03 まりりん☆ちゃんねる

『記念すべき第一回目の配信である今回は、《カノン A.G》九月大会の考察に取り組むだわよ』


 そんな風に語りながら、鞠山選手は可愛らしいクロスの掛けられたテーブルに着席した。背景は、小洒落たカフェのような様相だ。もしかしたら、鞠山選手がオーナーである魔法少女カフェの営業時間外に撮影されたものなのかもしれなかった。


『このイベントには、あんたも世を忍ぶ仮の姿で出場してただわね。あんたの甘っちょろさもたっぷり語ってあげるから、楽しみにしておくだわよ』


『は、はい! お、お手柔らかにお願いいたします!』


 気の毒な小柴選手は水色のコスチュームに包まれた身体を小さくしながら、鞠山選手の隣にちょこんと腰かけた。


『最近の娯楽はスピード感が生命だから、さくさくいくだわよ。まずは第一試合、なるみんこと後藤田成美とルイ=フレアの一戦だわね』


『え、えーと……まりりんは、後藤田選手のことをなるみんって呼んでいるのデスカ?』


『あんた、もっとハキハキしゃべくるだわよ! そんな台本まるだしの棒読みじゃあ、視聴者のみなさんがクールダウンしちゃうだわよ!』


 ユーリが「あはは」と笑い声をあげた。


「鞠山選手はいつも通りなのに、なんだかコントでも観てるみたいだねぇ」


「ええ。鞠山選手は、存在自体がコミカルですからね。……あ、いやいや! 本人には言わないでくださいよ?」


 慌てる瓜子のことなど知らぬげに、画面上の鞠山選手はにんまりと笑いながら言葉を重ねていく。


『まあ、どうしてこんなやりとりを台本に組み込んでいたかというと、わたいのスタンスをあらかじめ説明しておくためなんだわよ。わたいは天覇ZEROの所属だから、天覇館のなるみんとは旧知の間柄なんだわね。そんでもって、武魂会のトキちゃんこと小笠原朱鷺子とも仲良しだから、その後輩だったあんたの身柄を譲り受けることもできたわけだわね』


『は、はい。天覇ZEROには、いつも出稽古でお世話になっています。でも、わたしは武魂会を辞めたわけではないので、身柄がどうこうっていうのはちょっと……』


『やかましいだわよ。まじかる☆あかりんでいる間はれっきとしたわたいの下僕なんだから、とやかく言うんじゃないだわよ』


『げ、下僕? わたしは別に、鞠山選手の下僕になったわけじゃあ……』


『世を忍ぶ仮の名前を口にするんじゃないだわよ! ……とにかくわたいは、天覇館とも武魂会とも懇意にしてるだわよ。それでもって最近は、新宿プレスマン道場の連中とも何度か稽古を重ねて、赤星道場の合宿稽古にも参加させてもらっただわね。要するに、わたいはチーム・フレアと真っ向から敵対するスタンスにあるわけだわよ』


 鞠山選手は眠たいカエルのような顔で笑いながら、そのように言い切った。


『ただし、どんなスタンスであろうとも、試合の考察は第三者目線で取り組むだわよ。それがチーム・フレアとの大きな違いってことだわね』


『え、えーと……チーム・フレアの考察は、第三者目線じゃなかったってことデスカ?』


『だから、台本丸出しなんだわよ! ……ま、そういうことだわね。あいつらは自分たちの掲げた理念を正当化するために、事実をねじ曲げてるんだわよ。それがどれだけお粗末な筋書きだったか、今日この場ではっきりさせてやるだわよ』


「おいおい、ずいぶん真っ向から喧嘩を売るつもりなんだな」


 と、何かの書類をチェックしていた立松がうろんげに声をあげた。


「相手と同レベルの中傷合戦にならないといいんだが……とにかく、最後まで拝見するか」


 立松がそんな言葉をこぼしている間に、鞠山選手がテーブルの下から取り出したものをカメラのほうに掲げた。A3サイズはあろうかという、大きなスケッチブックである。


『ではでは、第一試合の考察に取りかかるだわよ』


 鞠山選手が表紙をめくると、ユーリが「うわあ」とはしゃいだ声をあげた。そこには可愛らしくデフォルメされた後藤田選手と一色選手のイラストが描かれていたのだ。


『これは運営非公式の動画だから、試合の映像や画像は使えないんだわよ。その代わりに、わたいのイラストで試合模様をお届けするだわよ』


『ま、まりりんて、イラストもお上手なんですね』


『当たり前だわよ。わたいのCDも、ジャケットのイラストは自作なんだわよ』


 自慢げに鼻の穴を広げつつ、鞠山選手はスケッチブックをさらにめくった。そこに描かれたのは、ひらひらと逃げ惑う一色選手とそれを追いかける後藤田選手のイラストだ。


『ルイ=フレアってのはキック出身の選手で、サウスポーのアウトスタイルだわね。その逃げ足が、ケージの試合ではうってつけだっただわよ。いっぽうなるみんは生粋のグラップラーで、サウスポーのアウトスタイルを大の苦手にしてただわよ。一昨年には同じスタイルのサキに挑んで、なすすべもなくKO負けを喫しただわね』


『はい。わたしもあの試合は拝見しました。でもあれは、サキさんがすごいんだと思います』


『そりゃあ腐っても《アトミック・ガールズ》のチャンピオンなんだわよ。性格はねじ曲がってるけど、サキの実力は本物だわね。それを恥ずべき歴史あつかいするどこかの誰かさんは、視力検査でもするといいだわよ』


 確かに鞠山選手は、新生パラス=アテナとチーム・フレアに真っ向から喧嘩を挑むようである。瓜子は少なからずハラハラしながら、その姿を見守ることになった。


『もちろんなるみんもトップファイターなんだから、ベストの状態ならもう少しは粘れたはずだわよ。だけど今回は対戦オファーが来たのもひと月前で、初めてのケージと新しいルールに挑むには、準備期間が足りてなかっただわね。残念ながら、根性だけでどうにかできるような相手ではなかったってことだわよ』


『……一色選手は、確かに手ごわいと思います。《G・フォース》と《トップ・ワン》のトップファイターですからね』


『そう。《トップ・ワン》は肘ありのムエタイルールだから、その経験も活きただわね。なるみんは片足タックルから胴タックルにつなげてフェンス際まで追い込んだけど、首相撲でコントロールされてテンプルに肘をくらうことになっただわよ。この一発が、勝負を分けただわね』


 新たなイラストに、そのシーンが描かれていた。


『肘打ちでぐらついたところに膝蹴りをくらいまくって、逃げようとしたところでハイキック。ダウンの後にとどめの蹴りを腹にくらって、試合終了だわね。……内容は、まごうことなき完敗だわよ。ケージの試合場、肘ありのルール、ダウン制度の廃止。それに対応するのに、一ヶ月や二ヶ月じゃ足りなかったってところだわね。いっぽう、相手のルイ=フレアは……仮に半年前からMMAのトレーニングを開始していたんだとしても、デビュー戦でそのポテンシャルを余すところなく発揮できる実力と図太さを兼ね備えているわけだわね』


『え、えーと……』と、小柴選手が頼りなげに視線をさまよわせた。


『……その半年前っていうのは、どこから出てきた数字なんですか? だわよ』


『あ、そ、そうでした! すみません、もういっぺんお願いします!』


『あんたはドジっ娘キャラのほうがウケそうだから、このまま進行するだわよ。……ルイ=フレアこと一色ルイが所属していた栃木のムエタイジムに確認したところ、あいつは今年の春ぐらいからジムを辞めて上京してたんだわよ。あいつはチーム・フレアに参入するために上京してきたって話なんだから、MMAのトレーニング期間が半年って推測に大きなズレはないはずだわね』


『ナ、ナルホド。た、確かに半年間のトレーニングで結果を出せたんなら、立派なことですけど……後藤田選手にもそれぐらいの準備期間があったら、新しいルールにももっと対応できたはずですよね』


『まあ、過ぎたことをくよくよ言っても仕方がないだわよ。本人も元気に稽古に励んでるから、ファンのみんなはなるみんの復活を待ってるだわよ!』


 そんな感じに、鞠山選手の作製した動画、『まりりん☆ちゃんねる』は粛々と進行されていった。


『イヌカイ=フレアこと犬飼京菜の実力は、未知数な部分が多いだわね。まずはあの素っ頓狂なファーストアタックをしのがないと、実力を測ることも難しいだわよ』


『イリア=フレアことピエロ女は、ルールの改正とは関係なく厄介さが増しただわね。あかりん、あんたは焦らずにもっと様子を見るべきだっただわよ。あんたよりインファイトが得意な選手でもピエロには返り討ちにされてたんだから、あんたはなおさら慎重にいくべきだっただわね。技術と一緒に、心も鍛えておくべきだわよ』


『シャラ=フレアも、ルールの改正と無関係な強さを発揮してただわね。いっぽうマリアは《レッド・キング》でケージの舞台やこのルールにも慣れてたはずなのに、本領が発揮できなかっただわよ。これもちょっと、メンタル面が気にかかる試合だっただわね。あいつは能天気なキャラのくせに、リズムをつかめないと脆さが出るんだわよ。そこを、相手につけこまれただわね』


『エキシビジョンは、割愛させていただくだわよ。まあひと言だけ言っておくと、ガイアの亜藤要もピエロを負かせるぐらいの実力があるけど、二階級も上のベリーニャを相手取るのは荷が重いってことだわね』


 そこまでは、鞠山選手の弁も至極穏当なものであった。沙羅選手とマリア選手の一戦についてなどは、タクミ選手たちとさほど変わらない内容であったぐらいである。

 ただもちろん、負けた選手を不必要に貶したりするような真似はしなかったが――ここまではすべて、味方陣営が敗北しているのだ。問題となるのは、ここからであるはずであった。


『お次は、美香ちゃんこと魅々香とジジの一戦だわね。これもジジのほうに一日の長がある試合だったけど、美香ちゃんが執念を見せただわよ。立ち技では完全に圧倒されてたから、大金星の逆転勝ちだわね』


 ひと通りの試合内容を解説したのち、鞠山選手は眠たげな目を光らせた。


『で……チーム・フレアの連中は、ジジの油断だの負けグセだの言いたてて、美香ちゃんの勝利を貶めようと躍起になってただわね。あいつらにとってアトミックの日本人選手は「恥ずべき歴史の産物」らしいから、世界水準のルールで試合をしてきた外国人選手が勝たないと都合が悪いってことだわよ』


『ジジ選手は、そんなにこのルールの経験があったんですか?』


『ジジはこの五年間で二十三戦してるけど、そのうちの十二戦はみんな海外でケージの舞台、肘ありダウン制度なしのルールだっただわよ。この日の大会に出場していた選手の中では、ベリーニャに次ぐキャリアだわね。それでもって、戦績は十八勝五敗。美香ちゃんとピンク頭ことユーリ・ピーチ=ストームには一本負けで、残りの三敗はみんな反則負けだわね』


 スケッチブックには、顔面を腫らした魅々香選手のチョ-クスリーパーにタップするジジ選手のイラストが描かれていた。


『反則負けしかなかったジジが、ピンク頭との試合でいきなりスタイルチェンジしたんだわよ。それまでは猪突猛進の権化だったジジが、自分から組み技を仕掛けたり、サウスポーのスタイルを見せたりするようになったんだわね。チーム・フレアの連中はそれを油断だとか遊びだとかほざいてるけど、あんたはどう思うんだわよ?』


『え? そ、そんな質問、台本にありましたっけ?』


『動画配信は、ライブ感が生命なんだわよ。いいから、ちゃきちゃき答えるだわよ』


『は、はい! えーと……ジジ選手は不敵なキャラクターで売っていますけど、試合で遊ぶような真似はしないと思います。ジジ選手がそんな不真面目な人だったら、ブロイ会長があんな風にお世話をするとは思えませんし……』


『いい着眼点だわね。あんたの言う通り、ハンサム・ブロイはストイックの権化なんだわよ。ジジが試合で手を抜くような選手なら、とっくに放り出してるだわね。だからあれは、むしろハンサム・ブロイが考案したスタイルチェンジと見なすのが妥当なんだわよ』


『そ、そうですよね。ただ、それまで反則負けしかなかったジジ選手がいきなりスタイルチェンジをするのはおかしいって、チーム・フレアの動画ではそんな風に語られていましたね』


『何もおかしくないだわよ。あいつが反則負けした相手は三人とも海外のトップファイターで、試合が終わる寸前までジジを追い込んでたんだわよ。そうするとあいつは我を失って、相手の後頭部に肘を落としたり、グラウンド状態で相手の頭部を蹴ったりして、反則負けをくらってたわけだわね』


『そ、そうだったんですか? それこそ、ブロイ会長に見放されそうなやり口ですけれど……』


『ところがぎっちょん、あいつは我に返ると自己嫌悪のどん底に沈んで、そのたびに自殺未遂の騒ぎを起こしてたんだわよ。わたいも初めて知ったけど、海外では有名なエピソードらしいだわね。英語やフランス語に自信がある人間は、海外のSNSをあさってみるといいだわよ』


 にまにまと笑いながら、鞠山選手はとても真剣な眼差しになっていた。


『それでハンサム・ブロイも、ジジを見捨てるのが忍びなかったんだわね。だからジジは、もっと強くなりたいって痛切に思ってたはずなんだわよ。だからこそ、新しいファイトスタイルを模索し始めたわけだわね。……だいたい、ジジが猪突猛進のままだったら、美香ちゃんもピンク頭ももっと楽に勝ててただわよ。あれだけの破壊力を持つストライカーがタックルを仕掛けてきたりスイッチングしてきたりしたらどれだけ厄介か、まともな知能を持ってたら想像できないわけがないだわね』


『な、なるほど……ジジ選手は御堂さんや桃園さんに負けそうになっても反則攻撃を仕掛けたりしませんでしたけど、それは自制心を身につけたっていうことなんでしょうか?』


『もしくは、反則技を仕掛ける余力も残されてなかったかの、どちらかだわね。どっちの試合でも、あいつはガス欠を起こしたところでタップを奪われてたんだわよ。これはある意味、美香ちゃんやピンク頭が海外のトップファイターよりもジジを追い込むことができたっていう証かもしれないだわね』


「うわぁ、鞠山選手にほめられちゃったぁ」


 早く稽古を始めたいなあという顔で動画を眺めていたユーリが、やおら嬉しそうな声をあげた。


『それじゃあ次は、うり坊こと猪狩瓜子とメイ=ナイトメアの一戦だわね。……チーム・フレアの連中は、メイ=ナイトメアが大した選手じゃなかったなんてほざいてるだわよ。油断や慢心じゃなく、ただメイ=ナイトメアが弱いって論だわね。それでもって何日か前には、八百長疑惑までふっかけてきたんだわよ』


『はい。頭に来ますよね! あの試合が八百長だなんて、そんなことありえるわけないじゃないですか!』


『うり坊に横恋慕するあかりんも、怒り心頭だわね。きっと動画を観てるうり坊も、ほくそ笑んでるだわよ』


『よ、横恋慕ってなんですか! ここ、絶対にカットしてくださいよ!?』


『考察を続けるだわよ。……まず、メイ=ナイトメアはお見事だっただわよ。技のパターンは少ないけど、あいつはその精度が段違いなんだわね。だからあんな、精密機械みたいにカウンターが狙えるんだわよ。それで相手が少しでも崩れたら、悪夢のごとき猛ラッシュだわね。並の選手だったら、最初のラッシュで試合は終わってただわよ』


 メイは、食い入るように動画を見据えている。

 いっぽうユーリは、スケッチブックに提示された瓜子とメイのイラストに「かわゆーい!」とはしゃいでいた。


『だけど、あいつがカウンター狙いなんてスタイルを見せたのは、この試合が初めてだっただわね。きっとあいつはうり坊と当たるまで、猛ラッシュだけで簡単に勝ててたんだわよ。もしもあいつが美香ちゃんぐらい我慢強かったら、途中でリズムを崩されても乱打戦なんかには応じずに、判定勝ちをものにできたかもしれないだわね。そこのメンタル的な甘さを突いたうり坊が、薄氷の勝利をつかみ取ったんだわよ』


『薄氷の勝利ですか? 猪狩さんは、これでメイ選手に連勝したわけですけど……』


『メイ=ナイトメアだって、ケージの舞台や世界水準のルールでキャリアを積んできた選手なんだわよ。いっぽううり坊は一ヶ月や二ヶ月しか準備期間がなかったんだから、そうとう厳しい戦いだったはずだわね。そもそもメイ=ナイトメアは、《スラッシュ》の元王者なんだわよ? 言ってみれば、ベリーニャと同じレベルの難敵なんだわよ』


『でも、チーム・フレアの動画では《スラッシュ》のレベルが低いって揶揄されてましたよね。そもそも海外には軽量級の選手が少ないから、無差別級王者のベリーニャ選手とは格が違うんだって……』


『あれはあいつらが無知なだけか、あるいは恣意的に事実をねじ曲げてるんだわよ。確かに《スラッシュ》はマイナープロモーションと見なされてるけど、女子選手に関しては北米で一番充実してただわよ。何せその頃は《アクセル・ファイト》も女子部門を設立してなかったから、世界中の女子選手が《スラッシュ》に集まってたわけだわね。……だから、軽量級だって決してレベルは低くなかっただわよ。わたいが知る限りでも、ブラジルやシンガポールや韓国なんかの有力選手がしのぎを削ってただわね』


『ああ、北米は軽量級の選手が少ないから、《アクセル・ファイト》でもなかなか五十二キロ以下級が設立されないなんて話がありますけど……それは北米出身のスター選手が生まれにくいって意味なんでしょうかね』


『ま、そんなとこだわよ。で、その《スラッシュ》で王者だったメイ=ナイトメアが実力不足なんて、ありえるわけがないんだわよ。嘘だと思うなら、チーム・フレアの連中が対戦してみればいいだわね。ルイ=フレアだろうがピエロだろうが、初回のラウンドでマットに沈む姿が容易に想像できるだわよ』


 そう言って、鞠山選手はまたにんまりと微笑んだ。


『で、あいつらはそんなメイ=ナイトメアに八百長疑惑をかけてるわけだわね。メイ=ナイトメアはプレスマン道場の回し者で、うり坊の名を上げるためにわざと負けたっていうお粗末なシナリオだわよ』


『はい! そんな誹謗中傷は、決して許されないと思います!』


『いきりたつんじゃないだわよ。……まず聞きたいのは、メイ=ナイトメアがそんな真似をして、どういう得があるのかって話だわね。メイ=ナイトメアは専属トレーナーを連れて何ヶ月も日本に滞在できるような資産家だから、まず金なんかじゃ動かないだわよ。それでもって、あいつはベリーニャと対戦するために、そんな真似をしてたんだわよ? そんな貪欲な人間が、どうして世界的には無名な日本人選手に連敗するなんていう屈辱を呑み込まなければならないんだわよ? 妄言も、大概にしておくべきだわね』


『はい! メイ選手は猪狩さんに連敗したことで、プレスマン道場への入門を決めたそうです! 目的は、もちろん強くなるためですね!』


『ふふん。呆れかえるぐらい単純思考だけど、八百長疑惑なんかよりはよっぽど筋が通ってるだわね。……あいつはベリーニャと対戦するために、《スラッシュ》を辞めてまで《アトミック・ガールズ》に参戦した。だけどうり坊に負けたことで、その筋道が断たれた。うり坊にリベンジするために、しぶしぶチーム・フレアに参入した。それでも勝てなかったから、頭を下げてプレスマン道場に入門した。……ま、チーム・フレアは後ろ足で砂をかけられたようなもんだから腹が立つのはわかるけど、あいつがプレスマン道場の回し者だったなんていう陰謀論には無理があるだわよ』


 そんな風に語りながら、鞠山選手はいっそう愉快そうに口の端を吊り上げた。


『それでも納得いかない人間は、試合の放映を楽しみにしておくだわよ。アレを八百長だなんて思える人間がいたら、やっぱり視力検査が必要だわね。最後の乱打戦なんて、ほとんど人外バトルだっただわよ』


『八百長疑惑と言えば、桃園さんですね。彼女の試合だって、八百長と思えるような内容はひとつもありません』


『その前に、まずは雅ちゃんとベアトゥリス=フレアの試合だわよ。……ベアトゥリス=フレアも、なかなかの難敵だっただわね。ただ、グラウンドでは雅ちゃんの敵じゃなかっただわよ。ただそれだけの話なのに、あいつらは油断だ慢心だとほざいてるわけだわね。あの見事なステップワークとフェンス際の猛ラッシュのどこに油断や慢心があったのか、懇切丁寧に教えてほしいもんだわね』


『はい。そんなことを言いたてるのは、ベアトゥリス選手に対しても失礼だと思います』


『失礼だし、みじめな話だわね。そもそも油断や慢心が、負けた言い訳になるんだわよ? そんなことを声高に言いたててもベアトゥリス=フレアの立場がみじめになるだけなのに、あいつらにとってはチーム・フレアの体面のほうが大事なんだわよ。名門ヴァーモス・ジムも、くだらない連中にひっかかったもんだわね』


『ヴァーモス・ジムは、《アクセル・ファイト》にもたくさんの選手を輩出しているんでしょう? ベアトゥリス選手も、その名に恥じない実力でしたよね』


『そうだわね。そしてそれよりも、雅ちゃんのほうが強かった。負けを認められない選手に、先はないだわよ』


 そうして鞠山選手がスケッチブックをめくると、ユーリとオルガ選手のイラストが登場した。それを見て、ユーリが「えー?」と不満の声をあげる。


「ユーリ、こんなに垂れ目ちゃんかなぁ? それに、クチビルお化けみたい!」


「いや、なかなか的確なデフォルメだと思いますけど……ただ、可愛さよりも面白さを強調してやろうっていう強い信念が感じられますね」


 ともあれ、ユーリとオルガ選手の試合についてである。

 その内容をざっくりと語ってから、鞠山選手はカメラのほうをにらみ据えてきた。


『この試合に関しては、八百長疑惑じゃなく体調不良を言い訳にしてただわね。だけどまあ、話は同じことだわよ。オルガ=フレアは強い選手だったし、最後まで懸命に戦ってただわよ。これで体調不良だっていうんなら、こいつこそ規格外の化け物だわね』


『そうですよね。試合を観てもらえたら、一目瞭然だと思います。たとえ体調不良が本当のことだったとしても、この日のオルガ選手はとても強かったです。それに勝った桃園さんの実力も、本物ですよ』


『ふふん。そもそもあいつらの八百長説には、最初から無理があったんだわよ。ピンク頭がこれまでに負かしてきたのは、沙羅、秋代、オリビア、美香ちゃん、舞ちゃん、リュドミラ、トキちゃん、マリア、沖、ジジって顔ぶれになるわけだけど……この中に、八百長をOKする人間がいると思えるんだわよ? そもそも舞ちゃんは当時のピンク頭を毛嫌いしてたから、どんな条件を出されたってそんな屈辱を我慢するはずがないんだわよ。で、舞ちゃんに勝てるような化け物だったら、どんな相手に勝ったって不思議はないだわね』


『はい。桃園さんは、十分に化け物だと思います。わたしも出稽古で、それを思い知らされていますから』


『ついでに言うと、ピンク頭は二年ぐらい前に《JUFリターンズ》でブラジルのノーマ=シルバとグラップリング・マッチをして引き分けてただわね。その時代から、あいつはブラジルの強豪選手と同等の寝技の技術を持ってたってことだわよ。……まさか、《アクセル・ファイト》の傘下になった《JUFリターンズ》で八百長があったなんて抜かさないだわよね?』


『ええ。秋代選手は《アトミック・ガールズ》の旧運営が八百長を持ちかけたんだって主張してますからね。だから、《NEXT》で桃園選手と試合をした自分は潔白なんだって言っていたはずです』


『で、あいつは油断で負けたって言い張ってるんだわね。そんなもん、実力で負けた選手より低レベルだって自己紹介してるも同然だわよ。油断で鼻を潰されるようなやつは格闘技に向いてないから、引退をおすすめするだわよ』


 そんな風に言ってから、鞠山選手は眉間に皺を刻み込んだ。


『……ただし、このまま勝ち逃げは許されないから、十一月大会でぶざまに負けてから引退するべきだわね。最後の一戦、トキちゃんこと小笠原朱鷺子とタクミ=フレアの試合だわよ』


『……はい』


『トキちゃんは、ひと月前にオファーを受けてから無理やり六キロもウェイトを落とすことになっただわね。でも、体調不良は言い訳にならない。ダブスタのそしりを受けないように、ここは潔く負けを認めるしかないだわね』


『……はい』


『タクミ=フレアは、他の強豪選手に見劣りしないぐらい、きっちり仕上げてただわね。鋭いステップワークに、サウスポーからの重いジャブ、ヴァーモス・ジム仕込みのカーフ・キックに、壁レスの技術……どれも、一級品だっただわよ』


『……はい』


『重心の高いトキちゃん相手にスープレックスを狙ったのも、的確な作戦だっただわね。トキちゃんは無理に絞って腰が細くなってたから、相手のクラッチもいっそう堅かったはずだわよ。……ベストコンディションで試合に臨めないなら、こんなオファーは断るべきだった。わたいは、そう思ってるだわよ』


『……はい』と繰り返す小柴選手の目から、ぽたりと涙がしたたった。

 鞠山選手はきゅうっと顔を引き締めながら、そんな小柴選手の肩をばしんと叩く。


『チーム・フレアの連中は気に食わないし、試合の考察動画はデタラメだったけど、試合そのものに不正はなかっただわよ! ただし! トキちゃんもなるみんもあやっちも、これで終わるような選手じゃないんだわよ! 今回の負けは負けとしてしっかり受け止めて、みんな再起を誓ってるんだわよ! だから、こんな動画を配信することも許してくれたんだわよ! わたいはトキちゃんたちの代弁者として、この場に立ってるんだわよ!』


『はい……はい……』


 小柴選手は、すっかり泣きべそをかいてしまっていた。小笠原選手ともっとも近しい間柄であった小柴選手には、どうしても気持ちを抑えることができなかったのだろう。


『チーム・フレア! あんたたちもわちゃわちゃ騒いでないで、稽古に集中するんだわよ! 負けた仲間の言い訳に奔走するなんて、みっともないったらないんだわよ! わたいたちのこれまでの歴史を否定したいなら、試合で証明してみせるだわよ! わたいたちも、全力で返り討ちにしてやるだわよ!』

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