04 告白
そうして瓜子たちは、また事務室に集まることになった。
事務室は狭いので、全員が立ったまま向かい合う。ユーリはまだ不安げな面持ちで小さくなっており、柳原は血がにじみそうになるぐらい唇を噛みしめていた。
「お前さんは正直者だな、柳原。嘘をつけない人間ってのは、まあ嫌いじゃないよ」
「…………」
「まずは、お前さんのために言わせてもらう。卯月とレムさんに謝るなら、いまのうちだ。いまならまだ、どっちにも許してもらえるだろう。だが、お前さんがあくまでシラを切ろうってんなら……俺にも庇いようはない。最悪、この道場から出ていってもらうことになるだろうな」
「ええっ!?」と飛び上がったのは、ユーリであった。
「ちょ、ちょっと待ってください! あんな嘘っぴの記事を書いたのは雑誌の記者さんだろうから、柳原さんは無関係ですよね? それで破門なんて、いくらなんでも厳しすぎですぅ!」
「話がややこしくなるから、桃園さんは少し黙っててもらえるかな」
篠江会長は一瞬だけ苦笑をこぼしてから、すぐに厳しい表情を取り戻した。
「それにこれは、桃園さんだけの問題じゃないんだよ。レムさんは、動画の隠し撮り自体に憤慨してるんだからな。レムさんに道場を託された俺や立松にも、そいつは看過できないんだ」
「ああ。そいつは道場の禁止事項だし、そうじゃなくっても許せるもんかよ」
篠江会長よりもいきりたっている立松が、青い顔をした柳原に詰め寄った。
「おい、ヤナ。お前さんはどういう目論見で、あんな動画を人目にさらしたんだ? まさか……パラス=アテナと一緒になって、桃園さんを陥れようって目論見じゃねえだろうなあ?」
「違います……」と、柳原は蚊の鳴くような声を絞り出した。
「俺はただ、卯月さんの凄さを色んな人に知ってほしかっただけで……それを勝手に、雑誌で取り上げられただけなんです」
「だったらどうして、よりにもよって桃園さんとのスパーなんだよ? お前さんは、桃園さんを毛嫌いしてたろうが?」
「それは……桃園さんとスパーをしているときの卯月さんが、一番かっこよかったから……」
それなりの図体をした柳原が、子供のように肩を震わせてしまっている。
その姿をうろんげににらみつけながら、立松は「本当か?」と言いつのった。
「どうにも信じられねえな。パラス=アテナだか出版社だかに金を積まれて、あんな真似をしたんじゃないのか?」
「ち、違います。それだったら、わざわざ動画サイトにあげる意味もないでしょう? 出版社に動画を渡せば、それで済む話なんですから……」
「なるほどな」と、篠江会長が割り込んだ。
「確かにまあ、炎上目的だったら桃園さんの名前をタイトルに入れてるところだろう。あまり騒がれると俺たちや卯月にバレるから、わざわざ検索にひっかかりにくいタイトルにしたわけだ。……しかしそれだと、卯月の凄さを広めたかったって主張と矛盾せんか?」
「それは……卯月さんの名前を英語表記で検索するぐらい熱心なファンの目にとまればいいやと思って……」
「お前さんは、卯月に入れ込みすぎだ。ファイターだったら、他人のことよりも自分のことを一番に考えろよ」
小さく息をついてから、篠江会長は立松に視線を送った。
立松はまだ怒った顔のまま、柳原の姿をにらみつける。
「それじゃあ、卯月やレムさんには謝っておしまいだ。あとは、桃園さんの話だな」
「ユ、ユーリのことはおかまいなくぅ。レムさんと卯月選手に許していただけるなら、それで解決ってことにしてくださぁい」
その言葉に、立松ではなく柳原が愕然とした。
「な、何を言ってるんだ? 俺のせいで、あんなデタラメの記事を書かれちまったんだぞ……?」
「いえいえぇ。ユーリは他にも写真を撮られちゃってましたので、柳原さんの責任じゃないですよぉ。それよりも、ユーリのせいでみなさんにご迷惑をおかけしちゃって……ほんとに申し訳ありませんでしたぁ」
ユーリは肩をすぼめながら、ピンク色の頭を深々と下げた。
そして、おずおずと男性陣の姿を見回していく。
「それであの……ユーリのプロ契約がこれで取り消されちゃったりなんてことは……」
「そんなわけがあるかい。こいつは全部、柳原や卯月たちの責任だろ。隠し撮りは論外として、桃園さんをホテルに呼びつけたり試合のチケットを贈ったりしたってのは、みんな卯月のほうだったんだからな。……俺たちのほうこそ、千駄ヶ谷さんに叱られちまいそうだ」
「う、卯月選手だってなんにも悪くないですよぉ。ユーリなんかに関わっちゃったのが不運だったんですぅ。千さんにも、きちんと伝えておきますからぁ」
そうしてユーリは、すがるような目で柳原を見つめた。
「ですから、あのぉ……柳原さんも、なんにも気にしないでくださいねぇ? 今後もなるべく柳原さんのお気に障らないように、ユーリは隅っこでお稽古していきますから……本当に、申し訳ありませんでしたぁ」
「なんで……なんで、お前が謝るんだよ! そんなの、おかしいだろ!」
柳原は、困惑の極みに達してしまったようだった。
ユーリも「はうう」と小さくなってしまったので、瓜子が代わりに声をあげることにする。
「ユーリさんは、こういうお人なんすよ。自分の周りでトラブルが相次ぐから、みんな自分のせいだって加害者意識に凝り固まっちゃってるんです。別の道場でも色恋沙汰のゴタゴタに巻き込まれて、なんの責任もないのに追い出されることになっちゃいましたしね」
「う、うり坊ちゃん、それはユーリの黒歴史でありますので……」
「そういう話も隠し立てするべきじゃないって、自分も言いましたよね? いま言わないで、いつ言うんすか? ユーリさんは、もうプレスマンの正式な所属選手なんすよ?」
「まったくだな。悪くもないのに頭を下げるってのは、事なかれ主義の悪習だ。うちの道場で、そんな真似はまかり通らんぞ」
またほのかな苦笑をにじませながら、篠江会長もそのように言いたてた。
「うちの道場は個人主義だが、そいつは他人と関わらないってことじゃない。おたがいに本音をさらけだした上で、個人を尊重するんだよ。……やれやれ。こんなことまで、口で説明しないとわからないもんかね」
「こいつらは、レムさんがいなくなった後に入門したわけですからね。そりゃあオランダ流の個人主義なんて、実感できやしないでしょう。だいたい最近の若いもんは、表面を取りつくろいすぎなんですよ」
そんな風に言ってから、立松は瓜子に目を向けてきた。
「意外にうまくやってるのは、お前さんやサイトーなんかだな。他の連中も、お前さんたちを手本にしてもらいたいもんだ」
「え? サイトー選手はともかく、自分もっすか?」
「ああ。お前さんは、考えてることも気持ちの具合もだだもれだからな」
瓜子が思わず口をへの字にしてしまうと、立松は「それだよ」と笑った。
「桃園さんも柳原も、ちっとは本音でぶつかりあえ。その上で距離を取るんなら、俺たちだって文句は言わんよ。本音を隠すから、歪みが生まれるんだ」
「はあ……ユーリはべつだん、本音を隠しているつもりもないのですけれど……」
「桃園さんの場合は、本音っていうより本性を隠してるよな。俺だって、桃園さんの本性を知ったのはこの半年ぐらいの気がするぞ」
そう言って、立松は柳原に向きなおった。
「お前さんは、どうなんだ? 桃園さんが気にくわないなら、それでいっこうにかまわん。相性の悪い相手と、無理に仲良くする必要はないからな。ただ、これまで通りに距離を取るつもりなら、この場で本音をぶちまけちまえ」
「俺は……入門当初に、桃園さんにフラれてるんですよ。だから、ひとりでムカついてただけです」
「なに?」と、立松は目を丸くした。
篠江会長は、すました顔で肩をすくめている。
「おおかたそんなこったろうと思ってたよ。猪狩さんもさっき、色恋沙汰がどうとか言ってたしな」
「はい……桃園さんは、なんにも悪くありません。ただ、俺がガキだっただけです。それに、桃園さんは……俺からは何の指導も受けてないのに、めきめき寝技の腕があがっていって……それで余計に、腹が立っちまったんです」
柳原は苦痛をこらえるように眉をひそめながら、ユーリのきょとんとした顔を見据えた。
「卯月さんとスパーをしてるときの桃園さんは、卯月さんに負けないぐらい凄かった。だから俺は……たぶん、桃園さんに嫉妬しちまってたんだ」
「ええ? ユーリなんて、そんな大したものじゃないですよぉ」
そんな風に言ってから、ユーリはきゅっと口もとを引き締めた。
「それじゃあ、あのぉ……ユーリもひとつだけいいですかぁ? 実はユーリも、柳原さんに隠していたことがあってぇ……」
「ああ。なんでも聞かせてくれ。どんな悪口でもかまわない」
「いや、悪口とかではなくってですねぇ……ユーリって、人肌アレルギーなのですぅ」
柳原は、ぽかんと目と口を丸くした。
瓜子も多少は驚かされたが、柳原ほどではない。なんとなく、ユーリがそういったことを口にするのではないかという予感があったのだ。
「立松先生とジョン先生には、最初から打ち明けていたのですけれども……ユーリって、人に触れるとぶわーって鳥肌が立っちゃうのですよねぇ。試合やお稽古の間だけは、それが無効になるのですぅ」
「それ……本当のことなのか?」
ユーリはちょっと切なげに微笑みながら、ラッシュガードの袖をまくりあげた。
ユーリに視線でうながされて、瓜子はその白い腕に触れてみせる。
ユーリの腕は、瞬く間に鳥肌に覆われることになった。
「まあ、こういう次第でして……だから、どのような殿方ともおつきあいすることはできないのです。決して柳原さんに魅力がないだとか、そういうお話ではないのですよぉ」
「なんで……なんでそんな……」
「なんででしょう? 昔っから、色々と怖い目にあってきたからですかねぇ」
立松やジョンにも、きっとそこまでしか打ち明けていないのだろう。サキですら、去年の夏までそれ以上のことは知らなかったはずであるのだ。
「それじゃあ……いままでの熱愛報道ってのは……? ついこの間だって、どこかのバンドマンと記事にされてたよな?」
「すべて根も葉もないデマゴギーですぅ。ユーリにスキが多いせいで、そんなデマを流されてしまうのでしょうねぇ」
柳原は壁に背をもたれて、弱々しくうつむいた。
「なんだよ、それ……それじゃあ俺は、本当の大馬鹿じゃねえか……」
「どう考えたって、お前さんは大馬鹿だろ。……桃園さんは、そんなお前さんを信頼して打ち明けたんだ。こいつを外にもらしたら、俺がただじゃおかねえからな」
「立松さんは、本当に知ってたんですね……それじゃあ、他の連中は……?」
「俺とジョン、猪狩とサキぐらいだろ。サイトーや邑崎には、もう打ち明けたのか?」
「いえ、まだですぅ。サイトー選手は柳原さんと同じくサブトレーナーであられますので、今日にでも打ち明けさせていただこうかと思いますけれど……うーん。ムラサキちゃんは、すっかりタイミングを逸してしまったのですよねぇ。ムラサキちゃんに打ち明けるとなると、小笠原選手たちにも打ち明けないといけない気がしてしまうし……」
「そのへんの判断は、本人に任せるよ。俺たちが口をはさむ話じゃないからな。……個人主義ってのは、そういうこった」
立松がそのように語らったとき、柳原はやおらリノリウムの床に両膝をついた。土下座でもしようかと考えたのやもしれないが、五人もの人間が詰め込まれた事務室にはそのスペースがない。
「桃園さん。本当にすまなかった。俺は……俺は本当に、大馬鹿だ」
「いえいえ、とんでもないですぅ。隠してたのはユーリなのですから、何も気にしないでくださぁい」
床に拳をつけた柳原は、また小さく肩を震わせている。
やがてその顔が思い詰めた表情をたたえて、ユーリを見上げた。
「桃園さんは、壁レスの稽古をしてるんだよな? 壁レスだったら、俺の領分だ。もし許されるなら……俺にも協力させてもらえないか?」
「本当ですかぁ? 柳原さんにも教えていただけるなら、ありがたい限りですぅ」
ユーリはこれまでの騒ぎなど忘れてしまったかのように、瞳を輝かせた。
柳原は、そんなユーリの顔を眩しそうに見つめている。
そうして新宿プレスマン道場には強い雨が降り、格言の通りに地面が固まったようだった。
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