04 まりりんず・るーむ

 瓜子たちが鞠山選手に面会を求めたのは、動画を拝見した翌日、十月の第一火曜日のことであった。

 この日の仕事は午後からのスタジオ練習のみであったので、昼前に鞠山選手の経営する魔法少女カフェを訪れたのだ。


 魔法少女カフェ『まりりんず・るーむ』は、中野駅から徒歩五分の場所に存在した。雑居ビルの一階で、パステルカラーの看板には魔法少女の姿をした鞠山選手のイラストも描かれている。自分のキャラクターをこうまで前面に押し出せる鞠山選手の図太さを、あらためて思い知らされた心地であった。


 メルヘンチックなペイントのされたガラス面の向こうでは、色とりどりの魔法少女たちが給仕に励んでいる。多少の気後れを感じつつ、瓜子は年季の入った木製の扉を押し開けることになった。


 カランコロンと古めかしいベルが鳴り、店内の魔法少女たちがいっせいに「いらっしゃいませぇ」というキーの高い声で出迎えてくれる。

 そのうちのひとり、水色のコスチュームを纏った可愛らしい娘さんが、全身のフリルをそよがせながら接近してきた。


「魔法少女カフェ、まりりんず・るーむにようこそ……って、なんで猪狩さんたちがこんなところにいるんですかー!」


「あ、あれ? 小柴選手、またここで働いてたんすか?」


「何を騒いでるんだわよ」と、パステルイエローの店主がひたひたと近づいてくる。メニュー表で赤い顔の下半分を隠した小柴選手は、気の毒なぐらい動顛しながらそちらを振り返った。


「ま、まりりんさん! これ! 猪狩さんたちが!」


「ああ、わたいに話があるっていうから、呼びつけたんだわよ。そういえば、あんたには話してなかっただわね」


「ひ、ひどいですよー! 猪狩さんたちが来るってわかってたら、シフトをずらしてもらったのにー!」


「だから、教えなかったんだわよ。さ、ドジっ娘あかりんは放っておいて、夢空間を満喫するだわよ」


 鞠山選手はその手のステッキをくるくる回転させながら、店の奥へと歩を進めた。

 さして大きな店ではないが、客席は半分以上うまっている。意外というか何というか、男女の比率は半々ぐらいで、おおよそはスーツ姿のサラリーマンやOLなどであるように見受けられた。


「うちはランチメニューも好評だから、十二時を回ったら行列ができるぐらいなんだわよ。仕事に疲れた企業戦士たちがひとときの憩いを求めて集結する、東京砂漠のオアシスってところだわね」


「そ、そうなんすか。お忙しい中、申し訳ありません」


「注文するなら、あんたたちもお客だわよ。さ、とっとと座るだわよ」


 瓜子たちが案内されたのは、観葉植物で他の席から見えにくい最奥のテーブル席であった。

 瓜子とユーリが並んで座り、その正面にメイが陣取ると、鞠山選手は眠たげな目でその姿を見下ろした。


「それにしても、そっちの新人門下生まで引き連れてくるとは思わなかっただわよ。あかりんの話によると、そいつはすっかりうり坊になついてるそうだわね」


「ええまあ、仲良くさせてもらっています。鞠山選手がどんなお人か気になるっていうから、お連れしたんすけど……ご迷惑でしたか?」


「注文すれば、大事なお客だわよ。今日のおすすめランチは、ナポリタンのセットだわね」


 昼食は出先で済ませる予定であったので、瓜子たちもカフェの売上に貢献することにした。全員がおすすめのランチセットを注文し、瓜子とメイはアイスティー、ユーリはキャラメル・ラテをお願いする。


「それで、わたいに何の話があるんだわよ? 動画の内容に文句があるなら、動画サイトの運営に削除依頼でも申請するだわね」


「あ、いえ、決して文句があるわけではなく……むしろ、お礼を伝えに来ました。ちょうど自分とメイさんも、どうやって八百長疑惑に反論するべきか考えていたところだったんで……」


「そんな風に言いながら、あんたの目には不満の光が渦巻いてるんだわよ」


「本当に、不満があるわけじゃないんすよ。ただ、ひとつだけ確認させていただきたくって……あれは、小笠原選手たちからも了承をもらった上で、公開したんすよね?」


 鞠山選手は「ふん」と鼻を鳴らしつつ、メイの隣にどっかりと座り込んだ。


「当たり前田のクラッカーだわよ。トキちゃんとなるみんとあやっちには、事前に動画を送って内容を確認してもらっただわよ」


「ええ。あの動画でも、鞠山選手は小笠原選手たちの代弁者だって仰ってましたもんね。ただ……なんだか、申し訳ない気持ちです」


「うじうじとやかましいイノシシ娘だわね。イノシシはイノシシらしく、言いたいことをぶちまけるだわよ」


 それでも瓜子が言いよどんでいると、鞠山選手は大きな口で言葉を重ねた。


「チーム・フレアの欺瞞を追及するには、こっちが潔く負けを認めるしかなかっただわよ。勝ったあんたは、それが心苦しいってわけだわね。あんたは負けた五人の屍の上に立ってるつもりなんだわよ?」


「い、いえ、そういうわけじゃないっすけど……」


「そういうわけなんだわよ。あんたは人より抜きんでたとき、優越感よりも罪悪感を覚えるタイプなんだわね。でも、そんなのは筋違いなんだわよ。思い上がりも、大概にしておくだわよ」


「じ、自分は思い上がってますか?」


「同情なんて、自分より立場が下の人間に向けられる感情なんだわよ。……そもそも、わたいに代弁者になってほしいとお願いしてきたのは、トキちゃんなんだわよ。あかりんもなるみんもあやっちもそれに同意したから、わたいはあの動画を作る決心をしたんだわよ」


 瓜子が驚いて口をつぐむと、鞠山選手は下からすくいあげるような視線を突きつけてきた。


「トキちゃんたちがどうしてそんな思いを抱え込むことになったか、あんたにはわからないんだわよ?」


「え、ええと……それはやっぱり、チーム・フレアの言動が許せなかったからでしょうか? タクミ選手なんて、スパー感覚で小笠原選手をKOできたなんて吹聴してましたし……」


「そんな話は、二の次だわよ。トキちゃんたちは、勝ったあんたたちまで小馬鹿にされたのが悔しくてたまらなかったんだわよ」


 そう言って、鞠山選手はソファの上にふんぞり返った。


「あんたたちは水面下の不利な条件をはね返して、見事に勝利を収めただわよ。それをあいつらは油断だの体調不良だの言いたてて、あんたたちの勝利の価値を貶めようとしただわよ。トキちゃんたちは、それが我慢ならなかったわけだわね」


「……そうだったんすか」


「そうだわよ。同じ目的のために頑張って、自分たちは力及ばなかったけど、あんたたちは結果を残した。トキちゃんたちは負けた悔しさと同じぐらい、あんたたちの勝利を喜んでるんだわよ。見当外れの同情心なんかで思い悩んでるヒマがあったら、次の試合に向けて稽古を積んでおくんだわよ。……今、《アトミック・ガールズ》の誇りを守れるのは、十一月大会の参加を許されたあんたたちだけなんだわよ」


 瓜子は自分の不明を恥じ入りながら、「押忍」と答えてみせた。

 そこに、ワゴンを押した小柴選手が登場する。小柴選手はまだ顔を赤くしながら、「お、お待たせしました!」と裏返った声をほとばしらせた。


「ほ、本日のおすすめランチセットです。テーブルの上、失礼いたします」


「……料理が美味しくなる魔法のサービスはどうしただわよ?」


「そ、それだけは勘弁してくださぁい!」


 小柴選手は羞恥に身をよじりながら、テーブルの上に料理と食器を並べていった。

 その赤い横顔を見やりながら、瓜子は小さく息をつく。小柴選手はあのような動画が作られ始めたことを瓜子たちに隠匿していたが、チーム・フレアの横暴な物言いには最初から強い怒りを表明していたのである。


「……ありがとうございます、小柴選手」


「ひゃい!? な、何の話でありましょうか!?」


「色々です。やっぱりその格好、可愛いですね」


 小柴選手は「ひゃわわぁ!」と雄叫びをあげながら、風のように立ち去ってしまった。

 瓜子たちは、つつしんでフォークを取り上げる。ナポリタンは鉄板で焼かれた、ずいぶん本格的なものであった。


「で、あんたの好奇心は満たされたんだわよ?」


 鞠山選手が横目でねめつけると、メイはナポリタンをちゅるちゅるとすすってから、「うん」とうなずいた。


「ウリコの周囲、面白い人間、集まる。君、とても面白い」


「あんたに言われたくないだわよ。プレスマンは、ますますイロモノ集団になってきただわね」


「イロモノ、よくわからない。……このスパゲティ、とても美味しい」


「ちょっとあんた、髪の毛にケチャップがつくだわよ。よくそんな鬱陶しい頭で試合や食事ができるだわね」


「髪、このままが落ち着く。……でも、少し食べにくい」


「だったら、ゴムかピンぐらい準備するだわよ。世話の焼ける娘だわね」


 そんな風に言いながら、鞠山選手は自身が装着していたフリルだらけのカチューシャ――いわゆるホワイトブリムをメイのほうに差し出した。

 メイは目をぱちくりとさせながら、赤みがかった金色のドレッドヘアを後方にかきあげて、それを装着する。とたんに鞠山選手は目を剥き、ユーリは「うわあ」とはしゃいだ声をあげた。


「かわゆいかわゆい! やっぱりメイちゃまは、前髪をあげたほうがかわゆいですよぉ」


「……でも、僕、前髪がないと、落ち着かない」


 メイは彫りが深くて端整な顔立ちをしているし、最近は無表情でも険悪な雰囲気が薄くなってきた。そうして前髪をあげてホワイトプリムをセットすると、それこそ異国のメイドさんみたいに可愛らしく見えてしまった。


「あんた……その髪、地毛なんだわよ?」


「じげ? ……自分の髪という意味なら、そう。偽物、違う」


「いや、そうじゃなくって、色の話だわよ。生えぎわまで同じ色合いだし、眉も睫毛も似たような色合いだわね?」


「うん。僕の一族、特に女子、こういう髪の色、多い。普通、大人になると濃くなるけど、僕、変わらなかった。……精神的な未熟、示しているようで、少し恥ずかしい」


「一族って何だわよ。……もしかして、あんたはアボリジナルなんだわよ?」


「そう」と答えて、メイは食事を再開させた。

 メイは端正な顔立ちをしているが、鼻や口の作りが大きいためか、少し子供っぽくも見える。それがまた、可愛らしさを増幅させるのだろう。


「あの、アボリジナルって何なんすか?」


「オーストラリア先住民の呼称だわよ。……あんたの容姿を神秘的と称するのは、差別発言に該当しちゃうんだわよ?」


「知らない。容姿、どうでもいい」


「あんたも、うり坊と同じ口だわね。……あんたがここで働いてくれたら、ナンバーワン魔法少女も夢じゃないだわよ」


「僕、働かない。稽古の時間、保守する」


 そんな風に答えてから、メイは鞠山選手のほうを見た。


「でも、君の実力、気になっている。君の寝技、ユーリ・モモゾノ以上、本当?」


「当たり前だわよ。こんなピンク頭に後れを取るまりりん様じゃないだわよ」


 そこで瓜子も、「あの」と声をあげることにした。


「実はもう一件、お話があったんすけど……また天覇ZEROで出稽古をお願いできないっすか?」


「ん? ついにコーチ陣に愛想を尽かされたんだわよ?」


「いや、男子選手のほうが十月に大会が重なってて、コーチ陣も忙しい時期なんすよ。それで、出稽古に励むなら今の内かなと思って」


「ふん。それでこの新人の顔見せも兼ねて連れてきたってわけだわね」


 鞠山選手は、芝居がかった仕草で肩をすくめた。


「まあ、こっちのコーチ陣にはわたいから話を通してやってもいいだわよ。この新人の力量は、わたいも気になってたんだわよ」


「あ、そしたらユーリもひとつお願いがあるのですけれど!」


「お断りだわよ」


「えーん! まりりんさんがユーリにだけ冷たいよぅ」


 鞠山選手は目をすがめながら、ユーリを見た。


「……あんた今、わたいをまりりん呼ばわりしただわね? 最近は、鞠山選手で統一されてたはずだわよ」


「ほえ? そのお姿のときはまりりんさんと呼ぶべしというお話ではありませんでしたかぁ?」


 ユーリがきょとんとした顔になると、鞠山選手はいっそう眠たげに目を細めた。


「あんた、IQが低いくせに物の道理がわかってるだわね。……特別に、願いを口にすることを許すだわよ」


「わぁい、ありがとうございますぅ。……あの、動画で使ってたうり坊ちゃんのイラスト、ユーリにも描いていただけませんかぁ?」


 瓜子は、テーブルに突っ伏してしまいそうになった。


「あのですね……あんなもん、いったいどうしようっていうんすか?」


「あんなもん? 聞き捨てならない暴言だわね」


「あ、いや、鞠山選手のイラストはお上手ですけど、ユーリさんがもらっても使い道がないでしょう?」


「それはもちろん、額縁に入れてお部屋に飾るんだよぉ。そうしたら、うり坊ちゃんに見守られながら就寝できて、幸せいっぱいのユーリちゃんなのです!」


 鞠山選手はしばらく押し黙ってから、やがて「ふん」と鼻を鳴らした。


「わたいのイラストをよこせなんて、思いあがった発言だわね。……まあ、条件次第では描いてやらないこともないだわよ」


「条件?」


「十一月大会で、ベルトを取るだわよ。そうしたら、うり坊のヌードでも何でも描いてやるだわよ」


 そう言って、鞠山選手はにんまりと微笑んだのだった。

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