05 最後のピース

 八月になって、数日が過ぎ去った。

 今のところ、新生パラス=アテナの周囲で新たな動きは見られない。ただ水面下では、カッパージムとの提携の話などが着々と進められているようだった。


「けっきょくうちのジムも、トレーナーを貸し出す契約にハンコを押しちまったよ。ま、あたしらがそんな話に文句をつけられる立場じゃないからな」


 多賀崎選手などは、そう言っていた。黒澤氏の発足した新生パラス=アテナのやり口に反感を抱きつつ、所属ジムが大きな恩恵にあずかるという、きわめて複雑な立場に立たされてしまったのだ。


 それ以来、多賀崎選手と灰原選手はずっと出稽古に取り組んでいるという。コーチ陣に恨みはないが、どうしても今は素直に指導を受ける心持ちになれないのだそうだ。それぐらい、多賀崎選手と灰原選手は新生パラス=アテナの在り様に大きな反感を抱いていたのだった。


 その副産物として、ついに灰原選手も新宿プレスマン道場にやってくることになった。週の半分は天覇ZEROで、残りの半分はプレスマン道場で出稽古に励むことになったのだ。多賀崎選手ほど思い悩むタイプではない灰原選手は、それはもううきうきとした様子でトレーニングに取り組んでいたものであった。


 あとは――卯月選手も、着々と訴訟の準備を進めているという話であった。

 北米に長らく滞在している卯月選手の周囲には、そういった方面に強い人間が居揃っているらしい。なおかつ卯月選手は年間数十万ドルのファイトマネーを稼いでいる身であるため、資金にも不足はないという。根も葉もないゴシップ記事を掲載した週刊誌が全面的に否を認めない限り、徹底抗戦のかまえであるとのことであった。


 そんな話に食いついてきたのは、また別なる週刊誌である。

 卯月選手は、SNSで大々的に訴訟の一件をぶちあげていた。それに気づいたライバル週刊誌の人間が、よろしければ是非こちらで反論の記事を――と、打診してきたそうである。


 卯月選手とプレスマン道場とスターゲイトの協議の結果、そちらで多少の威嚇射撃をお願いすることになった。問題の記事でも取り上げられていた、練習風景の動画の撮影者――すなわち柳原が、匿名で取材を受けることになったのだ。


 卯月選手とユーリは、確かに毎日のように寝技のトレーニングに励んでいた。しかしそれを望んだのは卯月選手の側であり、目的は、ユーリとのスパーが非常に有意義であったためである。また、当時の卯月選手は北米の時間にあわせて午後の七時には就寝していたため、ユーリと交流を深める時間などは他に持てなかった。ゆえに、くだんの記事は根も葉もない捏造である――と、そういった内容の記事が掲載されることになったのだった。


「卯月さんにそれだけ実力を見込まれてた桃園さんが、八百長なんてありえないって話もさせてもらったんだけどな。そいつは主旨が違うんで掲載できないって言われちまったよ」


 取材を終えた柳原は、とても申し訳なさそうな様子で、そんな風に報告してくれた。あれ以来、柳原は心を入れ替えて、ユーリと交流を結んでくれていたのだ。


 さらにもう一件、ネットニュースなどでは『ベイビー・アピール』の漆原の発言が記事になっていた。彼もまた、スポーツ新聞で大々的にユーリとの熱愛報道を捏造されていた立場であったため、それに対する反論を表明することになったのだ。


『ゴシップ記事って、ほんと嘘まみれだよね。ま、名のあるお相手との熱愛疑惑なんて、俺にとっては勲章みたいなもんだからさ。卯月とかいう人みたいに訴訟までする気はないけど、そんなデタラメな記事でメシを食うってどんな気分なんだろうな』


 瓜子が見せてもらったニュースサイトには、そのようなコメントが掲載されていた。あの無邪気でへらへらとした笑顔が容易に想像できそうな文面である。


『あの写真を撮られた駐車場には、うちのメンバーやユーリちゃんのマネージャーさんなんかも雁首そろえてたもん。だから関係者一同は、あれが完全な嘘っぱちって百も承知なわけ。だからまあ、ノーダメージだよね。ユーリちゃんのサードシングルの録音も、予定通りに手伝わせてもらうよ。あんなゴシップ記事よりよっぽど面白いもんをお披露目してやるから、発売日を楽しみにな』


 漆原のコメントは、そんな文言で締めくくられていた。

 軽佻浮薄を売りにしているような漆原であるが、瓜子はこの援護射撃を心からありがたく思っていた。来たるべきレコーディングの日には、誠心誠意お礼の言葉を伝えさせてもらいたく思っている。


 斯様にして、ユーリを貶めようという策謀はさしたる効果もあげていないように思われた。

 もとよりユーリは以前から、あちこちのお相手と熱愛疑惑の記事をでっちあげられていたのだ。多少のイメージダウンは否めないものの、それだけで致命的な傷を負うことはないはずであった。


(だからこそ、あいつらはユーリさんの実家にまで押しかけたんだろうな)


 しかしそちらも不発に終わったし、ユーリとプレスマン道場を切り離そうという策も未然に防がれた。さまざまな人々の尽力によって、ユーリの立場は守られたのだ。


 だが、敵はまだどのような搦め手を使ってくるかもわからない。

 瓜子はこれまで以上に心を引き締めて、ユーリのマネージング業務に励んでいた。

 そして――そこにその男が現れたのだった。


                  ◇


 その日もユーリは、都内某所で水着のグラビア撮影であった。

 もう八月になってしまったので、ファッション誌における水着特集などはとっくに終わっている。今日の依頼は、週刊少年誌の表紙と巻頭カラーの撮影であった。


 敵はエイトテレビや週刊誌などにも顔がきくようであるが、テレビ局や出版社などは複数存在する。今のところ、ユーリの副業にも何ら悪い影響はなく、それどころか、例の週刊誌を発行している出版社に関しては、スターゲイトのほうから三行半を突きつけたとのことであった。


(きっと千駄ヶ谷さんも、裏であれこれ動いてくれてるんだろうな。これだけ心強い人たちに囲まれてれば、ユーリさんは大丈夫だ)


 そして自分もユーリのためには、どんな苦労も厭わない覚悟である。

 そんな思いを胸に、瓜子はユーリの色香あふるる水着姿を遠目に見守っていた。


「失礼いたします。スターゲイトの猪狩さんで間違いなかったでしょうか?」


 と――そんな瓜子に、笑いを含んだ声が投げかけられてくる。

 瓜子が振り向くと、そこには小柄な中年男性がちょこんと立ち尽くしていた。夏のさなかにきっちりとダークグレーのスーツを着込んだ、齧歯類を思わせる顔立ちの人物だ。瓜子よりも五センチばかりは小さいし、スーツの中身もひょろひょろに痩せていそうだった。


「お忙しいところを恐縮です。わたくし、こういう者です」


 男は如才のない手つきで、一枚の名刺を差し出してきた。

『ワンダー・プラネット 代表 徳久一成とくひさ かずなり』――と、そこにはそのように記されている。

 時期が時期だけに、瓜子はめいっぱいの警戒心とともにその人物と相対することになった。


「申し訳ありません。こちらは名刺も持ち合わせていないんですが……ユーリさんへの業務依頼は、スターゲイトを通していただけますか? 今、責任者の名刺をお渡しいたします」


「いえいえ。わたくしは本日、猪狩瓜子さんとビジネスのお話をさせていただきたく思って参上した次第です」


 にこにこと笑いながら、徳久なる人物はそのように言いたてた。

 瓜子は思わず、「はい?」と反問してしまう。


「ユーリさんじゃなく、自分にっすか? 申し訳ありませんが、そちらに関してもスターゲイトを通していただくことになってます」


「スターゲイトさんが担当しておられるのは、芸能活動のマネージメントに関してでありましょう? わたくしが本日携えてきたのは、ファイターとしての猪狩さんに対するオファーであるのです」


 これはますます、剣呑な話になってきた。

 そんな瓜子の内心を見透かしたのか、徳久氏はいっそう愛想よく微笑みをたたえる。


「猪狩さんは率直な物言いを好まれるとうかがっておりますので、こちらも率直に語らせていただきます。……ずばり、《カノン A.G》において発足されたチーム・フレアにご参入いただけないでしょうか?」


 開いた口がふさがらないとは、このことであった。

 しばし唖然と相手を見返してから、瓜子はようよう反論を試みる。


「あの……あなたは、どなたなんですか? ワンダー・プラネットなんて会社、自分は聞いたこともないんすけど」


「ワンダー・プラネットは、いわゆる仲介業者に区分される企業でありますね。このたびは、猪狩さんとパラス=アテナの間を取り持つのが依頼内容となります」


「なるほど、そういうことですか。それなら、つつしんでお断りさせていただきます。チーム・フレアに参入なんて、冗談じゃないっすよ。パラス=アテナのお人らは、いったい何を考えてるんすかね」


「パラス=アテナの方々は、ただひたすら《カノン A.G》の発展と繁栄を願っておられるのでしょう。そのために、是非とも猪狩さんにもご協力をお願いしたいのです」


「ですから、お断りします。それとも断ったら、自分もユーリさんともども追放されるってわけっすかね?」


「追放だなどとは、とんでもない。猪狩さんは女子MMA界のニュースターなのですから、パラス=アテナの方々も積極的にプッシュしていく方針であられるのですよ。もしも猪狩さんがチーム・フレアに参入してくださるのなら、ファイトマネーとは別に破格の契約金をお支払いする準備もあるそうです」


 瓜子は心底から腹立たしく思ったが、仲介業者に怒りをぶつけても詮無きことであろう。憎むべきは、そのような提案をしてきたパラス=アテナの連中であるのだ。


「そのように言ってもらえるのは、光栄です。でも、チーム・フレアに参入なんて絶対にお断りです。チーム・フレアをぶっ潰す側で活躍させていただきますと、パラス=アテナの方々にはそのようにお伝えください」


「猪狩さんは、チーム・フレアを快く考えておられないのでしょうか? やはりヒール役よりも、ベビーフェイスとしてご活躍なさりたいという方針なのでしょうか?」


「ヒールとかベビーフェイスとか、どうでもいいっすよ。ただ、チーム・フレアとかいうやつが気に食わないだけです。それ以上の理由はありません」


「それはやっぱり、チームメイトであるユーリ選手へのご遠慮から生じるお考えなのでしょうか?」


 にこにこと笑いながら、徳久氏はそのように言いつのった。


「パラス=アテナの方々も、その点を懸念しておられるのです。恥ずべき時代の象徴であるユーリ選手に肩入れするあまり、猪狩さんの未来までもが暗雲に閉ざされてしまうのではないか、と……」


「その暗雲とやらを準備してるのも、パラス=アテナの方々っすよ。あなたがご存じかどうか知りませんけど、パラス=アテナの方々はユーリさんをプレスマン道場から追い出さないなら自分やサキさんを干すつもりだとか言ってたらしいっすからね」


「それは、大きな誤解が生じているようですね。パラス=アテナの方々が危惧しておられるのは、あくまでユーリ選手個人の動向です。悪評にまみれたユーリ選手に肩入れすることで、猪狩さんやサキ選手の未来までもが閉ざされてしまうのではないか、と……」


「だから、その悪評を振りまいてるのも、パラス=アテナの方々でしょう? 八百長疑惑やら熱愛疑惑やら、やり方が汚いっすよ。ユーリさんを実力で潰す自信がないから、そんなやり口であれこれ奔走してるんでしょうね」


「八百長疑惑に関しては、確たる証拠を集められなかったようですね。ですが、それ以外に関しては……着々と証拠が集まっているようですよ」


 と、徳久氏はわざとらしく声をひそめた。


「そもそもユーリ選手は、放送局の企画でプロデビューを果たしたアイドルファイターです。そちらの放送局長との間に枕営業や金銭の授与などの事実が発覚しましたならば……とうてい選手活動を継続することも難しくなってしまいましょう」


 瓜子は思わず、鼻で笑いそうになってしまった。


「ひとつ確認させてもらいますけど、枕営業ってユーリさんがですか?」


「ええ。ユーリ選手は、出版業界や音楽業界の方々ともそういった交渉を結んでおられるようですし……」


 やはり敵方は、ユーリの接触嫌悪症については何もつかんでいないのだ。

 その事実に大きく安堵しながら、瓜子は厳しい顔を作ってみせた。


「自分は、ユーリさんを信じてます。ユーリさんは、そんな真似をする人じゃありません。パラス=アテナの連中は、今度はそういう方面からゴシップを流す算段なんですね。情報提供、感謝しますよ」


「でしたら、もう一点。ユーリ選手には、バイセクシャルの疑惑も持ち上がっているそうですね。そうなると、真っ先に矢面に立たされてしまうのは、同居人たる猪狩さんなのではないでしょうか?」


「自分とユーリさんにも、熱愛疑惑っすか? とことん色事のスキャンダルしかネタがないんすね。そんなデマばかり流してたら、どこかの出版社みたいに訴えられることになりますよ」


 徳久氏はにこやかな表情を保持しつつ、すっと目を細めた。


「猪狩さんは……思いの外、ユーリ選手と固い絆で結ばれているご様子ですね」


「はい。チームメイトで同居人で仕事仲間ですから。自分がユーリさんを裏切るなんて、天地がひっくり返ってもありえませんよ」


「承知いたしました。パラス=アテナの方々には、そのようにお伝えしておきましょう。……もしもお気が変わったら、名刺の連絡先にご一報をお願いいたします」


「了解です。気が変わることなんて、絶対にありませんけどね」


「……猪狩さんとユーリ選手がそうまで親密であられるなら、熱愛疑惑にもそれなりの説得力がともなってしまいそうなところでありますね」


 最後の最後で皮肉っぽい本音をこぼしつつ、徳久氏は立ち去っていった。

 その小さな背中が見えなくなってから、瓜子は携帯端末をポケットから取り出す。千駄ヶ谷にコールすると、二秒で冷たい声音が響きわたった。


『千駄ヶ谷です。何かありましたか?』


「はい。お忙しい中、申し訳ありません。ユーリさんじゃなく、自分におかしな人間が接触してきました」


 瓜子が事情を説明すると、千駄ヶ谷は変わらぬ声音で『なるほど』とつぶやいた。


『ワンダー・プラネットの、徳久一成。まったく聞き覚えのない名前ですが、こちらで調査してみます。うまくいけば、こちらの線から協力者の存在を辿れるやもしれません』


「ええ。仲介業者ってのが、いかにも怪しげっすよね。自分の印象では、この徳久って輩もパラス=アテナの悪だくみにどっぷり浸かってそうでしたよ」


『承知しました。プレスマン道場の方々にも、一報をお入れください。そちらにも、何かアクションを起こされる可能性がありますので』


「了解です」


 千駄ヶ谷との通話を打ち切り、瓜子はすぐさまプレスマン道場にコールを送った。

 が、待てども待てども回線は繋がらない。本日は八月の第一日曜日であり、道場も休業であったのだ。


(ああ、そうか……ええと、今日は男子選手のキックの興行だから、ジョン先生はそっちのセコンドについてるはずだよな。立松コーチなら、手空きのはずだ)


 明日まで話を持ちこすというのは、瓜子の気性が許さなかった。

 立松に対する申し訳なさを心の片隅で噛みしめつつ、個人の携帯端末へと連絡をさせていただく。


『なんだ、どうした? 何かあったのか?』


 通話が繋がるなり、立松の息せき切った声が飛び出してくる。


「あ、お休みのところ、申し訳ありません。ちょっとお伝えしたいことがあって――」


『お前さんがわざわざ俺に電話をよこすなんて、よっぽどのことだろ。いいから、早く言ってみろ』


 立松の声から伝わってくる熱情が、瓜子の頭をクールダウンさせた。瓜子も勢いで電話をしてしまったが、実のところはそうまで緊急性のある話題ではないのだ。


「すみません。そんな大した話じゃないんですけど、自分も頭に血がのぼっちゃってたもので……」


『大した話じゃないのかよ。あまりびっくりさせるな』


 立松が、安堵の息をついている。それで瓜子は、ますます申し訳ない気持ちになってしまった。


『ああ、ジョンは仕事の真っ最中だから、俺なんかに電話をかけてきたってわけだな。まあ、大した話じゃないなら、俺で十分か』


「あ、いえ、決してそんなつもりでは……立松コーチは、何をされてたんすか? なんか、まわりが賑やかみたいっすけど」


『今は家族やら何やらと、バーベキューを楽しんでたところだよ。世間様は、夏休みの真っ最中だからな』


「うわあ、本当にすみません! 用件は明日お伝えしますので、どうぞバーベキューをお楽しみください!」


『いいから、話せって。そんな何十分もかかるような話じゃないんだろう?』


「ええまあ、ちょっとおかしな人間がおかしな話を持ちかけてきたんで、それをお伝えしておこうかと……」


 そうして瓜子がだいぶん省略して概要を伝えると、立松は『ふうん』と鼻を鳴らした。


『なるほど。お前さんを陣営に引き込んで、桃園さんを孤立させようってハラか。まったく、浅ましいことを考える連中だな』


「はい。もしも道場にまで連絡がいったら、適当にあしらってもらえますか? その怪しげな会社については、千駄ヶ谷さんが調査してくれるっていう話になりましたので」


『了解したよ。なんて会社の、なんてやつだ?』


「えーと、ワンダー・プラネットの徳久一成さんってお人です」


『徳久?』という言葉を残して、立松は押し黙ってしまった。

 その沈黙が五秒を突破したところで、瓜子は「どうかしましたか?」と問うてみる。


『いや、なんか聞き覚えのある名前だなと思って……そいつは、どんなやつだったんだ?』


「なんか、やたらと愛想のいい人でしたよ。年頃は四十代ぐらいで、背なんかは自分より小さくて……あ、ちょっとネズミっぽいお顔をしてましたね」


『ネズミ!』と、立松が大声を張り上げた。


『おい、そいつはガリガリの痩せっぽちか? それでもって、このクソ暑い中、スーツ姿じゃなかったか?』


「あ、はい。かなり痩せてましたし、確かにスーツ姿でしたけど……まさか、お知り合いなんすか?」


『俺はまともに口をきいたこともないけどな。そいつは、あれだ。卯月を《JUF》に引き抜いた張本人だよ。そいつの仲介で、卯月は赤星道場を抜けて《JUF》に参戦することになったんだ』


 瞬時、瓜子の思考回路は停止してしまった。

 そんな中、立松は熱のこもった声でまくしたててくる。


『なるほど、合点がいった。あのなあ、猪狩。千駄ヶ谷さんは、他に協力者がいるはずだとか言ってたろ? それがきっと、徳久のやつなんだ』


「ど、どういうことっすか? 徳久とかいうお人は、仲介業者なんでしょう? あのお人がパラス=アテナと協力者の間を取りもったって話ならわかりますけど……」


『あいつはただの仲介屋なんかじゃない。《JUF》があそこまで盛り上がったのは、あいつが裏であれこれ糸を引いた結果だっていう話なんだよ。卯月の引き抜きなんてのも、その作戦の一環だったんだ。当時の《JUF》では日本人選手がパッとしなかったから、格闘技ブームの立役者である大吾さんの息子をスター選手に仕立てあげたってわけだな』


 瓜子が言葉を失っている間に、立松はさらにまくしたててきた。


『もちろんそれだって、卯月の実力あってのことだけど……でも、よく考えてみろ。当時の卯月はまだ十八歳で、これからプロデビューするところだったんだぞ? 《JUF》のプロモーターだって、悶着を起こしてまで卯月を引き抜こうとは考えなかっただろう。そこに徳久のやつがしゃしゃり出て、あれこれ道筋を整えてみせたんだ。確かにやってることは仲介屋なんだろうけど、あいつは依頼を受けてから動くんじゃなく、自分の立てたプランに沿って動いてるってこった』


「それじゃあ……カッパージムやティガーとの提携も、あの人の裁量で実現させたってことっすか?」


『ああ。ついでにエイトテレビなんてのは、《JUF》の時代にコネを作ってるだろうしな……おい、猪狩。これからは、今まで以上に気をつけるんだぞ』


「き、気をつけるって、何にですか?」


『《JUF》はそのスジの人間との癒着が露見して、潰れたろ? それを仲介したのも、その徳久だったんじゃないかって噂だったんだよ。あいつは《JUF》のプロモーターなんかが摘発されると同時に雲隠れしちまったから、けっきょく真相は藪の中だったけどな』


「……そのスジの人間が、自分やユーリさんにちょっかいをかけてくるってことっすか?」


『いや。今と昔じゃ、時代が違う。そもそもアトミックていどの規模じゃあ、そのスジの人間も動かんだろ。ただ徳久ってやつは、それぐらい手段を選ばないやつなんだよ。きっとパラス=アテナの連中に入れ知恵をしてやがるのも、徳久のやつなんだろう』


 では、あの小男こそが今回の一件の首謀者であったのか。

 瓜子は左手で拳を握り込みながら、「押忍」と答えてみせた。


「十分に気をつけます。千駄ヶ谷さんにも今の話をお伝えしたいので、いったん切らせていただきますね」


『おう。脅かすわけじゃないが、帰り道も気をつけろよ。あくまで、念のためな』


 もういっぺん「押忍」と答えてから、瓜子は通話を切らせていただいた。

 そうしてすぐさま千駄ヶ谷にコールしようとした瞬間、背後から「だーれだ?」と目をふさがれる。


「うわあ!」と叫んでその手を振り払い、思わず携帯端末ごと右フックを振るおうとした瓜子は、よよよとくずおれるユーリの姿に脱力する。


「ううう、全身全霊でうり坊ちゃんに拒絶されてしまったぁ……鳥肌も辞さない渾身のスキンシップであったのに……」


「び、び、びっくりするじゃないっすか。撮影のお仕事はどうしたんです?」


「そんなのとっくに終わって、着替えも済ませちゃったよぉ。それなのにうり坊ちゃんがお電話に夢中だから、ユーリの孤独感がマックスに達してしまったのじゃ」


 瓜子は深々と溜息をついてから、ユーリに左手を差し伸べてみせた。


「はい。鳥肌も辞さないなら、どうぞ」


 ユーリは「えへへ」と笑いながら瓜子の手をつかみ、ことさらゆっくりと立ち上がった。


「で、誰となんのお話をしてたにょ? 楽しいお話だったら、ユーリもまぜまぜしてほしいにゃあ」


「ちっとも楽しくないお話なんすけど、ユーリさんにも聞いてもらわないといけないっすね」


「うんうん! 前言撤回でございます! 楽しいお話も楽しくないお話も、うり坊ちゃんと分かち合えればハッピーの極致でありましょう!」


 ユーリの能天気な笑顔が、瓜子の殺気だった心をじんわりと癒やしてくれた。

 そしてその裏側では、あのネズミのような顔をした小男への怒りが高まっていく。


(あいつがユーリさんを潰そうって魂胆なら、絶対に返り討ちにしてやるからな)


 おそらくは、これで敵方の人間が出そろったのだ。

 パラス=アテナの黒澤に、タクミ選手、そして仲介業者の徳久。この三名を討ち倒せば、このたびの陰謀を打ち砕けるのかもしれない。

 ユーリに笑顔を返しつつ、瓜子の胸には凄まじいまでの闘志がわきたってしまっていた。

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