09 閉会式

 頭部と頸椎に甚大なダメージを負ったと診断された小笠原選手は、首にコルセットをかまされつつ担架に乗せられて、救急搬送されることになった。

 来栖選手と鞠山選手が、それに同行する。あとに残された瓜子たちは、忸怩たる思いで小笠原選手の無事を祈るばかりであった。


 そんな中で行われた、閉会式である。

 本日の参加選手は二十名であったが、閉会式に臨んだのは十四名のみであった。小笠原選手と前園選手とベアトゥリス選手は救急病院で、亜藤選手はボイコット、そしてさらにメイ=ナイトメア選手とオルガ選手も姿を見せなかったのである。


『えー、これまではベスト三賞というものが企画されていましたが、今大会からはベスト・ストライキング賞とベスト・グラップリング賞が廃止され、ベスト・バウト賞に統合されることになりましたァ! 賞金もひとつにまとめられて、もっとも素晴らしい勝利をあげた選手に贈られることになりまァす!』


 青コーナー陣営の選手たちは、誰もが沈痛な面持ちでケージの内部に立ち並んでいる。そんな中、リングアナウンサーの甲高い声がキンキンと鳴り響いた。


『それでは、栄誉あるベスト・バウト賞を獲得したのはァ……第十試合で勝利した、タクミ=フレア選手になりまァす!』


 タクミ選手が笑顔で進み出ると、凄まじい歓声と同じだけのブーイングが吹き荒れた。

 歓声は、名うての強豪たる小笠原選手を完膚なきまでに下した勝利への賞賛だろう。

 ブーイングは、小笠原選手が負かされた悔しさからか、チーム・フレアの理念に対する反感からか、あるいはベスト・バウト賞に相応しい選手は他にいるだろうという思いからか――瓜子には、判然としなかった。


『うん、いいねぇ。何度も言ってる通り、チーム・フレアはヒールだからさぁ。ちょっとブーイングが物足りないぐらいだったんだよねぇ』


 マイクを向けられたタクミ選手がそのように言いたてると、いっそうの歓声とブーイングが吹き荒れた。


『いいよいいよ。わたしの正しさは、これからも試合で証明し続けるからさ! ファンもアンチもしっかり目を見開いて、見届けてねぇ』


『いやァ、すごい反響ですねェ。それじゃあタクミ選手、今後の抱負を語っていただけますかァ?』


『ええ? 今、試合で証明するって言ったばかりじゃん! 野暮なお人だねぇ!』


 会場に、わずかばかりの笑い声も響いたようだった。

 もちろん瓜子は笑う気にもなれず、意気揚々と語るタクミ選手の姿を見据え続ける。


『ま、それじゃあ少しだけ語らせてもらうけど……思ってたより、外国人選手が不甲斐なかったね! 赤コーナー側で負けたのは、外国人選手ばっかなんだもん! 特にオルガには、ガッカリさせられたなぁ。まさか、あんなアイドルちゃんに後れを取るなんてねぇ』


 会場のブーイングが、一気に歓声を圧し始めた。これが、ユーリの人気であるのだ。

 しかしタクミ選手は不敵な笑顔のまま、さらに言いつのった。


『いいよいいよ。試合は結果がすべてだからね! 今日のところは、しかたないさ! あのアイドルちゃんの化けの皮が剥がされるまでは、せいぜいチヤホヤしてやるといいよ』


『確かに赤コーナー陣営で負けたのは、外国人選手ばかりですねェ。でも、オルガ選手とベアトゥリス選手とメイ=ナイトメア選手は、実力を見込んでチーム・フレアに参入させたんじゃないんですかァ?』


『うん。ベアトゥリスとはヴァーモス・ジムで一緒に汗を流してたから、その通りだよ。今日の負けは、まあ油断だね。相手がロートルだからって油断するなよって口を酸っぱくして忠告してたのに、けっきょく駄目だったね。ま、ベアトゥリスの実力は本物だから、いずれ自力で名誉を回復してもらいましょ』


『それじゃあ、オルガ選手は?』


『アレは、前評判だけでチーム入りさせちゃったんだよねぇ。ま、イヌカイと一緒で青田買いってところかな。なんせあいつは、まだ十九歳だったからさ! 実力はあっても、ムラがあるんでしょ。今日がその最低値だったってことじゃない?』


 そうしてオルガ選手を貶めることで、ユーリの価値までをも貶めようとしているのだ。リングアナウンサーはまた帳面に目を落としながらインタビューをしているので、これも台本通りの進行であるのだろう。


『あいつはアイドルちゃんがターゲットだって公言してたから、もう誰にも顔向けできないかもね。このまま尻尾を巻いてロシアに逃げ帰るようなら、わたしは止めないよ。どっちみち、バンタム級にはわたしがいるんだからさ! わたしのライバルになれるようなやつじゃなきゃ、用無しってこと!』


『なるほどなるほどォ。……それじゃあ、メイ=ナイトメア選手はどうなんでしょう? メイ=ナイトメア選手も姿が見えないみたいですけど、そんなにダメージがあったんですかァ?』


『いや。不貞腐れて、帰っちゃったよ。《スラッシュ》の元王者っていうから期待してたのに、しょせんはお山の大将だったね。あいつもチーム・フレアの器じゃなかったってことかな』


『それじゃオルガ選手とメイ=ナイトメア選手は、チーム・フレアを追放される可能性があるわけですかァ。なんだか、さびしいところですねェ』


『いやいや、チーム・フレアは実力主義だからね! 結果を残せない選手なんて、邪魔なだけさ!』


 そう言って、タクミ選手は瓜子たち青コーナー陣営の選手を見回してきた。


『今日の戦績は、五勝三敗! ま、そっちもなんとか三勝をもぎとったんだから、今日のところは褒めておいてあげるよ。だけどまあ、チーム・フレアの看板はわたしとルイだし、あとの三人もなかなか見どころがありそうだからね。でかい口を叩かれたくなかったら、とっととわたしらをこの場から引きずりおろしてみな』


 また歓声とブーイングが吹き荒れる。

 今度の歓声には、《アトミック・ガールズ》の精鋭たちに奮起してもらいたいという思いも込められているのだろう。瓜子は無言のまま、その歓声を噛みしめることになった。


『タクミ選手、ありがとうございましたァ! ……続きまして、パラス=アテナの新代表、黒澤代表から次回のイベントについてご説明をいただきまァす!』


 またブーイングが、歓声を圧倒した。タクミ選手は容姿やキャラクターからそれなりの人気を博しているが、記者会見で《アトミック・ガールズ》の存在をこき下ろした黒澤代表にはヘイトが集められているのだろう。


 脂ぎった顔をてらてらと輝かせながら、黒澤代表がケージに上がり込んできた。

 いくぶんブーイングに気圧されている様子であるが、それでもにやにやと笑いながらマイクを受け取る。


『えー、わたしのような者が長々と語らっても、ご不興を買うばかりでありましょう! まずは、こちらを見ていただきたく思います!』


 赤コーナー側の花道がスポットに照らされて、そこから四名の人間が列を為して入場してきた。

 その姿に、新たな歓声が巻き起こる。それは二名のラウンドガールと二名のピエロであり、その手には燦然と輝くチャンピオンベルトが掲げられていたのである。


 スポーティなビキニを着たラウンドガールたちは優雅な笑みを振りまきながら、《カノン A.G》のウェアを着たピエロたちはおどけたモデル歩きで花道を進み、ケージに踏み入ってくる。そうしてそれぞれが四方に向けて、チャンピオンベルトを高くかざした。


『先日発表されました通り、《カノン A.G》は階級名の変更やルールの改正にともない、これまでの王座をいったん白紙に戻しました! そして新たに四階級の王座を制定することを、ここに発表いたします!』


 ブーイングが消えたために、黒澤代表はいよいよ弁舌なめらかに語り始めた。


『四十八キロ以下、アトム級! 五十二キロ以下、ストロー級! 五十六キロ以下、フライ級! 六十一キロ以下、バンタム級! これらの王座を新たに制定し……そして来たるべき十一月の興行において、四大タイトルの王座決定トーナメントを開催することに決定いたしました!』


 歓声が、いよいよボリュームを増していく。


『取り急ぎ、初代王者を認定するために、今回は各階級から四名ずつの選手を選出し、ミニトーナメント戦を行っていただきます! マッチメイクに関しては、もう少々お時間をいただかなければなりませんが……本日勝利された十名の選手には、現段階で出場資格を授与したく思います!』


 瓜子は、ぐっと拳を握りしめた。

 瓜子やユーリをあくまで試合で叩きのめそうというなら、望むところである。


『アトム級は、イヌカイ選手と雅選手! ストロー級は、ルイ選手とイリア選手と猪狩選手! フライ級は、シャラ選手と魅々香選手! バンタム級は、タクミ選手とベリーニャ選手とユーリ選手! 以上の十名に六名の選手を加えて、四大タイトル王座決定トーナメントを、来たるべき十一月大会にて開催いたします! 皆様、どうか《カノン A.G》の歴史的瞬間をその目でお見届けください!』


 黒澤代表のそんな熱烈な言葉によって、閉会式は幕を閉じることになった。

 大歓声の中、選手はそれぞれの花道を辿って試合場を後にする。

 そうして入場口をくぐるなり、ユーリが感極まった様子で瓜子に身を寄せてきた。


「うり坊ちゃん! 王座決定トーナメントだって! ユーリもベル様もエントリーされるんだって! どうしようどうしよう!」


「どうしようったって、頑張るしかないでしょう。一回戦でベリーニャ選手と当たるかどうかはわからないんすからね」


「うんうん! でもまたベル様と同じトーナメントに出られるなんて、夢のようだよぉ!」


 ユーリは今にも昇天してしまいそうな浮かれようだった。

 瓜子はさまざまな気持ちに胸の中をかき回されつつ、ユーリの耳もとに口を寄せてみせる。


「ユーリさん。浮かれる気持ちはわかりますけど、マンションに帰るまではちょっとセーブしてもらえませんか?」


「うみゅ? そのココロは?」


「今はみんな小笠原選手の容態が心配で、ピリピリしてるんです。ユーリさんは小笠原選手が心配じゃないのかって責められたら、困るでしょう」


 ユーリはたちまち顔色を失って、噛みつくような勢いで囁き声を返してきた。


「ユ、ユーリだって小笠原選手のことは心配だけれども……うり坊ちゃんも、怒ってる?」


「怒ってませんよ。それじゃあ去年の二の舞ですからね」


 去年の無差別級王座決定トーナメントにおいて、ベリーニャ選手はサキの靭帯を破壊して勝利した。そんなサキの去就など関係なく、ユーリはベリーニャ選手と対戦できれば満足なのか、と――瓜子はそんな思いにとらわれて、ユーリとの関係を見限ろうとしてしまったのだった。


「たぶんユーリさんは、ふたつのことを同時に考えられないんでしょうね。楽しいことを考えてる間は、悲しいことを完全に忘れていられるお人なんですよ」


「あうう……それは人として、かなりの欠陥品なのでは……?」


「いや、欠陥じゃなくて、ただの個性だと思います。ただ一時的に忘れられるだけで、その悲しい気持ちが消えるわけではないんでしょうからね。それに、悲しい気持ちに嘘があるわけでもないはずです」


 そう言って、瓜子はユーリに笑いかけてみせた。


「自分はそんな風に、ユーリさんのことを理解してます。でも他のお人らはユーリさんのそういう複雑怪奇な個性をなかなか理解しにくいでしょうから、表面を取り繕うべきだと思いますよ」


「あうあう……みなさんに対する申し訳なさとうり坊ちゃんに対する愛おしさで、五体が弾け散ってしまいそうじゃわい」


 そんな言葉を交わしている間に、控え室へと到着した。

 ただ控え室の外には灰原選手が陣取っており、携帯端末で誰かと通話している。


「あ、お疲れー! トッキーは今、病院に着いたとこだってさ! とりあえず意識は戻って、受け答えにも問題ないみたいよ!」


「そうっすか。自分たちも押しかけるのは、迷惑っすかね?」


「うん。あたしも聞いてみたけど、家族でもない人間がこれ以上押しかけるのは駄目だってさー。とりあえず、診察が終わったら連絡するように、魔法老女に言っておいたから!」


 灰原選手の携帯端末から、キーが高いのに濁った声が何やら響いてくる。誰が老女だと、鞠山選手がわめき散らしているのだろう。


 とりあえず、瓜子たちはシャワーと着替えを済ませることにした。今日はすべての試合に注目が集められていたため、ほとんどの選手が試合衣装のままであったのだ。

 男性陣は追い出されて、二名ずつシャワーを浴びていく。その順番を待っていると、ちょっとしょんぼりしたマリア選手が語りかけてきた。


「小笠原選手、心配ですね。もっと期間があれば計画的にウェイトを落として、ベストコンディションで試合に臨むこともできたんでしょうけど……」


「そうっすね。でもこのオファーを蹴ってたら、小笠原選手は干されていた可能性もありますから……タクミ選手とやりあえる最初で最後のチャンスと思って、あきらめられなかったんだと思います」


「そうですね。どうせタクミ選手は、ユーリ選手かベリーニャ選手がやっつけちゃうでしょうから」


 そう言って、マリア選手は彼女らしからぬほろ苦い微笑をたたえた。


「こういうのって、イヤですね。わたし、格闘技は楽しくプレイしたいんです。普段だったら『やっつける』なんて言葉は絶対に出てこないのに……」


「しかたないっすよ。悪いのは、みんなあいつらです。一色選手やイリア選手に恨みはないっすけど、運営陣の目を覚まさせるために、自分は優勝してみせますよ」


「はい、頑張ってください。猪狩選手とユーリ選手のことは、全力で応援しますから」


 そうして順番が回ってきたので、瓜子たちも手早く汗を流すことになった。

 プレスマン道場のTシャツとジャージに着替えて、控え室の外に出る。そこにはすでに、プレスマン道場と赤星道場のセコンド陣しか居残っていなかった。


「スタッフにさっさと出ろとか言われたから、他の連中は駐車場に向かったよ。灰原さんが店を押さえてくれたから、そこで集合だ」


「そうっすか。とうてい祝勝会って気分じゃないっすけどね」


「それでも、腹は減ってるだろう? 飯を食いながら、鞠山さんの連絡を待つしかないさ」


 立松は瓜子の肩を叩きながら、力づけるように笑いかけてきた。


「それに今日は、赤星のみなさんも合流するってよ。ひと月ぶりに、可愛がってもらえ」


「え? 弥生子さんも来てくれるんすか?」


 瓜子が目を向けると、赤星弥生子は凛々しい表情のままもじもじとした。


「うん。もしもお邪魔でなければ、だが……」


「お邪魔なわけないじゃないっすか。ひさびさに弥生子さんたちとご一緒できるなら、嬉しいです」


「そうか」と、赤星弥生子は口もとをほころばし――

 そして次の瞬間、雷光のように目を光らせた。


 瓜子は感電したような心地で、思わず後ずさってしまう。

 しかし赤星弥生子の目は、瓜子ではなくその後方に向けられていた。

 おそるおそるそちらを振り返った瓜子は、ハッと息を呑む。

 関係者専用の薄明るい通路に、やたらと小柄なネズミ顔の小男がつくねんと立ち尽くしていたのだ。


「みなさん、本日はお疲れ様でした。……おひさしぶりですね、赤星弥生子さん」


「おお、お前さんはあのときのあいつか。いったいどのツラを下げて、俺たちの前に出てきやがったんだ?」


 そのように応じたのは、大江山軍造であった。

 その厳つい顔が、赤鬼のごとき笑みを浮かべている。


「お前さんは卯月を引き抜いて、赤星道場を壊滅寸前に追い込んだ大戦犯だろうがよ? 土下座したって、頭を踏み潰されるだけだぞ?」


「はて? 卯月選手が《JUF》に参戦されたのは、ご本人の決断であったかと思われますが」


 ネズミ顔の小男――ワンダー・プラネットの徳久は、大江山軍造の勇猛さに恐れ入った様子もなく、にこりと微笑んだ。


「本日は、ビジネスの話をお持ちしました。赤星弥生子さん、ちょっとお話をよろしいでしょうか?」


「……お前が私に、ビジネスの話だと?」


 赤星弥生子は、もはや本当に放電しているのではないかと思えるぐらい殺気だっていた。

 しかしやっぱり、徳久の笑顔は崩れない。


「はい。本日も試合場にて、沙羅選手が示唆されておりましたが……《カノン A.G》に参戦していただけませんでしょうか?」


「…………」


「さきほど発表されました通り、バンタム級の王座決定トーナメントには、タクミ選手とベリーニャ選手がエントリーされております。ここに赤星弥生子さんもご参加願えれば、まさしくこの階級における最強の選手が出そろうことになるのではないかと……そのように愚考した次第です」


「…………」


「このお話は、そちらにとっても大きなチャンスなのではないでしょうか? 《カノン A.G》はチーム・フレアの登場によって注目を集めているさなかでありますし、順当にいけば来年からは地上波における放映も実現し、ゆくゆくは《アクセル・ファイト》への架け橋にもなりましょう。日陰者であったあなたが、ついにお兄様と同じ場所に辿り着けるやもしれませんよ?」


 痩せこけた顔ににこやかな表情をたたえつつ、徳久の目には穏やかならぬ光がたたえられていた。

 それはどうやら――嘲弄の光であるようだった。


「わたしは、心を痛めているのですよ。わたしが卯月選手をスカウトしてしまったばかりに、あなたは《レッド・キング》などというささやかな興行に縛られて、日の当たる場所に出るすべを失われてしまいました。その罪ほろぼしの意味も兼ねて、あなたに大きなチャンスを――」


「今すぐ黙らなければ、その不細工な前歯をすべてへし折ってやろう」


 赤星弥生子は、重い鉈のような声で徳久の言葉を断ち切った。


「お前のようなペテン師の話には乗らない。赤星道場所属の選手は、すべてこの興行から撤退させてもらう。わかったら、二度と私の前にその醜い顔を出すな」


「井の中の蛙でいることをお望みですか。それでは致し方ありませんな」


 徳久は気取った仕草で一礼し、きびすを返した。


「それではあなたを傷害罪で訴えずに済むように、失礼いたします。どうぞお元気で」


 徳久はぴかぴかの革靴を履いているくせに、足音もたてずに立ち去っていった。

 その小さな背中が完全に見えなくなってから、立松は「なんだ、ありゃ」と言い捨てる。


「あのネズミ野郎は、何のためにわざわざ出向いてきやがったんだよ? あんなやり口で、本当に弥生子ちゃんをスカウトできるとでも思ってんのか?」


「いや、逆だろ。師範がしゃしゃり出てこないように、釘を刺しに来たのさ」


 と、大江山軍造が分厚い肩をすくめた。


「きっとあの沙羅って選手は上の連中の意向も仰がずに、独断で師範を挑発したんだろ。しかしあの秋代とかいう選手じゃ、とうてい師範にかなうわけがないからな。どうあっても、師範に参戦させるわけにはいかなかったのさ」


「なるほど、それなら納得だ。つくづく薄汚いネズミ野郎だな。……大丈夫かい、弥生子ちゃん? あんな輩のたわごとは気にするんじゃないぞ」


「ええ」とうなずいた赤星弥生子は、感情を隠したいかのようにまぶたを閉ざし、そしてそのまま瓜子に語りかけてきた。


「すまない、猪狩さん。今日のところは、失礼させてもらう。この埋め合わせは、いずれまた」


 それだけ言って、赤星弥生子は足早に立ち去ってしまった。

 マリア選手と大江山すみれが慌てて後を追い、大江山軍造は瓜子に苦笑を投げかけてくる。


「師範もお前さんがたとご一緒できるのを、楽しみにしてたのにな。これだけでも、あのネズミ野郎をぺしゃんこにしてやりたいぐらいだ。……頼むから、こんなことで師範を見限らねえでやってくれよ?」


「も、もちろんそんなことはしませんけど……でもどうして、弥生子さんはあそこまで徳久ってやつのことを毛嫌いしてるんです? 嫌うのは当然としても、ちょっと普通じゃありませんよね?」


「ああ。ただ卯月を引き抜かれたってだけじゃなく、他にも恨みがあるみたいだな。俺たちにも、そいつは教えてくれねえんだよ」


 そうして大江山軍造も、通路の向こうへと消えていった。

 取り残されたプレスマン道場の陣営は、困惑顔を見交わすばかりである。


 瓜子とユーリは、無事に難敵を退けることができた。

 しかし、心はまったく晴れない。この鬱屈を晴らすには、やはりチーム・フレアの首魁たるタクミ選手と一色選手を打ち倒し、パラス=アテナの目を覚まし――そして、ワンダー・プラネットの徳久との関係を断ち切らせるしかないように思われた。

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