ACT.5 Yu-Ri Try!

01 会場入り

 十月の第二日曜日――その日がユーリの単独ライブイベント、その名も『ユーリ・トライ!』の当日であった。

 会場は、『高田馬場 Departure』。今年になって新設されたという、アマプロ問わないロックバンド御用達のライブハウスである。


 午後の二時に会場入りした瓜子とユーリは、がらんとしたホールの客席から舞台を見上げていた。

 舞台上ではライブハウスのスタッフやバンドのローディーたちが行き交い、機材のセッティングに勤しんでいる。それはどこか、瓜子たちの慣れ親しんだ試合会場の設営にも通ずる雰囲気であった。


 千駄ヶ谷は少し離れた場所でライブハウスの責任者と打ち合わせをしており、瓜子たちのかたわらには『ベイビー・アピール』の面々が集っている。現在は『ワンド・ペイジ』のためのセッティングをしているさなかであるので、彼らも無聊をかこっていたのだ。


「それにしても、なかなか思い切ったことするよなぁ。これってやっぱ、千駄ヶ谷さんの発案なんでしょ?」


 不健康に痩せ細った顔に無邪気な笑みをたたえた漆原が、照明の落とされた薄暗がりの中でそんな風に呼びかけてきた。


「自分は企画会議とかに出席していないんで、どなたの発案かはわからないんですけど……何が、思い切ったことなんですか?」


「何がって、色々さぁ。まず、五曲しかオリジナル曲がないのに単独ライブってのが無謀っしょ。それに、このハコ――ぎゅうぎゅうに詰め込んでも、キャパは三百ちょいって話じゃん。チケットをきっちり売り切ったのは立派なもんだけど、それでも大赤字だよねえ」


「え? チケット完売なのに、大赤字なんですか?」


「そりゃあそうでしょ。俺たちのギャラ、いくらだと思ってんの? これまでのスタジオリハとかだって、経費はぜーんぶそっち持ちなんだからさ。普通に考えて、赤字も赤字、大赤字じゃん」


 罪のない顔でにこにこと笑いながら、漆原はそのように言いたてた。


「でも、そこでスタジオミュージシャンとかを使わないのが、千駄ヶ谷さんらしい豪気さだよねえ。目先の小銭より、俺たちを使ってユーリちゃんの魅力を最大限に引き出す道を選んだってわけだ。あとはもちろん、俺たちのネームバリューも利用してやろうって魂胆なんだろうけどさ」


「はあ……漆原さんは、お気を悪くされたりしていませんよね?」


「するわけないじゃん! 千駄ヶ谷さんが俺たちにそれだけの価値を見出してくれたんだから、それだけで――あ、やめた。瓜子ちゃん、下ネタは嫌いそうだもんな」


 この文脈でどんな下ネタを出そうとしたのかと呆れかえりつつ、瓜子は言葉を重ねてみせた。


「そういえば、格闘技でも赤字覚悟って興行は多いんすよね。そういう興行は、会場で売れるグッズの売上が生命線だとか何だとか……」


「あー、そうそう。俺たちだって、普段はそんな感じだよ。だからさ、ふたつのバンドを雇う無謀さが理解できるっしょ? 二千や三千もチケットを売れるんなら別だけど、このキャパじゃそれも無理だしねぇ」


「はあ……ユーリさんのライブイベントが企画されたのは、ここ三ヶ月以内ですからね。そういう大きな会場は、もっと事前に契約するものなんでしょうし……そもそもさすがにユーリさんでも、二千や三千ものお客は呼べないと思います」


「なんか悪さをする連中がいるから、CDショップの店頭ライブツアーとかを取りやめたって話だったよね。で、起死回生としてこのライブイベントを企画したってことでしょ? そういう豪気さが、たまらなくそそられるんだよねぇ」


 漆原はご満悦の様子であったが、瓜子は「大赤字」の言葉からもたらされる不安感に苛まされてしまっていた。

 すると、スキンヘッドのタツヤ氏が「大丈夫だよ」と陽気に笑いかけてくる。


「今日のライブもDVDで売りに出すって話なんだろ? このハコって、撮影設備の充実度が売りらしいからさ。そいつが売れりゃあ、今日の大赤字なんて速攻でペイできるって」


「はあ……そうだといいんすけど……」


「それに、そのTシャツもなかなかのデザインじゃん」


 瓜子は千駄ヶ谷の命令で、本日の物販Tシャツの一枚を着させられていた。こちらは『Yu-Ri』と『ベイビー・アピール』と『ワンド・ペイジ』のロゴが入った、期間限定販売のアイテムである。

 その他にも、ユーリのグッズは各種取りそろえられている。これとは別のTシャツが二種類に、ハンドタオル、スポーツタオル、ドリンクボトル、キーホルダー、サイン入りポスター、サイン入りピンナップ――と、ユーリ史上でも過去に例がないぐらい、新作グッズが一挙にお披露目されたのである。


 以前はこういうグッズに関しても、《アトミック・ガールズ》の会場でブースを出すことが許されていた。運営陣の変革によってそれが許されなくなった現在は、こういうイベントとネット通販だけが頼りとなる。もしもこれらの売上が想定を下回り、大量の在庫を抱えてしまったならば、それもまたユーリの財政を逼迫させることになるのだろう。


「瓜子ちゃんは心配性だなあ。俺たちがついてるんだから、心配いらないって」


 のほほんと笑いながら、漆原はそう言った。


「ギャラ以上の働きをしてみせるから、安心して見守っててよ。ユーリちゃんも、ね?」


「はぁい。本番が楽しみですねぇ」


 ユーリもまた、いつもの感じでふにゃふにゃ笑っている。

 ライブの出来に関しては、瓜子も心配はしていなかった。この十日ていどで集中的に行われたスタジオ練習や通しリハを拝見した限り、今日のステージは『NEXT・ROCK FESTIVAL』を遥かに上回ると確信することができたのである。


(ふだん仲良くさせてもらってるみなさんに観てもらえないのが、残念なところだよな)


 ユーリのフリークである愛音を筆頭に、灰原選手や小柴選手もひそかにチケット購入の申し込みをしていたのだという。が、そういった人々はのきなみ抽選にもれてしまったのだった。


(つまりは三百名のキャパでも、それだけの競争率だったってことだよな)


 もちろんそこには『ベイビー・アピール』と『ワンド・ペイジ』の人気も関わっているのだろうが――それにしても、ユーリの単独ライブでそれだけの人気を博するというのは、大した話であるはずであった。


(そんなユーリさんをないがしろにして、タクミ選手を神輿に担ぎあげようだなんて……パラス=アテナや徳久ってやつは、いったい何を考えてるんだろう)


 と、けっきょく思考はそこに行きついてしまう。

 九月大会から三週間が経過して、次の大会まであとひと月と一週間ていどになってしまったが、当然のようにマッチメイクの通達はされていない。今回はユーリも瓜子も出場は確約されていたが、対戦相手は不明のままなのだ。


 ユーリの相手は、タクミ選手かベリーニャ選手か、まだ見ぬ強豪か。

 瓜子の相手は――まあ、イリア選手か一色選手のどちらかであろう。次の大会は各階級四名ずつで行われる王座決定トーナメントであるのだから、瓜子にまだ見ぬ強豪をぶつけてしまったら、チーム・フレア同士で一回戦目を行うことになってしまうのだった。


(まあ、誰と当たっても慌てないように、稽古を積んでおくしかない。……で、今はそれより目の前の仕事だよな)


 瓜子がそんな風に考えていると、『ワンド・ペイジ』の準備が整ったことが告げられてきた。

 ユーリは跳ねるような足取りで、ステージに向かう。

 そうして今日という慌ただしい一日は、ついに本格的に動き始めたのだった。


                   ◇


 各バンドとのリハーサルを終えたのは、午後の四時を過ぎてからのことであった。

 本日は六時開場、六時半開演の予定となっている。普段であれば、メディカルチェックやウォームアップやマットの確認などであっという間に時間は過ぎ去っていくものであるが――本日は、ひたすら待機の構えである。


 ただしそれは瓜子個人の話であり、当のユーリは大忙しであった。メイク係にメイクをされ、衣装係とお色直しの打ち合わせに励む。瓜子の仕事は、それをすぐ横から見守ることに他ならなかった。


 メイク係と衣装係を準備していることにも、千駄ヶ谷の本気度がうかがえる。ユーリはこれまでも音楽関連のイベントをいくつかこなしていたが、ここまで本格的に舞台を整えられたのは初めてのことだった。


 これが、単独ライブの重みというものなのだろう。

 しかし、面倒ごとを嫌うユーリも、嫌な顔ひとつ見せずに、千駄ヶ谷の指示に従っている。ユーリの本業はあくまで格闘技であり、余計な手間の増えるタレント活動やドラマ出演の仕事などはのきなみ辞退していたのだが――こと生演奏における歌唱という仕事については、大きなやりがいを見いだせたようだった。


「ただひとつ、心にずっしりとのしかかるのは……やっぱり、『ホシノシタデ』だねぇ」


 もともと美麗な顔に入念なメイクを施され、ようやくひと息つけたタイミングで、ユーリはこっそりそのようにこぼしていた。相変わらず、ユーリは悲しい内容の歌だけは許容し難い心境であったのだ。


「こればっかりは、なるようにしかならないっすよ。自分が袖で見守ってますから、なんとか頑張ってください」


「うみゅう……できればステージ上で、うり坊ちゃんに手を握っていてほしいぐらいなのだけれど……」


「それぐらいなら、自分はオッケーしたいところですけどね。でも、千駄ヶ谷さんに却下されたでしょう?」


「うみゅ。それに、うり坊ちゃんの手を握ってたら、幸せすぎてお歌がおろそかになっちゃうだろうしね」


 そう言って、ユーリは甘えるように笑った。

 素顔でも存分に可愛らしいユーリであるが、プロのメイク係に仕上げられると、また別種の輝きが生まれるものである。


 ともあれ――ライブイベントの開始は、刻一刻と迫っていたのだった。

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