03 開会式
マットの確認を終えた後は赤コーナー陣営の選手と交代して、メディカルチェックおよびバンデージのチェックである。
バンデージを巻くと着替えが面倒になるため、その前に試合衣装を着込むのが通例となっている。そうして瓜子たちも、ついに《カノン A.G》公式の試合衣装を纏うことになったのだった。
とはいえ、これは事前に購入して、すでに稽古でも着心地を確認していた。サイズや作りに不備などがあったら試合に支障が出てしまうため、どうしたって確認は必要であったのだ。
試合衣装は上下ともに、二種類ずつバリエーションが存在する。タンクトップかハーフトップ、ファイトショーツかショートスパッツというラインナップだ。
ファイトショーツというのは要するにトランクスで、MMAでは定番の試合衣装となる。こちらで準備されたファイトショーツはキックトランクスよりもやや丈が短く、ほとんどショートスパッツと変わらないていどの露出度であった。
デザインは嫌味でないていどに凝っており、いずれも《カノン A.G》のロゴマークと『ティガー』のブランド名がプリントされている。
カラーリングは、白、黒、赤、青、黄、緑の六色で、そのうちの二色を選んでツートンに仕上げられる仕様になっていた。
「女子選手の興行なんだから、普通はピンクとか入れそうなもんだけどねー。やっぱこいつは、ピンク頭のイメージカラーを入れてたまるかって考えなのかなあ」
灰原選手はそのように疑念を呈していたが、もちろん真相は闇の中である。
ちなみに瓜子が選んだのはハーフトップとファイトショーツで、カラーリングは白と黒であった。
ユーリはハーフトップとショートスパッツで、カラーリングは瓜子と同一だ。理由は、「うり坊ちゃんとおそろいがいいー!」ためである。
ちなみに余談だが、ユーリのハーフトップは特注品であった。恐るべきことに、XLのサイズでもユーリの巨大な胸は収まりきらなかったのだ。
このXLのサイズというのは六十一キロ以下級で骨格の頑健な外国人選手が計量後に五キロ以上リカバリーしても対応できるサイズであるはずなのに、ユーリが着るとハーフトップの下側に隙間ができてしまい、それで寝技の攻防などを行ったら簡単にめくれあがってしまうということが判明したのだった。胸を守るチェストガードでいささか嵩が増しているとしても、まったく規格外と言えることだろう。
それはさておき、選手とセコンド陣が入場時に纏うウェアも、指定品の着用が義務づけられている。こちらは競技用のTシャツおよびフードつきジャージの上下で、ベースの色が黒であり、そこにツートンのカラーを指定できるようになっていた。
瓜子とユーリが黒と白を指定したために、セコンド陣も同じものを注文することになった。なおかつ全員、購入したのはTシャツとジャージのボトムのみである。これらのアイテムはすべて自腹で購入しなくてはならないため、さして出番もなさそうなジャージのトップスまでそろえる気にはなれなかったのだ。
「関係者の全員に、こいつを買わせてるわけだからな。ティガーや運営陣は、それだけでもウハウハだろうさ」
意に沿わない衣装を着させられた立松は、皮肉っぽくそのように言っていた。
これらの衣装は、すでに一般販売もされている。選手とまったく同じものを身につけられるなら、ファンも購入意欲をかきたてられるのかもしれないが――好きでこのようなものを着ているわけではない瓜子たちにしてみれば、複雑な心境であった。
「こんなもん、このクソ団体がぶっ潰れたら一生タンスのコヤシなんだからなー。まったく、無駄な出費だぜ」
サキがそのように言い捨てると、ウォームアップに励んでいた小笠原選手が鋭くそちらを振り返った。
「サキ。アンタは何かっていうと、すぐにそれだね。アンタはアトミックが潰れることを願ってるの?」
「あん? おめーらは、あのド腐れどもをぶっ潰すためにいきりたってるんじゃねーのかよ?」
「アタシらが潰そうとしてるのは、チーム・フレアの連中だよ。舞さんたちが守ってきたアトミックを、絶対に潰してたまるもんか」
「だから、《カノン A.G》をぶっ潰して《アトミック・ガールズ》を取り戻すって話じゃねーのか? 団体名が元に戻ったら、こんなだっせーコスチュームは使い道がねーだろ」
小笠原選手は、「ああ」と苦笑した。
「そういう意味なら、いいんだよ。悪いね。つっかかる気はなかったんだけどさ」
「はん。無理な減量で気が立ってるんじゃねーのか? 爆発すんのは、試合まで取っとけや」
確かに、急な減量で六キロも落とした小笠原選手は、体調が心配なところであった。
武魂会と天覇館と新宿プレスマン道場、この連合軍を結びあわせたのは、まぎれもなく小笠原選手であったのだ。若年ながらもリーダー的な資質と吸引力を持った小笠原選手は、この一団の精神的な支柱であるはずであった。
(自分やユーリさん、それに雅選手なんかにはとうてい務まらない役割だもんな。その分は試合で活躍して、お力になってみせよう)
そうして全員のメディカルチェックとバンデージのチェックが終わる頃には、開場の時間も目前であった。
◇
開場から三十分が経過したならば開演の時間となり、開会式の始まりだ。
開会式の段取りは、これまでと大きな違いもない。ただ、ケージの内側には踏み入らず、その周囲を囲むように立ち並ぶのだという話であった。
「それでは、スタートします! 試合の順番で名前をコールされますので、あらかじめ整列をお願いします!」
スタッフは、今日も汗して業務に励んでいる。その身に纏っているのは試合衣装とともに物販ブースで販売されている、公式グッズのTシャツであった。
入場口の裏の通路に、選手と付き添いのセコンド陣が立ち並ぶ。昨日の公開計量と同じような様相であったが、全員が公式のウェアを着込んでいるのがおかしな感じであった。なんだかまるで、団体競技のチームであるかのようだ。
しかしこのたびは、チーム戦という一面も確かに存在する。青コーナー陣営では亜藤選手を除く九名が、チーム・フレアの打倒を誓っているのだ。個人競技であるMMAに相応しい行状であるかどうかはともかくとして、参加選手の意気は普段以上に高まっているように感じられた。
しばらくすると、昨日も聞いた《カノン A.G》のテーマソングが爆音で流され始まる。
そしてやはり、昨日も聞かされたラップチームの若者の甲高い声が扉の向こうから響きわたった。
『それでは記念すべき《カノン A.G》の旗揚げ大会を開始いたしまァす! みなさん、盛り上がっていきましょうッ!』
二千名からの観客たちは、大歓声で応えている。
これもまた善し悪しは別として、チーム・フレアの登場によって興行は大いに盛り上がっているようであった。
そうして昨日と同じように、後藤田選手から順番に名前を呼ばれていく。
瓜子の出順は七番目、魅々香選手の後で雅選手の前だ。
瓜子が順番を待っていると、背後から雅選手が囁きかけてきた。
「なぁ、瓜子ちゃん。どうしてうちらは、こないな順番なんやろねぇ? うちと瓜子ちゃんを入れ替えたら、元王者の選手はええ感じにウェイトの軽い順番になるのになぁ」
「え? それはまあそうですけど……別に今回はタイトルマッチじゃありませんし、自分より雅選手のほうが格上だから、こういう並びになったんじゃないっすか?」
「タイトルマッチやのうても、うちと瓜子ちゃんとあの物体は直近の王者やんかぁ? そんで、メインイベントは無差別級のトップファイターやった朱鷺子ちゃんなんやから、うち、瓜子ちゃん、物体の順番にしたほうが、収まりええやろぉ?」
そう言って、雅選手はにんまり微笑んだ。
「たぶんやけど、これは赤コーナー側の格で順番を決めたんやろなぁ。勝算が高い見なした三人をラストに集めたんちゃう?」
チーム・フレアのラスト三名とは、タクミ選手、オルガ選手、ベアトゥリス選手だ。それはいわゆる、チーム・フレアの第一期生でもあった。
「自分はそれより、一色選手がトップバッターってのが気にかかってたんすよね。第一期生の中で、彼女には期待がかけられてないってことなんでしょうか?」
「逆やろ。チーム・フレアが初っ端から負けたら赤っ恥やから、よっぽど自信があるとちゃう?」
それは確かに、期待をかけていない選手にトップバッターを任せるとは考えにくかった。
「まあやっぱり、第一期生の仕上がりには自信があるってことなんでしょうね。ベアトゥリス選手の経歴はいまひとつ謎っすけど、自分は雅選手の勝利を信じてますよ」
「あらうれし。瓜子ちゃんにそないな激励いただいたら、たぎってまうわぁ」
雅選手は今にもうねうねと絡みついてきそうな気配であったが、幸いなことにそこで瓜子の名前がコールされた。
瓜子が扉の外に足を踏み出すと、たちまち歓声がうなりをあげる。
「瓜子!」や「うりぼー!」のコールも健在だ。瓜子はそれをありがたく思いながら、歩を進めることができた。
スタッフの誘導で、ケージの外側に立ち並ぶ。赤コーナー陣営の選手はケージをはさんで向こう側に並んでいるため、そこには頼もしき同盟軍の顔しかなかった。
そしてメイ=ナイトメア選手の名がコールされると、小さからぬブーイングが発せられる。
昨日の公開計量でも実感していたが、どうやらメイ=ナイトメア選手は従来のファンからけっこうな反感を買ってしまっているようだ。もともと外国人選手には風当たりが強いものであるし、わずか二ヶ月でリベンジマッチというのが釈然としないのだろう。
(まあ、いい試合をすれば、こんなブーイングも吹き飛ぶさ)
そうしてすべての選手が入場したのちは、メインイベントの赤コーナー陣営であるタクミ選手から挨拶が為される。
『やっとこの日がやってきたね! これまで焦らしてきたぶん、今日は楽しませてあげるよ!』
客席からはわずかなブーイングと、それを圧する歓声が巻き起こっていた。
千駄ヶ谷や鞠山選手いわく、タクミ選手はインターネット上でもそれなりの人気であるという。従来の《アトミック・ガールズ》を否定してやまない彼女であるが、そこには一抹の正論も含まれているため、大きな反感は買っていないようであるのだ。
「それにあいつは、しきりに舞ちゃんをダシにするからだわね。世界に羽ばたけなかった舞ちゃんを悲劇の主人公に仕立てあげて、その無念を自分が晴らすなんてほざいてるから、従来のファンからも支持を得られるんだわよ」
鞠山選手などは、そのように分析していたものであった。
何にせよ、選手である瓜子たちは試合で語るしかない。タクミ選手を黙らせる役割は小笠原選手に任せて、瓜子も自分の試合に集中する所存であった。
『タクミ選手、ありがとうございましたァ! それでは、選手退場でェす!』
リングアナウンサーの甲高い声に従って、瓜子たちは花道を戻った。
扉の裏には、天覇館竜ヶ崎支部および川崎支部のコーチと雑用係の女子選手、それに来栖選手と鞠山選手が控えている。最初の二試合に出場する後藤田選手および前園選手のセコンド陣だ。
「後藤田選手、前園選手、頑張ってください」
口々に激励を送って、瓜子たちは控え室に帰還する。
今大会から、入場口裏の待機は次試合の陣営のみと改正されていた。三試合目の登場となる小柴選手は、控え室の前で最後のウォームアップだ。小柴選手のセコンドは、天覇ZEROのコーチと灰原選手、多賀崎選手であった。
いっぽう控え室においては、オリビア選手が忙しそうに立ち働いている。
彼女は小笠原選手のセコンドという名目であったが、来栖選手と鞠山選手の手が空くまでは、雅選手や魅々香選手の雑用係も受け持っていたのだ。《カノン A.G》からの離脱を宣言したオリビア選手も、そうして懇意にしている人々のために力を尽くしてくれているのだった。
まさしくこれは、チーム戦だ。
チーム・フレアとそれにあらがう同盟軍の、戦争である。
その開戦は、もう目前に迫っていたのだった。
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