11th Bout ~Burning Up~

ACT.1 レッド・ストリートvol.4

01 招待

 ユーリの単独ライブイベント『ユーリ・トライ』は、大変な反響を呼んでいるようだ――と、瓜子は千駄ヶ谷からそんな話を伝えられることになった。

 何せそれらの反響というのはSNSやネットニュースなどでしか取り沙汰されていないため、瓜子やユーリには確認のすべがなかったのである。


 しかしまた、愛音や灰原選手や小柴選手といった身近な相手からも同じ話を熱っぽく語られていたので、反響の度合いに間違いはなかったのだろう。ある意味で、それはMMAファイターとしてのユーリの活躍よりも、大きな騒ぎを生んでいる様子であった。


 しかしまた逆説的にとらえるならば、それはやはりユーリがMMAファイターであるからこそ生まれた騒ぎでもあるのだ。

 ファイターであるユーリが、名のあるバンドをバックに従えて、本物のアーティスト顔負けのステージを披露した――そういうニュアンスで、この一件は電脳世界に吹き荒れている様子なのである。


 まあ何にせよ、ライブイベントがそれだけ好評であったという事実に疑いはないのだから、何よりの話であった。

 ただ唯一の弊害は――やはりユーリの適性はアイドル活動にあり、格闘技のほうは八百長や偶然で築かれた虚像であるのだと、アンチどもが騒ぎたてていることであった。


「でも、明らかにそういった声は勢いを弱めています。きっと、鞠山さんの動画が少しずつ効果をあげているんじゃないでしょうか?」


 小柴選手などは、そのように主張していた。

 小柴選手も協力した鞠山選手の動画、『まりりん☆ちゃんねる』は、順調に再生数をのばしているそうだ。小柴選手いわく、それは決して《カノン A.G》が公開しているチーム・フレアの動画にも引けは取らないという話であった。


「仲間の擁護にかかりきりのあいつらと、負けは負けと認める鞠山さんじゃあ、言葉の重みが違うからね。そもそもあいつらはデタラメな言い訳で仲間を庇ってるだけだし、その時点で説得力は比べ物にならないよ」


 出稽古のメンバーではもっとも落ち着いた気性をした多賀崎選手も、そのように言ってくれていた。


 そんな中、《カノン A.G》九月大会の試合模様が、ついに格闘技チャンネルで放映される段に至ったのだが――そこでも、小さからぬ波乱が巻き起こることになった。

 ユーリと瓜子、雅選手と魅々香選手の試合はダイジェスト放映とされてしまったのである。


 格闘技チャンネルの試合放映は二時間枠で、どの興行でもすべての試合が放映されたりはしない。たいていは六、七試合ほどがピックアップされ、残りはダイジェストか、さもなくば丸々カットされてしまうものであるのだ。

 しかしまた、そうしてカットされてしまうのは、おおよそ前半の試合である。どの興行においても実力選手の試合は後半に設定されるものなのだから、それも当然の措置といえよう。


 そうであるにも関わらず、いずれも後半の出順であった瓜子たちの試合がダイジェスト放映されることになった。丸々カットとなったのはベリーニャ選手らのエキシビションマッチのみで、チーム・フレアの勝ち試合はのきなみノーカットで放映されていたにも関わらず、だ。

 しかもチーム・フレアとジジ選手の負け試合は、恣意的に瓜子たちが苦境に陥っている場面ばかりがピックアップされていたのだった。


 ユーリも瓜子も、雅選手も魅々香選手も、序盤は苦戦を強いられながら、逆転勝ちを果たしている。その苦境の部分は念入りに放映しつつ、逆転につながる大事なシーンはカットされ、いきなり決着の場面となるのだ。瓜子の試合で言うと、最初の二ラウンドでメイに攻めたてられるシーンがピックアップされ、瓜子がタックルを成功させる場面や乱打戦の場面はカットされ、いきなり右フックで決着がつく――という体たらくであった。


 このあからさまなやり口に、やはりインターネット上ではそれなりの騒ぎになっているらしい。

 チーム・フレアと鞠山選手の動画を観た人々は、どちらの言い分が正しいかを確認するために、試合の放映を心待ちにしていたのだろう。そうしていざ蓋を開けてみると、チーム・フレアやジジ選手の敗れる試合だけが恣意的な編集まみれであったのだ。これでは、騒ぎになるのが当たり前であった。


「あいつらは卑怯者のそしりを受けてでも、お前さんたちが活躍する姿を人目にさらしたくないってこったな」


 放映日の翌日、コーチの立松は憤激を押し殺した面持ちでそのように言いたてていた。


「チーム・フレアの勝つ試合だけで二時間の枠を埋められるなら、丸々カットされてたぐらいかもしれねえな。しかしあいつらが勝った五試合のうち、三試合は一ラウンド決着だし、おまけに一試合は秒殺だ。それであんなクソみたいな編集作業に血眼になったわけだ」


「でも、この事態、深刻だと思う」


 そのように応じたのは、新人門下生のメイである。


「北米のスカウトマン、日本の興行、それなりに注目している。でも、試合会場におもむくこと、難しいから、試合映像をチェックしてるはず。……あんな映像では、ウリコたちの本当の力、伝わらない」


「この際、スカウトマンはどうでもいいんだが……ただ、人を小馬鹿にしたやり口だってことに間違いはねえな。おい、大丈夫だとは思うが、こんなことで腐るんじゃねえぞ? 放映の内容なんて二の次で、大事なのは試合の結果なんだからな」


「押忍。次の大会では、チーム・フレアを殲滅する予定ですからね。どんな風に編集されるのか、むしろ楽しみなぐらいっすよ」


 瓜子はそんな風に答えてみせたが、きっと傍目には立松と同じような形相であったことだろう。自分のことはともかくとして、ユーリや雅選手や魅々香選手の頑張りまでもが踏みにじられたような心地で、瓜子は頭に来ていたのである。


 そんな瓜子の心情を逆なでするかのように、十月の中旬からはチーム・フレアの面々がやたらと各メディアに露出するようになっていた。

 これも又聞きの話ばかりであったが、地上波のクイズ番組やバラエティ番組、地方局やCS局のスポーツ番組や情報番組などに、タクミ選手と一色選手と沙羅選手のトリオが多数出演していたようなのである。


 それに瓜子自身もコンビニなどで、彼女たちが雑誌の表紙を飾っている姿を何度か見かけていた。

 さすがにファッション誌は沙羅選手のみであったが、情報誌や漫画雑誌などではタクミ選手と一色選手が試合衣装や水着姿などをさらしていたのである。


 特に目立っていたのは、一色選手であった。

 とある漫画雑誌の表紙などでは、かなりきわどい水着を着て、大きなおしりを読者に突きつけていたのだ。彼女は瓜子と同程度の起伏の少ない上半身をしているため、よく発達した臀部と太腿を色気の武器にしているようであった。


「あちらの雑誌は、私も確認いたしました。予想通り、ユーリ選手のゴシップ記事を掲載していた週刊誌と同じ出版社でありましたね」


 千駄ヶ谷は、そんな風に語らっていた。


「あちらもチーム・フレアと《カノン A.G》の名を売るために、八方手を尽くしているのでしょう。ですが、ユーリ選手の本領は格闘技であり、それ以外の活動は盤外戦に過ぎません。そちらは私が全責任をもって対処いたしますので、ユーリ選手は十一月大会に向けて尽力をお願いいたします」


 かえすがえすも、味方としては誰よりも頼もしい千駄ヶ谷であった。

 ワンダー・プラネットの徳久に対しても、なんらかの対策を練っている様子であるのだが、それが瓜子たちの前で語られることはない。相手は反社会的勢力とも繋がりがあるようなのだから、瓜子としては千駄ヶ谷の身が心配でならないのだが――いざ本人を目の前にすると、そんな気持ちも霧散してしまうのだった。


(どう考えたって相手のほうが悪質なのに、千駄ヶ谷さんのほうがおっかないように思えちゃうんだよな。……とにかくあたしらは、目の前の仕事と稽古を頑張ろう)


 そんな思いを抱えながら、あっという間に一週間ほどの日が過ぎて――十月の第三日曜日である。

 ついに、十一月大会のひと月前となる日取りだ。

 そして瓜子たちは、その日に大きなイベントを迎えていた。

 なんと、みんなでそろって《レッド・キング》の試合を観戦することになったのである。


 きっかけは、灰原選手の発言であった。

《フィスト》からも《NEXT》からも出場を断られた灰原選手は、深い考えもなく《レッド・キング》に出場しようかな、などということを言いたてていた。そこから端を発して、まず《レッド・キング》の興行を拝見してみたらどうだと、立松にアドヴァイスされたのである。


 そうして親切な立松が赤星道場に連絡を入れてみると、また思わぬ事態が勃発した。灰原選手のみならず、瓜子やユーリたちも《レッド・キング》に招待したいと、そんな言葉をかけられることになったのだ。


「九月のあの日、私たちは打ち上げに加わることを許してもらえたのに、こちらの都合で勝手にキャンセルしてしまった。その埋め合わせとして、こちらの興行に招待させていただきたい」


 道場主の赤星弥生子は、そんな風に言ってくれていたらしい。

 それで興行の当日である十月の第三日曜日はユーリも午前中にしか副業の仕事もなかったため、お言葉に甘えさせていただくことになったわけであった。


                 ◇


「いやー、それにしてもタダで観戦できるなんてねー! ほんっと、立松っちゃんコーチには感謝感謝だよ!」


 浮かれた声音でそのように言いたてたのは、やはり灰原選手であった。

 試合会場に向かう、道中のことである。その日はまた鞠山選手と多賀崎選手が車を出してくれたため、十一名の女子選手が二手に分かれて乗車させていただいていたのだった。


 その顔ぶれは、夏の合宿稽古とほぼ変わらない。

 ただ一名だけ、療養中の小笠原選手に代わって、メイがひっそりと加わっているばかりであった。


「それにしても、こんな大人数を無料で招待してくれるなんて、豪気な話だね! あんたも感謝しなよねー、魔法老女!」


「やかましいだわね! あんたにだけガソリン代を請求するだわよ!」


 今回も、ジャンケンによって車に乗るメンバーが分けられることになった。鞠山選手のワゴン車は、助手席にサキ、中列に灰原選手と瓜子とユーリ、後列に小柴選手とオリビア選手という顔ぶれであった。メイと愛音と魅々香選手が、多賀崎選手のトールワゴンに乗っているわけである。


「そういえば、鞠山選手も《レッド・キング》の興行を観戦するのは初めてなんすか?」


 瓜子がそのように尋ねると、「そうだわね」という素っ気ない言葉が返ってきた。


「大怪獣ジュニアの実力に興味はあったけど、《レッド・キング》の興行そのものに魅力は感じなかっただわよ。アトミックと掛け持ちしてたのがマリアひとりだったから、なおさらだわね」


「なるほど。女子選手が少ないんで、興味を引かれなかったってことっすか?」


「それ以前に、《レッド・キング》の興行は特殊すぎるんだわよ。ルールは統一されてないし、男女の混合戦は多いし……はっきり言って、近代MMAの定着した最近では、邪道の興行だわね」


「邪道ですか。赤星道場の門下生は、みんな真っ当な方々に思えましたけど……」


「赤星道場の人間は、外部の興行で実績を積んでるんだわよ。ま、あんたも今日の興行を目の当たりにすれば、わたいの言葉が理解できるだわよ」


 そんな会話を繰り広げている内に、目的地へと到着した。

 本日の会場は、『新木場ロスト』――寡聞にして、瓜子の存じあげない場所であった。

 そこは臨海の工場区域で、灰色の四角い建物やコンテナなどが整然と並べられている。駐車場の入り口にはチェーンが張られていたので、鞠山選手がワゴン車を停止させると、誘導灯を手にしたスタッフが小走りで近づいてきた。


「すみません。こちらは関係者専用の駐車場となります」


「わたいたちは、招待客だわよ。鞠山と多賀崎の名前で駐車場の借り入れが申請されてるはずだわね」


「少々お待ちください。……はい。鞠山様と多賀崎様、確認いたしました。車は奥から詰めてください」


 同じスタッフがチェーンを開けてくれたので、いざ駐車場へと進入する。

 駐車場には見覚えのある、赤星道場のワゴン車もとめられていた。なんとも懐かしい心地である。


「マコトも、お疲れ様だわよ。美香ちゃん、ちゃんとコミュニケーションは取れたんだわよ?」


「は、はい。みなさん、ご親切でしたので……」


 キャップを深くかぶった魅々香選手は分厚い肩をすぼめながら、そのように言っていた。相変わらず、ユーリのようにキーが高くて可愛らしい声だ。

 九月大会でも勢ぞろいしていた顔ぶれであるが、やはりプライヴェートで集まるというのは、なんとも奇妙な気分であった。だいたいが、傍目には共通点もなさそうに見える個性的な顔ぶれであるのだ。そこにメイが加わったために、いっそう混沌とした様相であった。


「メイはウリコと離ればなれで、ずいぶん寂しかったみたいですよー。よかったら、この後は一緒にいてあげてくださいねー」


 と、オリビア選手がにこにこと笑いながら、メイの背中を押しやってきた。

 するとメイはきつく眉を寄せながら、オリビア選手ののほほんとした笑顔をにらみあげる。


「僕、子供じゃない。君の認識、間違っている」


「そうですかー? でも、メイはウリコと和解してから、ずいぶん表情がやわらかくなりましたよねー。ワタシ、すごく安心したんですよー」


「うるさい」と、メイはそっぽを向いてしまう。そんな仕草も、どこか子供っぽくて可愛らしく見えてしまう、昨今のメイである。それを見下ろすオリビア選手も、どこか母親や姉のように優しげな眼差しであった。


(やっぱりオリビア選手も、メイさんの家庭の事情とかをわきまえた上で、世話を焼いてあげていたのかな)


 瓜子がそんな風に考えていると、メイはちょっとすねているような目つきで瓜子のほうを見やってきた。


「……僕、子供じゃない」


「わかってますって。自分より、三歳もおねえさんですからね」


 瓜子が笑顔を返すと、メイは口もとがほころぶのを我慢するように、きゅっと凛々しい面持ちになってしまう。そうしてこういう場面では、何故だか灰原選手や小柴選手がじっとりとした目で瓜子たちを見やってくるのだった。


「うみゅみゅ? なんだかストマックを刺激する香りが漂っているねぇ」


 と、ユーリが動物のように鼻をひくつかせる。


「これは、焼きそばの香りかにゃあ。どこかで縁日でもやってるのかしらん?」


「十月のど真ん中に、縁日はないっしょー! そもそもこんな工場ばっかの場所で、どんな祭が開かれるってのさ!」


「いいから、さっさと行くだわよ。無料で招待されたからには、興行が始まる前に挨拶しておくのが礼儀なんだわよ」


 頼もしい最年長の鞠山選手を先頭にして、一行は試合会場に向かうことになった。

 案内表示が立てられていたので迷うことはなかったが、行く手に立ちはだかるのも工場と見まごう四角い建物である。古びたコンクリートの打ちっぱなしで、平屋だがやたらと幅のある建物であるようだ。


 まだ開場時間には少し間があったため、建物の入り口前にはぱらぱらと人が集まっている。それに気づいたユーリは、変装用の黒縁眼鏡とマスクを着用した。ピンク色のショートヘアは、最初からおおきなつばと耳当てのあるニット帽で隠蔽済みだ。


「あれ……本当に何か、美味しそうな香りがしませんか?」


 小柴選手がそのように声をあげたが、鞠山選手はかまわずにずんずんと前進した。

 入り口前にたまっているのは、おおよそ成人男性ばかりのようだ。ただ点々と、家族連れらしいグループも見受けられる。格闘技の試合会場には、いささか珍しい層だな――と、瓜子がそちらに目をやると、子供をあやしていた母親のひとりと目が合ってしまった。


「あ、猪狩さん! おひさしぶりです!」


 と、その人物が笑顔で瓜子を手招きしてくる。

 よくよく見れば、それは夏の合宿稽古でご一緒した保護者メンバーのひとり――ユーリのゴシップ記事に腹を立てて、ブログ内における反論の協力を申し出てくれた、岡山なる女性であった。


「あ、どうもおひさしぶりです。みなさんもいらっしゃってたんですね」


「うわあ、そちらも勢ぞろいですね! ……ユーリさんも、おひさしぶりです」


 周囲の耳をはばかって、小声で挨拶が交わされる。メイを除けば、全員が見知った相手であったのだ。


「ユーリさん、CD買いましたよ。猪狩さんも邑崎さんも、すっごく可愛かったですね」


「わたしも買いました。ミュージック・ビデオが、すごく可愛くてかっこよかったので」


 と、主婦のみなさまからも人気を博するユーリであった。嬉しい反面、瓜子は胃が重くなる心地である。

 そうして旧交を温めている間に、開場の時間となってしまった。

 あちこちに固まっていた人々が、ぞろぞろと入り口に向かっていく。瓜子たちは招待客専用の入り口で名前をチェックされ、首から掛けるバックステージパスをいただくことになった。


 そうして会場に足を踏み入れると――熱気とともに、芳しい香りが真正面から叩きつけられてくる。

 そこに現出した光景に、ユーリは「うわあ」とはしゃいだ声をあげた。


「やっぱり焼きそばの屋台だぁ。これって食べながら観戦できるのかなぁ?」


 はしゃいでいるのはユーリひとりで、それ以外のメンバーはおおよそ言葉を失っていた。

 そこは体育館のように広々と開けた空間であり、中央には黒いケージの試合場とそれを取り囲むパイプ椅子などがうかがえる。そしてその手前に、焼きそばを始めとするいくつかの屋台がででんと設えられていたのだった。


「な、何これ? 屋台の向こうにケージの舞台って、めっちゃシュールなんだけど!」


「ふん。なんとなく想像はついただわよ」


 騒ぎたてる灰原選手を捨て置いて、鞠山選手はもっとも手前にあった焼きそばの屋台へと近づいていった。


「邪魔するだわよ。……ああ、やっぱり合宿で見た顔だわね」


「いらっしゃい! おひとつ五百円……って、瓜子ちゃんじゃないっスか! え、なんで瓜子ちゃんたちがここにいるんスか!?」


 瓜子は、さらなる驚きに見舞われることになった。その屋台でじゅうじゅうと焼きそばを作りあげていたのは、赤星道場の門下生である竹原選手に他ならなかったのだ。


「ど、どうもおひさしぶりです。竹原選手こそ、こんなところで何をやってるんすか?」


「お、俺はイベントのお手伝いッスよ! うわ、ユーリちゃんや他のみんなまで……これって、どういうことなんです?」


「いや、自分たちは弥生子さんに招待してもらったんすけど……」


 瓜子は合宿の最終日、竹原選手の愛の告白を無下に断ってしまった立場である。竹原選手は気の毒なぐらい動揺しながら、「えーっ!」と大声を張り上げていた。


「俺、そんなん聞いてないッスよ! 師範代たちも知ってるんスか? どうして俺ばっかりのけものに――」


「何を騒いでるんだよ。なんか揉め事か?」


 と、隣の屋台から巨大な人影がにゅっと顔を覗かせた。

 その熊のような髭もじゃの顔が、瓜子たちの姿を確認するなり、朗らかに笑み崩れる。


「やあ、猪狩さんに、他のみんなも。わざわざ観戦に来てくれたのかい?」


 それは赤星道場の初代道場主、赤星大吾に他ならなかった。

 瓜子たちが事情を説明すると、赤星大吾は「なんだ」といっそう愉快そうに笑う。


「そんなの、俺も聞いてなかったよ。ま、俺は部外者だから話す理由もないだろうけど……うん、弥生子が人様を招待するなんて初めてのことだから、きっと気恥しくて言いにくかったんじゃないかな」


「気恥ずかしいって何なんスか! 気恥ずかしいのは、俺のほうッスよ!」


「なんでタケくんが気恥ずかしいんだよ。……ははあん。さては誰かにフラれたんだな? そんな気恥ずかしさは黙って呑み込むのが男の器量ってもんだよ」


 気の毒な竹原選手を無邪気に一刀両断し、赤星大吾は瓜子に笑いかけてきた。


「でもまあさすがにコーチ陣には話を通してるだろうからさ。挨拶をしたいなら、そのへんのスタッフに声をかけてみるといいよ。……俺の屋台ではピラフを売ってるから、その後にでもどうぞ」


「わぁい。あのメキシカン・ピラフがまた食べられるなんて、夢みたいですぅ」


 やはりひとりでご機嫌なのは、ユーリである。

 ひとまず屋台から遠ざかると、灰原選手が鞠山選手に詰め寄った。


「ね、これってどういうこと? なんで赤星の人間が屋台なんて出してるの?」


「その売上も、貴重な収入源ってことだわね。インディーズ系のプロレスなんかでは、わりと定番の商法だわよ。昔のアトミックがグッズ販売で財政を支えてたのと同じようなもんだわね」


 そう言って、鞠山選手はずんぐりとした肩をすくめた。


「《レッド・キング》は放送権料もアテにできないから、財政はいっそうシビアなはずだわね。気の毒に思うなら、屋台の売上に貢献するだわよ」


「はぁい。ばんばか貢献しちゃいまぁす」


 はしゃぐユーリを余所に、瓜子はその場の屋台を見回した。

 焼きそば、ポップコーン、フライドポテト、そしてメキシカン・ピラフ――さらには、ビールやソフトドリンクも販売されている。この一画だけを見ていれば、本当に縁日であるかのようだ。


 しかし視線を傾けると、そこにはケージの試合場が鎮座ましましている。

《アクセル・ジャパン》に『NEXT・ROCK FESTIVAL』、果てには《フィスト》のアマチュア大会にまで足をのばし、瓜子も多少は見聞を広めることができたつもりであったのだが――世の中には、まだまだ瓜子の見知らぬMMAの世界が存在するようであった。

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