04 顔合わせ
『スターゲイト』における打ち合わせを終えたのちは、ファッション誌と漫画雑誌のグラビア撮影であった。
「うみゅうみゅ。なかなか過酷なスケジューリングだけれども、きっとこれって昼間に仕事を詰め込んでるからなのだよねぇ。お稽古の時間はきっちりキープできるように、千さんも頑張ってくれてるんだろうにゃあ」
ユーリはひたすらポジティブに、そんなコメントを発していた。
まあ、瓜子としても異存はない。今はただ、新たに舞い込んできたグラビアの仕事に頭を抱えているのみである。
だがしかし、逃れようのない運命に心を痛めていても、詮無きことだ。この鬱屈は当日まで眠らせて、瓜子も仕事に集中することにした。
そうして午後の時間もあっという間に過ぎ去って、いざ道場へと出陣だ。
が、そこでも瓜子を打ちのめす衝撃の事態が待ちかまえていた。
「じゃーん! 行きがけにゲットしちゃったー!」
本日は、灰原選手と多賀崎選手と小柴選手が集結する日取りであった。
時刻はまだ五時前であるというのに、すでに三名とも顔をそろえている。そして灰原選手が、本日発売のサードシングル特装版を瓜子の鼻先に突きつけてきたのだった。
「どうして……灰原選手が、そんなもんを買ってるんです?」
「えー? だってあのMV、サイコーだったじゃん! うり坊の水着姿、可愛かったしさ!」
そう言って、灰原選手は横目でユーリをねめつけた。
「あんたの歌なんて、これまではこれーっぽっちも興味なかったけどね! だからこれは、みーんなバックで演奏してる連中とうり坊の力ってこと! 勘違いすんなよなー、ピンク頭!」
「はいはぁい。まさしく仰る通りですので、返す言葉もございませぬぅ」
そういえば、灰原選手は『NEXT・ROCK FESTIVAL』にて、ユーリの歌に涙をこぼしていたのである。今回のシングルはあのステージに負けない仕上がりであるため、購入することにためらいはなかったのだろう。
瓜子がそんな思いを噛みしめていると、小柴選手がはにかむように微笑みかけてきた。
「わたしはネット通販で買わせていただきました。もう届いてる頃でしょうから、家に帰るのが楽しみです」
「はあ……お買い上げありがとうございます……」
「ほらほら! この水着とか、超かわいー! ヤナさん、見て見てー!」
「やめてくださいよ! お願いですから、それは個人でお楽しみください!」
まだ着替えも済ませていない瓜子たちがぎゃあぎゃあ騒いでいると、男子選手の面倒を見ていた立松が汗をふきながら近づいてきた。
「こんな時間に、出稽古のメンバーはもう勢ぞろいか。練習熱心でけっこうなことだが、何を騒いでやがるんだ?」
「うり坊の水着姿を愛でてたの! ほらほら、これも超かわいー!」
「やめてくださいってば! ……あの、立松コーチ、ちょっとお話があるんすけど」
瓜子がそのように言いかけたとき、入り口のほうでざわめきがあげられた。
多賀崎選手と小柴選手はぎょっとしたように身を引き、灰原選手はきょとんと目を丸くする。人々の注目を集めているのは、ワインレッドのパーカーを着込んだメイ=ナイトメア選手に他ならなかった。
「あ、あれ? 早かったっすね、メイ選手」
「うん。外から、君たちの姿、見えたから」
メイ=ナイトメア選手はポケットに両手を入れたまま、入り口のところで立ち尽くしている。深くかぶったフードと長い前髪のせいで、表情は判然としなかった。
瓜子は仰天している立松に意味もなくうなずきかけてから、メイ=ナイトメア選手のもとに駆け寄ることにする。
「こっちはこれから事情を説明するところだったんすけど……お義父さんのほうは、どうでした?」
メイ=ナイトメア選手は前髪の隙間から、瓜子を見つめてきた。
黒くて大きな目から、ぽろりと大粒の涙がこぼれる。
「許し、もらえた。……僕、入門できる」
「そうっすか! おめでとうございます!」
瓜子が思わず大きな声をあげてしまうと、メイ=ナイトメア選手は我に返った様子でごしごしと顔をぬぐった。
「次、そちらの説得。僕、入門のためなら、なんでもする」
「大丈夫っすよ。反対する人なんていないはずですから。とにかく、あがってください」
メイ=ナイトメア選手はスニーカーを脱いで、道場のマットを踏みしめた。
背中には、黒い大きなリュックを背負っている。きっと、稽古着が詰め込まれているのだろう。それを無駄にさせないために、瓜子は彼女を立松たちのもとまで案内した。
「突然のことで、すみません。折り入って話があるんすけど、ちょっとお時間をいただけますか?」
「ああ。ジョンはそろそろキックのレッスンだけど、俺の手は空いてるよ。ややこしい話なら、事務所に行くか?」
「えーっ! あたしらをのけものにしないでよ!」
灰原選手は立派な部外者であるが、それでも週の半分は出稽古に来ている身だ。同じ場で話を聞いてもらうことに異存はなかった。
ということで、奥のトレーニングルームの空いた一画に、話し合いの場を作っていただく。サキや愛音はまだ来ていなかったので、同席するのはユーリと外来の三名のみだ。
「実はですね、メイ選手の入門にお許しをいただきたいんです」
そのひと言のもたらした破壊力は、とてつもないものであった。
まあ、それが当然の話であろう。立松はあんぐりと口を開けており、多賀崎選手と小柴選手は目を見開いたまま固まってしまう。そして真っ先に騒ぎ出したのは、やはり灰原選手であった。
「にゅ、入門ってどういうことさ! そいつがプレスマンに入門するっての!? 負けた相手の軍門に下るなんて、バトル漫画じゃないんだから!」
「事情は、本人から説明するべきでしょうね」
瓜子がうながすと、メイ=ナイトメア選手は燃えるような目で立松を見据えた。
「僕、もっと強くなりたい。僕より強いウリコ・イカリと、一緒にトレーニングしたい。……そして、ウリコ・イカリを強くした君たちに、コーチをお願いしたい」
「はあ……しかしお前さんは、この猪狩に連敗したわけだよな。それでこいつにリベンジするよりも、一緒に稽古したいって考えに行きついたってのか?」
「そう。ウリコ・イカリと一緒に、夢をつかみたい。僕たちが、次に対戦するとしたら……《アクセル・ファイト》の、タイトルマッチ」
「《アクセル・ファイト》?」と、立松はうろんげに首を傾げた。
「メイ選手は、《アクセル・ファイト》と契約をして王者を目指すのが目的だそうです。それでまあ同門の選手だったら、タイトルマッチにでもならない限り対戦はないってことじゃないっすかね」
瓜子がそのように補足すると、立松はいっそういぶかしげに眉を寄せた。
「しかし、《アクセル・ファイト》との契約を目指すって言ってもなあ。そいつは、無理な相談だろ」
「どうしてっすか? メイ選手の実力は、本物っすよ」
「実力は関係ねえよ。それともお前さんがたは、二人そろって階級をあげるつもりなのか?」
今度は、瓜子が首を傾げる番であった。
立松は、呆れた様子で息をついている。
「あのなあ……《アクセル・ファイト》の女子部門には、六十一キロ以下級と五十六キロ以下級しか存在しないだろうが?」
「ええ? そ、そうなんすか?」
「ああ。そもそも女子部門が設立されたのは去年の話だし、五十六キロ以下級が制定されたのは先月の話だぞ。北米にはそれより軽い選手なんてそうそういないだろうし、ただでさえ軽量級ってのは人気が薄いからな。《アクセル・ファイト》だって、そうそう軽い階級を増やしたりはせんだろ」
瓜子は少なからず困惑しながら、メイ=ナイトメア選手を振り返った。
メイ=ナイトメア選手は同じ眼差しのまま、立松を見据えている。
「軽量級、人気がないのは、KOが少ないから。だけど、僕もウリコ・イカリも、KOできる。その力、見せつけて、《アクセル・ファイト》のプロモーター、考えを改めさせる」
「なるほど。それぐらいの意気込みで語ってるなら、文句はねえよ。……うちの門下生の勉強不足は別としてな」
瓜子は大いに恥じ入りながら、「押忍」と頭を下げてみせた。確かに瓜子は《アクセル・ファイト》の情勢など何もわきまえていなかったし、所属する女子選手もアメリア選手ぐらいしか知識になかったのだ。
「しかし、うちに入門ってのは唐突な話だな。どうしてまた、そんな考えに行き着くことになったんだ?」
「……ウリコ・イカリ、僕のこと、語ってない?」
「あ、はい。そんなほいほい人に喋る話じゃないかと思って……決してメイ選手のお話を軽んじてたわけじゃないっすよ?」
「わかってる」と、メイ=ナイトメア選手は熾烈な眼光のまま、口もとだけでやわらかく笑った。その姿に、灰原選手たちはまたぎょっとしたようである。
「僕、ウリコ・イカリとチームメイトになりたかった。それで、一緒に北米に渡りたいと思ったけど、断られた。だから、この道場に入門するしかないと思った」
「ははん。そりゃあまた、ずいぶん入れ込んだもんだなあ。あくまで、猪狩が目的ってことか」
「いや。ウリコ・イカリ、強さの理由、この道場にあると言った。僕、彼女の言葉、信じることにした。だから、この道場でトレーニングしたい」
「ふん。出稽古だったら、いつでも誰でも大歓迎だがね」
「出稽古、不十分。僕、入門したい。……どうしたら、許してもらえる?」
立松は角張った下顎を撫でながら、「そうだなあ」と思案した。
「その前に、ひとつ確認させてもらおうか。お前さんは、チーム・フレアに所属してるんだろ。だったら俺たちにとっては、敵対関係にあるはずだな」
「チーム・フレア、脱退する。もともと契約、一試合だったから、問題ない」
「一試合? それじゃあお前さんは、猪狩とやりあうためだけに、チーム・フレアに参入したってのか?」
「そう」と、メイ=ナイトメア選手はあっさりうなずいた。
立松は、ますます難しげな顔になってしまう。
「俺は年寄りの頑固者なんでね。そうほいほいと軒先を変えるコウモリみたいなやり口は、ちっとばっかり気に食わんな」
「いや、だけど、メイ選手はそんな軽薄なお人じゃないっすよ。それは、自分が保証します」
「保証たってなぁ。それじゃあお前さんは、こいつが敵方のスパイじゃないって保証できるのか?」
「できますよ。メイ選手がそんな真似をしたら、自分は坊主にでも何にでもなります」
「えーっ!」と悲鳴をユニゾンさせたのは、ユーリと灰原選手であった。
瓜子は苦笑して、ユーリのほうに視線を定める。
「なんすか、そのリアクションは? それじゃあユーリさんは、メイ選手にそんな疑いをかけてるんすか?」
「いや、そういうわけじゃないのだけれども……あまりに胸の痛む図を想像してしまったので……」
「想像しないでくださいよ。絶対にそんな未来は来ませんから」
そう言って、瓜子はメイ選手に向きなおった。
「メイ選手も、誓いますよね? プレスマン道場を裏切るような真似はしないって」
「しない。父と母の名に懸けて、誓う」
メイ=ナイトメア選手はいっそう爛々と双眸を燃やしながら、立松のほうに身を乗り出した。
それをしっかりと見返しつつ、立松は「ふん」と鼻を鳴らす。
「ずいぶん難しい日本語を知ってるんだな。……わかった。それじゃあとりあえず、一般門下生として迎えよう。プロ契約を結ぶかどうかは、お前さんの稽古っぷりをしばらく拝見してから決めさせてもらう」
「一般門下生? ……僕、ジムや道場、所属の経験ないから、仕組み、よくわからない」
「道場の仕組みなんてさまざまだろうが、うちの場合はプロと一般でくっきり分かれてるんだ。だけどまあ、面倒の見方にそれほどの差はないよ。若干、お客さんって扱いにはなるけどな」
そう言って、立松はユーリに笑いかけた。
「桃園さんなんて、プロ契約を結ぶのにほとんど二年がかりだったんだ。ぽっと出の人間をそうそうファミリーには迎えられねえよな」
ユーリは「にゅわあ」と幸福そうに身をよじった。
いっぽうメイ=ナイトメア選手は、黒い火のように両目を燃やしている。
「ファミリーでなく、お客さん。了解した。信頼、得られるように、努力する」
「ああ、そうしてくれ。それじゃあ事務所で、入門の手続きをしてもらおうか」
立松は立ち上がり、メイ=ナイトメア選手を事務所に案内した。
すると、硬直していた灰原選手らが瓜子に詰め寄ってくる。
「うり坊! これって、どういうことなのさ!?」
「北米にお誘いって、なんの話です? それはしっかりお断りしたんですよね?」
「そもそも、いつの間にあいつと仲良くなったんだよ? 試合の日なんて、猪狩のことを親の仇みたいににらみつけてたやつじゃないか」
三人がかりで問い詰められて、瓜子は説明に四苦八苦することになった。
しかしこれで、メイ=ナイトメア選手もひとまず入門することはかなったのだ。昨晩から目の当たりにしてきたメイ=ナイトメア選手のさまざまな姿を思い起こしながら、瓜子はひっそりと感慨を噛みしめることになった。
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