02 開設

 ユーリのテレビ出演は、収録の当日に中止という憂き目を見ることに相成った。

 千駄ヶ谷は契約書を盾に最後まで粘ったようだが、けっきょく相手は吐いた唾を呑み込むことなく、契約書通りの違約金を支払う道を選んだのだった。


「どうやらあちらのディレクターやプロデューサーといった方々も、さらに上の立場である人間から無理を申しつけられたようですね。まったく事情を把握しておられないご様子でありました」


「そんな大物が、パラス=アテナだか徳久だかの言いなりってことっすか。そいつはちょっと、厄介な事態っすね」


「かまいません。エイトテレビとパラス=アテナを繋いでいるのは、まず間違いなく徳久なる人物なのでしょうから……そちらを潰せば、事態も改善されるはずです」


 そのように語る千駄ヶ谷はいつも通りの無表情であったが、瓜子は思わず身震いしてしまうほど恐ろしかった。徳久も、悪い相手を敵に回してしまったものである。


 ということで、その日のスケジュールはぽっかり空いてしまったわけであるが。最終的にはユーリと『ベイビー・アピール』の意見が通って、都内の某スタジオで予定外の練習を行うこととなった。アマチュアバンドが使用する小さなスタジオをレンタルして、三時間ばかりもみっちり練習することになってしまったのだ。


「うーん。ユーリちゃん、微妙に歌いにくそうだねぇ。『アルファロメオ』は、キーを一音あげちゃおっかぁ」


「えー、そんなことができるのですかぁ? まるでカラオケみたい!」


「ただそうすっと、チューニングをノーマルにしないといけないから、伴奏もライトな感じになっちゃうんだよねぇ。ま、試しにやってみようぜぇ」


「お待ちください。ユーリ選手は明日もレッスンを控えておりますが、こちらには原曲の音源しか存在いたしません」


「それじゃあ後で、演奏だけ録音してあげるよ。でもその前に、このキーがハマるかどうかだよねぇ」


 そんな具合に、ユーリにとっては実のある時間を過ごせたようだった。

 そしてその後はパパラッチの目を警戒しながら、夕食までご一緒することになったわけであるが――その場でも、意外な収獲を得ることができた。


「あのさ、俺たちが出た日のイベントで、武中キヨって選手がいたじゃん? あのキヨっぺってのは、俺のツレの妹なんだけど……あのコがアトミックに参戦したいってジムの人間に相談したら、《NEXT》のほうからNGが出たらしいんだよな」


 そんな風に語らってくれたのは、ギター担当のリュウ氏であった。彼は《NEXT》の有力選手と懇意にしているという話であったが、それが武中キヨ選手の兄である《NEXT》の男子バンタム級現王者であったのだ。


「キヨっぺが対戦したバニーガールが、ユーリちゃんたちのツレなんだろ? キヨっぺは一ラウンドでKOされたのが泣くほど悔しくて、今度はあっちのホームでリベンジするんだって燃えてたらしいんだよな。ちょうどアトミックも、《NEXT》と同じようなルールになったところだしよ」


「それでどうして、NGが出されたんすか? ていうか、《NEXT》の運営がケチをつけるような話じゃないでしょう?」


「ケチをつけたっていうか、親心なのかな。……今のアトミックには関わるなって、そんな忠告をされたみたいなんだよ。勝ち馬か泥船か判断つくまでは、近づかないほうが利口だってよ」


「……それは何か、《NEXT》の運営陣を不安にさせるような話が業界内に行き渡っているということなのでしょうか?」


 千駄ヶ谷が口をはさむと、リュウは「さてね」と肩をすくめた。


「ただまあ《NEXT》の代表は、格闘技ファンが高じて自分の団体を立ち上げた酔狂なお人だからな。アトミックの運営陣とは、もともとウマが合わなかったみたいだよ」


「……元代表の花咲氏も、きわめてビジネスライクな御方でしたからね」


「そうそう、そういえばあのオッサンはどうなったわけ? 脱税なんて罰金払ったら、それでおしまいなんじゃないの?」


「ええ。もとより花咲氏は逮捕されたものの不起訴に終わり、追徴課税を支払うだけの財もありましたため、現在は自由の身です。……ただし世間の目をはばかって、海外に隠匿したものと噂されております」


「へーえ。アトミックを無茶苦茶にしておいて、自分だけトンズラかよ。つくづく、無責任なオッサンだなあ」


『ベイビー・アピール』の面々がそのようにぼやいても、千駄ヶ谷は多くを語ろうとはしなかった。

 まあ、たとえ花咲氏の脱税が黒澤氏の陰謀であったとしても、身の潔白を晴らすことは難しいのだろう。それであちらに反社会的勢力の影がちらついていたならば、身の危険を感じて然りのはずであった。


 とまあ、その日はそんな具合に過ぎ去って、瓜子とユーリはまた慌ただしい日常に回帰することに相成った。昼の副業と夜の稽古で忙殺される、お馴染みの日々である。

 音楽番組の出演はご破算になってしまったものの、十月中旬にはライブイベントが控えている。ユーリと瓜子が気を抜くいとまなどは、寸毫もありはしなかった。


 そうして迎えた、十月の第一月曜日――

 あれこれの業務を終えた瓜子とユーリが道場に向かっているさなか、鞠山選手からのメールが届けられた。


『今日の午後五時、「まりりん☆ちゃんねる」が公開されるだわよ。原始人のあんたたちは、道場のパソコンで視聴するだわよ』


 新宿駅から道場までの道を進みながら、瓜子とユーリはきょとんと顔を見合わせることになった。


「なんでしょう、これ? どうも、動画を公開するって話らしいっすけど」


「ふみゅ。最近は動画配信というものがブームのようだしねぇ。ウホウホなユーリちゃんには、さっぱりわからんちんの世界なのですが」


 パソコンもタブレットも所持しておらず、重い動画は再生できない旧型の携帯端末を使用している瓜子たちには、まさしく未知なる領域であった。

 そんなわけで、瓜子たちは小首を傾げながら道場の入り口をくぐったわけであるが――そこではまた、よくわからない騒乱が巻き起こっていた。


「なんだよー! 魔法老女がどんな動画をアップするのか、気になるじゃん! あたしが自分の端末で何を観ようと、あたしの勝手でしょー?」


「で、でもほら、せっかく出稽古に来ているんですから! そんなのは後回しにして、トレーニングしましょうよ!」


 騒いでいるのは、灰原選手と小柴選手であった。本日も、外来の女子選手が出稽古におもむく日取りであったのだ。

 両名は私服の姿であり、入り口をくぐったすぐの場所で騒いでいた。多賀崎選手は呆れた様子で、そんな両名を見守っている。


「ああほら、桃園と猪狩も来ちゃったよ。灰原なんて放っておいて、稽古を始めたらいいんじゃないのかね」


「そーそー! つまんなそうだったらあたしもすぐに合流するから、先に始めててよ!」


「ど、動画なんて家でゆっくり観ればいいじゃないですか! 大事な稽古時間を無駄にするなんて、もったいないですよ!」


 すると、トレーニングルームのほうからジョンまでもがやってきてしまった。


「ドウしたのかなー? イりグチでサワいでると、ホカのヒトのメイワクになっちゃうよー?」


「なんか、コッシーが変なんだよ! あたしに動画を観るなーって必死になってんの!」


「ドウガ? 『まりりん☆ちゃんねる』のコトかなー? ウリコとユーリがキたらミせてあげてほしいって、ハナコからレンラクがキてたんだよねー」


 その言葉で、小柴選手は真っ青になってしまった。


「自分たちにも、よくわからないメールが来てましたよ。でも、どうして小柴選手はそんなに必死になってるんです?」


「あ、いや、だって……自分のいるところで観られたら、恥ずかしいじゃないですか!」


 そんな風にわめきたててから、小柴選手はがっくりと肩を落としてしまった。


「……わかりました。白状します。実は、その動画……わたしも出演させられちゃったんです」


「へー、コッシーも出てるの!? でも、そんなにイヤなら出なきゃよかったのに!」


「それはその……色々と事情がありまして……」


 そういえば小柴選手は以前にも、『モンキーワンダー』のメンバーに会わせるという交換条件で、魔法少女カフェの手伝いをさせられていたのだった。


「あんたも、懲りないねー! もしかしたら、また魔法少女のカッコをさせられたってわけ? うわー、こいつはなおさらチェックしないと!」


「は、灰原さん、どうか後生ですから……」


 泣かんばかりの小柴選手に、ジョンが気の毒そうな笑顔を投げかけた。


「よくワからないけど、これはパラス=アテナへのハンゲキなんだよねー? それなら、ユーリたちにはミてもらうべきかなー」


「パラス=アテナへの反撃? それって、どういう意味っすか?」


「クワしくはシらないよー。ドウガをミればワかるんじゃないかなー」


 そんな言葉を交わしている間に、午後の五時になってしまった。

 瓜子たちは小柴選手をなだめすかしつつ、トレーニングルームへと歩を進める。そちらでは、男子選手とメイの面倒を見ている立松の姿があった。


「おう、やっと来たな。……って、まだ五時か。メイさんの面倒を見てると、感覚が狂っちまうな」


 メイは毎日、トレーニングルームが開放される正午から道場を訪れて、ぞんぶんに汗を流しているという話であるのだ。コーチ陣がいれば指導を仰ぎ、いなければ男子選手と取っ組み合い、取っ組み合う相手がいなければひとりで黙々と稽古に励むという、ユーリにしてみれば垂涎の日々であったのだった。


 すでに五時間の自由稽古を終えたメイは汗だくの姿で、瓜子たちのほうに近づいてくる。なんとなく、ご主人の帰りを待っていた小ぶりのドーベルマンを思わせる挙動だ。


「ウリコ、待ってた。……何か、揉め事?」


「いや、揉めてるわけじゃないんすけど……小柴選手、自分たちは道場でしか動画を拝見できないんで、なんとか許してもらえませんか?」


「は、はい。だけど、その……わ、笑ったりしないでくださいね? 猪狩さんに笑われたりしたら、わたし……」


「笑ったりしないっすよ。小柴選手のコスプレは、可愛いじゃないっすか」


 瓜子がそのように答えると、今度は真っ赤になってしまう小柴選手である。

 灰原選手は面白くなさそうに、小柴選手の短い髪の毛を両手でひっかき回した。


「けっきょくあんた、うり坊にコスプレ姿を見られるのが恥ずかしかっただけなわけね! もう、人騒がせなやつー!」


「ああ、例の動画ってやつか。俺もちょいと事務仕事が溜まってるんで、適当に拝見させてもらうかな」


 ということで、瓜子とユーリは立松に事務室まで案内されることになった。他のメンバーは更衣室に向かい、メイだけがひたひたと後をついてくる。


「あれ? メイさんは、自分の端末で観られるでしょう?」


「……僕、チームメイトだから、一緒に観る」


 メイは、すねたような目つきで瓜子をにらみつけてくる。瓜子は笑いながら、「承知しました」と答えることにした。

 そうして一同は、せまい事務室でノートパソコンを取り囲んだ。

 鞠山選手は道場のアドレスにも動画のURLを送っていたので、立松がそれをクリックする。

 瓜子でも名前を知っている有名な動画サイトに、可愛らしい画像――世間では、それをサムネイルと呼ぶらしい――が、表示された。


「うわあ、かわゆい。鞠山選手はもともとマンガみたいなお顔だから、イラストにしてもまったく違和感がないねぇ」


「それ、本人の前では言わないでくださいね」


 そこに表示されたのは、魔法少女の姿をした鞠山選手と小柴選手のイラストであったのだ。

 二人の掲げた看板に『まりりん☆ちゃんねる』と記載されており、その画像の下には『#1《カノン A.G 》九月大会考察の巻』というテキストが見受けられる。


「九月大会の考察? ……ははん、つまりは敵方の的外れな考察に真っ向から反論しようってのか」


 立松は愉快げに笑いながら、その画像をクリックした。

 とたんに、聞き覚えのある楽曲が流れ始める。鞠山選手が入場曲として使っていた、自身の楽曲である。この妙に鼓膜を刺激する歌声を耳にするのも、ひさびさのことであった。


 映像は明滅を繰り返し、じわじわと不思議な変化を生じさせる。

 画面がフラッシュするたびに、イラストと同じポーズをした鞠山選手と小柴選手の姿が垣間見え、最終的にはそちらの映像で固定されたのだ。もちろん両名は魔法少女の姿であり、イラストとまったく同じ看板を左右から掲げ持っていた。


『魔法少女の世界に、ようこそだわよ。今から三十八分五十四秒、みんなを楽しませてあげるだわよ』


 その手の看板を下ろしつつ、鞠山選手はにんまりと微笑んだ。

 そのかたわらで、水色のエプロンドレスめいた衣装を纏った小柴選手は、もじもじと立ち尽くしている。


「すごいすごーい! これ、自分で作ったのかにゃあ?」


「どうでしょう? どっちにしろ、すごい労力っすよね」


 そんな労力をかけてまで、鞠山選手は何をしようとしているのか。

 瓜子は、心して拝見することにした。

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