04 ハイブリッドアニマル

「それじゃああたしは、マリアちゃんにマッサージをプレゼントしてくるっすね」


 そう言い残して、是々柄はまたひょこひょこと立ち去っていった。

 最初の五試合が終了して、リングアナウンサーからは十五分間のインターバルが告げられる。『よろしければ、屋台で食事をお楽しみください! 大吾さんのメキシカン・ピラフは絶品ですよ!』というアナウンスが、いじらしいようないじましいような――瓜子としては、複雑な心地であった。


「あんな風に言われたら、またなんか食べたくなっちゃうなー! ね、けっきょく打ち上げってのは、どーすんの?」


 席を立って瓜子たちのほうに近づいてきながら、灰原選手がそのように問いかけてきた。


「自分は是非参加させてもらいたいところっすけど、でも、みんなで食事に行こうって約束のほうが先っすからね。みなさんの意見を尊重します」


「うん、あたしもそんな感じかなー。でもさ、どっちにしろ大人数だし、だったら打ち上げのほうが盛り上がるっしょ! 誰か、打ち上げは気が進まないってやつはいるー?」


 横一列に並んだメンバーを見回しながら、灰原選手がそのように言いたてる。

 すると、曖昧な表情をした多賀崎選手が挙手をした。


「気が進まないわけじゃないけど、けっきょく青田ナナってのは桃園たちと関係が悪いまんまなんだよね。本当にあたしらが行っても大丈夫なのか、もういっぺん確認しておくべきじゃない?」


「あー、そんなやつもいたっけか! でも、今日は姿が見えなくない? 試合はもちろん、セコンド役とかでも見かけてないっしょ」


「それでも、打ち上げには顔を出すかもしれないだろ」


 多賀崎選手がそのように言い張ると、灰原選手は「えー?」と小首を傾げた。


「でもさ、あたしらに声をかけてくれたのは師範代じゃん。それなら、大丈夫なんじゃない?」


「いや、あのお人は大らかすぎて、逆によくわからんよ。これでまたおかしな難癖でもつけられたら気分悪いし、せっかくの打ち上げで部外者のあたしらが空気を悪くしたら申し訳ないでしょ」


「マコっちゃんは、慎重だなー! それじゃあまあ、全部の試合が終わったら再確認ってことにしておこっか」


 そんな風に言いながら、灰原選手は大きな胸もとを反らして「うーん!」とのびをした。じっと座っているのが苦手なタイプであるのだ。


「にしても、十試合中の四試合がアマの試合とは思わなかったなー。それに、マリアの相手もセミプロだってんでしょ? MMAのセミプロって何だよって話だけど」


「まあ、プロとは思えない身体つきだったね。……悪いけど、今のところこちらさんの興行に出場させていただこうって気持ちにはなれないかな」


「え、そうなの?」と、灰原選手は目を丸くした。

 そのリアクションに、多賀崎選手のほうも驚いた顔をする。


「そうなのって、あんたは違うのかい?」


「いやー、まだプロ同士の試合を観てないから、なんとも言えないけど! 男と本気でやりあうとか、ちょっと面白そうじゃん! ジムの連中も、スパーとかではそうそう本気になってくれないしさ!」


「ああ、まあ、あんたならそんな風に考えるか。……いいよいいよ、あんたが出場するなら、セコンドで見守ってやるさ」


「いやいや、まだわかんないって! とりあえずは、ジュニアの試合まで見届けてからだね! ……それがプロレスまがいの試合なら、あたしも萎えちゃうしさ」


「そうだねえ。ジュニアの強さは夏の合宿で思い知らされてるし、指導者としても大したもんだと思ってるけど……さすがにあんな大男を相手に、まともな試合になるとは思えないよなあ」


「うんうん。プロレスはプロレスでかまわないけど、自分が関わろうとは思わないからね!」


 灰原選手たちのやりとりを聞きながら、瓜子はまた複雑な心地に陥ってしまった。

 瓜子とて、プロレスの何たるかをわきまえているわけではない。実際問題、プロレスの試合をまともに観たことすらないのだから、それが世間で言われている通りの存在であるかもわからないのだ。


 ただわかるのは、プロレスとMMAがまったく異なる存在である、ということだけであった。

 そうであるからこそ、かつての赤星大吾は既存のプロレス界に叛旗をひるがえし、総合格闘技の概念を打ち出すことになったのである。それを思えば、プロレスとMMAは数々の共通点を持ちながら、まったく対極的な存在であると言えるはずであった。


(まあ、試合を観る前から考え込んでたってしかたないよな。まずは、弥生子さんの試合を見届けさせていただこう)


 そうして十五分間のインターバルは終了し、興行の後半戦が開始されることになった。

 第六試合は、また男子選手同士の一戦だ。

 ただ今回は、「特別ルールの非公式マッチ」と銘打たれていた。


 何が特別ルールであるかというと、片方の選手がオープンフィンガーグローブではなくボクシンググローブを装着していたのだ。

 控え室から戻ってきた是々柄によると、赤コーナー側の選手はキックボクサーで、青コーナー側の選手は柔術家であるそうである。そうしてこの試合はダウン制度が採用されており、グラウンド状態における攻防は一回につき一分までという制限が設けられているということであった。


「要するに、古きよき異種格闘技戦の再現ってわけっすね。けっこうお客のウケはいいんすよ」


 そういえば、かつての《レッド・キング》ではダウン制度ばかりでなく、ロープエスケープという奇妙なルールも採用されていたと聞く。当時は総合的にトレーニングを積んでいる選手が少なかったため、立ち技の選手や寝技の選手が気軽に参戦できるように、ルールが整えられていたという話であるのだ。


 かつてサキから聞かされたその蘊蓄を、瓜子はこの目で見届けることになった。

 グラウンドの攻防が一分までというルールが、ロープエスケープの代用であったのだ。

  赤コーナーのキックの選手は、やはり寝技の稽古などほとんど積んでいないのだろう。しかもボクシンググローブではクラッチもできないため、グラウンドの攻防になると瞬時に絶体絶命の状況に陥ってしまった。

 が、なんとか一分間だけでも逃げのびれば、ブレイクとなって再びスタンドの攻防となる。相手は打撃技のトレーニングもほとんどしていなそうな柔術家であるため、スタンドでは圧倒的優位に立てるのだ。


「ほへー。なんだか、不可思議な試合だねぇ」


 ユーリもまた、そんな風につぶやいていた。

 寝技の稽古をしていないキックの選手と、打撃技の稽古をしていない柔術家の戦いなのである。なんとかスタンド状態で仕留めようという前者と、なんとか寝技に持ち込んで仕留めようという後者――それはMMAにおけるストライカーとグラップラーの対決を極端化させた図式であった。


(普通だったら、立ち技の選手のほうが圧倒的に有利になりそうなもんだけど……そうならないのは、相手の組みつきを無茶苦茶に警戒してるせいか)


 その結果、試合は互角の様相を呈している。

 柔術家のほうもスタンドでは押されっぱなしであるものの、一ラウンドに三回までのダウンは許されるので、なかなか試合終了とはならないのだ。

 そうして試合は、第二ラウンドに突入し――ガス欠を起こした赤コーナーの選手が片足タックルでテイクダウンを取られ、腕ひしぎ十字固めで敗北を喫することに相成った。


「わぁい、柔術家さんの勝利だぁ。……って、キックボクサーさんのほうが、赤星道場なんだっけ」


 ユーリは誰にともなく愛嬌をふるまき、「てへへ」と自分の頭を小突いた。


「まあ、キックだったら試合時間は一ラウンド三分ですからね。この試合は一ラウンド五分だったから、スタミナがもたなかったんでしょう」


「にゃるほど、奥が深いのだねぇ」


「いやあ、奥が深いのか浅いのか……自分にはいまひとつ判断がつかないっすね」


 ただ瓜子は、また新たな感慨を噛みしめることになった。

 近代MMAの観点から見ると、今の試合はきわめてレベルの低い、未成熟な内容ということになってしまうのだが――きっと総合格闘技の黎明期には、こういった試合こそが普通であり、そして人気を博していたのだ。

 異なる競技で腕を磨いてきた選手たちが、統一されたルールのもとに試合をする。そういう異種格闘技戦というものが、日本の総合格闘技のルーツなのである。それが洗練されて誕生したのが近代MMAなのだから、今の試合が未成熟に思えるのも当然の話であるのだった。


(お客さんたちも、普通に楽しんでたみたいだしな……《レッド・キング》では、こんな試合も普通ってことか)


 そうしてその後の二試合では、ようやく瓜子のよく知る「普通の」MMAが披露されることになった。

 男子のプロ選手による、通常ルールの公式マッチである。やはりこちらも赤星道場と外部の選手による対戦という図式であり、瓜子が見る限り、誰もがそれなり以上の力量を有していた。


(うん。あたしはやっぱり、こっちのほうがしっくりくるな)


 瓜子にとっては、試合観戦も勉強の内である。前半戦にも同じ心境であったが、やはりアマとプロでは地力が違う。地味な壁レスの攻防も、《アクセル・ジャパン》のときとはまったく異なる気持ちで観戦することができた。


 赤星道場の戦績は一勝一敗で終わり、セミファイナルの第九試合である。

 実に一年以上ぶりに見る、レオポン選手の勇姿であった。

 というか、瓜子はこれまでレオポン選手のキックの試合しか拝見したことがなく、MMAの試合はほとんど初の観戦となるのだった。


 ケージに上がったレオポン選手は、去年ユーリとエキシビションマッチをしたときよりも逞しく感じられる。彼は階級を上げるために、ウェイトアップに取り組んでいるさなかであるのだ。夏の合宿でもそれは実感していたが、やはりウェアを脱ぐとそれがいっそう顕著になっていた。


 両腕と背中と左胸に渦巻きのようなタトゥーを入れた、小麦色の肉体である。

 以前より厚みが増したとしても、その身は鋭く研ぎ澄まされている。なおかつレオポン選手は小柄であったが、頭が小さくスタイルがよかったので、とてもすらりとして見えた。


 ほんの一瞬――一秒の半分だけ、瓜子の脳裏にかつてレオポン選手に組み敷かれたときの重みや力強さが蘇り、すぐさま淡雪のように溶けさっていった。


『青コーナー、百七十センチ、六十四キログラム、赤星道場所属、ハイブリッドアニマル……レオポン=ハルキ!』


 レオポン選手はふてぶてしく笑いながら、オープンフィンガーグローブに包まれた右腕を高く掲げた。

 アッシュブロンドに染めた髪が、ライオンのたてがみのようになびいている。試合衣装は、ヒョウ柄のファイトショーツであった。


『赤コーナー、百七十三センチ、七十五キログラム、目黒バイパー所属、剛力の破壊王……住崎、浩也!』


 さきほどは拳王で、今度は破壊王である。

 しかしまあ、その風貌は名前負けしていない。レオポン選手に比べればゆるい体形であるが、附田選手ほど不摂生な感じはなく、そしてその背中には一面に阿修羅か何かのタトゥーが刻まれている。坊主頭で、ごつごつと厳つい顔立ちをしており、セコンド陣も存分にガラが悪かった。


(今回も、十キロ以上のウェイト差か。……レオポン選手は大丈夫なのかなあ)


 もちろんマリア選手などはもっとウェイト差があり、しかも性別すら違っていたのだが――なまじ同性であると、体格差がむやみに生々しく感じられてしまった。


「ふぅむ。マリア選手とさっきの選手は、にゃんことわんこの違いみたいに感じられたのだけれども……今回は、大きさの違うわんこ同士という雰囲気だねえ」


 はからずも、ユーリの何気ないつぶやきに、瓜子も大いに共感してしまった。猫ならば猫としての特性を活かして大きな犬を倒す手立てもありそうだが、同じ犬同士ではどうしたって大きいほうが有利に思えてしまうのだ。


(だけどまあ、ユーリさんだって来栖選手やリュドミラ選手を倒してきたわけだしな。……どうか大きな怪我だけはしないでくださいよ、レオポン選手)


 瓜子がそんな風に念じる中、試合開始のブザーが鳴らされた。

 住崎選手はゆったりと進み出て、レオポン選手は軽やかにステップを踏む。その名の通り、ネコ科の動物を思わせる雰囲気だ。


 レオポン選手は左ジャブで牽制しつつ、遠い距離を保っている。

 身長差は三センチだが、レオポン選手は手足がほどほどに長いため、リーチは負けていないだろう。それに彼には、《G・ワールド》でランカーになれるほどの打撃技の技量が存在するはずであった。


(海外遠征とウェイトアップの兼ね合いで、ランキングは返上したって話だけど……キックの実力は本物だったもんな)


 それを証し立てるかのように、レオポン選手はいきなり鋭い右ハイキックを見せた。

 相手も意表を突かれたのか、大きくのけぞってそれをかわす。

 そして、腰のあがった相手の左足に、レオポン選手が組みついた。ハイキックをフェイントにして片足タックルを狙うという、なかなか大胆な作戦である。


 相手は片足で跳ねながら、背後のフェンス際に逃げようとする。

 その途中でレオポン選手は片足から両足タックルに切り替えて、見事にテイクダウンを奪ってみせた。


「おー、おみごと!」


 ユーリがぺちぺちと拍手をする。やはりユーリは打撃のクリーンヒットよりも、テイクダウンの成功にはしゃぐ気質であるのだ。それでどうして瓜子の試合に涙するかは、大いなる謎であった。


 ハーフガードで片足を取られたレオポン選手は、相手に体重をあびせつつ、細かいパウンドを振るっていく。

 相手は腰を切ろうとしていたが、その動きはいかにも鈍重であった。少なくとも、グラップラーやレスラーではないようだ。

 いっぽうレオポン選手もれっきとしたストライカーであるはずだが、堅実に相手を抑え込んでいる。相手が十キロも重いことを考えれば、大したものであった。


 それでも相手は力に任せて、なんとかフェンス際までずっていく。

 パウンドは、あまり効いている様子がない。これもウェイト差の壁であろうか。相手選手はフェンスに背中をつけ、それを支えとして立ち上がってしまった。


 レオポン選手は最後に右肘をぶつけてから、距離を取る。

 相手は肩を怒らせながら、レオポン選手に追いすがろうとした。


 レオポン選手は左ローを繰り出し、相手は右フックを打つ。

 危ういタイミングであったが、レオポン選手は何とかその攻撃をブロックしつつ、左ローをヒットさせた。

 そうして攻撃をヒットさせたのはレオポン選手であったのに、大きくぐらついたのもまたレオポン選手のほうである。たとえブロックしようとも、十キロ強のウェイト差から生じる破壊力は尋常でないはずであった。


 相手は勢いに乗って、さらに左フックを繰り出そうとする。

 それをかいくぐるようにして、レオポン選手は再びのテイクダウンを狙った。

 右手で相手の左膝裏をすくい、左手で相手の右肩を押す、ニータップである。

 相手はあっけなく転倒し、レオポン選手はサイドポジションをキープした。


「ほうほう。レオポン選手はストライカーだと聞いているのに、テイクダウンもお上手なのだねぇ」


「そうっすね。自分も見習わないといけません。……ただ、相手のテイクダウンデフェンスは、けっこう穴がありそうっすよね」


 きっとレオポン選手も相手選手をよくよく研究した上で、この戦法を取っているのだろう。同じストライカーでも、このウェイト差で打撃の交換は危険であると判じたのかもしれなかった。


(つまり、大江山さんやマリア選手と同じようなもんか)


 大江山すみれは謎の武術で、マリア選手はアウトスタイルで、それぞれ相手の打撃技を懸命に封じ込めていた。レオポン選手はテイクダウンを積極的に狙うことで、それを成し遂げていたのだった。


 相手選手はグラウンドの技術も未熟なようで、サイドポジションからハーフガードまで足を戻すこともかなわない。また力技でフェンス際まで逃げていき、レオポン選手はひたすら小刻みにパウンドを狙うという、さきほどと同じ光景が繰り広げられた。


 そうして相手が立ち上がったならば、首を抱えて膝蹴りを叩き込み、また距離を取る。

 相手は早くも、肩で息をしていた。

 いっぽうレオポン選手も挙動は落ち着いていたが、小麦色の身体は汗で光っている。重い相手を抑え込むのは、決して楽な話ではないだろう。


 試合時間は二分半が経過して、残り半分だ。

 セコンド陣から野次のような発破をかけられつつ、相手選手はまた前に出てきた。

 が、附田選手のように無駄なラッシュをかけようとはせず、じりじりと距離を詰めてくる。レオポン選手の左ジャブを鼻っ柱に当てられても、その前進は止まらない。これはこれで、プレッシャーのかかりそうな挙動であった。


 もとよりインファイターであるレオポン選手は、下がりながらの打撃があまり得手ではないようで、ステップもいくぶん重くなってきていた。やはり、通常の試合よりはスタミナの消費も激しいようだ。


 危うくフェンス際まで追い込まれそうになってしまったレオポン選手は、慌てて相手のアウトサイドに回り込もうとする。

 そこに相手が、大振りの左フックを振るってきた。

 レオポン選手は右腕でブロックしたが、やはりガード越しでも衝撃が凄まじいらしく、元の立ち位置まで押し戻されてしまう。


 レオポン選手は意を決した様子で、相手の足もとに組みつこうとした。

 そこに相手が、右膝を振り上げる。

 大江山すみれに比べれば、いかにも鈍重な動作でフォームも崩れ気味であったが――ただ、タイミングだけは合ってしまった。


 相手の右膝が、レオポン選手の額に直撃する。

 ゴツッという鈍い音色が、リングサイドまで聞こえたような気がした。


 しかしレオポン選手は両足タックルの動きを止めず、見事に相手をマットに押し倒した。

 そして相手が反応するより早く両足をまたぎこえて、マウントポジションまで確保する。


 これまでの慎重さをかなぐり捨てて、レオポン選手は狂ったようにパウンドを乱打した。

 大歓声の中、マットに赤いものが散る。

 しかしそれは、相手選手ではなくレオポン選手の血であった。膝蹴りをくらった額がぱっくりと割れて、レオポン選手が両拳を振るうたびに鮮血が飛び散ったのだ。


 レフェリーは腰を屈めて両名の姿を見比べつつ、迷うように腕をあげかけていた。どちらかというと、レオポン選手の傷の具合を確認するためにタイムストップしたいかに見えたが――レオポン選手が、そうはさせじとパウンドの雨を降らせている様子であった。


 マウントポジションの体勢であるため、レオポン選手の額から流れた血は、おおよそ相手の上半身に滴っている。

 相手はむしろ、顔にまで飛び散る血を嫌がるかのように、身体をねじって横を向いた。

 レオポン選手は端整な顔を真っ赤に染めながら、今度は右肘を連打する。

 その何発目かがガードをすりぬけてこめかみに直撃したところで、レフェリーはようやく試合をストップさせた。


 いっそうの大歓声が響きわたり、レオポン選手はマットで大の字になる。いったいどれだけの時間、無酸素でラッシュを仕掛けていたのか。瓜子の経験上、今は視界も真っ白で、この歓声も届いていないに違いなかった。


『一ラウンド、四分十三秒、グラウンドパンチにより、レオポン選手のKO勝利です!』


 レオポン選手に聞こえていようともいなかろうとも、会場にはこれまでで一番の歓声がわきたっていた。

 瓜子もほっと息をつきながら、拍手を打ち鳴らす。出血の量は気になるところであったが、選手であれば誰しもドクターストップで負けることを一番に恐れるものであろう。傷の容態を心配するのは後回しにして、今はレオポン選手の勝利を祝福したかった。


「ふみゅふみゅ。見事なKO勝利だったねぇ。まあ、サブミッションやスリーパーであったなら、いっそうユーリ好みであったけれど」


 ぺちぺちと手を打ちながら、ユーリはそんな風に言っていた。

 この激闘を前に、ずいぶんシビアなコメントだなあと思いつつ、瓜子がユーリのほうを振り返ると――ユーリは小悪魔のような笑顔でそれを待ち受けていた。


「ユーリのアレが再発しちゃったのはユーリ自身のせいだけれども、レオポン選手がうり坊ちゃんを怖い目にあわせたという事実に変わりはないので、レオポン選手に対してはどこか心のせまいユーリちゃんなのです。こんな性悪女は、うり坊ちゃんに嫌われちゃうかしらん?」


「その言い方は、卑怯っすね」


 瓜子は苦笑しながら、ユーリを小突くふりをした。

「てへへ」と笑うユーリは、もういつものユーリに戻っている。やはり瓜子は、こういう顔で笑うユーリのほうが比べ物にならないほど好きだった。


 ともあれ――レオポン選手も、勝利することができたのだ。

 大江山軍造によって頭にタオルを巻かれたレオポン選手は、血と汗にまみれながら両腕を振り上げて、客席の大歓声に応えていた。

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