03 さらなる騒乱

 チーム・フレアによる動画の公開は、やはり《アトミック・ガールズ》の関係者に大きな波紋をもたらすことになった。

 その前日に公開された記者会見の内容が、一気に具体性を帯びてきたのだ。しかもパラス=アテナの黒澤氏は、この日のために三名もの新規の選手を準備していたのだった。


「やはりチーム・フレアの存在というのも、黒澤氏が単独で企画を進めていたようです。それが花咲氏の了承を得たものであったのか、秘密裡に行われていた独断の所業であったのか――真実を知るのは当人のみということですね」


 千駄ヶ谷は、そのように語らっていた。

 そして、その情報を最後に、パラス=アテナからは締め出しをくってしまったとのことである。


「これまで協力的であったブッキングマネージャーの駒形氏も、社内で秘密保持の契約をさせられてしまったため、今後は外部に情報を伝えることもできなくなるそうです。あとはもう、外部の人間が一致団結して立ち向かう他ありません」


 その一環として、千駄ヶ谷と新宿プレスマン道場の首脳陣で密談が交わされることになった。ユーリとプレスマン道場のプロ契約にともない、さまざまな事項を千駄ヶ谷から引き継ぐとともに、今後の対策が立てられる事態に至ったのだった。


「ユーリ選手を移籍させなければ、サキ選手を筆頭とする所属選手の登用も危うくなると脅迫されたわけですね。その際の会話は録音しておられなかったのでしょうか?」


「ああ。それに、録音したって告発の道具に仕立てることは難しかったように思うよ。サキたちを干すってのも、言外に匂わせるようなやり口だったからな。あちらさんも醜聞がもれないように、めいっぱい注意を払ってるんだろうさ」


 すべてはジョンたちに一任すると言いながら、篠江会長は自らも千駄ヶ谷との密談に取り組んでくれていた。日本にいる間は自分が責任者だ、というのが篠江会長の弁である。


「とにかくあっちが主張してたのは、桃園さんの存在はイメージダウンに繋がるので興行から切り捨てたいって話だったな。で、そんな話を聞かされた翌日に、あんな熱愛報道の記事が出たわけだ。猪狩さんに指摘されるまでもなく、胡散臭い話だと思ったよ」


「はい。あちらはエイトテレビとのコネクションから、一部の報道機関をも抱き込んでいるようです。あのていどの記事であれば、ユーリ選手の選手活動に支障はないように思われますが……今後もどのような手口でユーリ選手を貶めようとするか、まったく知れたものではありません。十分な警戒が必要となることでしょう」


 千駄ヶ谷は、そのように語っていた。

 そしてその懸念が的中したのは、密談を終えた翌日のことである。

 今度はゴシップ記事で有名な週刊誌で、ユーリのスキャンダルが取り上げられることになったのだ。

 しかも、そのお相手は――『ベイビー・アピール』の漆原ではなく、卯月選手であったのだった。


                   ◇


「何なんだよ、これは!」


 その週刊誌を目にして、もっとも激昂していたのは立松であった。

 よりにもよって、卯月選手がユーリを巡る騒動に巻き込まれてしまったのだ。レム・プレスマンを朋友とする立松たちにとっては、何より許し難い話であるはずだった。


 もちろん瓜子も、先日以上の怒りにとらわれてしまっている。

 その週刊誌には、ほとんど狂人の妄想とでも呼びたくなるような駄文が綴られていたのだ。


 そしてそこには、何枚かの写真も掲載されていた。

 ユーリと瓜子が卯月選手の滞在するグランドホテルから出てきた場面――ユーリと瓜子が《アクセル・ジャパン》の会場から出てきた場面――そして、ユーリと卯月選手が寝技のトレーニングに励んでいる場面である。それらの画像が、誌面を飾る嘘っぱちの記事に嘘っぱちの説得力をもたせてしまっているのだった。


 この許されざる雑誌がプレスマン道場に持ち込まれたのは、夕方の自由練習時間である。ユーリは申し訳なさそうに小さく縮こまり、立松や瓜子は怒りに震え、ジョンは気の毒そうな顔をしており、他の門下生たちは呆れかえった顔をしていた。


 そんな中、ひょっこり現れたのはサキだ。あけぼの愛児園のバイト職員たるサキは、夕方になってからやってくるのが通例になっていた。


「おー、さすがに沸き立ってんな。おめーら、もう動画ってのは確認したのか?」


「動画? 動画ってのは、なんの話だよ? もうこれ以上、俺の血圧を上げるんじゃねえぞ」


「いや、アタシもまだ発見できてねーんだけどな。こいつが本当のことだったら、血圧が上がるどころの話じゃねーだろ」


 そんな風に語りながら、サキは雑誌のある部分を指し示してきた。

 ユーリと卯月選手が寝技で取っ組み合っている画像の、下方である。そこには小さな文字で、某動画サイトからの転載であると記されていたのだ。


「転載? 転載ってのは、どういう意味だよ?」


「つまり、このサイトに牛と卯月の動画があげられてるってこったろ。電車に揺られてる間、ずっと検索をかけてたんだけどな。どうにも引っかからねーんだ」


「そんな動画が、なんで存在するんだよ。……いや、写真も動画も同じことか。けっきょくは、無許可の隠し撮りってことなんだからな」


「ああ。ただし、卯月のやつは人目を避けるために、いつも奥側のトレーニングルームで稽古をつけてたよな」


 プレスマン道場には、ふたつのトレーニングルームが存在する。表側のトレーニングルームは壁の一面がガラス張りになっており、往来からも丸見えであるのだ。もちろんユーリや卯月選手は、普段から奥側のトレーニングルームで稽古を行っていた。


「まあ、あっちだって換気のために、いつも窓を開けてるからな。それにしたって、動画を隠し撮りとは……」


 立松が憤懣やるかたない様子でつぶやいたとき、事務室から篠江会長が出てきた。その顔にも、静かな怒りがたたえられている。


「動画の話か? 卯月の名前を英語表記で検索してみろ。それで一発だったぞ」


 それだけ言い捨てて、篠江会長はまた事務室に戻ってしまった。

 ユーリは壁際にうずくまり、「あうう」と頭を抱えてしまっている。プロ契約の話が持ち上がったのは二日前で、千駄ヶ谷の立ちあいのもとにそれが締結されたのは昨日の話であるのだ。それですぐさまこのような騒ぎが勃発してしまい、ユーリはまた心臓を痛めてしまっていたのだった。


「英語表記か。そいつは盲点だったぜ」


 まだ道場に来たばかりで私服の姿であったサキは、ポケットから取り出した携帯端末で動画の検索を開始した。ものの数秒で、それは発見できたようである。


「ふん、やっぱりな。……立松っつぁん、血圧を上げる準備はオッケーか?」


「なんだよ、さっさと見せろ!」


 立松は、荒っぽい所作でサキから携帯端末をひったくった。

 瓜子も横合いから、その小さな画面を覗かせていただく。


 そこには確かに、ユーリと卯月選手の懐かしき練習風景が克明に録画されていた。

 卯月選手はユーリにあわせて、くるくるとよく動いている。おたがいがポジションキープなどを考えずにサブミッションを繰り出し続けているので、上になったり下になったりの大騒ぎだ。

 その動画を視聴している間に、立松の顔がどんどん血の気に染まっていった。


「なんだよ、こりゃ。これが、隠し撮りだってのか?」


「ああ。隠れて撮ってたんだから、まごうことなき隠し撮りだろ。それも、かぶりつきの特等席でベストアングルだなー」


 そう、それはマットで寝転がるふたりの姿を、ごく近距離の低い位置から撮影した動画であったのだ。たとえズーム機能を駆使したところで、窓の外からこのようなアングルで撮影できるわけがない。そもそもふたりが稽古に励むとき、その周囲は見物人に取り囲まれていたはずだ。

 つまりこれは――その見物人の誰かが撮影したものである、ということであった。


「誰だ、こんなふざけた真似をしやがったのは!? 卯月のいた時間には、ごく限られた人間しかいなかったはずだぞ!」


「それでも、十人や二十人はいたんだろ? アタシは最近ご無沙汰だったけど、世の中にはヒマ人が多いからなー」


 普段通りの口調で言いたてつつ、サキの切れ長の目にも白刃のごとき光が閃いていた。


「ただし、出入りできるのはプロ連中と、熱心なアマ連中だけのはずだ。そんでもって、卯月のいる間は昼間の出稽古もご遠慮願ってたはずだよなー?」


「ああ。レムさんたちが、相手陣営のスパイなんざを警戒してたからな。卯月のいた時間、道場に居座ってたのは門下生だけのはずだ。……その中の、誰がこんな隠し撮りをしてたってんだ?」


 立松の激しい怒りをはらんだ目が、その場の門下生たちを見回していく。正規のレッスン時間の前に集まる顔ぶれなど、おおよそ代わり映えはしないのだ。


 そんな中、瓜子は反射的に柳原の姿を探し求めていた。

 柳原は――ふてくされたような顔で、そっぽを向いていた。


「練習風景の隠し撮りなんて論外だし、そいつを人目にさらすなんざ言語道断だ! 犯人は、さっさと名乗り出ろ! できるもんなら、納得のいく説明をしてみやがれ!」


「でかい声だな。こっちにまで響いてたぞ」


 と、篠江会長が再び現れた。

 立松は怒りの形相で、そちらを振り返る。


「こんな話は、放置しておけんでしょう? 卯月だって桃園さんだって、俺らにとっては大事な身内のはずだ!」


「そんなことは、言われるまでもない。ついでに言うと、卯月のやつも怒り心頭のようだぞ。……あの、いつでもぼけーっとした卯月がな」


 篠江会長がそのように告げた瞬間、柳原がびくりと身体をすくませるのを、瓜子は見逃さなかった。

 そんな中、篠江会長は自分の携帯端末を立松に突きつける。


「見ろ。卯月の声明文だ。そのふざけた記事を載せた出版社を告訴するってよ」


 瓜子は大いに驚きながら、また立松の脇から画面を覗かせていただいた。

 開かれているのは、見覚えのあるSNSの画面である。去りし日の大阪大会において、イリア選手が呑気な観光の写真をあげていたり――あとは、瓜子の水着画像に数多くのコメントが捧げられたりしていた、あのSNSである。

 そこには、日本語と英語でひとつずつのコメントが掲載されていた。


『日本の雑誌で、根も葉もない誹謗を受けました。まったく事実無根の記事であるため、この出版社を名誉棄損で訴訟いたします』


 日本語では、そのように綴られていた。


「卯月も猪狩さんたちに劣らずデジタル音痴だから、SNSなんざ無縁だったはずだがな。俺が一報を入れて記事の画像も送ってやったら、マネージャーに頼んでアカウントを取得したらしい。あっちは今ごろ、真夜中だろうにな」


「ふん。そいつは本当に、怒り狂ってるみたいだな」


「ああ。レムさんも憤慨してるみたいだぞ。どっちかって言うと、レムさんはデマの記事より動画の隠し撮りに腹を立ててるみたいだがな」


 そんな風に言いながら、篠江会長もゆっくりと視線を巡らせていった。


「レムさんはトレーニングに関して、意外に秘密主義なところがあるんだよ。日本で活動してるときも、この場所を秘密のアジトみたいに使ってたわけだからな。それでも今回、この道場で卯月の最終調整に取り組んだのは、俺たちを信頼してくれてたからだ。そいつを隠し撮りして動画サイトに公開するなんざ、レムさんの信頼を踏みにじる行為だろうよ」


 門下生たちは、惑乱した様子でざわめきをあげていた。

 その目が、一対ずつ柳原へと向けられていく。柳原はプレスマン道場において、もっとも卯月選手に憧憬を抱いている人間であり――そして、ユーリを嫌っている筆頭であったのだった。


「……なあ、柳原。なんか言いたそうな顔をしてるな?」


「な、なんですか? 俺が隠し撮りの犯人だって言いたいんですか?」


 柳原はそっぽを向いたまま、険しい声で言い捨てた。

 その横顔を見据えながら、篠江会長は「まあな」とうなずく。


「俺の思い違いなら、それでいい。ただな、心当たりがあるんなら、いまのうちに白状しておけ。いまならまだ、レムさんにも勘弁してもらえるだろうからな」


「は、白状って何ですか? いったい何の証拠があって――」


「心当たりがないんなら、それでいいんだよ。卯月は本気で訴訟するつもりだから、動画サイトにも情報の開示請求を迫るだろう。遅かれ早かれ、あの動画をあげた犯人は判明するってわけだ」


 その言葉に、柳原は今度こそ顔面蒼白となった。

 篠江会長は厳しい面持ちのまま、「柳原」と彼を呼ぶ。


「ちょっと事務室に来い。あと、桃園さんに猪狩さんと……いちおう、立松にも立ちあってもらうか」


「ああ。駄目って言っても、同席させてもらいますよ」


「他の連中は、稽古を続けておけ。ゴシップ記事で盛り上がるために、こんな時間から集まったんじゃないだろ。……ジョン、よろしく頼む」


「うん、リョウカイだよー。みんな、キモちをキりカえようかー」


 もちろん門下生たちは心配そうに篠江会長らの様子をうかがっていたが、自分たちが口をはさむ場面ではないと判断したのだろう。ジョンの指導のもと、稽古を再開させることになった。


 瓜子は小さくなっていたユーリをうながして、篠江会長らの後を追おうとする。そこにサキが、背後から囁きかけてきた。


「牛の面倒は頼んだぞ」


 瓜子はサキを振り返り、めいっぱいの気合で「押忍」と答えてみせた。

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