06 余波

 その夜も、瓜子たちは天覇ZEROで出稽古を行うことになっていたのだが――想像通り、その場に集まったメンバーは誰もが憤懣をあらわにしていた。


「桃園が八百長とか、ふざけた話だよね。そいつはつまり、桃園と対戦したアタシや舞さんがわざと負けたって言い草なんだからさ。アタシは思わず、道場のパソコンをぶっ壊しそうになっちゃったよ」


「本当に、言語道断のお話であるのです! これは裁判を起こしてでも、徹底的に抗戦するべきであるように思うのです!」


「も、桃園さんにあんな疑いをかけるなんて、信じられません。あんな試合をお芝居でできるんだったら、みなさん俳優になれますよ」


「まったくだわね。去年の対戦相手が全員病院送りになったことを、どう説明するんだわよ」


 女子選手の集合した更衣室では、そんな言葉が飛び交うことになった。

 そうしてそんな言葉を聞いている内に、ユーリはほろりと涙をこぼしてしまったのだった。


「ユ、ユーリ様!? いったいどうして落涙されておられるのですか!?」


「うん、ごめんねぇ……ユーリもちょっと、精神ゲージが削られていたもので……みなさまの優しさに涙腺が崩壊してしまったのです」


 ユーリは気恥ずかしそうに笑いながら、涙をぬぐった。

 小笠原選手は苦笑しながら、そんなユーリの顔を覗き込む。


「あんな馬鹿げた妄言は、誰も信じやしないって。意外にアンタは、こういう攻め手に弱いんだね」


「はいぃ。お恥ずかしい限りでしゅ」


 ユーリは決して、黒澤氏やタクミ選手の讒言にダメージを負ったわけではない。ユーリの精神に負担をかけたのは、実家に報道記者が押しかけたという一件であるのだ。

 しかしそれをユーリに断りもなく打ち明けることはできなかったので、瓜子はひそかに唇を噛むしかなかった。


「……で、これはいったいどういうことなんだわよ?」


 と、今度は鞠山選手が下からユーリの顔を覗き込む。


「これまでさんざん客寄せパンダとして祀られてきたあんたが、どうしていきなりハシゴを外されたんだわよ? あんた、あの黒澤とかいう古ダヌキと何か因縁でもあるんだわよ?」


「いえぇ。お顔もお名前も存じあげないお相手でありましたぁ。ユーリの場合は、知らないところで嫌われていた可能性がありまくるところですけれども……」


「それに関しては、タクミ選手の主導なんじゃないかって、うちの上司が言ってました」


 瓜子の言葉に、鞠山選手は「ふん!」と鼻息を噴いた。


「そいつは、ありえそうな話だわね。でも、あの赤毛はどうやって古ダヌキをたらしこんだんだわよ?」


「それはわからないっすけど……ティガーやカッパージムなんかと提携するには、また別の協力者がいるはずだとも言ってましたね」


「それも、ありえそうな話なんだわよ。あんたの上司は、いちいち鋭いだわね。……わたいもやっぱり、怒りで頭が回ってないみたいだわよ」


 すると、しょんぼり顔の小柴選手が発言した。


「そういえば、今後は試合衣装も統一されちゃうって話でしたよね……一念発起してコスプレ衣装を受け入れたのに、なんだかすごくショックです……」


「ふん。あんたも最後はノリノリだったから、さぞかし無念だっただわね」


「べ、別にノリノリではないですけれど!」


「あんた以上に深刻なのは、わたいのほうだわよ。魔法少女としてのアイデンティティが、木っ端微塵なんだわよ」


 着替えを済ませた鞠山選手は、短い腕を組んでロッカーにもたれかかった。


「これはもう、事実上の引退勧告だわね。あと五年は現役生活を続けるつもりだったのに、すっかりあてが外れただわよ」


「ええ!? ま、鞠山さんは引退しちゃうんですか!?」


「あくまで、アトミックに関してだわよ。こうなったら、《NEXT》や《フィスト》でどこまで試合衣装の折り合いがつけられるか、算段を練るしかないだわね」


 そんな風に言ってから、鞠山選手はじろりと小笠原選手の長身をねめつけた。


「わたいは魔法少女としてのアイデンティティを打ち捨ててまで、あんな連中の下につく気はないだわよ。……でも、トキちゃんたちは、そうもいかないだわね」


「もちろんさ。秋代のやつが首謀者なんだったら、アタシがミドル級に落としてでも蹴り殺してやるよ」


「わたいも、存分に力を貸すだわよ。舞ちゃんたちと築きあげてきたアトミックを無茶苦茶にされたまま、逃げる気はないんだわよ」


 やはり誰もが、《アトミック・ガールズ》の存在を穢されたことに憤っているのだ。

 それを頼もしく感じながら、瓜子がロッカーを閉めようとしたとき――衣服の上に置いた携帯端末が、バイブ機能で着信を告げてきた。

 千駄ヶ谷が、何か新情報をつかんだのかもしれない。そんな風に考えて、瓜子はすかさず手をのばすことになった。


「あれ……灰原選手から、着信です」


 周囲のメンバーにそう告げてから、瓜子は通話をオンにした。

 とたんに、灰原選手のわめき声が耳の中に飛び込んでくる。


『あー、出た出た! うり坊、今日は天覇ZEROだったよね? トレーニングは、これから?』


「はい。ちょうど更衣室で着替えてたところです。他のみなさんもおそろいですよ」


『よかったー! ちょっとあたしとマコっちゃんもお邪魔したいから、魔法老女にそう伝えてもらえる? あいつ、全然電話に出ないんだよ!』


「了解しました。でも、出稽古だったらジム側の了解がいるんじゃないっすか?」


『今日のところは、話だけ! もうすぐ近くまで来てるから、五分ぐらいだけ待っててよ!』


 そうして灰原選手は、性急に通話を打ち切ってしまった。

 瓜子が事情を伝えると、鞠山選手は小首を傾げながらロッカー内を確認する。どうやらそちらの携帯端末は、充電切れであったようだ。


「わたいが充電切れに気づかないなんて、平常心を失ってる証拠だわね。うっかり誰かの足関節をぶっ壊さないように、気を引き締める必要があるだわよ」


「やだなあ。今日は花さんと寝技のスパーはやめとこ。……でも、灰原さんらはどうしたんだろね。やっぱあの動画を観て、居ても立ってもいられなくなったのかな」


 それは、瓜子にもわからない。しかしこのようなタイミングであるのだから、もちろんあの一件に関連した用事なのだろう。

 とりあえずトレーニングルームに移動してウォームアップに励んでいると、予告していた通りの時間に灰原選手と多賀崎選手がやってきた。どちらもラフな格好で大きなバッグを下げており、いかにもこれからトレーニングに取り組もうとしていたような様子だ。


「失礼します。四ッ谷ライオットの多賀崎と灰原です。鞠山さんにお話があってお邪魔しました」


 鞠山選手のセコンドにつくようなコーチ陣とは、多賀崎選手らも顔見知りである。それらの人々に挨拶をしつつ、両名は瓜子たちのそばに寄ってきた。


「これからトレーニングってタイミングで、申し訳ない。実はみんなに、相談したいことがあるんだ」


 多賀崎選手はひどく思い詰めた顔をしており、灰原選手は子供のようなしかめっ面であった。

 そしてその口から放たれた言葉は――瓜子たちを驚愕させるのに十分な破壊力を備え持っていた。


「実はうちのジムに、パラス=アテナから協力要請の話が持ちかけられたんだ。例の、カッパージムでのMMAスクールってやつ……そこで指導するトレーナーを準備してほしいって話でさ」


「ええ? 四ッ谷ライオットのコーチ陣が、あのスクールーのトレーナーを受け持つんですか?」


 小柴選手がびっくりまなこで問いかけると、多賀崎選手は「ああ」と低く応じた。


「なんか、妙な話だろ? うちもいちおうフィスト系列ではあるけど、そんなに名が知れてるわけでもないし……あと、うちだけじゃなくガイアとかパイソンにもそんな話が来てるみたいなんだよ」


 それらはいずれも、フィスト系列の新興ジムだ。ガイアMMAには亜藤選手や金井選手、パイソンMMAは時任選手や加藤選手、関西支部に雅選手が所属している。


「ふん……カッパージムは関東を中心に全国展開してるから、大々的にスクールを開くつもりならトレーナーの数だって尋常じゃなく必要になるだわよ。あちこちのジムに声をかけてトレーナーをかき集めようって話自体は、何もおかしくないだわね」


「ああ。だけどそれなら、普通は真っ先にフィスト本体に声をかけるだろ? どうしてそこから派生した系列ジムを優先したのか……なんか、据わりが悪くてさ。みんなの意見を聞かせてもらいたかったんだよ」


 真剣な顔で言いつのる多賀崎選手に、鞠山選手は意味ありげな視線を突きつけた。


「そんな話は、電話で済みそうなもんだわよ。どうしてわざわざ、こんな場所まで乗り込んできたんだわよ?」


 多賀崎選手は、雄々しい顔にいっそう深刻そうな表情を浮かべた。


「なんか、嫌な感じがしたんだ。でも、その理由がわからなくって……花さんや小笠原だったら、あたしらより頭が回るだろ? 空想でも妄想でもいいから、なんか意見を聞かせてもらえない?」


「わたいは、ふたつの妄想を思い浮かべただわね」


 と、鞠山選手はぴんと二本の指を立てた。


「まず、ひとつ。秋代の馬鹿は何年か前にも、フィストを巻き込んで分裂騒ぎを起こしてただわよ。それで大失敗したもんだから、フィストの首脳部と折り合いが悪い可能性があるだわね」


「あたしも、それは考えた。系列ジムも一緒にアトミックを飛び出したけど、あれは親筋のフィストの方針に従っただけだからな。新団体がポシャった後はすぐにアトミックに戻れたから、被害らしい被害もなかったけど――」


「でも、フィストは面目を潰されただわね。いまだに秋代のことは面白く思ってない可能性が高いだわよ」


「でもさ」と声をあげたのは、灰原選手だ。


「これって、パラス=アテナとカッパージムの提携に対する協力要請でしょ? 秋代がどうとか、関係なくない?」


「パラス=アテナが秋代を団体の顔にしようと目論んでるなら、関係が出てくるだわよ。たとえばMMAスクールのイメージキャラクターなんかに秋代を起用しようとか考えてたら、どうだわよ? フィストとしては、きっと面白くないだわね」


「あ、そっか……だけどあいつら、そこまで本気で秋代なんかを盛り立てようとしてるのかなあ? はっきり言うけど、あいつよりあたしのほうが美人じゃない?」


「あいつには、オリンピックの元・強化選手にアトミックの元・ミドル級王者って肩書きが付随してるだわよ。どこかの低能なウサ公よりは、客寄せパンダに相応しいだわね」


「ちぇーっ! ま、今のパラス=アテナに担がれたって、なーんも嬉しくないけどさ! 試合衣装の統一とか、あたしのバニーちゃん路線をどうしてくれるんだよ!」


「灰原、悪いけどこっちの話を先にさせてくれ。……さっき、ふたつの妄想って言ってたよな。もうひとつは?」


 多賀崎選手にうながされて、鞠山選手は「ふん」と短い腕を組む。


「あくまで妄想だから、そのつもりで聞いてほしいんだわよ。……アトミックに関しては、フィスト本体のジムより派生ジムのほうが、参加選手が多いんだわよ。ガイア、パイソン、ライオットなんかは、その筆頭だわね」


「いや、うちなんかはあたしと灰原しかいないけど……でも、アトミックにふたりのプロ選手を出してるフィスト・ジムなんて、そうないんだろうな」


「わたいの記憶では、小金井支部と川口支部だけだわね。スクールとアトミックを関連づけたいなら、やっぱり所属選手の人数ってのもひとつの指針になるような気がするだわよ」


 そう言って、鞠山選手は眠たげなまぶたをいっそう下げた。


「それに……カッパージムと提携した仕事なんて、トレーナーにとってはウハウハなんだわよ。パラス=アテナがアトミックに参入してるジムの連中を手懐けたいと考えてるなら、ちょうどいいご褒美になるだわね」


「……ああ。うちのトレーナーたちなんざ、みんな小躍りしてたよ。手空きの時間にそっちの仕事を入れられたら、収入だって段違いだろうしな」


 多賀崎選手は、逞しい指先で頭をかき回した。


「あたしはさ、あのふざけた動画を観て頭に来てたんだ。それでジムまで出向いてみたら、そんな話で盛り上がってて……なんかもう、トレーニングする気も失せちまったんだよ。それで、灰原と一緒に飛び出してきちまったのさ」


「うちだったら、いつでも大歓迎だわよ。なんだったら、今日もひと汗流していくだわよ」


「あたしらは、別にライオットをやめたわけじゃないけど……今日は、お世話になっていいかなあ? こんなんで酒でも飲んだら、悪酔いしちまいそうだ」


「だから、大歓迎って言ってるだわよ。コーチ連中にも、文句は言わせないだわよ」


「ありがとう」と頭を下げてから、多賀崎選手はユーリに向きなおった。


「桃園も、あんなデマを流されていい迷惑だったな。ジムのほうは大丈夫なのか?」


「うにゅ? ジムのほうと申しますと?」


「だから、プレスマン道場だよ。あそこなんて、現時点ではアトミックの最有力ジムだろ。なんせ、三人も王者を抱えてるんだからさ。……協力要請の話とか、来てないのか?」


 瓜子は思わず、ユーリと顔を見合わせることになってしまった。


「サキさんが居残ってくれてるんで、何かあったら連絡をくれるはずですけど……でも、うちにまでそんな話が舞い込んできますかね?」


「普通だったら、一番に持ちかけるだろ。……あ、いや、だけどあいつらが桃園をハブろうと目論んでるなら、そうでもないのか」


「ふにゅう。だけどユーリは、あくまで一般門下生という立場でありますため……こういう場合、どうなのでしょう?」


「だいぶんキナ臭い状況ではあるだわね。プレスマンはそんな話を持ちかけられたら、了承するんだわよ?」


「それは自分たちにもわからないっすけど……積極的に断る理由はないでしょうね」


 瓜子はまた、胸の中がざわついてきてしまった。

 ジョンや立松であれば、そんな話にはうかうかと乗っからないように思うのだが――トレーナー個人ではなくジムに対して話が持ちかけられるなら、最終決定を下すのは篠江会長だ。そして篠江会長は、ユーリを好ましく思っていないのだった。


「ユーリさん。明日は、プレスマンに顔を出してみましょう。記者陣がいたら、自分が追い散らしますから」


「はいぃ。どうぞお手柔らかにぃ」


 そうしてその日は、灰原選手と多賀崎選手もまじえて、トレーニングに励むことになった。

 トレーニング自体は有意義そのものであったが、多賀崎選手らの心情を思うと心が曇ってしまう。そして、それが決して他人事でなかったことを、瓜子たちは翌日に思い知らされたのだった。

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