02 ルールミーティング

 そして、翌日――九月の第三日曜日である。

 ついに、《アトミック・ガールズ》あらため《カノン A.G》九月大会の当日であった。


 場所は前回と同じく、PLGホール。収容人数二千名ていどの、中規模会場だ。

 千駄ヶ谷がパラス=アテナから締め出しをくらってしまったため、もはや内情は闇の中となってしまったが、公式サイトから発信される動画によると、前売りチケットは立見席まで完売の運びとなったそうだ。


 きっと世間は、「恥ずべき時代を払拭する」などというお題目を掲げた《カノン A.G》に、強い関心を寄せているのだろう。

 チーム・フレアとは、どれだけの実力であるのか。これまで《アトミック・ガールズ》で戦ってきた選手たちは、本当に太刀打ちできないのか。そして、八百長疑惑をかけられたユーリの実力は、本物であるのか――誰もがそのような思いにとらわれているに違いなかった。


 ちなみに、ユーリのブログ経由でチケットを購入する人間も、まったく数を減じていないとのことであった。

 パラス=アテナの仕掛けたスキャンダルによって、ユーリのアンチは急増中とのことであったが。もともとのファンがユーリを見限ったりは、まったくしていないのだろう。千駄ヶ谷や鞠山選手からの情報によると、ネット上ではユーリ以上にデマカセの記事を掲載した週刊誌に非難の目が集まり、絶賛炎上中とのことであった。


 ユーリが今日の試合で確かな実力を証し立てることができれば、これまでのファンたちも胸を撫でおろすに違いない。そして、ユーリのアンチとかいう不逞の輩どもも、少しは大人しくなるはずだ。

 何度も修羅場をくぐり抜けてきたユーリであるが、今日こそは最大の正念場であるはずであった。


「よし。それじゃあ、行きましょう」


 タクシーで会場に辿り着いた瓜子とユーリは勇躍、控え室へと乗り込むことになった。

 会場前の掲示板や通路には、本日の興行のポスターがべたべたと張られている。

 旧運営が掲げた『そうる・れぼりゅーしょん』という本年のシリーズ名は撤廃され、この九月大会のイベント名は『Canon A.G 1』となる。最近はそういったナンバリングのみをイベント名にするのが流行であったのだった。


 ポスターには、上段に赤コーナー陣営の選手が、下段に青コーナー陣営の選手がプリントされている。

 べつだん画像のサイズなどに差はつけられていなかったが、《カノン A.G》のロゴはチーム・フレアのイメージカラーである赤と黒のツートンで、背景もその色合いで統一されている。なおかつタクミ選手たちは試合衣装を纏っていたため、どこからどう見ても主役級の扱いであった。


 そんなポスターを横目に通路を進むと、入場口前のスペースに物販のブースが設営されている。

 そこでも《アトミック・ガールズ》のロゴが入った過去のアイテムは一掃され、《カノン A.G》の新たなグッズが目白押しであった。

 言うまでもなく、ユーリのCDが置かれることもない。サードシングルは今週発売予定であったが、今後もそれがこの場所に並ぶことはないだろう。少なくとも、現在の運営陣が心を入れ替えない限りは。


「……控え室に着く前から、すっかりアウェイ気分っすね」


 瓜子がそのようにつぶやくと、ユーリは「あはは」と無邪気に笑った。


「うり坊ちゃん、なんか楽しそう! アウェイ気分を満喫してらっしゃるの?」


「ええ。もちろん自分を応援してくれるのはありがたいんすけど、アウェイでブーイングを受けたほうが燃えるんすよね。……一月大会でセコンドのユーリさんに大歓声があがったときも、アウェイ気分で燃えましたし」


「にゅわー! それは言いっこなしでしゅよぅ」


 そんな言葉を交わしている間に、控え室へと到着した。

 とたんに、見慣れた面々が方々から声をかけてくる。


「おー、来た来た! 遅いよー! うり坊たちが、最後なんじゃない?」


 と、灰原選手が横合いから瓜子にからみついてくる。

 本日は出場予定のない灰原選手たちも、あちこちの選手のセコンド役として名乗りをあげていたのだった。


「あたしとマコっちゃんは、コッシーのセコンドね! あとは入り乱れてて、よくわかんない!」


 もちろんチーフセコンドには正規のコーチ陣がつくため、それ以外の二枠を女子選手たちが埋めているのだ。なおかつ、来栖選手や鞠山選手などは、複数の選手のセコンドにつくのだという話であった。


 よって、合宿稽古などで交流を深めた選手は、勢ぞろいしている。

 出場するのは、小笠原選手、小柴選手、魅々香選手、雅選手。それに、最近になって知遇を得た、後藤田選手、前園選手。

 セコンド役となるのは、来栖選手、鞠山選手、灰原選手、多賀崎選手、オリビア選手という顔ぶれだ。


 なおかつ本日は、マリア選手も出場する。

 そのセコンドは、なんと赤星弥生子に大江山父娘という布陣であった。


「おひさしぶりです、弥生子さん。今日もセコンドを務められると聞いたときは、ちょっとびっくりしました」


 瓜子がそのように声をかけると、赤星弥生子はいつもの調子で「うん」とうなずいた。


「普段はハルキたちに任せているが、今日はちょっと……状況が違うからな。私自身の目で、《カノン A.G》という興行や運営陣の様相を確認しようと思う」


 そのように語る赤星弥生子は、普段以上にびりびりとした電気のようなオーラを纏っている。ワンダー・プラネットの徳久は、どこまでこのたびの騒動に関わっているのか――赤星弥生子の関心は、そこにあるのかもしれなかった。


(本当にあいつが首謀者だったら、マリア選手や大江山さんを《カノン A.G》から撤退させるつもりだって言ってたもんなあ)


 どうして赤星弥生子がそこまで徳久という男を目の敵にしているのか、瓜子はけっきょくそれを尋ねられないままでいた。迂闊なことを言うとボタン鍋にされてしまいそうであったし、せっかく繋げた赤星弥生子とのご縁を台無しにしたくなかったのだ。


 ちなみにセコンド役の一件も、本人がわざわざメールで知らせてくれたのである。彼女がそうして時おり垣間見せる人間らしい一面に、瓜子は心をひかれつつあったのだった。


「まったく、賑やかなこったな。しかし、こうまで見知った顔が居揃うってのは、なかなか心強いもんだ」


 立松は、そのように言って笑っていた。

 新宿プレスマン道場の本日の布陣は、立松、ジョン、サキ、愛音、そして柳原という顔ぶれである。サイトーも手は空いていたのだが、けっきょくサキがユーリと瓜子の両方の面倒を見たいと志願したため、この人数となったのだ。


 おおよその相手は出稽古と合宿稽古でご縁を深めているし、打倒チーム・フレアという共通の目的を掲げている。その場には、熱気と活力に満ちみちた空気が形成されることになった。

 そんな中、亜藤選手を始めとするガイアMMAの陣営だけが、わずかに壁を作っているように感じられた。MMAスクールの講師役というご褒美をもらった彼らは、新生パラス=アテナと波風を立てたくないという思いであるのだろう。また、ユーリ個人と交流を深めていなければ、そうまで目くじらを立てる必要もないのかもしれなかった。


「それじゃあ、そろそろ時間だな。ルールミーティングに向かうとするか」


 立松の号令で、青コーナー陣営の一団は試合場に向かうことになった。

 広々としたアリーナの中央には、八角形のフェンスに囲まれた試合場――ケージが、すでに組みあげられている。ついに瓜子たちも、この場で試合を行うのだ。


 いざ眼前に迎えてみると、やはり大きい。

 かつて《アトミック・ガールズ》で使われていたリングは一辺が六メートルていどであったが、《カノン A.G》で使用されるケージは幅が七・六メートルていどであると事前に通達されていた。プロモーションによっては幅九メートルていどのケージが使われることもあるという話であったので、これでも女子用にカスタマイズされたサイズであるのだった。


 フェンスの高さは百八十センチほどで、それが八本の柱に支えられている。フェンスは黒い樹脂でコーティングされており、柱も弾性のあるカバーで包まれている。マットには《カノン A.G》の巨大なロゴマーク、柱にはスポンサーのロゴマークがそれぞれプリントされていた。


 八角形の、対面となる二辺が扉になっており、現在は両方とも開放されている。

 そしてマット上では、すでに赤コーナー陣営の選手たちが思い思いにストレッチなどをしていた。


 チーム・フレアの八名と、外様のベリーニャ選手、およびジジ選手だ。

 チーム・フレアの面々は、当然のように全員が《カノン A.G》公認のウェアを纏っていた。

 公式ウェアは競技用の半袖Tシャツとジャージの上下で、こちらにもさまざまなカラーバリエーションが存在する。しかし、チーム・フレアの選手たちは全員が赤と黒のカラーリングであったため、チーム感も満載であった。


「ふん。あれが、犬飼の娘さんか。画面で見るより、いっそう小さいな」


 頭上に重々しい声が響いたので、瓜子は思わずそちらを見上げてしまった。

 そこに浮かんでいたのは、赤星道場の師範代、大江山軍造の赤ら顔だ。


「あいつが俺たちを逆恨みしてるってんなら、説教のひとつでもしてやるのが親切ってもんだろうが――」


「よせ」と、赤星弥生子が鋭く言いたてた。


「犬飼拓哉さんが赤星道場に反発して出ていったのは、事実なんだ。それを逆恨みと断ずるのは、あまりに傲慢だろう」


「犬飼が試合で勝てなかったのは、俺たちのせいじゃない。それを恨むのは筋違いじゃないのかい?」


「……赤星大吾を恨む人間は、両手の指に余るほど存在する。それらのすべてが、逆恨みであると?」


 大江山軍造は閉口した様子で、もしゃもしゃの髪をかき回した。


「そりゃああの頃の大吾さんは、爆弾みたいなお人だったけど……それでも、筋は通す人間だった。大吾さんが全面的に悪いってことはないはずだ」


「かといって、全面的に正しいわけがない。私ほど、それを知る人間はいないはずだ」


「わかったよ。俺は今のうちに、大和さんでも探してこよう。マリアの世話は頼んだぞ、すみれ」


 大江山すみれはいつも通りの穏やかな笑顔で、「はい」と応じていた。

 それを横目に、瓜子はケージへと歩を進める。赤星道場とドッグ・ジムの確執についてはとうてい他人事とも思えなかったが、今は試合に集中しなければならないのだ。


 ケージの舞台はリングと同じていどの高さであったので、入り口には短いステップが設置されている。それを通過して、瓜子たちはいざケージの舞台を踏みしめた。

 足もとの硬さや弾力は、リングとさほど変わらない。

 現在は二十名もの選手たちが押し寄せているので、ずいぶん狭苦しい状態になっているが。それでもやはり、途方もなく広々と感じられた。


 四角形と八角形では比べにくいところだが、単純な面積ではケージのほうがまさっているはずであるし、形も円に近いため、とても自由度が高そうである。

 アウトタイプの足を使う選手には、さぞかしありがたいことだろう。これだけで、一色選手やマリア選手には有利が生じそうであった。


(正直言って、初戦が一色選手じゃなかったのはラッキーだったな。……まあそれでも、地力はメイ選手のほうが上だろうけどさ)


 瓜子がそのように考えている間に、レフェリー役の二名がケージの舞台へと上がってきた。


「出場選手はそろっていますね? セコンドの方々は、フェンスの周囲で話をお聞きください」


 レフェリーたちは、これまで通りの顔ぶれであった。MMAのレフェリーをできる人間など数が限られているので、おおよそは余所の興行でケージの試合も経験済みであるのだろう。

 赤コーナー陣営の選手たちがレフェリーの右手側に寄り集まったので、青コーナー陣営の瓜子たちはその逆側に腰を据えることになった。


「では、ルールミーティングを開始します。今回の大会からさまざまな変更点が生じたので、くれぐれもご注意ください」


 粛々と、ルールミーティングが始められた。

 瓜子もこれまで以上に集中して、レフェリーの言葉に耳を傾ける。正々堂々とチーム・フレアを打ち負かすには、まず反則行為を回避しなければならないのだ。道場に送られてきた通知書だけでは読み取れなかった点などがありはしないか、細部もらさず聞き届ける必要があった。


「……ケージとリングでは、やはりさまざまな点が異なってきます。最大の違いは、やはりロープとフェンスについてでしょう。リングにおける試合においては、ロープやコーナーを押したり蹴ったりという行為も反則になりますが、ケージにおいてはフェンスやコーナーを押すことも蹴ることも有効です。ただし、フェンスをつかむ行為だけは反則となりますので、気をつけてください」


「また、ダウン制度が廃止されたことにより、レフェリーストップの見極めが厳しくなる傾向もあるかと思われます。たとえフラッシュダウンであっても、意識が飛んだ直後に攻撃が加えられるのはきわめて危険な状況であるため、我々は安全性を重視したレフェリングを心がけたいと思います」


「今大会から肘打ちの攻撃も有効とされましたが、垂直に肘を落とす攻撃は反則となります。他のプロモーションにおいても、組みついてきた相手に肘打ちを落とす際、角度が垂直となって反則を取られるというパターンが多いので、十分に注意してください。なお、下から上に振り上げる肘打ちであれば角度が垂直でも反則とはなりませんので、誤認のないように」


 そうして話は、投げ技に関する変更点に及んだ。

 そこでマリア選手が、「はーい!」と元気に挙手をする。


「ルール上、頭や首がマットと垂直になる形だけが反則ということになりましたよね。後頭部から落とすスープレックスなんかは有効ということで間違いなかったですかー?」


「後頭部から落とすということは、首がマットと垂直になることもありえないでしょう。よって、反則とは見なされません」


「はーい、ありがとうございましたー!」


 やはりスープレックスの使い手であるマリア選手としては、重要な箇所であるのだろう。彼女やユーリはこれまでスープレックスを繰り出す際、頭から落とさないようにわざわざ身体をひねる必要に迫られていたのだ。


(後頭部への打撃技は、キックでもMMAでも重大な反則だもんな。やっぱり後頭部への衝撃ってのは、たいそう危険なもんなんだろう)


 しかし、後頭部をマットに叩きつける投げ技は、今大会から有効となる。マリア選手のスープレックスは、これまで以上に危険な技になるということであった。


「……以上で、こちらからの説明は終了となります。質問がなければ、赤コーナー陣営の選手はメディカルチェックを、青コーナー陣営の選手はマット等の確認をお願いします」


 マリア選手の他に質問の声をあげる人間はいなかったため、赤コーナー陣営の選手たちはぞろぞろとケージを出ていった。

 その中から、黒ずくめのウェアを着込んだベリーニャ選手がこちらに近づいてくる。ユーリは期待に瞳を輝かせ、そしてその期待は無事に報われた。


「ピーチ=ストーム、ニカゲツぶりです。おゲンキでしたか?」


「はいっ! ユーリはいつも元気満点でありまする!」


「ヨかったです」と、ベリーニャ選手は微笑んだ。

 そうして彼女はいっそうユーリに顔を近づけて、ユーリの心臓をいっそう騒がせた。


「ワタシ、イマのウンエイジン、あまりシンヨウしていません。……でも、ピーチ=ストームとシアイしたいから、ニホン、ノコるコトにしました」


「ひょえええ……それはそれは、恐悦至極でございまする……」


「キョーエツシゴク、ワかりません。……ただ、ワタシのファミリー、アメリカにモドってこい、イっています。ワタシ、サンガツまでドクセンケイヤクなので、アメリカでもシアイはデキないのですが、それでもカマわない、イわれました。ワルいウワサ、アメリカまでトドいているです」


 そう言って、ベリーニャ選手はいっそうやわらかく微笑んだ。


「でも、ワガママをイって、ニホン、ノコるコトにしました。キゲン、サンガツまでです。それまでに、ピーチ=ストームとタイセンできるようにネガっています」


「はいっ! ユーリも死力を尽くす所存でありまする!」


「シリョク、ワかります。ワタシも、ガンバります」


 ベリーニャ選手は、褐色のしなやかな指先をユーリに差し出した。

 ユーリは手の汗を自分のウェアでぬぐってから、それを両手で握り返す。


 そうしてルールミーティングは、比較的平穏に終わりを迎えたのだった。

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