04 会見動画

 翌日――《アトミック・ガールズ》あらため《カノン A.G》の詳細が発表されるという午後の二時、ユーリと瓜子は都内某所のスタジオでグラビア撮影の仕事に励んでいた。


 もちろん撮影されているのはユーリひとりで、瓜子はそれを見守っているに過ぎない。しかしどのみち瓜子の旧式の携帯端末では動画のライブ配信などを視聴するすべはないので、大人しく仕事に集中する他なかった。


 撮影スタジオにおけるユーリは、当然のように水着姿である。本年もユーリはプライベートで海やプールに出向く機会もないまま、何度となく水着を着させられていた。


《アトミック・ガールズ》の七月大会から十日と少しが過ぎて、いよいよ七月も終わろうとしている。

 タイトルマッチを勝ち抜いてから、たったこれだけの期間でこうまで事態が一変しようなどとは、瓜子にとって想像の外であった。


「何よ、辛気臭い顔ねぇ。そんなしょぼくれた顔してたら、せっかくのお肌までくすんじゃうわよ」


 と、撮影の仕事を終えたトシ先生が、そんな言葉を瓜子に投げつけてきた。


「何があったか知らないけど、しゃんとなさいな。気晴らしに、アタシが何枚か撮ってあげようか?」


「い、いえ、すみません。どうぞお気遣いなく」


「遠慮しなくていいわよ。えーと、アンタのサイズに合う水着はあったかしら」


「本当におかまいなく! この精神状態で水着の写真なんて撮られたら、卒倒しちゃいます!」


「情けないわねぇ。盆明けまでには、きっちり立て直しなさいよ。現場では容赦しないからね」


「はい」と答えかけてから、瓜子は小首を傾げることになった。


「あの、盆明けって何のお話っすか? とてつもなく嫌な予感がするんすけど……」


「何のお話って、アタシのスケジュールを押さえたのはアンタたちでしょ。サードシングルとやらのジャケ撮影じゃない」


「そ、それはユーリさんのお仕事っすよ! 自分には関係ありません!」


「なに言ってんのよ。今回も、アンタと愛音ちゃんを加えたトリオの撮影でしょ。CDの売り上げを考えるなら、まあ当然の戦略ね」


「いやいやいや、そんなお話は聞いてませんってば! トシ先生の早とちりでしょう?」


「だったら、アタシの判断でそうさせてもらうわよ。ユーリちゃんはピンでも完璧な被写体だけど、アンタが一緒だと普段以上の画が撮れるのよねぇ」


 瓜子は地中深くに埋葬されたあげく、墓石を蹴り倒されたような心地であった。

 そうして瓜子がこの世の無情を噛みしめている間にトシ先生は立ち去って、着替えを済ませたユーリが舞い戻ってくる。


「おっまたせー! お次はボイトレだったっけ? まったく、容赦もへったくれもないスケジューリングですにゃあ」


「はい……それじゃあ、行きましょうか……」


 本日は駅前のタクシー乗り場から乗車する予定であったので、そこまでは徒歩である。撮影スタジオの玄関口に向かいながら、瓜子は携帯端末をチェックしてみたが、そこには何の表示もされていなかった。


「もう三時半を過ぎてるのに、なんの連絡も入ってないっすね」


「うみゅみゅ? 今日は仕事が詰まってるので、夜まで電話はご遠慮くださいってメールを回してなかったっけ?」


「灰原選手たちじゃなくって、千駄ヶ谷さんっすよ。記者会見がどういう内容だったのか、教えてもらえると思ったんすけどね」


 本日、千駄ヶ谷は自らイベントスペースに向かう手はずになっていた。どうやらパラス=アテナに問い合わせたところ、その場で行われるのは黒澤氏による記者会見であったようなのである。


(まあ、鞠山選手や小笠原選手はリアルタイムで視聴するって言ってたから、あとで内容を教えてくれるだろうけど……)


 そうして瓜子とユーリが玄関を出ると、目の前の道路に黒いボルボが横づけされていた。

 ユーリは「あはは」と笑いながら、運転席を覗き込む。


「どうもお疲れ様ですぅ。わざわざ直接いらしてくれたのですかぁ?」


「はい。次の現場に向かいがてら、会見動画をご確認ください。リアルタイム配信は終了しましたが、その後も視聴は可能である仕様でしたので」


 瓜子たちが後部座席に乗り込むと、毎度お馴染みのタブレット端末が手渡されてきた。


「こちらの端末でどうぞ。……きわめて不本意な内容も含まれておりますので、そのおつもりでご確認ください」


「はぁい。ありがとうございますぅ」


 ユーリは千駄ヶ谷から手渡されたタブレット端末を、そのまま瓜子に渡してきた。ユーリは瓜子以上のデジタル音痴であったのだ。

 画面には、例のロゴマークと動画のウィンドウが表示されている。再生のマークをクリックすると、とたんに中年男性の顔が大写しにされた。


「時間のロスを避けるために、適切な場所で一時停止をしておきました。すぐに話の核心に触れますので、そのままご確認ください」


 千駄ヶ谷の言う通り、黒澤氏はすでに花咲代表の不祥事を謝罪しているさなかであった。脱税によって刑事罰を受ける予定である花咲氏は社長を解任され、今後は自分がパラス=アテナの責任者として立て直しをはかりたい――と、黒澤氏は熱っぽく語っている。


(やっぱりこのお人が、パラス=アテナを取り仕切ることになるのか)


 黒澤氏は花咲氏とほとんど同年代の、五十手前ぐらいに見えた。首から上はナイスミドルであった花咲氏とは異なり、ぎらぎらと脂ぎった貪欲そうな面がまえだ。だいぶん広くなりかけている額に汗を浮かべながら、イベントスペースに集まった報道陣に熱弁をふるっている。


『……しかし、花咲氏の罪は許されないものであると同時に、弊社とはいっさい関わりがないものであるということを、どうかご理解いただきたく願います。むしろこれはパラス=アテナを健全に運営していくために必要な、通過儀礼であったのでしょう』


『これまでの運営は、不健全であったということでしょうか?』


 記者陣から疑問の声が飛ばされると、黒澤氏は上気した顔で『はい!』と応じた。


『恥をしのんで告白いたしますが、これまでのパラス=アテナは――つまり、《アトミック・ガールズ》はきわめて不健全な状態にありました。日本国内において女子MMA専門の興行というのは《アトミック・ガールズ》しか存在していなかったにも拘わらず、きわめて不健全で非生産的な状況から脱することがかなわなかったのです。わたしはこの場をお借りして、《アトミック・ガールズ》に関わってくださっていた全関係者とファンの皆様にお詫びを申し上げたく思っています』


『具体的に、どのような点が不健全であったのでしょう?』


『主たるは、二点……特定の選手に対する不相応の肩入れと、格闘技業界の潮流を無視するような怠惰なる運営方針でありましょう』


 瓜子は思わず、拳を握り込んでしまった。

 パラス=アテナがもっとも肩入れしていた人物とは、現在瓜子のかたわらでタブレット端末の画面を覗き込んでいる色っぽい娘さんであるはずなのだ。


『それは、ユーリ選手のことを指しているのでしょうか? 確かにユーリ選手が実績を示すようになるまでは、そういった声も数多くあげられていたようですが……』


『これはあくまでパラス=アテナの側の問題でありますため、特定の選手を誹謗するようなコメントは差し控えたく思います。……ただ、人気先行の選手を不相応に取り立てて、その人気のおこぼれに預かるような真似は、不健全の極みでありましょう。格闘技とは、実力勝負の世界であるはずです。人気選手にスポットを当てるのは当然のことですが、実力のない選手をスターに仕立てあげるような真似は、決して許されないのです』


『ですが、ユーリ選手は先日の大会でミドル級の王座を戴冠されましたよね? 以前は人気先行であったようですが、現在は人気に実力が追いついたと言えるのではないでしょうか?』


 記者陣も、それがユーリであると断定して話を進めてしまっている。

 そうして黒澤氏が口をもごもごさせていると――別の記者から、皮肉っぽい声が飛ばされた。


『それともひょっとして、ユーリ選手の連勝記録というのは実力以外の部分で作られたものなのでしょうか? 《アトミック・ガールズ》の試合で八百長が行われていたなどとは、我々も考えたくないところなのですが』


『……さきほども申し上げました通り、特定の個人を誹謗するような発言は差し控えたく思います』


 瓜子は思わず、「なんだよそれ!」と怒号をあげてしまった。


「どうしてはっきり否定しないんだよ! ユーリさんの試合が八百長なんて、そんなことあるわけがないじゃん! たとえあんたたちがそんなことを企んだって、ユーリさんや相手選手がオッケーするもんかよ!」


「猪狩さん、ご静粛に。会見は、まだ半ばです」


 瓜子は唇を噛みしめながら、かたわらのユーリを振り返る。

 ユーリは瓜子を見つめながら、ふにゃんと微笑んだ。


「ユーリのことは、いいんだよぉ。ユーリにとって大事な人たちさえ信じてくれたら、それで十分なの」


 瓜子は五体を駆け巡る激情をなんとかねじ伏せながら、ユーリにうなずき返してみせた。

 そして、画面上の憎たらしい中年面をにらみ据える。


『では、格闘技業界の潮流を無視するような運営方針とは、どういうことなのでしょうか?』


『それはもちろん、《アトミック・ガールズ》における前時代的なルール設定に関してです。現在のMMAは北米のスタイルこそがスタンダードであり、世界水準であるのです。そこから大きくかけ離れた《アトミック・ガールズ》のルール設定は、唾棄すべき商業主義の結果であるのです』


『商業主義とは? もう少し詳しくお願いいたします』


『はい。《アトミック・ガールズ》においてもっとも前時代的であったルールとは、三点。すなわち、ダウン制度と、肘打ちの禁止、そして試合場がいまだにリングであったことでしょう。《アトミック・ガールズ》が頑なにダウン制度を撤廃しなかったのは、そのほうが試合が盛り上がるという極めて安易な発想にしがみついていたゆえであるのです。女子にはKOパワーを持った選手が少ないと断じられ、ダウン制度でも採用しないことには判定までもつれこむ試合が多発し、結果的に興行が盛り上がらなくなってしまう、と……肘打ちや試合場に関しても、同じことです。女子選手は男子選手に比べると技術が未発達であるため、MMAのスタンダードなルールに適応できないと見なされてしまっているのです。また、ケージの試合場はリングよりも面積が広いために、そのぶん客席を縮小せざるを得ません。なおかつ、ケージの試合場を新たに準備するには、当然のことながら小さからぬ経済的負担が生じます。そういった目先の損得にとらわれて、これまでの《アトミック・ガールズ》は前時代的なルールに甘んじることになってしまったのです』


 記者に質問をさしはさむ間隙も与えずに、黒澤氏はそれだけの言葉をまくしたてた。


『このように時代遅れのルールで試合を行っていても、《アトミック・ガールズ》に出場している選手たちが世界に羽ばたくことは決してかなわないでしょう。それは先日の《アクセル・ジャパン》において、来栖選手ではなく青田選手にオファーがかけられたことでも証明されているかと思われます。あれだけ《アトミック・ガールズ》のために尽力してくださった来栖選手でさえ、とうとう世界に進出する機会も与えられないまま、引退することになってしまったのです』


 このような茶番のために、来栖選手のことまであげつらおうというのか。

 もしも目の前にこの黒澤という人物がいたならば、瓜子は殴りかかってやりたいぐらいであった。


『日本国内におけるMMAのプロ興行において、いまだダウン制度を残している団体は他にありません。また、《フィスト》も《NEXT》も《パルテノン》も、すでに試合場をケージに移行しようとしています。そんな中、《アトミック・ガールズ》だけが前時代的なルールにしがみついていてはいけないのです。わたしは本日この場において、《アトミック・ガールズ》を《カノン A.G》の名に改めるとともに、全面的なルール改正を発表したく思います』


 報道陣の何名かが、シャッターをきっていた。

 油ぎった顔にストロボの光を反射させながら、黒澤氏はさらに言いつのる。


『まず、次回の興行からは試合場をケージに改めます。そして、ダウン制度は撤廃し、肘による攻撃も解禁いたします。それでようやく、《カノン A.G》も世界水準に達するのです』


『確かに最近はアマチュアの試合でも、ダウン制度は撤廃されています。ですが、いきなり肘打ちまで解禁してしまうというのは……いささか危険なのではないでしょうか?』


『はい。肘による攻撃というのは大きな負傷を誘発しやすいため、日本国内においてはMMAのみならずキックボクシングの興行でも禁止されている団体は少なくないかと思われます。《カノン A.G》においてはリーグ制を導入し、一定の水準に達していない選手で構成されるBリーグの試合においては、肘による攻撃を制限するべきかと構想しておりました』


 そんな構想を、いったいいつから練り上げていたというのか。少なくとも、花咲氏が逮捕されてから考えついたわけではないのだろう。


『その他、さまざまな点においても《カノン A.G》はクオリティアップを目指したく思います。その一環として、本日一名の選手をこの場で紹介させていただきます』


(選手を紹介?)と、瓜子は眉に唾をつけることになった。

 記者陣も、不審そうにざわめきをあげている。黒澤氏はにんまり笑いながら立ち上がり、テーブルの上に設置されていたマイクをつかみ取った。


『それでは、ご紹介いたします。タクミ=フレア選手、どうぞ!』


 ざわめきの中、ひとりの女子選手が壇上に参じた。

 赤と黒のハーフトップに、ハーフスパッツ。手にはオープンフィンガーグローブまで装着した、試合衣装の姿である。


 真っ赤に染めあげたセミロングの髪を、自然に肩まで垂らしている。年齢は、二十代半ばといったところであろうか。やたらと目つきは鋭いが、欧米人のように鼻筋が通っており、なかなかの美形である。それに、しっかりと鍛え抜かれたその身体も、灰原選手に負けないぐらい肉感的で、なんとはなしに色気が感じられた。


 と――そこでユーリが、「おりょりょ?」とおかしな声をあげる。

 記者陣がわけもわからぬままフラッシュをたいている間に、瓜子はユーリに問いかけた。


「どうしたんすか? もしかしたら、お知り合いっすか?」


「うん。前に見たときとは、お顔もプロポーションもずいぶん変わっておられるようだけれども……これって、秋代選手じゃない?」


 瓜子は愕然として、画面のほうに向きなおった。

 その人物はうっすらと笑いながら、記者陣に向けてファイティングポースを取っている。


 それは確かに、秋代拓実あきしろ たくみ選手であるようだった。

 昨年の四月、沙羅選手を倒したばかりのユーリと《NEXT》のリングで対戦し、鼻骨を砕かれたあげくに一本負けをした――さらにその前には《アトミック・ガールズ》で分裂騒ぎを巻き起こし、新たな団体を立ち上げるもわずか一年で崩落させてしまった、業界の革命児――《アトミック・ガールズ》の第三代ミドル級王者、秋代拓実選手である。


 ユーリとの対戦以来、表舞台から姿を消していた秋代選手が今、変わり果てた姿でファイティングポースを取っている。

 それがいったい何を意味するのか、瓜子はますます惑乱の坩堝に叩き込まれることになってしまった。

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