インターバル
慌ただしい休日
《カノン A.G》の九月大会から一週間後、メイが新宿プレスマン道場に入門してから三日後――九月の第四日曜日である。
道場の稽古も副業の仕事もない完全オフ日であるその日、ユーリは朝から「うーん」と悩ましげな声をあげていた。
「ねえねえ、うり坊ちゃん。うり坊ちゃんをワンド様の熱烈な崇拝者と見込んで、ご相談があるのですけれども」
「なんすか? 茶化すつもりなら、暴力も辞さないっすよ」
「ユーリがうり坊ちゃんを茶化すなんて、そんなことあるわけないじゃないですかぁ。ユーリは魂の奥底から、うり坊ちゃんをお慕い申し上げているというのにぃ」
そんなふざけた言葉を吐きながら、ユーリはマットの上をごろごろ転がっている。自宅のマンションの、リビング兼トレーニングルームである。本日もなかなかの残暑であったため、ユーリはぴちぴちのタンクトップにジャージ素材のショートパンツというあられもない格好であった。
まあ、休日のユーリがだらしないのはいつものことであるが、本日は少々趣が異なっていた。室内に、『ワンド・ペイジ』の楽曲がそれなりのボリュームで流されていたのである。
これはユーリがライブイベントでお披露目する予定の、『砂の雨』という曲であった。かつて千駄ヶ谷から手渡された練習用のCDRソフトが、DVDデッキによってリピート再生されていたのだ。
今週から、ついにライブイベントに向けたスタジオ練習が開始されるのである。
それに向けて、ユーリは歌の自主練習と歌詞の暗記に勤しんでいたのだった。
「で、相談ってのは何なんすか?」
「うみゅ。実は、ワンド様の曲の歌詞についてなのだけれども……ユーリには、いまひとつ理解が及ばないのでぃす」
「理解って? ワンドの歌詞は、みんな日本語でしょう? ワンドは歌詞に英文を使わないってのがポリシーですからね」
「おおう! さすがうり坊ちゃんは、愛するワンド様のことを隅から隅まで知り尽くしておるねぇ」
「よし。暴力を行使させていただきますね」
「いやーん、およしになってぇ。……でね、ワンド様の歌詞は日本語なのに、ユーリのお粗末な頭では理解が及ばないのでぃす。『ベイビー・アピール』さんのほうは、べつだん問題もなかったのだけれどねぇ」
瓜子は小首を傾げつつ、自分も寝そべってユーリの手もとを覗き込んでみた。ユーリは課題曲の歌詞がプリントされた用紙を眺めていたのだ。
「理解が及ばないって、どういう意味っすか? そんな難しい言葉は使われてないと思いますけど」
「うみゅ。言葉の難しさでは、『ベイビー・アピール』さんのほうが上回っていたのじゃ。ホウラツだとかドウコクだとか、ふりがな無しでは読めなかったぞよ」
そんな風に言いながら、ユーリはつぶれた大福のような顔になっていた。
「それに比べて、ワンド様の歌詞はすらすらと読めるのじゃ。だが、しかし! その内容に、理解が及ばないのでぃす」
「だから、理解が及ばないの意味がわからないんですってば。書いてある通りに歌うだけでしょう?」
「でもでも、ワンド様のヒロ様は、歌に気持ちを込めるべしとアドヴァイスをくださったでせう? それでワンド様の曲をお借りするなら、こちらでも歌に気持ちを込めないとご不興を買ってしまいましょう。だのに! どのように気持ちを込めればよいものか、さっぱりわからんちんなのです」
「ああ、そういうことっすか。……ちょっとそれ、見せてもらってもいいっすか?」
瓜子はそこにプリントされている文字を、じっくり拝見させていただいた。
しかしまあ、課題曲である『砂の雨』と『ジェリーフィッシュ』はけっこう古い曲であるので、瓜子は数年ごしで聴き続けている。まるまる暗記しているとは言わないまでも、目や耳に馴染んだ言葉ばかりであった。
「うーん……確かに比喩表現は多いっすけど、そんなに難しい歌詞っすかねえ?」
「比喩表現とは? うり坊ちゃんの笑顔はおひさまのようにまばゆいとか、そういうこと?」
「やかましいっすよ。いったい何がわからないっていうんすか?」
「うみゅ。たとえばタイトルにもなっている、砂の雨! 砂の雨が心に満ちて足をひきずらせるって、どういう意味なのかしらん?」
「ええ? そこからっすか? だから、砂の雨っていうのは――」
「ふみゅふみゅ。砂の雨というのは?」
「……なんか、こういうのを解説するのって、こっぱずかしいっすね。そもそもそれは自分なりの解釈で、ヒロさんがどういう気持ちを込めたかは本人にしかわかりませんし……」
「いやいや! うり坊ちゃんほどワンド様を全身全霊で愛しておられれば、そこに秘められた思いを見誤ることもありますまい!」
「あ、用事を思い出したんで、失礼します」
「にゃー! 待って待って! もうからかわないから、お力を貸してよぅ」
「やっぱりからかってたんじゃないっすか!」
瓜子は問答無用で立ち上がろうとしたが、ユーリにTシャツのすそを両手でわしづかみにされてしまっていた。そうして瓜子を見上げるユーリの顔には、思いの外に必死な表情が浮かべられている。
(……まあ、ユーリさんもユーリさんなりに真剣なんだろうな)
瓜子がそんな風に考えたとき、ユーリが「うみゅ?」と小首を傾げた。
「ねえねえ、なんだか表が騒がしくない?」
「ああ、マンションの入り口に引っ越し屋のトラックが停まってましたよ。こんなに騒がしいってことは、このフロアの誰かが引っ越すってことっすかね」
このマンションは防音性に優れており、夜間にトレーニングをしても苦情を言われないほどであるのだ。
ともあれ、今は目前の問題に取り組まなくてはならなかった。
「それじゃあ、説明しますけど。絶対に茶化さないって約束できますか?」
「できるできるー! やっぱりうり坊ちゃんは優しいにゃあ」
「やかましいっすよ。……えーと、あくまで自分なりの解釈っすけど、この砂の雨ってのは苦しい時間のことです」
「みゅみゅ? 苦しい時間とな?」
「はい。砂時計の砂とでも思ってください。大切な人と別れてから、一分一秒を過ごすたびに砂が落ちて、どんどん心が重くなっていくっていう意味っすよ」
「えーっ! これってそんなに切ない歌詞だったにょ? まずいにゃあ。これ以上切ない歌詞のお歌が増えると、ユーリの脆弱なメンタルが大ピンチじゃ」
「いや、大丈夫っすよ。ほら、最後はただの雨が砂を流してくれてるでしょう? つまり、大切な人とまた一緒に過ごすことができるようになったっていう結末です」
「ほうほう! ではこの締めくくりに出てくる雨上がりの虹を渡るというのは、ハッピーな気分の比喩表現なのかしらん?」
「たぶんだけど、そうでしょうね。そう考えると、全体像が見えてくるでしょう? 前半は別れの辛さで、中盤は楽しい思い出の振り返りで、また揺り返しで苦しくなってから、最後は大切な相手と再会できてハッピーエンドっていう流れです」
自分の好きなバンドの歌詞を解説するというのは、なんとも面映ゆい心地であった。
「にゃるほどにゃるほど! ではでは、『ジェリーフィッシュ』のほうは? ユーリの調査能力を駆使したところ、ジェリーフィッシュとはクラゲさんのことのようですが」
「自分はクラゲみたいに骨がなくって、ぷかぷか浮かんでるだけの人生を送ってるって意味っすね。それが、大事な相手だか大事なモノだかと出会うことによって血肉や骨がついて、重くなったから海底に沈んでいくっていう……」
「えーっ! それじゃあ、バッドエンドなにょ?」
「いや、海底は暗いし水圧もすごいけど、深みにもぐらないと得られない幸福があるってことでしょう。……あくまで、自分の解釈っすよ? ていうか、それぐらいは誰だって想像つくでしょうに」
「いやいや、ユーリにはさっぱりわからんちんだったよぉ。クラゲさんのはかない一生を描いた曲なのかと思っておりましたわん」
「そこまで字面通りに受け取れるって、逆にすごいっすね」
「ともあれ、大枠はつかめたような気がするぞよ! ちょっとユーリももっぺん考えなおしてみるので、また疑問が生じたらお時間をいただけますでしょうか?」
「はい。頑張ってくださいね」
ユーリがプリント用紙に集中し始めたので、瓜子はリビングを出ることにした。今日はちょっと、電話をかけたい相手がいたのである。
ダイニングの席に腰を落ち着けて、『今、電話しても大丈夫?』というメッセージを送ると、たちまち着信音が告げられた。
「もしもし? こっちからかけようと思ったのに、申し訳ないっすね」
『イイですよー! ウリコがデンワなんてメズらしいから、ついついウレしくてジブンからかけちゃいましたー!』
そんなありがたいことを言ってくれるのは、瓜子の旧友たるリンであった。
『ドウしたんですか? やっぱり、ルイ・イッシキのことですか?』
『はい。彼女が参戦した《トップ・ワン》の試合映像を、なんとか観る方法はないかと思って』
《トップ・ワン》というのは肘ありのキックの興行で、リンも一色選手もそれぞれ別の階級で参戦していたのだ。メイが対戦相手の試合映像を余さず収集して研究し尽くすと聞いて、瓜子も少し見習おうかと考えた次第であった。
『うーん。ワタシも《トップ・ワン》のホウソウはロクガしてますけど、あれってダビングできないんですよねー』
「ああ、有料チャンネルの放送は、だいたいそうっすよね。DVDとかは出てないんすか?」
『KOトクシュウとかはデてますけど、ダンシセンシュのシアイばかりだったキがしますねー。でもワタシもヨくオボえてないから、シラべてみましょうか?』
「あ、それぐらいは自分で調べますよ」
『でも、ウリコはパソコンとかモってないからタイヘンでしょう? それに、そういうのってドージョーのヒトとかがやってくれないんですかー?』
「可能な限りはやってくれますけど、今回はMMAじゃなくキックの試合映像っすからね。DVDがレンタルで出回ってなかったら、そこであきらめると思います」
『ウリコは、アキラめきれないですかー? ドージョーのヒトにソウダンしたらドウですかー?』
「いや、いっつもお世話になりっぱなしだから、たまには自分で動いてみようかなって思ったんすよ。今は男子選手の試合が近くて、コーチ陣もお忙しい時期ですしね」
瓜子がそのように答えると、リンは楽しそうに『あはは』と笑った。
『ウリコって、エンリョブカいですよねー。でも、ワタシをタヨってくれてウレしいですー』
「あ、コーチ陣に遠慮してリンに甘えるってのは、ちょっと筋違いですね」
『ウレしいってイってるじゃないですかー! エンリョもドをコすと、ミズクサいですよー?』
イントネーションに若干のクセがあるものの、リンのボキャブラリーもメイに負けていなかった。
『それじゃあ、ルイ・イッシキのシアイエイゾウがDVDでデてるか、シラべてみますねー。……ところで、ウリコはシゴトじゃないんですかー?』
「はい。今日は一日、オフなんすよ」
『だったら、おヒルからアソびませんかー? さっき、ヨシカからレンラクがあって、カラオケにでもイこうかってハナシになったんですー』
ヨシカとは、もうひとりの旧友たる佐伯芳佳である。
「あ、そうなんすか。実はこっちも、昼からカラオケに行こうかってユーリさんと話してたんすよね」
『えー!? フタリでソトにアソびにイくことはメッタにないってイってませんでしたかー?』
「はい。普段はユーリさんも美容院だとか何だとかで忙しいんすけどね。今日は何の予定もなかったし、歌の練習をしなくちゃならない事情があるんすよ」
『ユーリさんもイッショにイけたら、スゴくウレしいですー! ウリコ、セットクしてくれませんかー?』
「はい。それじゃあちょっと聞いてみますね。あとでまたかけなおします」
瓜子は通話を終了させて、キッチンを出た。
そうしてリビングに戻る途中、廊下のカーテンを開いて下界を覗き見る。ちょうどすべての荷物を積み込んだところであったらしく、運送屋のトラックが出発する姿が見えた。
(五階の荷物を運び出すのって、大変そうだよなあ)
そんな呑気なことを考えながらリビングに踏み入った瓜子は、そこでぎょっと立ちすくむことになった。
だらしなく寝そべっていたユーリが正座をして、歌詞の書かれたプリント用紙を手に、はらはらと涙をこぼしていたのである。
「ど、どうしたんすか、ユーリさん?」
「うり坊ちゃん……ワンド様は、素晴らしいバンドだね! ユーリはお歌を聴いて涙をこぼしたのは初めてのことだよ!」
「え、いや、だけど、今日はもうずっと同じ曲をリピートしてましたよね?」
「歌詞の内容を把握するに至り、猛烈な感動が押し寄せてきたのじゃ! ワンド様って、どなたが歌詞を書いておられるの!?」
「そりゃあ、ヴォーカルのヒロさんっすけど」
「ヒロ様は天才じゃ! うり坊ちゃんがハートを撃ち抜かれるのも無理はなかろうて!」
瓜子は無言でユーリに近づき、そのピンク色の頭を優しくひっぱたいてやった。
ユーリは「えへへ」と笑いながら、頬を濡らす涙をハンドタオルでぬぐう。
「ともあれ、ユーリは感動した! このように素晴らしいお歌をユーリごときが歌うのは恐縮千万の限りであるが、そうであるからこそ、死力を尽くさなければなるまいて! うり坊ちゃん、やっぱり今日はカラオケにおつきあいいただけるかしらん?」
「あ、ちょうど今、リンと電話をしてまして、あっちもカラオケに行く予定だったから一緒にどうかってお誘いを受けたんすけど」
「ほうほう! ならばリン様たちにも、ユーリのお歌を評価していただきたい! ただし今日は課題曲の四曲しか歌わないので、そのおつもりで!」
ユーリも我を失っているせいか、意外なほどすんなりと了承を取りつけることができた。まあ、瓜子としては申し分ない結果である。
「でも、ユーリさんは大丈夫なんすか? あんまり感情移入すると、メンタルがもたないんでしょう?」
「それは悲しい曲の場合であるぞよ! このように希望にあふれた内容であったなら、ユーリのほうこそ元気をいただけるような心地であるのです!」
そう言って、ユーリはプリント用紙をひしとかき抱いた。
「『砂の雨』も『ジェリーフィッシュ』も、大切なものを手に入れて幸福になるってストーリーでありましょう? 特に、『砂の雨』! 大切なものをいったん失ってからまた取り戻すっていうシチュエーションが、うり坊ちゃんとの大ゲンカおよび仲直りを想起させてやまないのじゃ! 前半は苦しくてたまらないけど、そのぶん後半は幸福でたまらないのじゃー!」
「わ、わかったからちょっと落ち着いてください。……まあ、ユーリさんもワンドの曲を気に入ってくれたんなら、嬉しいっすよ」
「うんうん! ワンド様って、こんな素敵な歌詞が目白押しなのかしらん?」
「いや、他はもっと抽象的な歌詞が多くて、こんな風にストーリーっぽくなってるのは珍しいっすね。それに、けっこう暗い歌詞の曲も多いですし――」
そこで瓜子は、ハッと思い当たることになった。
そうであるからこそ、山寺博人はこの二曲を課題曲に選んだのではないだろうか?
あまり抽象的な歌詞だと、ユーリは感情を込めることが難しくなるし、暗い歌詞だとメンタルを削られてしまうかもしれない。そういったユーリの特性を踏まえた上で、山寺博人はもっともユーリに適した楽曲を選んでくれたのかもしれなかった。
(……あのお人も、きっとユーリさんの実力を認めてくれてるんだろうしな)
そんな思いを抱きながら、瓜子はユーリに笑いかけてみせた。
「とにかく、ユーリさんがどんな風に歌ってくれるか楽しみなところっすね。それじゃあリンに、オッケーの返事をしちゃいますよ?」
「応ッ! よろしく頼むぜよ!」
ユーリはすっかり、おかしなテンションに陥ってしまったようだ。
そうして瓜子がポケットの携帯端末を取り出そうとしたとき――来客を告げるチャイムが鳴らされた。
「あれ? 今のって、玄関のチャイムっすよね」
ということは、建物入り口のオートロックはすでに突破していることになる。
瓜子が首を傾げながら、玄関口を映すモニターを覗き込むと、そこにはさらなる驚きが待ちかまえていた。その画面上には、ワインレッドのパーカーを着込んだ小柄な娘さんが立ちはだかっていたのだ。
「ユ、ユーリさん。なんか、メイさんが来たんすけど」
「うみゅみゅ? 入り口のガラス扉は突貫ラッシュで突破してきたのかしらん?」
ともあれ、メイの訪問を無視することはできない。瓜子はインターホンで「少々お待ちください」と告げてから、ユーリとともに玄関に向かうことにした。
「どうしたんすか、メイさん? どうやってここまで上がってきたんです?」
メイは表情を殺しつつ、見覚えのあるものを瓜子たちにかざしてきた。
名刺と同じぐらいのサイズをした、このマンションのカードキーである。
「僕、隣の部屋、借り受けた。今日から、隣人」
「ええ? 隣に引っ越してきたんすか? ていうか、隣は空室じゃなかったはずですけど……もしかして、さっきの引っ越しが?」
「そう。住む権利、譲ってもらった」
「ええええ? メイさんが、隣の住人を追い出したってことっすか?」
「追い出してない。然るべき対価で、住む権利、譲ってもらった」
そういえば、この娘さんには資産家の養父がバックについているのである。
「いや、だけど……まだ道場に入門して、三日しか経ってないじゃないっすか。いったいいつの間に、そんなことに手を回してたんです?」
「入門、当日。養父、説得した後、マンションのオーナー、直談判した」
「……だったらどうして、それを当日まで自分たちに隠してたんです?」
メイはわずかに眉をひそめつつ、上目遣いで瓜子を見つめてきた。
「反対されたら、困るから……今も、反対されたら、困るけど……」
「いや、べつに反対してるわけじゃないっすけど」
「僕、隣に住む、許してくれる?」
メイは懸命に感情を押し殺しつつ、とても不安そうに瓜子を見つめていた。
やはり瓜子としては、凶悪な肉食獣になつかれたような心地である。
「べつに、自分の許しがいるような話じゃないでしょう。ただ、びっくりさせられただけっすよ。……本当に、無理やり隣の人を追い出したわけじゃないんすね?」
「うん。喜んで転居した、聞いてる」
ならば、その人物が喜ぶだけの謝礼金を準備したということなのだろう。こんな無茶な申し入れを承諾したマンションのオーナーも、また然りであった。
「つくづく恐ろしい話っすね。メイさんが敵じゃなくてよかったっすよ」
「僕、敵じゃない。チームメイト」
「わかってますって。とにかく怒ったりはしてないから、そんな不安そうな目つきをしないでください」
それでようやく、メイは表情をゆるめた。
笑みこそ浮かべてはいないものの、小さな子供のように純真であどけない面持ちである。瓜子の機嫌を損ねてしまったらどうしようと、よほど思い悩んでいたのだろうか。
「お話は終わった? ではでは、出陣の準備をしましょうぞ!」
と、ユーリがやおら大きな声を出した。
メイは目だけをぱちくりさせながら、そちらを振り返る。
「出陣……戦いに行く?」
「はいっ! カラオケ屋という名の戦場に! ……あ、よかったらメイちゃまもご一緒いたしますぅ? お引越し祝いで、おごっちゃいますぞよ!」
「ええ? ユーリさん、完全にネジが外れてるみたいだけど、大丈夫っすか?」
「たぶん大丈夫! 思いのままに生きるのが、ユーリの信条でありますので!」
ということで、なんとその日は瓜子の旧友たちに新たなチームメイトを紹介することになってしまった。貴重な完全オフ日であるのに、慌ただしい限りである。
だがしかし、誰にとっても不幸な出来事ではないだろう。瓜子としては、新生パラス=アテナからもたらされた鬱屈の日々に、ちょっとしたオアシスがもたらされたような心地すら抱かされていたのだった。
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