ! 本当に、なめられっぱなしで終わるつもりなの!?」


 わめいているのは、青田ナナであった。

 その足もとで、蛮声にさらされているのは――壁にもたれてけだるげに座した、赤星弥生子である。


「今日の試合は関係ない。私はあの興行に関わる気はないと、何度説明すればわかるんだ?」


「だったら、あたしが出てやるよ! 腑抜けの師範の代わりに、赤星道場の力を見せてつけてやる!」


「駄目だ。あの興行に関わることは許さない」


 青田ナナは仁王像のような形相で、赤星弥生子をにらみつけていた。

 そうしてマリア選手が横から声をかけようとすると、それを振り払うようにきびすを返して、稽古場を出ていってしまう。

 稽古場には気まずい沈黙がたちこめかけたが、それは大江山軍造の陽気な声で叩き壊されることになった。


「さ、今日のラウンドも終了だな! 師範とナナがやりあうのはいつものことなんで、何も気にする必要はないぞ! 引き続き、楽しんでくれ!」


 稽古場には、すみやかに元の賑やかさが舞い戻った。

 瓜子は息を詰めながら、レオポン選手のほうに向きなおる。


「あの、今のはもしかして――」


「ああ。《カノン A.G》の前の興行で、沙羅って選手が弥生子師範を挑発したってんだろ? そいつが、ナナの耳に入っちまってね」


「でもあのシーンは、放映でもカットされてましたよね。誰かがわざわざ喋っちゃったんすか?」


「いや。俺もよく知らんけど、ネットでそれなりの騒ぎになってたらしいんだよ。うちの師範は、ファンもアンチも多いからさ。アンチどもが、ここぞとばかりに騒いでやがるんだ。……赤星弥生子は八百長の試合しかできないから、余所の興行に出られないんだってさ」


 赤星弥生子は《レッド・キング》にしか出場していないのに、格闘技マガジンの人気投票の常連である。格闘技界のカリスマであった赤星大吾の娘として、それだけの人気と知名度を博しているのだ。


(だから……ユーリさんみたいに、熱烈なファンとアンチを両方抱え込んでるってわけか)


 瓜子が忸怩たる思いにとらわれていると、レオポン選手が溜息まじりに言葉を重ねた。


「ナナはああ見えて、心底から師範に憧れてるからよ。ネットの騒ぎなんざ気にするなって言ってるんだけど、どうにもハラが収まらねえらしいや」


「そうっすか……でも弥生子さんは、《カノン A.G》に関わる気はないんすよね?」


「ああ。マリアやすみれも撤退させるって言ってるぐらいだからな。なんでも、師範が毛嫌いしてる輩が《カノン A.G》の運営に関わってるんだって?」


「ええ。ワンダー・プラネットの徳久っていうやつっすね。弥生子さんは、どうしてそんなに徳久のことを毛嫌いしてるんでしょう?」


「師範代や青田コーチも知らねえことを、俺が知ってるわけはねえさ。レムさんなんかとは仲良くやってるみたいだから、ただ卯月さんを引き抜かれた恨みってわけじゃなさそうだな」


 瓜子は唇を噛みながら、赤星弥生子の様子をうかがった。

 いつも毅然としている赤星弥生子が、ぐったりと壁にもたれている。それは大怪獣タイムの後遺症なのかもしれないが――瓜子には、大好きな友達と喧嘩をしてしまった子供のように頑是ない姿に見えてしまったのだった。

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