03 第二の事件

『どうやらあのサイトのカウントダウンは、パラス=アテナの黒澤氏による企画であったようです』


 そんな情報をもたらしてくれたのは、やはり千駄ヶ谷であった。

 天覇ZEROにおける出稽古の帰り際に、千駄ヶ谷がわざわざ自分から電話をくれたのだ。


『しかもそれは、黒澤氏による独断であったようで……駒形氏を始めとする他のスタッフにも、いっさい事情は通達されていなかったとのことです』


「いったいそれは、どういうことなんでしょう? 二日後に、何が起きるっていうんすか?」


『現時点では、不明です。何にせよ、責任者の逮捕の翌日に、なんの説明も為さないままにこのような真似をするのは、あまりに悪手でありましょう。さすがにテレビ局などは無反応ですが、ネット上ではかなりの騒ぎになってしまっています』


 それは、鞠山選手からも聞いていた。この一件は早々にネットニュースに取り上げられて、あまりに不謹慎だとパラス=アテナを誹謗する声があふれかえっているのだそうだ。


『これが起死回生の打開策となるのか、あるいは運営の存続を脅かすとどめの一手となってしまうのか……私も心して、経緯を見守りたく思います。ユーリ選手にはくれぐれも心を乱さずにとお伝えください』


 そんな言葉で、千駄ヶ谷との通話は打ち切られることになった。

 まあ不幸中の幸いというべきか、ユーリはこの一件に関して大きな反応は見せていなかった。それよりも、天覇ZEROで学んだ壁レスリングというものに、すっかり心をとらわれてしまっていたのだ。


「いやぁ、壁レスリングって見た目は地味だけれども、なんとも奥深い世界であるようだねぇ。明日のお稽古も楽しみですわん」


 そんな具合に、ユーリは明るい表情を取り戻していた。

 あるいはトレーニングに没頭することで、目の前の不安や焦燥から逃げているのかもしれない。が、こちらがいくら思い悩んだところで状況が好転するわけでもないのだから、それはきわめて建設的な現実逃避であるはずだった。


 だから瓜子も、ユーリを見習うことにした。

 黒澤氏という人物が何を企んでいようとも、それが公開されるのは二日後であるのだ。ならば瓜子たちは為すべきことを為しながら、時が至るのを待つしかないように思われた。


 そんなわけで、翌日も天覇ZEROにお邪魔することになった。

 またレポーターたちがプレスマン道場に押し寄せてきてしまったら、大きな迷惑をかけてしまうし――現時点でも、篠江会長は立腹してしまっているというのだ。ユーリには何の罪もない話であるのに、「あんな厄介者を入門させるからだ」と、ジョンや立松が叱責されてしまったのだという話であった。


「ま、こっちはアタシが目を光らせておくからよ。おめーらはしばらく、外で遊んどけや」


 サキなどはそのように言いたてて、出稽古を辞退していたのである。

 瓜子が申し訳なさそうにしていると、サキはいつもの調子で肩をすくめていたものであった。


「もしアトミックが潰れなかったら、おめーとアタシは統一戦だろうが? どっちみち、そろそろ距離を取る時期なんだよ。それともおめーは、先輩様を追い出そうって魂胆だったのか?」


 そんな乱暴な物言いにも、サキの優しい気遣いがあふれかえっていた。

 それで瓜子もサキの親切に報いるべく、出稽古に注力する決意を固められたわけである。


 そうしてさらに翌日の、午後八時――

 その瞬間を、瓜子とユーリは天覇ZEROのトレーニングルームで迎えることになったのだった。


                   ◇


 その日も午後の七時からトレーニングを開始した瓜子たちは、休憩時間にノートパソコンを取り囲むことになった。

 ジムのパソコンを私用で独占するのははばかるべきということで、わざわざ鞠山選手が持参してきたノートパソコンである。そもそも鞠山選手たちは手持ちの携帯端末でもサイトを確認できるはずであったが、デジタル音痴の瓜子とユーリのためにこのような準備をしてくれたのだった。


 ノートパソコンの画面に表示された数字は、刻々と減少していく。

 汗だくになった身を寄せ合いながら、瓜子たちはそれがゼロになる瞬間を待ち受けた。


 そうして、午後の八時ジャスト――

 すべての数字がゼロを表示した瞬間、画面にさまざまな色合いが爆発した。

 これまでがほとんど黒一色であったため、目眩がするような仕掛けである。まったく無意味な色とりどりの幾何学模様がフラッシュし、見る者の眼球をさんざん痛めつけ――やがてそれは、赤と黒で統一された画面に落ち着いた。


 背景の色は、黒である。

 そこに、鮮やかに赤いロゴマークが浮かびあげられた。

 記されている文字は――『Canon A.G』の七文字だ。


「何これ? 『A.G』って、《アトミック・ガールズ》のこと?」


 小笠原選手がうろんげにつぶやいたが、もちろん答えられる者はなかった。

 そうして画面を見つめていても、これ以上の変化が起きる様子はない。そうと見て取った鞠山選手がそのロゴマークにカーソルをあわせて、クリックした。


 ロゴマークは燃えあがるような演出とともに、小さく縮んでいく。

 そしてその下に、再生マークのついたウィンドウが出現した。動画を表示するためのウィンドウである。


 鞠山選手は眠たげな目をいっそう細めつつ、そのウィンドウをクリックする。

 とたんに、奇妙なキャラクターが出現した。二・五頭身ぐらいで、頭が炎の形をした、海外のアニメに出てきそうなデザインだ。ずいぶんデフォルメされているが、その手にはオープンフィンガーグローブを装着し、タンクトップにハーフパンツというMMA女子選手の試合衣装であるようだった。

 重厚なロックサウンドをBGMに、そのキャラクターが喋っているという体裁で、いくつかのテキストが表示される。


『《アトミック・ガールズ》は、《カノン A.G》として生まれ変わる!』

『恥ずべき歴史は打ち砕き、今こそ新しい未来に踏み出そう!』

『詳細は明日のPM2:00、イベントスペースangelaにて、発表する!』

『その模様はこちらのサイトでライブ配信するので、要注目!』


 そんな台詞をテキストで語っている間、火の玉の頭をしたキャラクターはハイキックや右フックやバックハンドブローを繰り出しており、そのたびに派手な効果音が鳴り響いた。

 そうして最後はウィンドウが燃えあがるような演出とともに、動画は停止する。

 しばらくの沈黙ののち、小笠原選手が「なんだよこりゃ」と言い捨てた。


「いくらなんでも、おふざけが過ぎるんじゃない? 社長が逮捕されたばかりだってのに、なに考えてんの?」


「ふん。ハッキングでサイトを乗っ取られたと考えたほうが自然なぐらいの、馬鹿げた所業だわね」


 しゃがれた声でつぶやきながら、鞠山選手が瓜子をにらみつけてくる。


「うり坊。あんたの上司の情報によると、こいつはパラス=アテナのスタッフの仕業なんだわね?」


「は、はい。花咲さんの右腕だった黒澤さんっていう経理部長が、このサイトを準備したらしいって話だったっすけど……」


「なんだか、きな臭いニオイがしてきただわね。ひょっとしたらひょっとすると……《アトミック・ガールズ》は、その黒澤とかいうやつに乗っ取られたのかもしれないんだわよ」


「ええ!?」と悲鳴まじりの声をあげたのは、小柴選手であった。


「の、乗っ取りって、どういうことですか? いったい何を根拠に、そんなことを仰ってるんです?」


「根拠は今の、ふざけたアニメ動画だわね。社長が逮捕された四日目にこんな動画が公開されるなんて、あまりに手回しがよすぎるだわよ。だいたいカウントダウンは、二日前に始まってたんだわよ? 社長が逮捕された翌日にこんなギミックを仕掛けるなんて、あまりに常軌を逸してるだわよ」


 それは確かに、理屈の通った主張であるように思えた。

「でもさ」と反論したのは、小笠原選手である。


「アトミックを乗っ取るって、何のために? 社長さんは何千万円も脱税してたみたいだけど、アトミックの収入なんて微々たるもんでしょ。もっと規模の大きい《NEXT》だって、興行を打つのに赤字だらけだって話なのにさ」


「ふん……確かにそいつは、いぶかしいポイントだわね。わたいがアトミックを乗っ取るんだったら、まずは来年まで様子を見ていたはずだわよ。せっかく波に乗ってきたこんなタイミングで乗っ取っても、旨みは少ないはずだわね」


 いったい何がどうなっているのか、瓜子にはさっぱり意味がわからなかった。

 そうしてユーリのほうをうかがってみると――ユーリはぽけっとした面持ちで、ドリンクボトルのスポーツドリンクをくぴくぴ飲んでいた。


「……ユーリさんは、あんまり驚いてないみたいっすね」


「うみゅ? まあ、おバカなユーリが頭をひねっても、なんにもならなそうだからにゃあ。めんどいお話は千さんにおまかせして、今はお稽古に集中したい所存なのであります」


 鞠山選手はゆらりと立ち上がるや、身長のわりに大きな手の平でユーリのピンク色をした頭をぴしゃんと引っぱたいた。

 ユーリは「ぴみゃー!」とおかしな雄叫びをあげて頭を抱え込み、鞠山選手は「ふん!」とずんぐりとした身体をそらす。


「ここであれこれ妄想を広げても、なんの得にもならないだわね。明日詳細とやらが発表されるまで、わたいたちはトレーニングに集中するだわよ」


 それは確かに、ユーリや鞠山選手の言う通りであろう。

 しかし瓜子は、なんとも言えないざわめきのようなものを胸の内に抱え込んでいた。


 花咲氏は決して理想的なプロモーターではなかったろうが――それでも十余年にわたって《アトミック・ガールズ》を運営してきた功労者であるのだ。黒澤なる人物がそれを蹴落としてパラス=アテナを乗っ取ろうと画策しているならば、とうてい歓迎できそうになかった。


(そもそも、《カノン A.G》ってのは何なんだよ? どうしてわざわざ興行の名前まで変えなきゃいけないんだ?)


 瓜子は《アトミック・ガールズ》の舞台で、サキの試合に心を奪われたのだ。

 そして来栖選手は、自分の半生を《アトミック・ガールズ》に捧げていた。

《アトミック・ガールズ》の名前を打ち捨てて、これまでの試合を「恥ずべき歴史」などと言いたてるのは、そんな人間たちのさまざまな思いを踏みにじるような行為なのではないかと――瓜子には、そんな風に思えてならなかったのだった。

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